2章 11
「ぐっ!」
青年の呻きが聞こえた。
しかし彼の姿は既に、緋一の視界から消え失せていた。
「銃声を聞いてから動いても間に合うって言うのかよ」
緋一は呟きながら辺りを見回した。
この場所はある程度開けてはいるが、崩れた建物の柱や瓦礫が見通しを阻んでいる。青年の姿はどこにも見当たらなかった。
今夜は無理だと諦めたのか?
一瞬、退散したのかと思ったが、ふと視界に入った物体がその可能性を完全に否定した。
緋一はそちらへと歩んだ。
「狩人。逃げてないで出てきたらどうだ? 俺ならいくらでも相手になってやるぜ」
足を止め、何も見えない虚空へと言い放った。
緋一の足元には、ブランダーの眼球が入った小箱があった。
こいつがここに残っている限り、狩人は退散しない。一日にいくつも現れないブランダーから奪った貴重な貢物だ。簡単に手放すわけにはいかないだろう。
「大事な目玉を忘れてるぜ? ま、今から別のネクスタブルでも狩りに行く気なら、置いて行ってもらっても構わねぇけどな」
緋一は挑発的に投げた。
「でも、あんたにそんな余裕は無いはずだ。早くケリつけて戻らねぇと、あんたの今までの奉仕もパァになるかもしれないな」
ざっ、と砂を蹴る音が響いた。
緋一はにやりと笑った。
「……さぁ、来い」
セカンドメモリーを炸裂させてこの体を撃ち砕くといい。宇佐見緋一は獲物にならない。そんな冷静な判断なんて捨てて、挑発された怒りのままに俺を殺すんだ。
殺すんだ。
殺すんだ!
首が飛んだ。
直立不動の的に叩き込まれた一発は、ものの一瞬で組織の連続を切断した。
空の上で少女たちが息を呑む。
あらぬ方向へと別れて行く首と胴体。意識の制御を失った胴体が鉄骨のベクトルにぐらりと傾く。
ざしっ、と革靴の音が立つ。鉄骨を振り切った体勢のまま、青年は地に足を踏みしめた。
「……」
肩越しに振り返った彼の視界には、とうに超速治癒を終えた緋一が立っていた。
彼は再び地を蹴った。瞬く間にかき消える長身のフォルム。次世代細胞の気配だけが彼の接近を緋一へと知らせる。
緋一は銃すら構えないまま彼の接近を甘んじた。
醒めきった目に、青年の見開かれた隻眼が映った気がした。
その映像を脳が認識するや、意識に霞みが掛かった。また首か。あんたも好きだな。フィルムが巻き戻るように首が元に戻った時、緋一は「そう言えば」と思い出した。
「首を飛ばすのがあんたのポリシーだったか」
軽く振り向いた先には、青年の後姿があった。
血液と塵に汚れた肩が再び残像と化す。みしりと鉄骨の衝撃が脊髄を直に揺さぶった。
断たれきれなかった首が反り返り、裏返った断面をさらす。噴き出した血液が音を立てて足元に降り落ちた。
己の細胞がどんな状態になろうが、この男は最後まで首切りのポリシーを守り抜きそうだ。緋一は天を仰ぎながら思った。
視界が正面に戻った瞬間、喉元で強烈な衝撃が爆発した。
断ち切られた緋一の頭部は空高くまで吹っ飛んだ。断面から散る血液を、滞空した白羽とDDが呆然と眺めた。
切断頭部が磁石のように引き戻される。そして数秒も経たないそばから、耳がメリッという音を認識する。繋がった骨と筋肉に再び鉄骨がめり込んだ音だった。
熱くなってるな、狩人。緋一は血液がこぼれる唇を歪めた。でもそれでいい。最終的に勝つのは俺だ。
緋一は霞みがかる意識の中で勝利を確信した。このまま、欲のまま俺を殺し続けろ。そうすればあんたは必ず精神の抑制を突破する。
そうだ。細胞が理性を忘れるまで俺を殺し続けろ。その直後、俺が一番近くから銃弾をブチ込んでやる。
――あの時のオオカミみたいに。
「っ!」
突如フラッシュバックが脳裏を覆った。
十本の爪のひらめき。刃のそれと何ら劣らない切れ味に次々と裂かれて行く組織。噴出する血液。みぞれのように飛び散る肉片。舞い戻る肉片、血液、組織。
ひらめく爪。切り裂かれる肉体。再生する肉体。
快楽に歪んだ少女の瞳。欲望にそまった少女の瞳。
ひらめく爪。切り裂かれる肉体。再生する肉体。
狂気に濡れていく少女の瞳。
――ボクノホウガツヨイノニッ!
少女の額で爆ぜた、銃声。
――……
その時、記憶の外から聞こえた音で緋一は我に返った。
「っ」
高速で流れて行った記憶。その最後を染めた銃声に重なったのは、何かが落下して来た音だった。
そちらを見た瞬間、緋一は目を見張った。
「なっ、響子!?」
ほんの十メートルほど離れた地面に、制服姿の少女がうずくまっていた。
すっ、と彼女は立ち上がった。地面を擦ったプリーツスカートから、コンクリートの塵がパラパラと舞い落ちた。
緩い風に揺れるウェーブのセミロング。
淡く垂れた目が抱く視線は、夢うつつの迫間をさ迷う子供のそれに似ていた。
まるで彼女の周りだけ、別の時空の中に在るようだった。
緋一は駆け出す事も忘れ、呆然と見つめてしまった。
「……僕の」
彼女の唇が小さく動いた。
その瞬間だった。緋一の目前で疾風が翻った。
「! 逃げろ響子!」
遅れて緋一は叫んだ。




