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3章 12

「それで、何があって自衛軍の誘いを蹴ったんだ?」

「うん。蹴ったと言うか、私が口を挟む間もなく勝手に決まっちゃったんだけど……」

 その日、白羽は新しい服をあてがわれ、少し洒落めかした雰囲気で応接室のソファに座っていた。隣には孤児院の院長がいた。

 扉のノックで院長が立ち上がる。彼に急かされて白羽も立つと、扉が開いて二人の男が入って来た。少し変わったデザインのスーツ姿。見慣れないその三つ揃えが自衛軍の事務官用制服だと知ったのは、彼らが簡潔に自己紹介した時だった。

 男たちは扉の前に立ったまま、ちらりと白羽を見た。値踏みするような視線が全身を撫でて行き、白羽の体は反射的に硬直した。

「……それでは代金はいつも通り、貴院のご口座に振り込ませていただきますので」

「え? あ、はい! ありがとうございます」

 院長は一瞬きょとんとしたが、すぐに理解して頭を下げた。

 最敬礼の院長に対し、男たちはその十分の一も無い角度の会釈を返すと、

「ついて来なさい」

 身を返しながら言った。

「えっ、ちょ、ちょっとお待ちください」

「何ですか」

「あの、手続きはこれだけですか? 自衛軍は国の機関ですので、入隊する際の事務手続きは特に厳しいと聞きますが……」

「入隊手続きの事ですか。そんなものは不要です」

 男の平坦な口調に院長が気圧される。

「そ……そうですか。いや失礼しました。……あのぅ、一応表向きは売買ではなく入隊卒院という形をとらせていただいておりますので、役所へ提出する書類にもサインをいただきたいのですが……」

 おずおずと申し出る院長。男たちは冷たく一瞥した。

「そんなものは適当に書いておいて下さい」

「しっ、しかしそれでは補助金が」

「ああ、そう言えば新規入隊者には祝い金が支給されるんでしたね。我々はそんな端金の手続きに協力しているほど暇ではないんですよ。それに取引金額はそちらの言い値でお約束したでしょう。充分すぎる金額をね」

 院長の顔が青ざめる。男たちは鼻で笑いもせず、白羽へ「来なさい」と指示した。

 白羽は呆然とそのやり取りを見ていた。売買、口座、金額。自分は金で取引されるのだと、白羽は初めて知った。そしてこの孤児院が日常的に人身売買を行っているという事も。

 立ちつくしている白羽を、男の一人が苛立ったように急かした。

「早く来いと言っているだろう、聞こえているのか」

 それでも白羽は動けなかった。

 ちっ、と男が舌打ちし、無理やり引っ張って行こうと歩みかけた。

 その時だった。

「その取引、ストーップ!」

 応接室に知らない声が響いた。

「誰だっ!?」

 皆一斉にそちらを振り向いた。

 白羽も息を呑んで窓の方を振り返った。

 目が丸くなる。開け放たれた窓を背景に、コート姿の人物が立っていた。いつの間に入って来たのか、誰も気づかなかった。

 窓から吹き込む春風が薄手のトレンチコートを揺らしていた。

「軍人さんは配慮が無いねぇ。例え〝お品物〟だとしても、女の子はもっと丁寧に扱わないと」

「何なんだお前は!」

 ふふ、とその人物は笑った。顔にはサングラス。声は青年のトーンだったが、コートとパンツスーツに覆われた体は男とも女ともつかなかった。目深にかぶった帽子の淵からは、ウェーブがかった長い髪がこぼれていた。

 革靴を鳴らしてこちらに歩む。

「ねぇ院長、一つ教えてくれない?」

「えっ」

「高梨白羽をいくらで売った?」

 サングラスの奥の瞳が彼を鋭く貫いた。

「っ、――ですっ」

 彼は反射的に口走っていた。事務官が「あっ」と止めかけたが、もう遅かった。

「ふぅん」

 コートの人物が頷いた。そして、ソファの横で足を止めた。

「じゃあ、僕はプラス五」

「は」

「おまけにお振り込みの軍とは違ってキャッシュで一括払い。いちにいさんしぃ……と、それからプラス五。はい、置いとくから後で数えてねぇ」

 応接テーブルにドサリと札束が置かれた。

 白羽、院長、二人の事務官は呆気にとられてその様子を見ていた。

「じゃ、行こうか」

 サングラスの顔が白羽を向いた。

 漆黒のガラス越しに目が合った瞬間、その人物は白羽の腕を取った。

「えっ、あ!」

「地下鉄の時間があるから失礼しまぁす」

 腕を引かれるままに白羽は走り出した。

「お……おいっ、待て!」

 事務官が慌てて追いかけて来る。と、先行くコートの裾が翻り、すらりとした足が応接テーブルの思いっきり蹴り上げた。

 まるで花吹雪のように札が舞い上がった。

「うわっ! くそ!」

 バラバラと振って来る札を振り払う男達。その足元では、院長が床に這いつくばって札を集め始めた。

「あははは! 愉快な春の風物詩だねぇ!」

「待て! どこの組織の構成員だ!」

「名乗る名前も決まってないよぉ」

 笑い混じりに答えると、ひょいっと窓枠を飛び越えた。その身の軽さに白羽は目を丸くした。

「来て、白羽」

 ドキリと心臓が鳴る。

 名も知らない誰かは、二階の庇の上からこちらへ手を伸ばした。

 白羽は窓枠を乗り越えてその手の下へと降り立った。抱きとめた相手の体はコート越しでも柔らかかった。

「さぁて、本格的に追われる前に逃げるとしますかぁ」

 サングラスを取り、その人物――さして歳も離れていない少女は空を仰いだ。

 雲一つ無い春空から注ぐ光に、彼女は目を細めた。

「このまま、僕を抱えて飛べる?」

「……あっ、はいっ」

 白羽は我に返って頷くと、一気に翼を広げた。

 羽の無い、天使の双翼とは程遠い骨と皮の翼が、ばさりと空気を煽いだ。

 少女は愛でるような顔で小さく頷いた。

 窓の内側からバタバタと足音が聞こえて来る。白羽は息を呑むと、少女の合図を待たずに飛び上がった。

「わぁお! 爽快!」

 少女が耳元で感嘆した。

 こんなに高く、速く飛べる事を、白羽は今まで知らなかった。風を巻く翼。断ち切られる重力。目の前の空気の向こうへ、白羽は夢中で突き進んだ。

 一気に空高くへと舞い上がり、元いた孤児院が豆粒の大きさになった頃、白羽はようやく停止した。はぁはぁと息が切れていた。

「……あはは。こんなに見事だとは思って無かったなぁ。でも、あんまり無理すると体が壊れちゃうよぉ?」

 少女が帽子を押さえながら言った。窘めながらも、彼女の瞳は純粋な驚きを浮かべていた。

「地面に戻ろうか。僕らの本拠地に案内するよぉ」

 白羽は切れる息を押さえて頷き、下降に転じた。少女の案内のまま辿り着いたのは旧市街の外れだった。

 すとん、と足裏が地に触れる。降り立ったのはありふれた建物の屋上だった。

「ふぅ、まさか空から帰って来るとは思わなかったよぉ」

 少女がコートをばさりと脱いだ。続いて帽子を取ると、束ねたセミロングの髪がこぼれ出て来た。

「追われるかと思って変装したけど、必要無かったなぁ」

 シャツの襟元に指が伸びる。隠れていた喉をさぐると、ぺり、と何かをはがした。

「このボイスチェンジャー、ハカセの発明にしちゃ上出来だったけどねぇ」

 次に聞こえて来た独り言は紛う事無き少女のトーンだった。

「あ……あの」

 白羽は戸惑いながら話しかけた。少女は顔を上げ、ふふっと微笑んだ。

「初めまして、高梨白羽」

 束ねていた髪をほどく。緩くウェーブがかった髪が、風に舞ってふわりと揺れた。

「今日から君は僕らの組織の一員だよ。ちょっと荒っぽい方法だったけど、僕ら、君がすごく欲しかったんだ。ハカセがいくら積んでもいいって言ったから買っちゃったよ」

 悪びれる風も無く言うが、不快は感じなかった。

「あなた……だれ?」

 白羽は問うた。翼をしまう事も忘れ、そこに佇む少女を見つめてしまった。

 少女は微笑んだままの唇を開いた。

「ただの反逆者の一味だよぉ」

 穏やかな春の風に、少女の答えが躍った。

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