2章 4
緋一は眉をひそめた。
「何かあったの?」
先に白羽が尋ねた。食べかけのラップサンドを置き、心配そうに響子を窺う。
「んー。ゴーストタウンにまた変な噂が立ってるみたいでねぇ」
「狩人とは別件なのか?」
緋一も身を乗り出した。懇意の情報屋が手掛かりを流してきたのだろう。
ちろりと響子の目がこちらを向く。
そして、
「今度はヒツジさんなんだってさぁ」
「はぁ?」
呆れ声が出た。
しかし響子は構わず、
「片目のヒツジさん。僕は多分、狩人と同じネクスタブルじゃないかって思ってる」
「いや待て、ヒツジって何だよ。狩人なのにヒツジ……いや、ヒツジなのに狩人? 意味が分からねぇ」
混乱する緋一を、響子は馬鹿にするような目で見上げた。
「ヒツジさんはただの通り名だよぉ。僕も意味が分かんないけどさ」
「あ、ああ……そうか」
頷いた緋一に、響子がこれ見よがしにため息をついた。
「ヒツジって……どういう意味だろう」
白羽が呟く。
「あんまり強そうなイメージじゃないよね、ヒツジ……」
「案外くるくる天然パーマってだけかもねぇ。情報通の皆さんは自由だから」
ひらりと手を振ると、
「でも、片目って所は気になるんだよねぇ」
両手を組んで顎を乗せた。
「目玉狩りの狩人に、片目のヒツジさん」
「ヒツジは狩人に襲われたネクスタブルだったりしないよな」
「それは無いよぉ。狩人はエモノの首を切り離してから眼球をえぐるんだもん」
緋一はギョッと目を見張った。
「首を切るだって?」
「そぉ。だから緋一君にも見てほしかったんだ、昨日狩人に駆られたブランダーの死骸。骨まで一刀両断しちゃってるんだから。骨だけ見てもため息モノだよぉ?」
響子が残念そうに息をつく。まずは現場を見てみて、と言われた理由をようやく納得する。それほどの力を持つ相手を敵にしている。それを知らしめるために、彼女は自分をゴーストタウンに導いたのだ。
いや。
「……」
響子は確実に、ゴーストタウンに別の何かを期待していた。何かが起きる事を、荒廃した廃墟の海に期待していた。
何のために――
宇佐見緋一の実力を試すために。
「緋一くん?」
顔の前でひらひら手を振られる。緋一ははっと我に返った。
「そんなにビックリだった? 確かに首切り系の攻撃するブランダーはあんまりいないよねぇ。腕を刃物にしてくる事はあるけど、ピンポイントで狙ってなんて来ないもん。とりあえず殺せればいい。まぁ、本能しか無くなっちゃったんだから仕方がないけど」
言うと、再び両手を組んだ。
「その点狩人は美的だよぉ。必要な時に必要な所だけシンプルに壊して、欲しいモノだけ取って速やかに退散。ま、腕があるから出来る事だけどねぇ……」
不意に、彼女が緩く笑った。
「……何だよ」
「ううん。何だか緋一君と似てるなぁって思って」
怪訝に首を傾げる。が、響子はさらりと流すと、
「白羽、軍人さんだったブランダーの死骸から眼球を取って行ったヤツはいないんだよね?」
「うん。灰化する時も確認したけど、目玉は両方そのままだったよ」
今日の昼間、緋一が殺したブランダーの話だ。
「骨はいつも通り、自衛軍のトラックが回収して行っちゃった」
「研究熱心だねぇ。研究材料が骨だけじゃどれだけ掛かるか分かんないのに」
響子は失笑した。
「狩人が目玉を取りに来るかとも思ったけど、期待外れだったねぇ。二日連続で、しかも昼間に出没なんてあり得ないか」
「それに、もし狩人が来たとしても私一人じゃ相手できないよ」
白羽が苦笑交じりに言った。
「そーだね、いやぁ、何事もなくてよかったよかった」
あはははー、と笑い合う二人。緩い空気に緋一も流されそうになってしまったが、
「って、おい待てよ。それじゃ次行動できるのは二週間後って事か!?」
「今の情報だとそうなるねぇ。狩人は二週間に一度のスパンで狩りをするから」
「新しく入って来たヒツジって奴はどうするんだよ」
「ヒツジさんはとりあえず気をつけろって事だったから、どうするもこうするも、警戒するしか無いんじゃない?」
はぁ? と緋一は力が抜けかけた。
「お前ら、そんなに呑気に構えてていいのかよ」
「呑気も何も、向こうが出てこないんだから仕方がないよぉ」
「そうじゃなくて、もっと聞き込みとかするべきなんじゃないのか? 狩人がどんな奴だったとか、ヒツジも何でヒツジなのかとか」
「そうして余計な所まで〝目玉狩りの意味〟が知れ渡れば、さてどうなるでしょぉ」
ドキリ、と心臓が鳴った。見上げて来た響子の目は、鋭い視線を放っていた。
「狩人の行為を知って、そしてその意味を悟ったヒトたちが第二第三の狩人にならない、なんて事は誰にも言えない。もちろんなる確信も無い。でも僕らはその可能性を広げるわけにはいかない」
緋一は息を呑んだ。
狩人の行為――ネクスタブルやブランダーの眼球に潜む価値。それが不用意に知れ渡ったら……
後は想像するに難くない。奥歯を噛んだ緋一を見て、響子はふっと視線を緩めた。
「だから僕ら、情報は極力流れて来るのを待つんだよ。これも解決のための辛抱さぁ」
軽い調子で言うと、テーブルに手を突いて立ち上がった。
「世の中のヒトがみーんな敵か味方なら、ハカセも僕らもこんな心配しなくてもいいのになぁ」
空になったマグカップを手に、シンクへと歩きながら呟いた。
『敵か味方なら』
緋一の胸に鈍い違和感が走る。
響子たちは〝ハカセ〟の研究結果が外に漏れる事を恐れている。そのくせに、一方では完全に外部の人間である自分を傭兵として雇い入れている。どうして平気でそんな事が出来る。雇用関係が終わった後、この口から情報が漏れるとも分からないのに。
宇佐見緋一なんてネクスタブルに、そうまでする〝意味〟があるって事か?
『一年も探してたんだよぉ』
頬が強張った。
俺は、どこか騙されてるんじゃないか?
「ん?」
響子が鼻歌を止めた。
その時だった。
突如、壁の向こうで高い銃声が爆ぜた。