第972話 カイトの修行
各々が各々の訓練を行っていた頃。カイトもやはり、己の訓練を行っていた。が、それは誰かに頼むものではなく、一人で戦う類の戦いだった。
「あ・・・あぁああああ!」
カイトが絶叫する。その顔は真っ青で、顔からは涙が溢れていた。身体は震え、冷や汗が吹き出していた。
「あ・・・あ・・・」
「っ! リバース!? 大急ぎで記憶の逆流を防ぐわ!」
「カイト様! 水を!」
リーシャとミースが大慌てで駆け寄って、カイトへの治療を開始する。と、そうしてしばらくして、カイトが落ち着いたらしい。ガタガタと震えながらも、なんとか我を取り戻していた。
「ぐっ・・・」
そんな彼は真っ青な顔を更に土気色に染め上げると、こみ上げる嫌悪感に口を押さえる。しかし、彼は嘔吐する事もなく耐えきった。まぁ、この様子で敢えて言う必要はないだろう。それは周囲が止めもする。
「はっ・・・はっ・・・」
「・・・カイト。一つ言わせて」
真っ青な顔のままのカイトに対して、ミースが真剣な顔で告げる。が、それに対して、カイトは手を突き出した。
「駄目だ」
「それが、駄目よ。ドクターストップ・・・これ以上は、貴方の精神状態が耐え切れないわ」
「私からも、それを進言させて頂きます。どうか、ご自愛を」
ミースからは圧力を以って、リーシャからは心配を以って。二人の主治医達からカイトはドクターストップを掛けられる。それにカイトは何かを言おうとして、しかし彼女らの目に浮かんでいた悲しげな色を見て、それを受け入れる事にした。
「・・・わかった。もう今日はこれ以上はやらない」
「はぁ・・・今後一週間は禁止よ」
「お香は最上級の物を惜しみなく使わせて頂きました。それでも、その状況・・・到底耐えられるものとは思えません。出来る事であれば、過去世との融合なぞなさるべきではありません」
ミースの言葉に続けて、リーシャが現状を告げて制止を申し出る。カイトの為だ。皇国でも最高級の薬剤が使われている。使われているにも関わらず、この状況だ。どれだけの負荷が彼に掛かっているかわかったものではなかった。それに対して、カイトは呼吸を整えながら首を振った。
「駄目だ。これだけは、どうしても進めないといけないんだ・・・特に、こいつとだけは」
「はぁ・・・それなら聞いておくけど、一体何があったわけ? これでも医者よ。信用して、教えて欲しいのだけど・・・」
「・・・地獄だ。オレはあの時、地獄を見た・・・それだけは、今のオレも覚えている」
カイトが告げる。それは彼との融合を始めたカイトなのか、それともこのカイトなのかは不明瞭だ。が、その顔の真っ青な様子が、それが真実である事を物語っていた。そんなカイトに、ミースが問いかける。それは至極当たり前の話だった。
「・・・敢えてその地獄を見る必要はあるの?」
「ああ・・・今のこの身体は、不完全。どれだけ足掻いても全力は使えない。蛇口と一緒だ。オレの身体には海にも匹敵する程の水が蓄えられているのに、蛇口は一つしかない。それも人用の物だけだ」
「その人用の物でさえ、カイト様の場合は桁が違います・・・十分にそれで戦えます」
即断したカイトに対して、今度はリーシャが告げる。そもそも、現状でさえカイトは最強級の戦士だ。この時点で勝てる存在はいないと言えるはずだ。だと言うのに、敢えて地獄を見てまでこれ以上を求める。
いや、確かにわからないではない。彼としてもハンナを失ったのは痛ましい事件だっただろう。あの時力があれば、と思うのは無理もない。とはいえ、あの時必要だったのは心構えの方だ。ここまで貪欲に力を求める意味はないのだ。
「ああ、戦えるさ」
それに対して、カイトも頷いた。これでも戦える。そう、これでも戦えるのだ。だが、そうではなかった。それを、彼は知っていた。
「・・・だが、今のままじゃあ何時かはどん詰まりだ。技を極めた所でどうしようもない事もある・・・そして残念ながら、オレには技を極められるだけの腕は無い。天才達には勝てないんだ」
カイトは前を見据える。彼は天才ではない。誰もがわかっていることだ。彼の才能は例えば、槍には瞬にさえ劣っている。刀では武蔵達に劣っている。
それでも、圧倒的な出力とその劣っているが故の諦めの良さを背景に彼は勝ちを得られる。劣っている事がわかっているが故になんの感慨も無く勝てる手を持ち出せる。それだけが、彼の持ち味なのだ。
では、ここで疑問が出る。もし、彼を上回る出力を持つ天才が現れたのなら、と。その時、彼に勝ち目はなくなるだろう。当たり前の話だった。
「・・・だから、オレは過去のオレが・・・いや、オレが手にしたあれに手を伸ばさないと駄目だ。数億年・・・いや、数兆年という無数の時間で作り上げた最強の必殺技を。未だに完成しない最終奥義を手にするしかない・・・その為には、記憶を取り戻すしかない。オレの魂に眠る神の因子を完璧に呼び起こさねばならないんだ」
カイトは絶対の意思を滲ませる。今の彼は所詮、借り物のコアを使っている。確かに完全に使えれば彼は最強と言えるだけの力を使いこなせる。
が、その前提そのものが崩壊している。おそらく、この使えると言える段階は今の彼ではたった数分が限度だ。しかも全力で数発打ち込むのが限界だ。その後は多大なバックロードを受ける事になるだろう。その為に必要だったのが、これだった。そうして、ミースが告げる。
「・・・確かに、貴方から聞いたわ。原理は・・・確かにそれなら今の貴方のまま、数段上の力を使えるでしょうね。蛇口を増やした挙句、それを共鳴させるというのだから」
「ですが・・・あまりに労力に見合っていません。私達医師団としては、異議を唱えざるを得ません」
カイトが手に入れようとしている力を二人は聞いた。確かに、もし使えれば彼最大の難点である出力を上げられないという問題に対処しつつ、攻撃力だけは上げられるというものすごい莫大なメリットを得られるらしい。
端的に言って、全力でたった数分という彼が最強の名に恥じない性能を出せるだろう。が、その為の修練は見ているこちらが痛ましく思える程の壮絶な有様だ。
まぁ、当然だ。数兆年の記憶が一気になだれ込むのだ。普通なら、数秒でその人の意識は消し飛ぶだろう。耐えているのは、彼が彼故だった。だが正直な所、二人にはこれ以上見ていられなかった。
「・・・だから、これは婚約者の一人としてのお願いよ。カイト、お願い。一度止まって」
「カイト様。従者や下僕風情で差し出がましいですが、どうか、お止まりください。もうやめろ、とは言いません。ですがどうか、もう少しペースを落としてください」
カイトは泣きそうな顔の二人から、そう申し出られる。それに、カイトは少しだけ焦っていた事をようやく自覚した。
「・・・すまん。少し休んでくる」
「お願いします」
「こっちは後片付けはやっておいてあげるわ」
リーシャとミースの二人は安堵を見せる。そうしてカイトはそんな二人の安堵を背に、公爵家の地下室を後にして自室へ戻る事にする。幸いな事に今やっていた事は単なる過去世との融合に近い。なので特別な部屋は殆ど必要がなかった。
しかも幸いな事に、実は今回の場合は厳密には過去世とは言えないのだ。なので問題は少ないはずだったが、その彼が経験した地獄の問題で融合が遅々として進まないのである。
「あ、カイト」
自室へ戻ったカイトへと、アウラが声を掛ける。横にはどういうわけかシャーナ――女王ではなくなったので覆いは脱いだ――も一緒だ。なお、側仕えの者達はどうやら今は公爵家なりのやり方を教えてもらっている最中らしく、メイド達の大半は不在だった。
とはいえその代わりにユハラが控えて対処していたし、シェリアがそれを横で見ていた。ハンナが死去した事により、一時的に彼女が侍従長に近い立ち位置になったそうだ。彼女も頭を下げて会釈してくれていた。
「あ、カイト・・・どうしました?」
シャーナは即座に違和感に気付いたようだ。心配そうにカイトを見つめていた。
「・・・ああ、シャーナ様と姉さんか・・・少し、疲れた。それだけ・・・って、いや、待ってくれ。何故オレの部屋に居る」
疲れ果てていたのでスルーしそうになったが、ここはそもそもカイトの私室だ。別にシャーナはカイトが勇者カイトだと知っているので別に構わないが、そもそも主の居ない部屋に勝手に入り込んでいる時点で可怪しいと思ってほしかった。
「・・・駄目なのですか?」
「・・・え? 弟の部屋に入っちゃ駄目なの?」
「え? いや・・・普通駄目じゃねぇの?」
アウラから至極当然の様に首を傾げられて、思わずカイトは自分の常識を疑う。なお、シャーナが疑問だったのは彼女が超箱入り娘だからなのだが、カイトはそれよりもそうではない己の姉の発言の方が疑問だった。と、そんな彼女はカイトの返答に首を傾げたままだった。
「どして?」
「え?・・・えーっと・・・例えば自家発電の真っ最中とかなら・・・困るだろ?」
「お姉ちゃんが手伝うから問題ない。というか、何時でもうぇるかむ。と言うか、呼んで?」
「・・・」
「・・・」
カイトと即座に断言したアウラの間で僅かな沈黙が流れる。そして、カイトも改めて思い出した。この姉はここらの一般的な姉弟に対する一般常識が欠落している、ということを。まぁ、そもそもカイトの立ち位置は婿養子に近いので本来としてはそれで正しいかもしれないが、そこは置いておこう。
「はぁ・・・もう疲れた。今日はお説教しない・・・好きにしてくれ」
ばたん、とカイトはベッドにうつ伏せに倒れ伏す。カイトとしても指摘するだけの気力は残っていなかったらしい。そんなカイトに対して、アウラがとことこと歩き寄って抱き寄せた。
「・・・何してる」
「慰めてる」
「私も、少しだけ様子を見させて頂いています」
アウラの豊満な胸の中に沈んだカイトの額に、シャーナが手を当てる。彼女の力の持ち味はこういった漠然とした所がわかる所だ。カイトがどういう状況なのか、というのがわかるのである。
「・・・悲しい・・・いえ、辛いのですか、カイト?」
「辛いか・・・」
シャーナの言葉に、カイトはため息を吐いた。そうして、小さく彼が口を開いた。
「・・・殺さないと駄目だった。殺さなければ、ならなかった」
カイトが悲しげに告げる。それは、かつてを思い出しての事だった。
「殺される必要なんて無い・・・そんな無辜の人々を、オレは殺さなければならなかった」
悲しげに、カイトは過去の事を語る。それが、彼を苦しめた。彼だってやりたくなんてなかった。だが、どうする事も出来なかった。
「・・・『守護者』って知ってるか?」
カイトが問いかける。それはエネフィアに居れば誰もが知っている内容だ。なので二人はそれに頷く。
「・・・あれな。オレを模造してる奴、なんだよ。正確には、かつてのオレか・・・」
カイトが笑う。そうして、彼は更に続けた。
「当たり前の話だ。虐殺に人の心が耐えられるはずがない・・・」
「まさか・・・」
「ああ・・・オレは、かつてのオレは一時期、『世界』の代行をやってた・・・」
カイトが悲しげに告げる。それを、アウラは抱きしめた。『世界』の代行。その意味を、彼女は理解出来た。虐殺というが、それはカルネアデスの舟板。トロッコ問題と言っても良いだろう。
だが、それは誰かがしなければならない事だ。だが誰もしたくはない。出来るわけもない。トロッコ問題よりも遥かに犠牲者の数が多いのだ。故に世界が行っている事であった。
が、それが出来なくなった事態が、この世全ての世界の発生からただ一度だけ存在していた。その間にその代行としてトロッコの路線の切り替えを行っていたのが、かつてのカイトだったのである。そしてそれ故、カイトが耐えられなかったのも当然である。
「・・・よしよし」
「・・・ありがと」
「ん・・・ちょっとだけ、おやすみ」
「・・・ああ、そうするよ」
アウラの勧めを受けて、カイトは目を閉じる。そうして、彼は少しだけ、穏やかなまどろみの中に沈む事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。トロッコ問題とは倫理学でかなり有名な思考実験です。詳しくは長くなるので調べてください。
次回予告:第972話『閑話』




