2章 10
パァン!
「っ」
視界に青年の姿が現れた。頬には一筋の赤。逸らされた顔の淵を銃弾が走り抜けた後だ。
写真のように目に焼き付いた青年の顔は確かに吃驚していた。
次の瞬間、首に凄まじい衝撃が走った。
「ひっ、ひぁあ!」
首に鉄骨をめり込ませた緋一を見て、DDが悲鳴を上げた。骨をへし折られた首は〝く〟の字に折れ曲がり、鉄骨を上下から包み込んだ。
鉄骨が強引に振り切られる。直前で軌道を狂わされたせいで筋肉を切断するには至らなかったらしい。頭部と胴を繋げたまま、緋一はぐらりと身を崩した。
「っ……?」
ざっ、と立った砂ずれの音を聞いて、青年は目を瞬いた。地面スレスレから彼を見上げる緋一の瞳は、生命を失ってはいなかった。
刹那、緋一は銃を構えた。そして片手を地面に着けたまま引き金を引いた。
銃声が爆ぜる。
銃口は正確に青年の頭を向いていた。しかし銃弾が通り抜けたそこに彼の姿は無かった。
「なんてスピードだよ」
舌打ち交じりに呟く。と、背後で大きな吐息が聞こえた。
「は……心臓に悪いセカンドメモリー……」
腰を抜かしかけたDDだ。緋一は無視して前に向き直った。
どこだ。どこに消えた。いや、決して消えちゃいない。
細胞が威圧感に震える。緋一は反射的に気配の方向へと身を投げた。
メリっ、と肩口に衝撃がのしかかった。
「死にたいのですか?」
頭の上でバリトンの声音が問うた。
鉄骨が肩を縦断していく。刃の傷とは違う、潰れた切り口から血液が噴き上がる。
ホースの口からほとばしる水のように、緋一の血液は四方に散った。しかしそれが地面を幾分も濡らさないうちに、血管は元通り結合し、筋肉の中に収まった。
感覚を取り戻した腕をぐっと上に向けた。
「一生に一度くらいは、な」
そして、取り落とす間さえ与えなかった銃をぶっ放した。
銃声と同時に、視界に大写しになっていたベストが消える。
青年の残像の上に血液の煙が上がった。
血煙は側方にたなびいていた。緋一がそちらを見ると、少し離れた瓦礫の上に、まるで奇術師の見世物のように青年が姿を現した。
彼のシャツの右腕には、血液の染みが広がっていた。
左手がシャツの裂け目を撫でる。指先に付いた自らの血液を、彼は静かに一瞥した。
その顔は変わらず無表情だった。
目が上がった。隻眼の放つ視線が、緋一をまっすぐに射抜いた。
ふっと姿が消える。
「……」
ほんの二呼吸の後、鉄骨が緋一を貫いていた。
来ると分かっていた。だから動かなかった。
微動だにしなかった緋一の腹に、青年が突き出した鉄骨は深々と突き刺さった。
口から漏れた血液が青年の肩を濡らした。
「君は死なないのですか」
鉄骨を握ったまま、青年が問うた。
「見ての通り、本当に死んだ事は無ぇよ」
ぎりっ、と腹の中で鉄骨がよじれる。緋一の答えを確かめるように、青年は緋一の腹に鉄骨をギリギリとねじ込ませた。痛みと言える刺激が神経を走った。
「首を切っても死にませんか」
「ああ。首なんて今まで何度も切られてる。悪いが俺は、体が粉々に砕けたって死なないぜ」
くく、と緋一は喉の奥で笑った。ブランダーの砲撃を間近に受けても死なない体だ。例えこの鉄骨を刺されたままにされても死なない自信はある。
緋一は目を上げた。
「あんたが狩ったネクスタブルの中にも、こんなに悲惨なヤツはいなかっただろ?」
眼帯の下の瞼がピクリと動いた。
直後、銃声が爆ぜた。
「ちっ」
発砲の反動でよろめいた足を踏みしめる。硝煙の上がる視界に、またも青年の姿は無かった。
代わりに腹に残された鉄骨を、緋一は勢いよく引き抜いた。
がらんっ、と放り投げた鉄骨が瓦礫に当たる。体に戻り切れなかった血液が、コンクリートの表面に歪な模様を描いた。
緋一は顔を上げた。そこには、新たな鉄骨を拾い上げる青年の姿があった。眼に映る青年に取り乱す気配は微塵も無い。無表情の横顔には、冷静な視線で鉄骨を選りすぐる目が一つあるだけだ。
これほどの深度の殺意を内に秘めても、彼の隻眼が抱く視線は至って静かだった。
狂気のままの無意味な殺意とは正反対だ。緋一がそう感じた時、
「君では埒があきません」
身を起こした青年が、ふ、と息をついた。
次の瞬間、彼の足が弾かれたように地を蹴った。
視界から輪郭がかき消えた直後、緋一の耳元を疾風が駆け抜けた。
「なっ」
ばっ、と緋一は振り返った。
俺が死なないと知ったから標的を変えたのか。
数メートル後ろには響子とDDが控えている。案の定、彼女たちはまだ地上に足をつけたままだった。
唖然と立ち尽くしているDDの前に青年の輪郭が揺れる。
緋一は振り向きざまに銃を放った。いや、放とうとした。
カシンと情けない手ごたえが指を伝った。
――弾切れだ!
その時、視界に白い影が躍り込んだ。
「白羽!」
超速で降下した白羽が地面を撫でる。そこに立っていた二人の姿がぱっと消えた。
青年の鉄骨が何も無い空間を裂いた。
「っ……」
彼は地上に立ったまま上を見上げた。視線の先には、傷ついた翼を広げ滞空する白羽の姿。彼女の細い腕には、響子とDDが抱きかかえられていた。
響子は白羽の接近が分かっていたのだろう。しかしDDの方は、何が起きたのかも分からない顔で目を瞬いていた。
「か……間一髪だったね」
白羽がふにゃりと笑った。
「え? えっ? あ……わぁっ! 狩人がこっちを見てますよ!」
「大丈夫。あの人、ここまでは上がって来れないから」
ほ、と緋一の胸に安堵が広がった。
しかしそんな二人の一方、響子は奇妙な雰囲気で下を見下ろしていた。
何なんだ? あいつは。緋一は眉をひそめながら響子を窺った。
と、ちらりと白羽がこちらを見る。分かっている。緋一は軽く頷くと、マガジンの交換を終えた銃を静かに構えた。
青年は無防備な背を晒していた。
後ろから撃つなんて、正義とは程遠い――そんな旧時代の常識を語る気など、緋一にはさらさら無かった。
銃口が火を噴いた。




