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1章 6

 軍服姿の男が、険しい顔でこちらに近づいて来ていた。

「ここは一般人が遊びに来る所では無い。まったく、これだから旧市街の人間は危機意識が足りない」

 男は見下す口調で叱りつけると、まるで動物でも追い払うかのように緋一たちに手を振った。

 緋一はムっと男を睨み返した。しかし男はちらりと見もせずに横を通り過ぎると、

「早く帰れ。これ以上我々の仕事を増やさないでほしい」

 そう言って少し先の地面に屈み込んだ。ちょうど、ブランダーの灰に覆われている所だ。

 こいつ、自衛軍の兵士か。緋一は男の被っている軍帽でそう判断した。肩の階級章は下から四番目。威張れる部下ができるあたりの位だ。

 男は懐から袋を取り出すと、ブランダーの灰を袋に入れ始めた。

 腹いせにその背を蹴りつけてやろうかと思った、その時、

「お兄さんは何してるのぉ」

 突然、響子が尋ねた。

「職務内容の外部漏洩は厳禁だ。答えてやる義務は無い」

「ブランダーの灰に何かある?」

 男はフンと鼻を鳴らしただけで答えなかった。

 緋一は響子を窺った。彼女はいつも通りの微笑みで、男の背を見下ろしていた。

「あるわけないよねぇ。ブランダーの灰はクズ同然だもの」

 ピタリと男の手が止まる。

「一応お兄さんたち、ブランダーの研究にも手を出してるみたいだけどさぁ……灰なんて持って帰ってもしょうがないよぉ。毎回キッチリ回収してる骨ならまだ役に立つけどねぇ」

「黙れ、小娘」

「でも上の人からの命令じゃ仕方が無いかぁ。新しい研究材料にする、とかテキトーな理由でも、それが命令ならお兄さんは従わなきゃいけないもんねぇ」

 挑発としか思えない口調で連ねる響子。緋一と白羽は血の気の引いた顔で固まった。男の腰には大きな銃が結わえつけられている。

「……小娘、その口を閉じろ」

 男は怒りを押し込めた声で呟いた。そして再び灰を袋に入れ始めた。が、

「あれ、まだやるのぉ? 無駄だって言ってるのにぃ」

 男はついに袋を投げて立ち上がった。

「我が軍を愚弄しているのか、小娘!」

 響子の胸ぐらを掴んで揺さぶった。

「これは我が国の命運を担う高尚な軍令だ。庇護されるだけの一般人は黙っていろ!」

「高尚? あぁ、確かにある意味そうかぁ」

「貴様っ! ふざけるのもいい加減にしろ!」

 男は腰から銃を引き抜いた。

 緋一は思わず踏み出しかけた。しかし、はっと気づく。

 来るなだって?

 代わりに白羽が飛び出そうとする。だが彼女もすぐに、戸惑い混じりに動きを止めた。

「響子……ちゃん?」

 緋一は響子の手――〝来るな〟と示した手の平から顔を上げた。白羽に目配せしていた瞳と、一瞬目が合った。

「小娘が……」

 ボタンが弾けたシャツからのぞく喉に、ぐりっと銃口が突きつけられる。

 それでも響子は、いつも通りの顔で男を見上げていた。

「……いい加減、気づきなよ」

 グロスを塗った唇が呟いた。

「なに?」

「お兄さん、見切られたんだよ」

 悼むように両目を細めた。

 次の瞬間、ぶるりと男の背が震えた。

「なっ!」

 緋一は目を見張った。軍服の体が、へし折れんばかりの勢いで反り返った。

 一瞬の沈黙の後、強烈な電圧を受けたようにガクガクと振動し始める。

 響子がどさりと地面に投げ出された。

「響子ちゃんっ!」

 駆け寄る白羽。跪いた白羽の前で、響子は平気そうな顔で身を起こした。

 男に向けられた顔は、変わらず微笑んでいた。

「おいっ、響子!」

 緋一は二人の下に駆け寄った。

「緋一君、ちょうどいいタイミングだねぇ」

 にやりと少女の唇が笑った。

「あやうくランチ無しのピクニックになる所だったよぉ」

 このハプニングの訪れを歓迎するような言い草だった。

「……お前っ」

 初めっから知ってたのか。

「ぅ、あぁがああああああっ!」

 問い詰めかけた緋一を絶叫が遮った。

 天を仰ぎ、悶絶する男。緋一は顔をしかめた。酷く割れた声は既に、ヒトのそれとかけ離れている。喉の細胞が急速に膨れ上がり、激変に追いつかなかった結合組織が目茶苦茶に引き延ばされるせいだ。

 ヒトの怪物化の全容と原理。緋一はそれを、過去に雇われた医者から教えられていた。

 選ばれなかった者の末路。

 二差路の片方に浮かぶハズレくじの未来。

亢進失敗者ブランダー……」

 その生物の名を、白羽が呟いた。

 メリメリと音を立てて元来の細胞質が破られる。その奥から新たな細胞質が弾けるように表出する。DNAのどこにそんな情報を隠していたのかと思えるほど、硬質で非生物的な表皮細胞。それを押し上げる新たな筋肉組織も、自然現象とは思えないスピードで増殖していく。

 新たに出現した体表は驚くほど秩序的に結合していく。ジグザグに組み合わさったはずの箇所も、まるで研磨を掛けたように滑らかな一面と化す。

 細胞は今回も忠実だった。

 自らの内に秘められたセカンドメモリーの発現に失敗し、内包する莫大なエネルギーが捻じれた方向に進んだ結果――

 緋一は汗の浮かんだ手の平を握った。

 輪郭は辛うじて人の気配を残している。しかしその全貌は、生身の生物とは完璧に離れていた。

「見事な亢進失敗だねぇ」

 響子が言う。

「自我の喪失、半生体機械化、細胞分裂の激化による巨大化。教科書に載せていいくらいのブランダーの見本だよぉ」

 他人事のように言うと、彼女は緋一を向いた。

「さてと。もうじきこのお兄さん、僕らを襲いにくるよ。元自衛軍のヒトなのに滑稽だねぇ」

 緋一は響子を見据えた。

 メキッ、ミシッ、という組織の鈍い軋みが耳を突く。

「お前、初めっから知ってたのか?」

「まさか、人聞き悪いなぁ。いつどこでブランダー化が起こるなんて誰も分からないよ」

 響子は肩をすくめる。

「……お前……」

 にやりと少女の唇が笑った。

「でも、試されるのは嫌い? 緋一君」

 少女の背後でブランダーが鈍い叫びを上げる。響子は可笑しそうに目を細めた。

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