1章 1
翌日の空は高く晴れ渡っていた。
十一月、晩秋の緩い日光に覆われた晴天。ほどけかけた綿菓子のような薄雲が点々と漂っている。
夜半とはうって変わり、風はほのかな温度と共に地表を流れている。その合間を縫うように、二つの人影が砂塵に覆われた地面を歩いていた。
ひょいっ、と影の一つが空を舞う。動物的とも言える軽やかな跳躍の後、弾む靴音を立てて瓦礫の上に着地した。
「遅いぞー、緋一君」
くるりと振り返った拍子に、緩いカールのセミロングが揺れる。
からかい交じりになじって来た少女を、少年――宇佐見緋一は地上から恨めしげに見上げた。
「どこまで連れて行く気なんだよ」
足を止め、辟易した口調で尋ねる。少女が「ん?」と首を傾げた。
「目印だって言う廃駅を過ぎてから、どれだけ歩いてると思ってるんだ。見渡す限り瓦礫と廃墟のゴーストタウンじゃねぇか」
「そりゃあ、ここは正真正銘の廃市街だから。廃墟しか無いのも当然だよ」
少女は平然と言った。その軽い物言いに、緋一はむっと口を曲げた。
どこか遠くからエンジン音が聞こえて来る。オフロードバイクだろうか。緋一は音の方向へ首を巡らせた。鉄骨がむき出しになった元ビル群の向こうに、薄く煙が上がっているように見える。
ふふっ、と少女が笑みを響かせた。緋一が目を向けると、彼女はくるりと前に向き直った。
「ま、もう少し辛抱してよ。確かにバイクか何か用意したい所だけど、僕も緋一君も運転できないじゃない。こうして旧市街の研究所から徒歩通勤するのも致し方ないよぉ」
両手を肩に上げながら瓦礫を渡り始める。まるでピエロのような仕草だ。
「地下鉄が復旧すればいいんだけどねぇ。あれから一年経つけど、全然メドも立ってないみたい。政府も軍も、このままゴーストタウンを放置するつもりなのかもねぇ」
緋一は佇んだまま、じっとその背を見つめた。
足音が続かない事に気付いたのか、少女がこちらを振り返る。
「緋一君? まずは現場に行かないと、仕事は始まらないよぉ」
「例の〝狩人〟って奴が出た場所か」
少女の淡く垂れた両目が細まった。
「そうだよ。目玉狩りの狩人」
緋一は遅い瞬きを返すと、前進を再開した。少女はそれを認め、背を返して再び進路を進み始めた。
少しだけ速度を緩めた足音の中に、少女が言葉を続ける。
「二カ月くらい前かなぁ。ゴーストタウンや旧市街に目玉をえぐられたブランダーの死骸が転がり始めてね。どうやら同じ人物の仕業みたいで、やり方がいっつも同じ。二週間に一度のペースでブランダーを二体殺して、目玉を四つ取って行くんだ」
ブレザーの襟をセミロングの髪が撫でる。
「探ってるうちに入って来たのが〝狩人〟の通り名。言い得て妙だよねぇ。確かにこれはどう見たって狩り。目玉狩り。死骸の他の部分には全然手をつけて無いんだから」
「何のために目玉なんか集めるんだよ」
すると少女が笑う気配がした。緋一は眉を寄せた。
「ブランダーの眼球にはねぇ、世代亢進を抑制する効果があるんだよ」
思わず「え」と吃驚する。
「世代亢進を……抑制する?」
緋一の視界の中央で、プリーツスカートがくるりと回った。
「人類の二次進化現象と言われる世代亢進。その発端になる細胞第二次機能の活性化を止める事が出来るって事」
唖然と佇む緋一へ、淡い垂れ目が微笑みを送った。
「……ブランダーの目が?」
「そぉ。うちのハカセの研究成果だよ。正確に言うと目の中の網膜の中のナントカ細胞らしいけど。他にも血清とか骨髄とか、同じ働きをする物質はいくつかあるんだってさぁ」
「じゃあ、そいつは世代亢進を回避するために目玉狩りを続けてるって事か?」
「ハズレ」
少女は即座に否定した。
「狩人は確実に経亢進者。僕らと同じ新世代だから」
ドクン、と緋一の内側で心臓が鳴った。
新世代。緋一は口の中でその造語を繰り返した。世代亢進を成功させた者。自らの細胞機能を次のステップへと進め得た者。
約三十年前、突如として始まった人類の二次進化現象・世代亢進。細胞に眠っていた未知なる機能・セカンドメモリーを正常に発現し、自我内に収納し得た者は、従来の人類にあり得ない生体能力を手にする事が出来た。彼らは新世代の人類・ネクスタブルと命名された。誰が名付け親か知る由も無いが〝次へとなり得た者〟という語意は確かに的を射ていた。
そしてネクスタブルの対極――亢進失敗者。
彼らは世代亢進を失敗した者。セカンドメモリーを抑制しきれず、細胞の暴走に呑まれてしまった人類の〝なれの果て〟だ。自我は崩壊し、半生体機械化、細胞分裂は制御不能となりヒトの輪郭をも失ってしまう。
ネクスタブルとブランダー。己の身がどちらへと進むのか、今は誰も知る術を持たなかった。そしてそれがいつ始まるのかも。だから人々は、いつか来る転機に怯えながら日々を過ごしていた。
「……狩人はネクスタブルだって?」
緋一は怪訝に繰り返した。
「だったら今更目玉なんて必要無いだろ。一度世代亢進すれば元には戻らねぇ。そいつが既にネクスタブルなら、ブランダーの目玉なんて無用の長物だ」
すると少女が呆れたように肩をすくめた。
「ダメだねぇ、緋一君は」
「は?」
「思いやりの足りない少年はこれだからいけない」
馬鹿にした顔でやれやれと首を振る。
いちいちカンに障る奴だ。緋一は少女の仕草に苛立ったが、ぐっと押さえつけた。
「どういう事だよ」
「自分じゃない誰かのため、って事でしょ?」
少女はすぱりと言い切った。
「狩人はまだ亢進を終えてない誰かのために、ブランダーの眼球を集めてるんだよ」
ピン、と緋一の中にも糸が通る。
「大事な大事な人なんだろうねぇ。いくらネクスタブルとは言え、一人で二体のブランダーとやり合うのはなかなか難しいよぉ。それなのに狩人は狩りをやめない。大切なヒトを五分五分の賭けに連れて行かれないために、二週間に一度、殺気にまみれた怪物と対決してるんだ」
少女は自分の爪を眺めた。
「目玉の取り出し方も、それはそれは丁寧だよぉ。まるで貢物を取るみたいに、刃状の何かで綺麗に取り出してる」
淡いネイルカラーが塗られた爪の上で、くくっ、と彼女の頬が歪んだ。
「なぁ」
「ん?」
緋一の呼び声に彼女は顔を上げた。
「やり方はどうであれ、そいつのどこに問題があるんだ?」
瓦礫の上で少女が首を傾げる。
「狩人はブランダーを狩ってるんだろ。やってる事は自衛軍や民間の自警団体と同じだ。ヒトに害が無いなら野放しにしてもいいんじゃねぇのか?」
自我を失い、細胞の暴走に呑まれたブランダーは、人々にとって紛れもない脅威だ。現に新市街・旧市街問わずあちこちで被害が発生している。
破壊行為はブランダーの肉体が死ぬまで止まらない。だから、誰かが殺さなくてはならない。そのために、街には国家管轄の自衛軍や民間の自警団体が警戒の目を光らせている。
「ネクスタブルなら一人でもブランダーに立ち討てる。狩りの動機はどうあれ、わざわざ捕まえる必要は無いんじゃねぇのか?」
怪訝な口調で問いながら少女を見上げる。
にやり、とグロスが塗られた唇が持ち上がるのが見えた。
「ダメなんだよねぇ」
緋一は眉を寄せた。
「狩人は二つの禁忌を犯したんだよ」
少女は言うと、ひらりと瓦礫から飛び降りた。




