3章 11
西から差す光が、屋上に立つ二人を夕刻の色に染めていた。
佇む白羽は微笑んでいた。後ろ手に手を組み、背後から吹く風にショートヘアとワンピースの裾を遊ばせていた。
緋一は思考を手放したまま、唖然と立ち尽くしていた。
「人を殺したの。同じ孤児院の子を……」
白羽は微笑んだまま、足元へと視線を伏した。
ゆるゆると、少女の瞳に切なげな色が落ちる。
「私ね、先天性のネクスタブルなの。知ってる? お母さんのおなかの中で世代亢進したネクスタブルの事だよ。私もそれ。生まれた時から〝飛翔〟のネクスタブルだったの」
緋一は口をつぐんだまま、白羽の話に聞き入った。
「骨と皮の翼を持って生まれた私だったけど、お父さんとお母さんは愛してくれた。私はお父さんの顔を知らない。私が生まれてすぐに病気で死んじゃったの。でも〝白羽〟の名前はお父さんがつけてくれた。『あなたとあなたのセカンドメモリーを祝福して、白い羽と名付けたのよ』ってお母さんが教えてくれたの。
お母さんは一人で私を育ててくれた。毎日遅くまで働いて、仕事が終わったら急いでご飯を作ってくれて……。ふふ、この時にもうちょっと料理を手伝ってればよかったかなぁって、今になって後悔してる。毎日遊んだり宿題やるのに精一杯で、ちっともお手伝いしない悪い娘だったなぁ。
私達はそんな風に、旧市街で普通に暮らしてた。私がネクスタブルだって事は二人だけの秘密。この約束の意味は分からなかったけど、そうしてたから普通に暮らせてたんだよね。世代亢進してない人からどんな目や言葉を浴びせられるか分からない。お母さんは私を守るために私の翼を封じたの。『この翼はいらないの?』って悲しくなった事もあったけど、〝白羽〟の名前が『違うよ』って言ってくれた。だから私は約束を守り続けた。
それが終わったのは今から三年前。お母さんと一緒に買い物に出かけた日だった。ちょっと遠出して、大きな商店街に行って服を買ってもらったの。フリルの襟が付いたとっても可愛いワンピースで、私ったら凄く嬉しくて、買ってすぐにそのワンピースに着替えちゃった。お母さんも嬉しそうだった。
でも――夕食の買い物も済んで、そろそろ帰ろうかって言い始めた時だった。たった今出て来た商店街のアーケードがブワッて膨らんで、大きな音を立てて破裂したの。
何が起きたのか全然分からなかった。『ブランダーだ』って言う叫び声が聞こえて、お母さんは慌てて私の手を引っ張った。ブランダー。私と違って世代亢進を失敗したヒト。見てみたい、なんて馬鹿な興味がよぎったけど、お母さんの叫び声で我に返って走り始めたよ。
後ろから物凄い音が聞こえてた。ブランダーのエネルギー砲が次々にガラスを割って、コンクリートの建物を壊して、道を砕いてた。歩ける爆弾。私は走りながらそう感じた。あ、これはちょっと間違い。あの時の爆弾は歩くだけじゃなくて……走れたの。
ブランダーは逃げる人たちを追いかけてこっちに走って来た。そして目茶苦茶に撃ち始めた。周りの人たちが何人も倒れていった。弾けていった。千切れていった。無理だよ。逃げられないよ。お母さんを見上げたら、泣きそうな顔で前を向いてた。
お母さん、って呼ぼうとした時、私達の下の地面がビキッって裂けた。『あっ』って思った瞬間、背中の翼が開いて体が浮き上がった。そうだ、私は飛べたんだって、この時ようやく思い出したの。
握りしめてたはずの手は離れてた。急いで探したら、お母さんは地面の裂け目に倒れてた。でも……私が下りて来ようとしたら、お母さんは『逃げて』って叫んだの。わけがわからなかった。お母さんを抱えて飛べるのに。でも後ろを見たら分かった。ブランダーが私をじーっと見てたの。あんなにゾッとしたのは初めてだった――たまらなくなって逃げた。逃げちゃったの。あの時だってやろうと思えばブランダーと戦えたはずなのに。お母さんを助け出せたのに。爆音で我に返って見下ろしたら、お母さんはいなくなってた。裂け目の側にあった腕が誰のかなんて、もう考えられなかった。
背中が破れたワンピースと一緒に家に帰って、何日かぼんやりして、ようやく二度目の涙が流れ始めた頃に知らない人が訪ねて来た。説明を聞いてもさっぱり。でも孤児院に入れって言われてるのは分かった。一人になっちゃったし、そうするしかないと思って素直について行ったよ。この時もあのワンピースを着てた。途中で『みっともないから』って捨てられちゃったけど。
連れて行かれた孤児院でも、私は自分がネクスタブルだって事を隠して過ごした。お母さんとの約束だもん。でも、何となく分かるのかな……何人かの子は私を不思議そうな目で見てた。あ、もしかして将来世代亢進でネクスタブルになる子だったのかな。ネクスタブル同士って引き合っちゃうもんね。
孤児院は基本的に平和だったよ。自分を含めた周りがブランダーに親を殺された子供ばかり、っていうだけで、学校とそんなに変わらなかった。でも、たまに淋しい事が起きてたの。朝起きたら、昨日一緒に遊んでた友達がいなくなってるの。先生に聞いたら『新しい家族に引き取られたんだよ』って。こんな事が何回かあった。これが人身売買だったって気付いたのは、結局最後の最後だったなぁ……。
孤児院はゴーストタウンから離れてたから、一年前のクーデターの後も、影響はほとんど無かったよ。食事がちょっぴり減ったくらいかな。新市街や軍で何が起きてたかなんて全然知らないまま、私は孤児院で平和に暮らしてた。それから二カ月――平和っていつも突然破れちゃうね。同じ孤児院の子が、世代亢進してブランダーになっちゃったの。
この日は裏の丘でピクニックの日だった。春で、すごくいい天気だったよ。そんな空に悲鳴と泣き声。みんな一斉に逃げた。近くに自衛軍の基地があったから、うまくいけばみんな助かるかもしれなかった。でも小さな子が一人逃げ遅れて……ブランダーに捕まっちゃったの。
みんな立ち止まって振り返ったけど、どうしようもなかった。だって相手はブランダーだもん……あの子はもう助からない。ブランダーがあの子を殺す間に逃げた方がいい。誰も言わなかったけど……そう判断するしかないよね。
私の頭の中ではあの時のシーンがぐるぐる回ってた。ブランダーが人を捕まえてる。殺そうとしてる。あの時みたいに。私がこの翼で逃げたあの時みたいに――そう思った瞬間、私の中で何かが弾けた。
不思議だよね、セカンドメモリーって。誰も教えてくれないのに、体は求められた時にその使い方に気づけるようになってる。初めて翼で飛んだ時も全然記憶が無いんだよ? この時もそう……気が付いたら私、翼を広げてブランダーに向かって行ってた。そして翼を振り回してブランダーの胸を切り裂いた。ああ、こんな事が出来るんだって実感したのは、ブランダーがガスを噴出させて倒れた時だったよ。初めてだったのに、一発でブランダーを仕留めてたみたい。
心臓が遅れてドクドク言い始めた。頭に掛かってた冷たい靄みたいなモノが薄れて、だんだん感覚が現実に戻ってきて……そして、やっと気付いた。私が助けようとしたあの子は、倒れたブランダーの下敷きになって死んじゃってた。何も考えずにブランダーを殺した私が、一緒にあの子も殺しちゃったの。
どうやって孤児院に帰って来たのか、覚えてないなぁ。ただその日から一人部屋になって、どこへ行っても誰も話しかけて来なくなった。ネクスタブルだってバレたからなのか、それとも、ブランダーと一緒に人を殺したからなのかは分からないけど、みんなが私を避けてた。多分、両方だろうね。
辛かったけど、意味が理解できる辛さだったから耐えられたよ。それからしばらくして院長先生に呼び出されたの。『あなたの引き取り先が決まった』って。私くらいの歳の孤児は、里親じゃなくて会社や社会団体に送られる事が多いの。だからこの時も、どこかで働く事になるんだなぁって呑気に頷いちゃった。
――まさか、自衛軍の人が迎えに来るなんて思って無かったよ」
白羽は言葉を切り、顔を上げて肩をすくめた。他愛のないミスを告白するような仕草だったが、緋一の固まった表情は崩れなかった。
「白羽は悪くない。何も悪くないよ」
数秒の間の後、緋一は顔をしかめながら言った。
「〝殺した〟なんて認識は間違ってる。例の子は結果的に死んだだけだ。白羽はその子を助けるためにブランダーと戦ったんだろ」
「結果的でも何でも、私が殺しちゃったのは事実だよ」
白羽は儚げな雰囲気で微笑んだ。
「それにね……助けるため、っていう正しい気持ちだけじゃ無かったと思う」
「っ?」
「自分の翼を解放したいって言う気持ち。内側に湧き上がって来た気持ちの半分はこの衝動が支配してたと思うの。この翼で何かを殺したい、って」
どきり、と緋一の心臓が鳴った。
「そう考えると、私も一度は狂いかけたのかな――なんて、たまに思うんだよね」
頭によぎった不安と同じ事を、白羽は呟いた。
殺害衝動。セカンドメモリーの発現強度が許容限界を越えた時、ネクスタブルの細胞は臨界状態へと追い込まれる。その時に現れる症状――理性の喪失、発現強度の追加亢進、そして殺害衝動。〝狂った〟と表現される、ネクスタブルにとっての禁断領域だ。
臨界状態で発現を続ければ、遅かれ早かれ細胞は悲鳴を上げる。セカンドメモリー発現機構が順次崩壊し、過剰発現の対価のごとく力を失う。そう、今の大上響子のように。彼女は間一髪の所で完全崩壊を免れた例だった。
「狂いかけたなんて、そんな馬鹿な。目茶苦茶に力を使ったわけじゃないんだろ?」
「でもハカセに聞いたら、たまにそんな例もあるって言われたの。一時的に細胞が興奮状態になるんだって」
へぇ、と緋一は曖昧に返した。専門家が言うなら納得するしかない。
緋一は視線を流した。
「それでも俺は、白羽がそんな風に行動したのは間違ってないと思う。過去からも現実からも逃げなかったんだから」
西空に広がる夕焼け。淡い威力で目を焼く光を眺めながら、緋一は言った。
白羽は目を細め、瞬いた。
「……宇佐見君は優しいね」
「そんなわけ無いだろ。俺は思ってる事を言ってるだけだ。むしろ無神経だって言われる方が多いぞ」
ふふ、と笑いが漏れた。つられて視線を戻すと、彼女は苦笑の混じった顔で笑っていた。
何だか、数日前までとは随分印象が違うな。緋一は心底そう感じた。緋一が遺伝子検査のためにゲストルームに閉じ込められていた数日間、世話をしてくれたのは白羽だったが、その時の彼女は始終おどおどしていた。まるで見慣れない猛獣の世話係でもやっているような雰囲気だった。大方、響子が大げさに吹き込んでいたのだろう。
こんなに話してくれるようになったのは、やっぱり仲間と認識されているからだろうか。そう思うとやるせない気持ちになるが、しかし白羽は他のメンバーとはかなり事情が違う。
彼女は金で買われてこの組織にいるのだ。
緋一は話を戻した。




