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4章 3

 晩秋の深夜は、澄んだ薄い冷気に包まれていた。まるで一足先に冬へと足を踏み入れたような空間。古びた壁の上にはポツポツと星が瞬いている。

 街灯一つ無い旧市街の夜にとって、星の灯りは淡くとも貴重な灯火だった。月が出れば更に明るくなるが、今の時間帯はまだ、地平の彼方で眠っているようだ。

 両目は闇に慣れる事を覚えている。研究所を出てしばらく歩けば、周りの景色は粗方見通せるようになった。

 吐く息が景色に淡い靄をかける。パノラマに己の体温をなびかせながら、緋一は一人、夜の街並みを歩いていた。靴底が塵を擦り、空気に乾いた音を響かせる。歩調と同じリズムで刻まれるその音は、澄んだ空に拡散し、すぐにほどけて消えた。

 実験室を出た後、緋一は三階の自室には戻らず、らせん階段を下って一階へ降りた。ゴチャゴチャと物が積まれたエントランスを抜け、年季の入った玄関扉を押し開いた。響子も白羽も寝てしまったこの時間、研究所を抜け出すのは簡単だった。

 瓦礫に埋もれかけた道を、緋一は緩い速度で歩き続けた。手ぶらの手をポケットに突っ込み、鋭意の無い足を進ませ続けた。

 ――神様の審判を恐れてるとか。

 無表情の内側にDDの言葉がこだまする。緋一は笑う代わりに短く息を吐いた。

 神様なんていない。こんな世の中、人を裁けるのは己の中にある良心と罪悪感だけだ。

 だから俺は自分から手を出さない。結局はパフォーマンスと言われても、この主義を曲げるつもりはない。

 ここで誓いを捨てたら、俺は確実に――あの日の発砲を罪だと認識する。この誓いはある意味、自分を騙して許され続けるための馬鹿げた儀式なんだ。

 頭の中に、短い回顧が浮かび上がった。

 数年前。宇佐見緋一が超速治癒のネクスタブルへと進んだ二週間後。まるで兄妹のよすががさだめの綱を引いたように、宇佐見結華の世代亢進が始まった。

 彼女は亢進に失敗してブランダーと化した。

 砲身まみれの姿となって目茶苦茶に暴れた。

 結華が〝変わった〟瞬間、家は吹っ飛び、中にいた緋一と母は粉々になった。

 平日の午後六時。新興エリアに位置する家の前の通りには、たくさんの人が行き交っていた。ちょうど仕事や学校が終わって帰宅する時間帯、人々は足早に自分の家へと向かっていた。

 騒然となる人々の足元で、緋一は再生を終えて身を起こした。バラバラの肉片だった少年が元に戻って行く様子には、誰一人目を向けていなかった。

 目を上げたその先には、砲台と化した腕を振り回す妹がいた。巨大化し、疑似金属に覆われた体に、少女の面影は一つも残っていなかった。

 頭上で悲鳴が上がる。直後、地響きが立って視界がブラックアウトする。また死んだのだと認識して目を開けると、景色は砂煙に包まれていた。

 二発、三発。逃げまどう群衆目がけて結華が発砲する所を、緋一は唖然と眺めた。またこちらに砲口が向く。体が砕けて意識が消えて、一段階荒んだ景色の中で目を覚ました。

 現実に追いつかない頭を引きずりながら、緋一は立ち上がった。足は無意識に、後ろでは無く、前へと進んでいた。

 名を呼んでいたのかもしれない。結華が振り向いた。ぽかりと開いた眼窩に視線が吸い込まれた。直後、閃光が爆ぜて緋一の輪郭が無くなった。

 おぼろげな夢心地からうつつに戻り、耳が悲鳴と怒号を聞き分ける。妹はここにいる人々を皆殺しにするつもりなのだと悟った。

 自分を呼ぶ声が聞こえた。立ち上がり、そちらを振り向いた。

 再生を終えたばかりの瞼が震えた。

 えぐれた地面の上には父が倒れていた。うつ伏した体の隣には愛用のボストンバッグ。勤め先の派出所から帰って来た所だった。

 見慣れた制服は破れ、右肩が不自然な方向に曲がっていた。

 父は這うような姿勢のまま言った。お前が殺せと。緋一は即座に理解できなかった。

『お前なら結華の近くまで行ける。これ以上あの子が苦しまないうちに救ってやってくれ!』

 かすれた声で叫び、複雑骨折に蝕まれた体の下から銃を取り出した。職場で支給される二丁の銃のうち、対ブランダー用とされている大口径の銃だった。

 この銃でも至近距離から撃たない限りブランダーの装甲は破れない。父がそう言っていたのを緋一は覚えていた。そんな銃、意味が無いじゃないかと感じた事も。

 そして後になって、命を捨てれば撃てると気付いた事も。

『結華を殺してくれ、緋一。あの子はお前を攻撃した。お前はもう、充分あの子を殺す理由を持ってるんだ!』

 緋一は父の手から銃を取った。バラバラと落ちて来るコンクリートの雨を浴びながら、ひび割れた地面を走り抜けた。散乱した人の断片。生命の痕跡と化した血液のしぶき。横目に見える光景を恐ろしいとさえ思わないまま、緋一は両足をくり出した。

 腹に強烈な衝撃が走る。砲撃がかすめた脇腹から肉片交じりの血しぶきが上がる。しかし足は止まらなかった。磁石のように己の断片を引き寄せながら、緋一は走り続けた。

 ぐるり、と結華がこちらを向いた。見開かれた眼球が緋一の視線にぶつかった。

 その眼球は、妹の唯一の名残だった。

 一瞬の回顧が閃光に呑まれる。足が爆ぜ、上半身が宙に舞い上がった。

 ドン、と硬質な音を立てて着地したのは妹の肩の上だった。千切れた足が繋がり、感覚を取り戻した瞬間、緋一は反射的に身を跳ね起こした。

 擡げた父の銃のすぐ先には、妹の頭部があった。両手で撃つんだと構えを見せてくれた父と同じく、左右の手の平で銃を包み込んだ。

 名を呼んだ記憶は無い。妹がおもむろにこちらを振り向いた瞬間、緋一は引き金を引いた。強烈な衝撃が両腕を走り抜け、その向こう側で何かが穿たれる音がした。

 気が付いた時、緋一はひび割れた道の上に立っていた。少し先の地面から立つ砂煙の中には、何か巨大な物体の残骸と、噴出するガスの影が揺らめいていた。

 両の手の平には銃を握ったままだった。

 ――俺は、結華を救うために殺したんだ。

 喧騒の沈んだ靄の中、最初に思考に浮かんだ言葉は、自分自身への言い訳だった。

「……は、つまり最初の依頼人は親父か」

 緋一は自嘲気味に一人ごちた。皮肉なモノだ。ネクスタブルに進んだ兄が、ブランダーに進んだ妹を殺す。命じたのは父。

 父のその判断に誤りが無かった事は、緋一自身も分かっている。

 結局、何のためらいも無く発砲できた自分が怖かっただけだ。

 緋一は足を止め、太いため息を吐いた。白い靄が、前進をやめた体の周りに広がった。

「……」

 全部分かっている。あの日の結末は正しかった事。言い訳しないとそれを受け入れられない事。罪悪感を薄めるために、死なない体を使って護衛の仕事を始めた事。そうあるために立てた誓いは詭弁以外の何物でもない事。全部分かっていても、背けない事――

 緋一は無表情に視線を流した。

「だからと言って、変わろうなんて気はさらさら無ぇよ」

 見えない誰かに小さく吐き捨てた。

 誰になじられようが、理論をかざして否定されようが、この生き方を捨てる気は無い。

 ――じゃあ、この生き方の中で変わる選択はアリなのか?

 ざぁっ、と風が吹き抜けた。

 緋一ははっと顔を上げた。

 細く淡く凄まじい引力。それを察した体の深部が警鐘を鳴らした。

 ネクスタブルの気配。

 見上げた視線の先に、その人物は佇んでいた。

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