4章 10
逆光の中で少女は微笑んだ。
「武器まであげなきゃ守ってくれないんじゃ無かったのぉ?」
少女はブレザーの胸から何かを引き抜いた。緋一が目を見開いた瞬間、彼女はそれを放り投げた。
「っ」
ぱしん、と手の平に受ける。放られたそれは、どこかで見覚えのある小型の拳銃だった。
「来るよ、緋一君!」
響子が発した。はっ、と緋一は振り返った。
「っ」
振り向きざま、迫り来たブランダーの腕へと銃弾を放った。
「ぐぅっ!」
明理の顔が歪む。銃弾に煽られた肩の後ろでロングヘアがたなびいた。彼女の頭部と胴はまだ、人の姿を留めていた。
「……さっすがぁ」
響子がにやりと呟いた。その後ろから白羽がひょこっと顔を出す。
緋一は怒鳴った。
「遅すぎるぞお前ら!」
響子が目を瞬く。
「えぇ、この状況で責めるのぉ? ……白羽、緋一君たら『もっと早く飛べ』ってさぁ」
振り返って白羽を咎める。緋一は「なっ」と吃驚した。
「ごっ、ごめん宇佐見君。これでも全速力で飛んだんだけど……」
申し訳なさそうに口ごもる白羽。
「ち、違う。そういう意味じゃ……」
しどろもどろに弁明する。白羽の前では、響子がにやにやとこちらを見ていた。
緋一は舌打ちし、前に向き直った。
「っ!」
振り下ろされる巨大な爪。とっさに顔面をかばった瞬間、腕に凄まじい衝撃がのしかかった。
断ち切られた左腕が天井へと弾け飛ぶ。
しかし緋一は間髪入れずに右手の銃を撃った。
「ガッ! ぐあ!」
明理の肩が爆ぜ、体が後方にかしぐ。生身を残した肩から赤色の液体が上がった。
「あっ、明理お嬢様!」
佐倉が叫び、立ち上がった。が、
「ぅっ……!」
呻き、ぐらりと身を崩した。
しかし彼は倒れず、足を踏みしめて体を立て直した。
「おっ……お嬢様」
一歩足を踏み出す。しかし傷口から突き上げる激痛に、彼の神経は耐えきれなかった。
倒れかけた佐倉の体を、繋がったばかりの緋一の左腕がガッと支えた。
「じっとしてろ!」
佐倉は目を見張った。直後、部屋に銃声が響く。
「っ!」
「ぐああァっ!」
明理が絶叫した。鈍色の腕が銃弾に弾かれ、爪が天井をえぐった。
鋭い金属爪が狙っていたのは、佐倉だった。
佐倉は呆然と、狂い叫ぶ明理を見つめた。
「もう手遅れだ。あいつは本条明理から発生したブランダーだ。もうお前の事は分からねぇよ」
緋一は銃を下ろさないまま告げた。左腕が支える佐倉の体は、硬直したように動かなかった。
血濡れのベスト越しに伝わる鼓動が、非現実的なくらいに大きかった。
「ッ!」
明理がぐるりと体を返した。見開いた目を向けたのは、粉々に砕けたガラスの扉。
「ああアアあッ!」
「響子!」
間に合わない。頭にその確信がよぎった瞬間だった。
ぎんっ!
金属が弾け合う音が響いた。それと同時、明理の腕の軌道があらぬ方向へと曲がった。
獲物を射止め損ねた腕は、勢いを削がないまま飾り棚に爪を突き立てて停止した。遅れて鈍い音が響き始める。指の関節の部分から、血液とガスが緩い速度で漏れ出していた。
緋一は唖然と響子を眺めた。
彼女は今もその場に立っていた。軽く握った形の右手には、鋭い刃のような物体が突き出していた。
「響子ちゃん……」
翼を広げた白羽が、響子の左腕に制されたまま呟いた。
響子はにやりと笑った。
「久々だけど、僕もなかなかでしょぉ?」
緋一の首筋を悪寒が走り抜けた。
まさか、セカンドメモリーを解放したのか!?
逆光気味の響子の体は淡い闇に塗りつぶされている。その中に鋭い光を灯す右手。突き出た爪のような物体に緋一の目は釘付けになった。
「ぐぅゥ!」
飾り棚が引き倒される。抜けた爪を、明理は再び響子へと突き出した。
質の違う二つの爪が攻撃的なまでの光を放つ。
鋭い音が響く。響子の爪が明理の指の関節を撫でたのを、緋一は視認した。彼女は明理の攻撃をくぐり、ブランダーの虚弱部位である関節部分を選択的に攻撃したのだ。
素人には到達し得ない領域の所業だった。緋一は唖然とそれを目の当たりにした。間違いない。彼女は今も殺戮の玄人だ。爪を潜めてから一年経とうが、何かを殺すセンスと歓喜は決して忘れていない。
とんっ、と軽やかな着地が部屋に響く。響子はほとんどその場を動いていなかった。
「ううアッ! ……アア!」
明理が体を折って叫んだ。指の関節はどれも、あらぬ方向に曲がって伸び切っていた。
腱を断たれた関節は支えを失くし、自らの重みで伸び切ってしまう。明理の右手の指はもう使い物にならないはずだ。
ふふ、と響子が唇を歪めた。
「あっガガッ……や……イヤ……いや」
不意に少女の声が混じる。緋一の後ろで佐倉が身を揺らした。
「お嬢様っ」
傷を厭わず駆け寄りかける彼を緋一は押さえこんだ。
「無駄だって言ってんだろ! 明理はもう無理だ。行った所で左手に切り殺される!」
「っ――」
佐倉は顔を歪め、拳を握りしめた。
緋一は明理を睨んだ。遅れて変容した明理の左腕。右腕に比べて膨化の強度が低いものの、鋭い爪と金属質の外皮は出揃っている。
見ている今も、ピシリピシリと音を立てながら疑似金属が領域を広げている。まるで大地を蝕む氷河のように。そして同時に、肩口まで広がった内部組織の変質も胸部へと進行しつつあった。
少女が完全にブランダーと化すのはもうすぐだった。
その前に殺してしまう方がタチはいい。頭や胸がまだ〝人〟である今なら、遠距離からの銃撃でも一発で命を奪える。
少女が頭を抱えた。まるで己の運命を嘆き、苦悶するように。
緋一は銃を構えた。腕に支えた佐倉が身じろぐのが分かった。
「手遅れだ。いくら嘆いたって、初めから運命は変わらなかった」
彼が口を開く前に緋一は言い放った。
「あんたが何を口実に足掻こうが、明理はいずれブランダーに変わる。結局最後に待ってんのはバッドエンドなんだよ」
響子は何も言わないまま明理を眺めていた。
「もう、あんたは何も出来ない。何もしちゃいけない。これ以上明理を苦しめたくないなら――」
トリガーに力をかけた、その時だった。
「あ、ちょっといいかい」
突然、場違いな声が乱入した。




