こどもの頃に描いた絵、こどもの頃に使ったクレヨン
今日は黒色と一緒に絵を描いていた。
新鮮な出来立てホヤホヤの白色は黒色と一緒に日々過ごして、ほぼ黒に近い灰色となり、画用紙に適用される。一緒に過ごした黒色は何の色にもなれずにただ美しくない、古くなった黒色として画用紙に存在し、やがて誰も気付かぬ内にその場にはいなくなっている。残ったほぼ黒色の灰色も、結局黒色の残した足跡を装飾する以外、絵にすこしでも長く残される方法を知らないため、同じ道をたどっていく。
新鮮な出来立てホヤホヤの白色には他の色となる権利を持たされていないものがほとんどだ。パレットには白と黒の二色しか用意されていない。白と黒の比率はそれぞれ違うかも知れないが最終的には黒色になる。この二色で他の色を作ろうとしも、白、灰色、黒、この三色以外にはなれない。また、黒色は自分自身が最もお手本となる色だと思い込んでいるため、なにも知らない白色に黒色になることを進めるか、もしくは強制する。
黒色ばかり集まった画用紙に明るさは表現できない。ただの真っ黒な画用紙である。しかし、これは黒色の目指す絵ではい。好きでこういった絵にしているわけでなく、黒色が単に気づいていない。もしくは描かれてきた黒色だけの画用紙が明るくて、楽しい絵であると長い間伝えられてきたから、習慣付けられてたからであろう。
なんでだろう。なんか窮屈なんだよね、みた感じ。もっと僕みたいに楽しくて明るい絵にすればいいのに。
一体どうすれば明るくて楽しい絵になるか?簡単なことだ。多くの色を画用紙に用いればよい。その多彩な色達を作る方法は一つ。白色を無理矢理黒色にしないことである。白色に好きなように、思うがままにパレットに何色もだしてもらって、たくさんの色を作ってもらうのだ。これは、黒色にはもうできないことである。しかし、色を作る手伝いはできるだろう。そして、受け入れるのだ。黒色の絵に黒以外の色を使うことを。そして、明るくて楽しい絵を書き上げるのだ。
そして、僕の絵の隣に君の絵を並べよう!
最後に、この全文は比喩で書いてある。もし、比喩を使わなかったら直接的で、攻撃的な文になってしまうと感じたから。例えば白はこどももしくはこどもの世界、黒は大人もしくは大人の世界。画用紙、絵とは、我らが住む世界のことを意味している。まだまだこの文にはたくさんの比喩が使われているが、これ以上は書かない。この文が何を伝えたいか、わかったときは自分自身を見つめ直して欲しい。