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2章 1

 旧市街の外れに黄昏の光が落ちる。

 奄々とくすぶる火の粉のような光が、古くひび割れたコンクリートの壁に滲んでいる。

 三十年前、突如始まった人類の世代亢進せだいこうしん現象。そこかしこで〝生まれ変わった〟住人たちは暴走する破壊本能のまま自らの街を打ち壊した。今も街に漂う朽ちかけた雰囲気はその時代の名残だ。

 時代が下った今は騒ぎも粗方収束し、世代亢進の中心は旧市街の中でも人口の多い新興エリアに集中している。言い換えてみれば見捨てられたのだ。かつて多くの人々が暮らした旧市街オールドタウンは。

 緩い北風が、密集する建物の間を縫っていく。通り過ぎた軌跡の周囲に人の呼吸は一つも無い。破れたガラスの向こうでは、ボロボロに朽ちたカーテンが弱く揺れている。

 もちろん今も、様々な理由で居を移さなかった人々がこの街に暮らしている。しかし街の更に外れ、ゴーストタウンに近接するこの一角に好んで住まう者はいない。

 朽ちゆくだけのパノラマは、黄昏の淋しげな温度の中で静まり返っていた。

 ゆるゆると陽が沈んで行く。コンクリートに注いだ炎色の光は次第に薄れ、呆気ないほど素直に消え失せた。

 急速に冷気が辺りを支配する。一分、二分。つい先ほどまで存在していた陽の温度が瞬く間に失われて行く。それに半歩遅れて続く夜闇の到来。遥か遠くにあった東の空の暗色が、早足で旧市街を覆い尽くした。

 ぽつん、と建物の狭間に明かりが現れる。太陽と同じ色の光だ。

 唐突に現れた光は、跳ねるように上下しながら路地の階段を下った。

 そして、とんっと軽快な音が響く。

「よぉ、イカれオオカミ」

 少年の声が続いた。

 手に携えたカンテラの光が、彼の顔を斜め下から照らしている。短く刈った髪にやや幼げな顔つき。十代後半の実年齢に追いつかなかった小柄な体格は薄いローブに包まれている。

 悪戯っぽい雰囲気の目は、夜闇の先に立つ少女を捕えていた。

「酷いなぁ、この僕のどこがイカれてるように見えるってわけぇ?」

 響子は両手を肩に上げ、もたれかかっていた壁から背を起こした。

「いつまでもそんな名前で呼ぶのは止めてほしいなぁ、エイト君」

「バーカ。お前はあれからずっとイカれてんだよ。いつまで経とうと変わらねぇぜ」

 少年――城島きじま咏人えいとは片眉を上げて言う。挑発的な言い草を、響子は顔を変えないまま受け流した。

 エイトは足を進めた。

「赤ウサギの使い心地はどうだ?」

「エイト君はいつも人に変なあだ名をつけるねぇ。でも赤ウサギかぁ……確かに緋一君そのものだねぇ」

 響子は唇に指を当てながらくすりと笑った。

「捨て身で敵に突っ込んで、血まみれにされながらゼロ距離射撃で銃弾をブチ込む。自爆テロみたい。逃げないウサギさんはライオンよりも強いねぇ」

「死なねぇからこそできる荒技だ。赤ウサギはこうやって今まで食いつないで来たんだとよ」

「五年前……ブランダーの攻撃に巻きこまれて何もかも失くしてから、たった一人で生きて来たんだよね」

 宇佐見緋一――彼は十三歳の時に、ブランダーへと亢進した妹に家族を殺された。

 彼の妹は当然彼へも牙を剥いた。彼を守ったのは、少し前に発現していた超速治癒のセカンドメモリー。ネクスタブルへと亢進していた彼はたった一人生き残ったのだ。

 彼がその手で妹を殺したのかは分からない。

 そう言って数ヶ月前のエイトは、宇佐見緋一に関する情報を締めくくった。

 響子はふっと息を吐くと、

「今日もためらいなく壊してくれたよぉ。さすがは戦歴五年の傭兵さんだね。テキトーな銃一丁でも僕らを守ってくれたよ」

「ああ、結局ブランダーになったんだな」

 エイトが軽く頷く。

「自衛軍の兵士が一人亢進しかけてるって話、結局ブランダーで終いか。ネクスタブルになったらもうちっと稼げんのに。ちっ」

 視線を外して舌打ちする。

「軍に戻った後も追跡して、僕に情報を売ろうってこと? 残念だけど僕らはハカセの研究関連の事じゃないと動かないよぉ」

「んな事は知ってる。俺の情報に食いついて来る奴は他にもいるんだよ」

「へぇ、自警団カンテラのエイト君も有名になったんだねぇ」

 響子が言うと、エイトは得意げに唇を上げた。

「でも、あんまり活躍してもらうと都合が悪いんだよなぁ」

 エイトが眉を上げる。

「第一次自衛軍にいたヒトからハカセの研究成果が漏れちゃうの、一番困るんだよね。今回の狩人だってそうでしょぉ。誰かがバラしちゃったから、目玉狩りみたいな事をやるヒトが出て来たんだよ」

 響子はため息交じりに言った。

「エイト君じゃないよね。狩人に情報売ったのは」

「バカかよ。俺の口はそんなに安かねぇぜ」

 呆れたように肩をすくめるエイト。

「いくら金積まれようが御影のそれは閲禁だ。俺だって自分が狩られるのは御免だからな」

「ふーん。つまり狩人は別の誰かから情報を買ったって事かぁ」

「うまく新市街に逃れた奴じゃねぇのか? 一年前あれから行方くらましてる奴の方が多いんだぜ」

「そうだね。誰も政府に取り入らなかっただけましかぁ」

 響子は軽く首を傾げて呟いた。

「でも、放っておくわけにはいかないんだよねぇ」

 淡く垂れた目がくっと細まる。

「ハカセの研究成果が漏れちゃったら一年前の二の舞だよ。ネクスタブルは狩られるし、そして〝人はどうやったってネクスタブルには敵わない〟。今度は新市街がゴーストタウンに変わっちゃうよ」

「よく言うぜ。勢い余ってイカれて、兵士殺しまくってた奴がよ」

 響子は目を上げた。

「どうせ、お前が御影についてるのも別の理由なんだろ?」

 淡い笑みと共にエイトは問うた。

「だからお前はいつまで経ってもイカれオオカミなんだよ」

 挑発的な笑みの奥には、とうに確信が漂っていた。

「……」

 響子はしばしその両目を見つめた後、いつもの調子で答えた。

「狩りそこなった獲物を追いかけるの、別にフツーじゃない?」

 カンテラの光の中で、エイトは馬鹿にしたように肩をすくめた。

「じゃねぇよ。負けた相手を一年追いかけてるセーシンからして理解出来ねぇ」

 ひとしきり笑うと、

「新しい情報が入ったぜ」

 ピクリと響子は身を揺らした。

「……狩人の?」

「いや、違う。でも同一人物の可能性も高いと思うぜ。俺も忠告みてぇに聞いただけだから何とも言えねぇんだよ」

「忠告? 何かに気をつけろとか?」

 エイトは頷いた。そして、

「片目のヒツジに気をつけろ」

 響子はぱちくりと目を瞬いた。

「ヒツジって、エイト君。早速あだ名つけちゃったの?」

「違ぇよ。最近ゴーストタウンや旧市街で〝片目のヒツジ〟の噂が立ってんだ。何でも、どっかの自警団が相手してたブランダーの首をかっさらって行ったんだとよ」

「首」

 顔を変えた響子に、エイトは満足そうに首肯を返した。

「狩人の手口と同じだろ。こいつも首を一刀両断だ。その後はギャラリー無視して、首持ったまま消えたって話だぜ」

「その首って見つかったの?」

「ブランダーの首なんて誰も探さねぇだろ。見つかってねぇよ」

 響子は「ふぅん」と頷いた。

「狩人はその場で目玉を抜いて、切断した首は置いて行くけどねぇ」

「自衛団の奴らに姿見られたくなかったんじゃねぇのか? まぁ、あくまで狩人とヒツジが同一人物ならの話だけどな。違う奴なら、また意味わかんねぇ奴が出てきた事になる」

 エイトが眉をひそめる。

「イカれちまったネクスタブルは誰彼構わず殺す。ヒトだろうがブランダーだろうが、他人だろうが仲間だろうが……だから俺も忠告されたんだ。こいつがぶっ飛んでねぇって確信できねぇうちは、近づかねぇ方が身のためだってな」

「ヒツジさんねぇ……」

 響子は視線を流して呟いた。

 エイトは肩をすくめると、くるりと身を返した。

「ヒツジはともかく、狩人も神出鬼没だぜ。ウサギばっかり追いかけて、うっかり狩られんじゃねぇぞ」

 ローブ越しのカンテラの光がゆらゆらと遠ざかって行く。

「心配してくれてるのぉ?」

「バーカ。お前ん所から入る金の心配してんだよ」

 階段の先の闇に消えた光へ、響子はふふっと微笑んだ。

 しばらく彼女はそこに佇んでいた。

「……さぁて、僕もそろそろ行きますかぁ」

 ローファーの靴底がひび割れた石段を蹴った。

 とん、と地面に降り立つ。空気を含んで膨らんだセミロングが遅れて肩を撫でた。

「寄り道するから、ちょっと遅くなっちゃうかな」

 乱れた前髪を整えると、鼻歌交じりに街並みを歩き始めた。

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