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エピローグ1

 高く晴れた空が、荒廃した大地の上を覆っている。

 嘘のようなすがすがしさと、砂塵にまみれた埃っぽい地面。重なり合った対比的な世界がパノラマの視界に共存している。

 そんなゴーストタウンの景色を、緋一はぼんやりと眺めていた。

 延々と続くコンクリートの荒野は、いつ見ても同じだった。墓標のように立つ廃墟の柱。風化しかけた瓦礫の群れ。そして地面と同化したブランダーの死骸。

 この大地には無数の死体が眠っている。緋一は初めてそれを意識していた。ブランダーと化し、排除されたヒトの数。運悪くブランダーに殺された人の数。そして、一年前のクーデターで命を失くした者の数。ランダムな数字の群れが緋一の頭に数珠を繋いだ。

 幸せな思いで死ねた奴はいるんだろうか。緋一は虚ろに思い、そして空白の思考の後にゼロパーセントだと断定した。

 世代亢進が始まってからどれだけ、この唐突で強引で理不尽な死が繰り返されただろう。幸福なんて一つも見つからない道を、人はなぜ歩み始めたのだろう。

 ネクスタブルに進もうと、ブランダーに進もうと、結局は同じだ。細胞が勝手に切り開いた道の上で、平穏とはかけ離れた終焉のために呼吸し続ける。弾ける力を制御できるかできないか。深い深い溝の中に在るのはたったこれだけの違いだ。

 だからヒトはもう、幸せに死ねはしない。満たされた幸福感の中で死ねた時代は三十年前に幕を閉じた。

「……生き残った奴の勝手な空想だけどな……」

 緋一は晴天を仰いだ。青色の中へ、白い雲の輪郭がほどけるように拡散していた。

「いたいた。探したよぉ」

 耳に声が飛び込む。少し前から聞こえていた足音の主だ。緋一は息をつくと、ゆっくりと背を戻した。

「何が探しただ。どうせGPSでも使ったんだろ」

「違うよぉ。マイクロチップはちゃんと外したってハカセもDDも言ってたでしょ」

 呆れたように言う響子を、緋一は横目で睨んだ。

「まさか、居場所も会話も筒抜けだったなんてな」

「僕も知らなかったんだってば。科学者の興味本位って事で、優しく許してあげてよ」

 ね、と響子が小首を傾げる。緋一はため息を吐くと、響子から視線を逸らした。

 その横顔に浮かぶ憂いに、響子は小さく微笑んだ。そして、

「本条邸は全焼。消防隊が駆け付けるも、むなしく全部灰になっちゃった」

「……」

「明理ちゃんとヒツジさんの死体も燃えたよ。燃え跡から骨が見つかると思う。明理ちゃんの方はどう見たって人の形じゃないから、ヒツジさんはブランダーになった明理ちゃんに殺されたって事になるんじゃないかなぁ」

 新市街の住民には登録制度が課せれている。エリア内で死ねば、相応の理由と一緒に死亡手続きをしなければならない。

「屋敷の火事も明理の仕業、って事で。お前たちは痛くもかゆくも無しか」

「尖った言い方するねぇ。でも仕方無いよぉ。極力足がつかないように行動するのが地下組織ってモノなんだから」

 響子が反論じみた口調で諭した。

 本条邸での騒動の後、緋一は再び意識を失った。気付けば旧市街の研究所のベッドで、点滴と電極まみれになって寝かされていた。

 本条邸に火を放った――御影はその場で緋一に告げた。もっとも放火したのは彼ら自身では無く、緋一の知らない構成員だ。初めから隠蔽要員まで用意されていたのだ。

 そして御影は更に告げた。本条家の主・本条覚ももうこの世にはいないと。

 まるで緋一の思考を読んだように、響子が言った。

「でも、本条覚氏と奥方の死体は見つからないだろうねぇ」

 緋一は顔を上げる。

「殺されたのは国外だし、僕らの仲間がヘマをするとも思えない。コウモリはハカセが選んだ凄腕の暗殺者スナイパーだから」

「そいつもネクスタブルなのか」

「そぉだよ。ハカセの使命に乗ってくれたネクスタブル」

 響子が唇を上げて答えた。

「ハカセに覚氏の最後の言葉を教えてくれたのも彼女。ターゲットに殺す理由を告げる暗殺者なんて、世界で彼女くらいしかいないんじゃないかなぁ」

「本条覚もお人好しだな。知りもしない奴の言葉に納得して、甘んじて殺されるなんて」

 突き離すような口調になる。

「結局諦めるしか無かったんだな。ネクスタブル相手じゃ生身の人間は敵わねぇ」

「でも覚氏が遺した言葉は秀逸だと思うなぁ」

 ピクリと緋一は身を揺らした。

 響子が淡く笑むのを感じた。

「〝シアワセな死体〟――」

 少女の穏やかな言葉が、風と共に緋一の頬を撫でて行った。

 緋一は頬に触れた。右側の頬には、一直線の切り傷が薄い跡を残していた。

「傷跡、残っちゃったねぇ」

 響子が慰めるように言う。

「お前がつけたんだろ」

「だって緋一君、あーんな事するんだから」

 両手を肩に上げて茶化す響子へ、緋一は舌打ちした。

 同じく切り裂かれた右腕の方は、サイレンサーの効果が切れた後にふさがった。しかし刃が走り抜けた一直線の傷跡は、まるで暴走の戒めのように頬に残された。

「気にしてるのぉ? 男の子なんだから傷跡の一つくらい吹っ切れなよぉ」

 仏頂面で塞ぎ込んだ緋一へ、響子はなだめるように言った。緋一は「そう言う問題じゃない」と内心反論したが、口には出さなかった。

 己の細胞が臨界に達した事実。体中を駆けた動悸と畏れと、ほんの僅かな〝何か〟。きっとこの傷を見る度に思い出す。憮然とした想像が緋一の口を重たくつぐませた。

 目の前にひょいっと響子が現れる。

「うわっ」

「ほら、僕だって緋一君がつけた傷があるんだからさ。お相子でしょ?」

 前髪を掻き上げる。現れた眉間には、風の軌跡のような跡が浮かんでいた。

「女の子の顔に傷をつけるなんて、世間一般じゃあ極刑モノだよ。まったく」

 嘆息すると、屈めていた背を戻した。傷跡に代わり、プリーツスカートが軽やかに揺れた。

「……」

「ネクスタブルは誰も、自分だけは狂わないって思ってる」

 ドキリ、と緋一の心臓が疼いた。

「自分だけは狂わない。セカンドメモリーの暴走なんてあり得ない。みんなそう思ってる。思ってるから――細胞は臨界状態に興奮する」

 緋一は響子を仰いだ。

「本人はその矛盾に気付かない。湧き上がる未知の興奮に冒されて、もっともっと激しい刺激を求める。そして、唐突に全部が崩壊する」

 少女は腕を組み、緋一の足元を見つめた。

「臨界状態は細胞の警鐘であり歓喜。理性の抑圧から力を解き放つ解放感が全ての細胞を恍惚状態に持ち込む。だから止められない。やめられない。はっとその事実に気付くのは、登りつめた快楽の階段を踏み抜いた時――全てが崩れ始めた時」

 影の落ちた瞳は違う空間を見つめていた。

 ふぅ、と響子は息をついた。

「と、これがハカセの理論。こんなの聞かされたってどうしようもないよねぇ」

 全身から力が抜けた。腰かけた瓦礫から体がずり落ちかける。

「み、御影の受け売りかよ」

「僕がこんな詩歌じみた言葉、考えると思う? 不気味でしょぉ」

 確かにそうだ。響子はやれやれと首を振ると、

「難しい事は分からないけど、まぁ、正しい理論なのかなって思うよ。……僕だってそうだったから」

 不意に憂いを浮かべた顔で呟いた。

「……お前……」

 と、その時、座っていた瓦礫が突然崩壊した。

「うわっ!」

 ガラガラガシャン! と騒音を立てて緋一は地面に突っ伏した。辺りに砂埃がもうもうと立つ。

 響子は砂の靄を払いながら、呆れ声で呟いた。

「ホント、崩れるのは唐突だねぇ」

「そうだな……げほっ、げほっ」

 心底同意しながら、緋一は身を起こした。一年前から放置されている瓦礫は廃棄物を通り越してトラップだ。濃い砂埃を吸い込んだ喉が激しく咳き込んだ。

「情けないなぁ。僕が探し求めた緋一君とは思えないよ」

 嘆息と同時、すっ、と手が差し伸べられた。

 ブレザーから伸びる少女の手の平。現れたそれに、緋一の内側にある記憶が重なった。

「どうしたのさ、緋一君」

 響子が不可解そうに眉をひそめる。

 差し伸べられた手の平へ、緋一は手を伸ばさなかった。

「……」

 何かを察したのか、響子は腕を引いた。ちらりと見えた爪は綺麗に整えられ、この前とは違うアートが施されていた。

 自力で立ち上がる緋一を、響子はじっと眺めた。

「契約は終わりだな。条件だった狩人の事件は解決した。傭兵の俺はもう用済みだ」

 視線を伏しながら言った。

「緋一君はこれからどうするの?」

「また誰かに雇われて、ブランダーの盾にでもなるさ」

 酷く投げなりな言い方だと、自分でも分かった。

「それが俺っていうネクスタブルの生き方なんだよ。ずっと前から決まってた事だ。誰かの指示に従って人殺しの駒になるなんて、俺には無理だからな……」

 ほとんど無意識に言葉がこぼれていた。

「いくら後ろに事情があろうが、元々部外者の俺には関係ない。狂うまで飼われる気も、高尚な使命を掲げる気もさらさら無いんだ」

「……」

 視界の淵にある響子の足はピクリとも動かない。

「もうこれ以上お前たち――お前と一緒にいる義理は無い。護衛は終わりだ。ネクスタブルの救済も暗殺も勝手にやってくれ」

 無感情な言葉だけが淡々と流れた。

 緋一は拳を握りしめた。

 何か言ってほしかった。反論してほしかった。

 もう一度その手を取る口実が欲しかった。

「俺はお前の知らない所で生きて死ぬ。だから、響子」

 その瞬間だった。

 ざっ、と眼前に濃い影が落ちた。

 目を上げ、身じろいだ。突き出されたそれは拳銃のグリップだった。

「っ」

 響子は無表情に緋一を見据えていた。

「じゃあ、最後に僕を殺してよ」

「なっ」

 銃口の先に自らの胸を据え、響子は言った。

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