3章 14
最後の夕焼けが、宵を間近にした空に埋もれかけていた。くすぶる炭のような光がこぼれ、周囲の薄雲を影に染める。
地表は早くも、澄んだ濃い闇の気配を漂わせ始めている。流れていた風は静まり、塵がさざめく音もやんだ。緩やかなモノクロに包まれた旧市街の景色は、まるで記録写真のように時を潜めていた。
突然、闇の奥に熱の色が灯る。炎の温度を帯びたそれは、同じ色の光を拡散させながら徐々にこちらに近づいて来た。
響子は目を細めた。カンテラに炎を灯し、己の往来を告げる。城島咏人の属する自警組織カンテラのしきたりだった。彼らの組織は主に情報の売買を行っている。構成員が十にも満たない小さな組織にも関わらず、情報網は新市街・旧市街を問わず広大で、またその精度も確かだった。
しかし響子がエイトと取引する理由は他にもあった。彼は一年前まで、響子と同じく第一次自衛軍特殊班に属していた。共通の過去を持つ彼は、安易に素性を明かせない響子にとって最も都合の良い情報屋なのだ。
クーデター以降、特殊班員は全て死んだ事になっていた。御影も同じだ。しかし〝あの程度〟の戦闘で死んだ者はいない。街のすき間にまぎれ、きっと今も、全員がそれぞれの時を送っている。この城島エイトのように。
腕組みして立つ響子の前に、ローブ姿の少年が現れた。ムスっとしている響子の顔を見るや、エイトは馬鹿にしたような笑いを吹きかけた。
「あぁ? 何て顔してんだよ」
「別にぃ。出がけに浮気されたせいでちょっと機嫌が悪いだけさぁ」
「浮気? 何だ。ウサギが他の女に手ぇ出したのか」
ツンと横を向く響子。エイトはますます可笑しそうに吹き出した。
「緋一君てば、あんなに不誠実な男とは思って無かったな」
「イカれオオカミに惚れられたウサギも災難だな。とっとと逃げねぇと、マジで死ぬまで束縛されっぜ」
響子は横目でエイトを睨んだ。
「逃がす気なんて無いよ。緋一君を殺すのは僕だから」
「ああ、そうだったな。それがイカれオオカミの愛ってか」
最後までからかう口調でエイトは言った。響子はため息をつくと、組んでいた腕を腰に当てた。
それを合図にエイトが雰囲気を変える。
「調べて来たぜ。ハッカー使って軍のデータ盗むのは無理だったが、他から情報が入った。信憑性は確かだ」
頷く響子。
「本条家の執事の名は佐倉。出身は旧市街だが、十五の時から本条家に勤めてる。奴が何らかのネクスタブルだって証言も取れてるぜ。それから」
エイトはローブのポケットから写真を取り出した。
「ほら、本条の家の家紋だ。表札に堂々とくっついてたぜ」
手渡された写真には明朝体で〝本条覚・静香・明理〟と書かれた表札が映っている。名前の上部には、あの趣向を凝らした扇矢羽に丸の家紋が彫りつけられていた。
「やっぱり、狩人は本条家の執事で間違い無いねぇ」
「狩人――佐倉は、旧市街時代に世代亢進してネクスタブルに進んだ。元はレストランのウエイターだったんだが、亢進成功を妬んだ主人が奴を店から追い出した。そこを本条覚が執事に引き取ったってわけだ」
「ネクスタブルの執事さんか。確かにビジネスマンの覚氏にとって一石二鳥だねぇ」
「いや、佐倉が世話してんのは本条覚本人じゃねぇ。娘の明理だ」
へぇ、と響子は意表を突かれた。
「当時明理は九歳だ。執事なんて必要ねぇ。本条覚は、大事な愛娘を守るためにネクスタブルの〝護衛〟を用意したんだよ。いざブランダーが現れても、これで安心ってわけさ」
エイトは嘲るような調子で肩をすくめた。その裏側に潜んだ冷たい温度に響子は感づいた。
尋ねる前にエイトは続けた。
「佐倉がブランダーの目玉貢いでんのは、娘の明理だ」
響子は眉をひそめた。
「明理ちゃんに? 覚氏の命令なの?」
「いや、本条覚は佐倉の行動にすら気づいてねぇ。明理は普段から離れで過ごしてる。最近は閉じこもりっぱなしで、行き来してんのも佐倉だけらしいぜ」
明理が自分の意思で閉じこもっているのか否かは不明だ。しかし人目を避けられる離れは亢進の予兆を隠す点で好都合だ。救済の儀式――少女へと眼球を贈る行為も、確実にそこで行われている。
響子は腕を組んだ。
「てっきり恩人の覚氏のためだと思ったんだけどなぁ」
するとエイトは突然、顔を変えた。
「お前ら、佐倉に接触する時は気をつけた方がいいぜ」
「……何で?」
「奴の恩人の本条覚は一年前、クーデターの巻き添え食って大けがしたらしいんだよ」
響子はピクリと頬を動かした。
「一時、生死の境をさまよってたって話だ。当然佐倉もそれを知ってる。だから、お前や御影の正体知ったらキレるかもしれねぇぜ」
響子の脳裏に、狩人の怜悧な顔立ちがよみがえる。感情を静めた表情の裏にあった揺るぎなく強い意思と、それを遂げるための冷酷さ。
ただ彼も、宇佐見緋一の前ではそれを崩した。殺しても死なない少年に翻弄され、いつしか全身から殺意そのものが発散しようとしていた。
「……」
ふぅ、と響子は息を吐いた。
「要は僕ら自体が狩人の敵ってわけだね。歓迎したくないご縁もあるもんだねぇ」
やれやれと首を振る。すると、
「もう一つ、新しい情報がある。狩人とは直接関係ねぇが、お前にとっては面白ぇ情報だと思うぜ」
エイトが上目づかいに響子を窺った。
「〝中庭作戦〟。聞いた事あるか?」
「何それ。知らない」
くく、とエイトが小さく笑った。
「この情報は高ぇぜ。買うか?」
挑むようなその顔へ、響子は即座に頷いた。
「買うよ。エイト君が面白いって言う情報にハズレは無いからねぇ」
エイトは「その通りだな」と肩をすくめると、
「中庭作戦。こいつは最近自衛軍がやり始めた軽機密作戦だ。新市街の住人の中で亢進予兆が出た奴を強制的に隔離して、無事に亢進が済むまで監視するって内容だ。亢進予兆を探知する装置が開発されてたのは知ってんだろ?」
響子は頷く。亢進予兆の探知手段も第一次自衛軍の頃から研究されていた。御影とは別の、生物物理化学が専門の学者が担当していた分野だ。
「探知機を使って新市街全体を監視しようって目論見だ。一応、新市街が守られてりゃ政治や軍事機関は安心だからな。それに新市街は住民登録制度が完全復旧してる。旧市街と違って人間の動向も管理しやすいってわけだ」
エイトはよどみなく述べる。
「中庭作戦は一カ月ぐれぇ前から始動してる。今現在、新市街から五人ほどしょっ引かれてるらしいぜ」
響子は待ったをかけた。
「その人たちを隔離して、亢進が済んだ後はどうなるの?」
「単純だ。うまい事ネクスタブルに行きゃあ、家に帰す。ブランダーに変わっちまったらゴーストタウンに放置さ」
響子の頭にピンと糸が通る。
くくっ、とエイトが喉で笑う。
「だから〝中庭〟なんだよ。中庭ってのは新市街と旧市街の間、ゴーストタウンの事だ。隔離した奴が都合悪くブランダーになりゃ、ゴーストタウンに放置して自警団が始末しに来るのを待つ。軍も兵器でブランダー倒すのは限界があるって気付いたんだろ。無駄な死人出して始末するより、ネクスタブル主体の私設団体に丸投げする方が断然楽なんだよ」
「最近、新市街の塀の警備がキツくなったってのもそのせい?」
「だろうな。中庭に放り出したブランダーを食い止める最後の砦ってわけだ」
ふぅん、と響子は頷くと、
「ネクスタブルに変わったら塀の中に戻れるんだよね」
「ああ。現に一人、亢進成功した奴はいる。だがそいつは、家に帰った数日後に軍に入隊した」
響子は目を上げた。聞きたい事が分かったのだろう、エイトは目を細めて言った。
「中庭作戦の副収入だよ。表向き新市街を守るための作戦だが、同時にネクスタブル兵の確保も期待できる」
「どうするつもりで……軍はネクスタブルを集めてるの」
「さぁな、そこまでは分からねぇ。戦闘要員にするためか……あるいは、中座したプロジェクトの続きを進めるつもりなのか。新生自衛軍に情報が漏れてねぇとは言えねぇからな」
エイトは斜め上を仰いだ。
「ま、これ以上情報を広げねぇためにも、お前らはさっさと狩人を捉えるんだな。中庭作戦の本質が見えねぇうちは、下手に首突っ込むと逆に危ねぇぜ。純粋にブランダーを倒せる戦闘兵を集めてるだけかもしれねぇからな」
「……そうだね」
響子は目を伏せて頷いた。
「僕らも初めはそうだったのにねぇ」
「何だ? 御影を責めんのか。あいつが結果なんて出さなけりゃ今もヒーローだった。なんてな」
響子は失笑した。
「ヒーロー? そんなの建前にすぎないよぉ。僕らは戦いたいから戦ってた。体の中に疼くセカンドメモリーを発散したいから、正当に殺せる何かをくれる軍についてたんだよ。エイト君だってそうでしょ?」
エイトは片頬を上げた。頷きはしなかったが、同意している顔だった。
「でもな、ネクスタブルの性に狂うほど飲まれたのはオオカミ、お前だけだぜ」
響子は顔を上げる。
「その上、狩りそこなったウサギを一年も追い回してんだ。そんなお前と同類扱いされる気はねぇよ」
茶化してくるエイトへ、響子は薄く笑いかけた。
「ウサギさんは狩人も魅了されたエモノだよぉ。彼も確実に狂いかけてたから」
エイトは興味深そうに眉を上げた。しかし響子は、そのまま彼らの戦いを語る事はしなかった。
響子は伸びをしながら上空を仰いだ。
「まぁ結局最後は、明理ちゃんへの愛で我に帰っちゃったんだけどねぇ」
宵の雲の迫間には、少ない星が瞬いていた。




