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3章 15

 呼び鈴が鳴る。スピーカから吐き出された電子音とは思えない、澄んだベルの和音だ。

 佐倉はテーブルのティーポットから顔を上げた。適温のお湯を入れたばかりのポットの中では、明理の好きなアールグレイの茶葉がジャンプしている。横では、三分を計る砂時計が音無く時を刻んでいる。

 再びベルの音が聞こえる。佐倉はティーポットに背を返し、足早にリビングを出た。誰だろうか。母屋にいる三人の女中は、離れには滅多にやって来ない。もちろん明理を避けているわけではなく、単にここが佐倉のテリトリーだと認識されているからだ。となればシェフだろうか。彼は庭仕事や力仕事を手伝わせるためによく佐倉を呼び付けた。気さくな男だから、佐倉もいつも快く応じていた。

 またベル音。離れの呼び鈴を三度も鳴らすなんて珍しい――いや異常だ。佐倉は板張りの廊下を進みながら眉をひそめた。

 アンティーク調の玄関ドアの前で足を止める。ドアにのぞき窓は付いていない。オーダーメイドの総木製扉なのだから当然だ。

 鍵を開け、ドアを押し開く。細く開いたすき間から見えたのは、風変わりなコートを羽織った二人の男だった。

 佐倉は瞬時に警戒した。この男たちは自衛軍の軍人だ。コートの肩には階級章が光っている。内側には多かれ少なかれ銃器を所持しているに違いない。

 表情を崩さなかった佐倉だが、相手もプロだ。警戒を悟ったのだろう。男たちは値踏みするような視線でさっと佐倉の全身を見回した。

「……どちらさまでございましょう」

 佐倉は落ち着いた声で問うた。

「離れへご訪問のお客様は、一度母屋を通してご連絡いただくことになっておりますが」

「本条氏はご在宅ですか」

 佐倉のやんわりした拒絶を無視し、手前の男が問うた。佐倉は薄く眉間にしわを寄せた。

「覚様は昨日よりご不在です。海外出張へお出になりました。奥様もご一緒です」

「ご夫人も?」

「ええ。覚様はお体に少々不調がありまして、奥様は介添えとしてご同行されています」

 男は意外そうだったが、「ああ」と何かに思い当ったようだ。

 本条覚は一年前、第一次自衛軍のクーデターに巻きこまれている。一命は取り留めたが、左腕に軽い麻痺が残ってしまった。軍の支援者だった彼の事を、男も一応知っていたようだ。

「いつごろお戻りですか」

「一週間後になります。覚様へのご用事でしたら、私がお預かりしておきますが」

 男が手を振る。佐倉は眉をひそめた。

「用があるのは明理さんでしてね。ここにいるのでしょう。通して下さい」

 言いながら、男は早くも身を乗り出しかけた。

「明理お嬢様に? どういったご用件でしょうか。ご説明いただかなくては困ります」

「明理さんと一緒に説明しますよ。早くここを開けて下さい」

 男はドアに掛かるチェーンキーをじれったそうに睨んだ。

「ご用件をおっしゃっていただかない限り、お通しするわけにはまいりません」

「自衛軍からの出頭命令ですよ。悪いが、急いでいるんだ。早く通しなさい」

 早口で言った男の言葉に佐倉は呆然とした。

「出頭? どういう事ですか。明理お嬢様を自衛軍へ引き渡せと言うのですか」

 前にいる男を問いつめる。佐倉より背の低い中年の男は、苛立ったように「ええそうですよ」と繰り返した。後ろに立っている部下らしき男は、退屈そうに佐倉の背後を眺めていた。

「なぜ明理お嬢様をお渡ししなければならないのですか」

 男は執拗に尋ねる佐倉にうんざりしたのか、

「お宅の本条明理さんは世代亢進の予兆が出ている。ブランダーの被害を最小限に抑えるために、亢進予備者は一時的に軍が預かる事に決まったんですよ」

 佐倉は目を見張った。

「あ……明理お嬢様が……?」

「ええ。我々が開発した探知レーダーがピックしました。信頼性は今の所百パーセント。残念ですが、疑いようの無い亢進予備者です」

 むろん、佐倉はとっくに知っていた。明理に亢進予兆が出始めたのは二カ月以上も前だ。自身がネクスタブルである佐倉は、誰よりも早くその〝気配〟を察していた。

 動揺したのは、明理が予備者であると露呈した事だった。

 佐倉の動揺を勘違いした男が慰めるように言う。

「亢進予兆が出たからと言って、必ずしもブランダーに進むとは限りません。あなただってネクスタブルに進んだじゃないですか。運が良ければ、またこの家に帰って来れますよ」

 はっ、と佐倉は気付いた。

「予備者は軍が預かるとおっしゃいましたね。亢進が終わるまで明理お嬢様を拘束するつもりなのですか」

「ここで大暴れされたらたまったもんじゃ無いでしょう。大丈夫。ネクスタブルに進めばちゃんと家に帰しますよ」

 亢進が成功すれば家に帰す、と男は念を押すが、佐倉にとってそれでは意味が無かった。

 明理を連れて行かれれば、彼女にブランダーの眼球を食べさせる事が出来なくなる。救済を失った彼女は間違いなく世代を亢進する。問答無用で五分五分の賭けの場に引きずり出されてしまう――

 佐倉は顔を歪めた。そんな事など、させるわけにはいかない。

「……お引き取り下さい」

「これは軍令です。あまりに抵抗するようならこちらも実力行使に出ますよ」

 男が後ろの部下に目配せする。若い部下は、上司の合図を受けて彼の前へと立った。彼はいつの間にか小型の自動小銃を手にしていた。

 脅しだろうが、佐倉は動揺しなかった。夜な夜なブランダー狩りを続けてきた佐倉にとって、武器付きの軍人など脅威でも何でもなかった。

 動かない佐倉を見、男たちは不愉快そうに顔をしかめた。

「きみ、これは軍令だと――」

 上司の言葉が途中で消える。銃を構えた部下も「あ」と目を瞬いた。

「……どうしたの……佐倉」

 背に掛かった声に、佐倉は身を硬直させた。

「さっきから何なの……うるさいわ……」

 不機嫌そうな、しかしどこか力無い声が佐倉をなじった。

 廊下の奥から歩み出て来た少女の影に、軍人たちが口を開きかけた。

「明理お嬢様、お戻り下さい」

「え?」

「お部屋にお戻りください!」

 佐倉は振り返って叫んだ。廊下にはネグリジェにカーディガンを羽織った明理の姿があった。

 佐倉の焦燥の形相に、明理は気圧されながら足を止めた。

 狼狽する明理へ、佐倉はもう一度急かそうとしたが、

「本条明理さん、自衛軍の者です。亢進予備者としてご同行願いたい」

 男がドアのすき間から声を張った。

「……え……?」

 明理は唖然と佐倉達を眺めた。

「これは命令です。これ以上抵抗するなら、力ずくで連れて行きますよ」

「っ! そうさせるわけにはまいりません!」

 佐倉は無理やりドアを閉めようとした。ガツッ、と固い音がそれを阻む。部下の男がドアのすき間に自動小銃をねじ込んでいた。もう一方の手でドアを掴み、無理やりこじ開けようとする。

 佐倉は必死にドアを閉ざそうとした。

「明理お嬢様! お部屋へ!」

「さっ……佐倉……っ」

「あなたを連行させるつもりはありません。早くお戻り下さい!」

「邪魔なんだよ! どけっ!」

 若い男がしびれを切らして叫ぶ。明理がビクリと身をすくめた。

「ネクスタブルだか知らねぇが、素人は引っ込んでろっつてるだろーが!」

 バキン! とチェーンキーが弾け飛んだ。

「っ!」

 その時、佐倉の背に戦慄が走り抜けた。

 目の前にいたはずの男が突然身を引いた。そして背が反れた奇妙な格好で天を仰いだ。

「……は?」

「がっ……か……ぁあ……」

 開いた口から空気と声の中間のような音が漏れる。そして突然、ごぼりと大量の血液を吐き出した。

「なっ」

「う、うわあああ!」

 痙攣する男の後ろで上司が悲鳴を上げた。

 男の手から自動小銃が滑り落ちる。木くずの散った廊下に、無骨なフォルムの武器が跳ねた。

 男の腹を貫いている物体も、銃に似た雰囲気をしていた。しかしこちらは銃より遥かに有機的で、表面は筋肉のような複雑な物体で覆われていた。

 その〝腕〟は脈を打っていた。

「……」

 佐倉は腕に浮かぶ血管を目で辿った。手首、関節、上腕。ぐるりと首を巡らせ、そして視線が終着した先には、一人の少女が立っていた。

 明理は唖然と佇んでいた。

 シルクのネグリジェにカシミヤのカーディガンを羽織った、先程までと変わらない姿だった。

 ただ、その右肩からは、鈍色の腕が弾けるように突出していた。

 佐倉は呆然と明理を見つめた。

 カーディガンの破れた肩口から向こうは少女の体のまま。しかし男を貫いた右腕は、どう見ても人のそれでは無かった。

 まるでブランダーの内部。

 少女の体がかくかくと震え始める。

「あ……あっ、……なに……これ」

 佐倉ははっと我に返った。

 ずぶりと音がし、男の腹から腕が抜ける。既に絶命していた男は、糸を失くした人形のようにその場に崩れた。ぽかりと開いた背と腹の穴から、血液が井戸のように溢れ出した。

「わ、私……あ……あっ」

 明理の口から声にならない声がこぼれる。

 佐倉は彼女へ駆け寄りかけた。

「だっ、だから急げと言っただろうが! もう手遅れだ!」

 佐倉を押しのけて上司が銃を構えた。

「この娘はブランダー行きだ!」

 銃口が火を吹きかけた。

「ぐぅっ!」

 男の体がくの字に折れる。床に向かって呻いた直後、口から大量の血液を吐き出した。

「げっ……げぅ……」

 男の背から突き出た五本の指を佐倉は間近に見た。

 艶やかに磨いた爪の痕跡はどこにも残っていなかった。

 粘質な音がし、男から指が抜ける。どさ、と床に落ちた男はしばらくもがいていたが、徐々に鈍い痙攣に変わり、動きを止めた。

 しん、と廊下に静寂が落ちた。

「さっ……佐倉……佐倉!」

 自分を呼ぶ声に、佐倉ははっと顔を上げた。

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