エピローグ2
「終わりにしたいんでしょ。だったらここで、この銃で僕を殺してよ」
緋一は身を引いた。それを追い、響子は一歩緋一に詰め寄った。
「オオカミは死ぬまでウサギさんを追いかける。例え護衛の契約が終わって緋一君がここを去っても、僕は絶対に追いかける。それがもう、僕の本能だから。僕が僕の内側に立てた、尊い誓いだから」
淡く垂れた目はまっすぐに緋一を見つめていた。そして彼女が突き出す銃のグリップも、微動だにせず緋一の前に据えられていた。
緋一は両目をしかめた。
「……言っただろ。俺は自分から手を出さない」
「でもヒツジさんは殺せたよ。もう立ち上がれなくなったヒツジさんを、緋一君は殺した。ヒツジさんの願いを叶えるために」
緋一は奥歯を軋ませた。響子が言ったのは隠しようの無い事実だった。
響子は切なげな声で言った。
「僕を殺して……死体にして。焦がれるくらいに求めた緋一君に殺されたら、僕はシアワセな死体になれるから」
とん、と緋一の胸に銃が押しつけられた。
長い長い沈黙の後、緋一はその銃を取った。一瞬手と手が触れ、体温が伝わる前に離れ合った。
小型の拳銃を、緋一は右手に握った。銃身と弾の重みが、それ以上の重力を引き連れて腕にのしかかった。安全装置はとうに外されていた。
響子は微笑み、銃を手放した両腕を軽く広げた。
「その弾丸で僕は、世界で一番シアワセな死体になれるから」
まるで愛の告白をするように、少女は愛おしげに微笑んでいた。
澄んだ空と穢れた大地が、少女の背景に広がっていた。同居する二つの景色。表裏を描いた実像の中心に、少女は立っていた。
沈黙が流れる。緋一は止んだ風の中に、一つ、二つ、息をついた。
そして、引き金を引いた。
鋭い銃声がゴーストタウンに響き渡る。
「……」
響子は目を瞬いた。
「――バカか。お前がこんな終わりに満足するわけがねぇだろうが」
緋一は銃を下ろした。
「下手な芝居はやめろ。お前の生きてる意味を散々聞かされた俺が騙されると思ったのか?」
安全装置を掛け直し、銃を響子の足元に放り投げる。ローファーのつま先に、硝煙を散らす銃口がカツンとぶつかった。
「お前がどんな奴なのか、俺はとっくに知ってんだよ」
強制返却された銃から、彼女は顔を上げた。
くすっ、と唇から笑みがこぼれた。
「嬉しいなぁ。僕の事、ちょっとは分かってくれてたんだねぇ」
緋一はやるせないため息をついた。この顛末を確信していた言い草だ。悪びれる風など一つも無い笑い声を聞けば、怒鳴って怒る気にもならなかった。
「これって、お互いに歩み寄れたって事かなぁ」
「はぁ? 恋人か何かみたいに言うなよ」
緋一は呆れて顔を逸らしたが、しかし彼女はまんざらでもなさそうに、唇に指を当てて呟いた。
「それもいいねぇ。緋一君が僕を愛してくれたら、いつか僕の願いも叶えてくれるかもしれない」
「はっ? 正気か!」
緋一は身を引いた。響子はにやりと笑うと、両手を胸の前に擡げてにじり寄った。
「愛の力は偉大だって言うよねぇ。僕に恋してくれたらきっと、緋一君も喜んで狂う気になるよ」
「そんなバカな事があるか!」
「やってみないと分からないよぉ。そうなったら僕が緋一君を世界で一番シアワセな死体にしてあげる。ここで誓うよぉ」
「そんな誓いお断りだ!」
ドン、と背が瓦礫に突き当たる。逃げ場を失くした緋一は息を呑んだ。
にじり寄って来る響子。異様な迫力を放つ彼女に、緋一の体は硬直した。まさか何かのはずみで細胞のタガが外れたんじゃないか。そんな恐怖すら浮かぶ。
「そう言わずに、まずは触れ合ってみよぉよ」
くくく、と喉の奥から笑いが漏れる。
「バカ、止めろって!」
「胸まで掴んでおいて、今さらぁ?」
「あれは事故だ! 頼むから正気に戻れ!」
緋一が喚いた、その瞬間だった。
「!」
緋一はとっさに地面を蹴った。目前の響子を腕に抱きしめ、砂の上を転がった。
「え」
高い破裂音が響き渡る。二人のすぐそばで何かが砕け散った。
緋一は落下して来た物体を窺った。
「……ポット?」
バシャン! と緋一の頭に水が降りかかる。
「あっつ!」
降って来たのは水ではなく、湯気を上げるコーヒーだった。
「ごっ、ゴメン二人とも!」
上空から声が聞こえた。
緋一は空を仰いだ。そこには大きな鳥――否、翼を生やした少女が浮かんでいた。
「びっくりして、その、うっかり落としちゃったの。ホントにゴメン!」
半分うろたえながら叫ぶ彼女の手には丸いトレイがあった。
突然現れた白羽、そしてポットの残骸に緋一は首を捻る。
「あの、その……邪魔しちゃったよね、私!」
顔を真っ赤に染めた白羽に、緋一は愕然となった。
「緋一君はいつでも唐突だねぇ」
体の下から呑気な声が上がる。緋一ははっと気づき、脱兎のごとくその場を飛び退った。
そして上空へ叫ぶ。
「違う、白羽! 誤解だ!」
「えっ……でも」
「全力で否定するねぇ」
「当たり前だろうが!」
起き上がる響子へ吐き捨てる。彼女はつまらなさそうに眉を上げると、
「それで、どうしたのぉ? しろわー」
上空の少女へと問う。
「あっ、あのね、たまにはその辺の廃墟でお茶するのもいいかなって思って」
「そりゃまた随分と退廃的なお茶会だねぇ」
至極まっとうな突っ込みを返す。それには緋一も深く同感した。
「コーヒーが冷めないうちに持って来たつもりだったんだけど……また取りに行かなきゃ。もうじきハカセやDDも来るから、先に始めててね」
そう言うと、白羽はくるりと身を返した。翼がばさりと空気を抱き、少女の体を前方へと滑らせる。見る間に白いワンピースは小さくなっていった。
「ハカセ達も来るんだ」
白羽を見送る響子が呟く。
「軍に追われてる奴がこんな所で茶なんか飲んでていいのかよ」
「逃亡者も、たまには息抜きが必要なんだよ」
納得できない答えが返される。緋一は眉を寄せると、
「それに何で俺達の居場所が……。……おい、響子。お前、何で〝俺の〟居場所が分かったんだ」
途中から変わった問いの矛先。気付いた響子がこちらを向いた。
「お前ら、今度は何を仕込んだんだよ」
「誤解だよぉ。マイクロチップは全部外したって言ったじゃない」
「じゃあ、何で」
すっ、と響子は両腕を広げた。
「だって、ここはあの場所じゃない」
その瞬間、緋一の視界に過去の残像が重なった。
津波のような人の群れ。無数に湧く喧騒。爆音。空気をつんざく悲鳴。モノクロの回顧が瞳の中を突き抜けた。
そう、ここは一年前――例に見ない破壊を刻んだクーデターが巻き起こった場所だった。
一人の科学者が一握りの人間を守るために、彼らに大勢の人間を殺させた場所だった。
数多の命が失せた場所だった。
二人が出会った場所だった。
惹かれるように緋一はこの場所に向かい、佇んでいた。恐らく土に埋まった死の密度が最も高い大地の上で、風に吹かれていた。
「何となくここかなぁって、僕は思ったんだ」
響子は視線を地面に流した。
「緋一君が僕にサヨナラを言うなら、ここかなぁって」
ドクン、と緋一の心臓が鳴った。




