第960話 人の子と九尾の狐
さて、瑞樹・由利ペアが訓練を行っていた頃。魅衣もまた訓練を行っていた。と言ってもこちらは早々に血脈についての調査はそもそも終わっていた為、その分野についての性能を新たに手に入れる事になっていた。そしてそのために、一人の少女が彼女の前に出ていた。
「えっと・・・あの・・・基本的に、この攻撃用の御札は投げて使います」
少女が告げる。目を見張る様な美少女で、体付きは成熟していた。が、少女の表情にはどこか怯えがあり、男慣れしていなさそうな雰囲気があった。そんなアンバランスさのある少女だった。
「ふむふむ・・・」
そんな少女から手渡された御札を手に、魅衣が唸る。彼女の血筋であるが、一応かつて日本で栄えた財閥だ。もしそのままであれば桜にも匹敵するだろうお嬢様――と言っても分家なのでせいぜいソラ程度だが――と言える。それが第二次世界大戦後の財閥解体を受けて別れた分家の一つだ。
が、その分家というのが、所謂いわく付きの分家だった。元々日本には無数の異族、日本風に言えば妖怪達の血を引いている名家というのがある。その祖先の血を色濃く受け継いでいた分家が、三枝だったらしい。
魅衣の姉夫妻がカイトの正体を知っていたというのには、ここらの関係があるらしい。彼女の姉の夫、つまり魅衣の義兄は龍の血を引いた陰陽師の一族が三枝家に預けた――預けられた事は当人も知らなかった――祖先帰りで、その当時はカイトもまだ日本で大々的に活動していなかった事から相談を受けていたのだ。
そこでのゴタゴタの際に聞いたのだが、三枝はどうやら陰陽師の家系に近いらしい。異族側に立つ陰陽師、という所なのだろう。一言に陰陽師と言っても、色々とあるらしい。
「こう・・・魔力を込めてぽいっと・・・」
少女は軽い感じで手にしていた一枚の御札を投げる。が、御札は紙で出来ていたにも関わらず、綺麗に飛んでいった。紙そのものに変わった仕掛けは施されていないらしいのだが、魔力を得て標的に向けて飛んでいく様な術式が書かれた文字には込められているらしい。
「後は標的に向けて飛んでいって、自動的に炸裂します」
「へー・・・意外と便利なんだ・・・」
魅衣は感心する様に手渡された御札を見る。ソラ達がかつて火山帯で使った呪符とは少し違うらしく、系統としては中津国の者達が使う使い捨ての簡易魔道具、という所らしい。
「ただ・・・これらは日本の物です。だから、基本的には自分で作るしかないです」
少女は感心する魅衣に対して告げる。ここからわかると思うが、少女はカイトが日本から連れてきた少女だった。まぁ、連れてきたというか実は学園の転移した頃から、カイトと一緒に居たらしい。修行を始める事になって魅衣は教えてもらったのだが、その時は大いに驚いていた。
「で、たまちゃん・・・なんでそんな隅っこなの?」
そんな少女に対して、魅衣が苦笑混じりに問いかける。彼女は今、公爵邸の一室で講習を受けていたわけであるが、その相手の少女は部屋の隅っこで待機していた。それも部屋の窓側の隅っこだ。
「・・・外・・・人一杯・・・怖い・・・」
少女がぷるぷるぷると震える。尻尾は警戒しているのかぴーんと逆だっていたし、耳は怯えているかのように垂れていた。実のところ、今まで彼女の存在が秘されてきたのには当然理由がある。実は彼女、対人恐怖症――特に男性に対してが酷いらしい――なのだそうだ。
で、色々とあって彼女の身内に頼まれて唯一接する事が出来るらしいカイトが密かに保護している最中に共に事件に巻き込まれて、今の今まで引きこもっていたらしい。
一応聞けばミースから治療は受けているそうだが、流石にこういう事情なので魅衣達にも秘密にされていたそうだ。が、治療の一環ということで最近になり公爵邸を出歩く事になり、その一環で同じ女性なら、という事で丁度何か別の力を求めていた魅衣に対して講習を行う事になった、という事だそうだ。
「そんな怖いの?」
「一杯・・・やだ・・・」
少女は隅っこで怯える様にプルプルと震えて怯えを露わにする。彼女は獣人の一種――月花と同じ狐族――なので、窓の外に動き回る人の影に敏感になっているらしい。が、そんな様子に魅衣は哀れみ半分苦笑半分、という所だった。
「まぁ・・・10万人から寄ってたかって嬲りものにされたらわからないでもないけどさ・・・」
魅衣がぼそり、と呟いた。カイトから、この少女の正体について魅衣は聞き及んでいた。その際、この対人恐怖症の原因は教えられていたのであるが、それ故に純粋に哀れんで良いかどうか非常に微妙だったのである。
「うぅ・・・わかってるんです・・・私が悪いんです・・・でも怖い・・・」
少女がぼそり、と呟いた。別に彼女も陵辱された、などという事はない。嬲りもの、というのは寄ってたかって攻撃された、という意味なのである。そしてその数が、10万人だった。
さて、この時点で気付くかもしれないが、彼女は何を隠そう日本の三大妖怪が一体、玉藻の前だ。正確には日本で起きたとある事件の折にその殺生石の欠片の中でも最大の物から復活したのが、彼女だった。
他の二つの殺生石からも他の玉藻の前が目覚めたのであるが、それは一人は日本でカイトの家族の警護、一人はかつて平安時代の折に起こした事件の罪を償う為に宇迦之御魂神――所謂お稲荷さん――という神様の下で神使見習いとして働いているらしい。
「う、うーん・・・」
魅衣はなんともやりにくそうな顔を浮かべる。玉藻の前の最後はと言うと、時の帝を誑かしていたのを陰陽師・安倍晴明に見破られて10万の兵に追い詰められた挙句、命乞いをしても軍師であり安倍晴明の子孫であった安倍泰親の進言で認められず、討たれて殺生石化する。
どうにもこの10万人の兵士達から寄ってたかってなぶり殺しにされた記憶が彼女には色濃く刻まれているらしく、それ故に今でも人に怯えるのである。特に当時の時代もあり兵士の大半は男だ。故に、男に対しては多大な恐怖感を抱いているらしい。
とは言え、これはどう考えても自業自得だ。もし彼女をあのままにしていれば日本の国体が危なかっただろう。それを考えればその末路は当たり前で同情の余地もないが、流石にこのいたいけな女の子が怯えている様はあまりに見ていて偲びない。
「えーっと・・・カイトは大丈夫なんでしょ?」
「うん・・・大きい私が色々と手を尽くしたから・・・」
玉藻が頷く。大きい私、というのは地球でカイトの家族の警護を行っている玉藻の事だ。殺生石はその後玄能和尚――玄能の由来はここから――という僧侶によってハンマーにより砕かれ、最も大きな物は3つに分かたれている。どうやらそれが分かたれた際に魂も三分割したそうだ。
そのうち最大の物が彼女だったわけであるが、その次に大きかった物がその大きい私、だったらしい。見た目としては妙齢の女性。最後に追い詰められた時の玉藻の前らしい。こちらはどうやらなんの感慨も無いらしく、男性恐怖症にも対人恐怖症にもなっていないらしい。
「色々って・・・どうせ、あれでしょ?」
「うん・・・子供は居なかったけど、別に生娘じゃないし・・・」
魅衣はここら説明を受けていなかったが、大凡何があったかはわかっている。と言うか、想像するだけで十分だった。手っ取り早く大きい彼女が持ち前の妖艶さと言うか奔放さでカイトの閨に彼女を突っ込んだのだ。男に慣れさせるには男を宛てがえば良い、と考えたらしい。
まぁ、本来はこんな荒療治は通用しないわけであるが、大きい玉藻はカイトの事を非常に気に入っているらしい。それこそ大陸の妲己や華陽夫人らが驚く程に性質が変わるぐらいには、慕っているそうである。
そして分かたれていても同じ魂で元は同じ人物だったのだ。それが彼女にも伝わっているらしく、カイトだけは恐怖症の対象外になっていたらしい。故に、カイトと一緒にリハビリしていたそうである。
「え、えーっと・・・おんなじ身の上なんだから・・・じゃ安心出来ない?」
「・・・同じじゃないよ。私はお情けを貰ってるだけだから・・・」
玉藻はイジイジといじけながらそう告げる。兎にも角にも今の彼女は後ろ向きというか、あまり前向きには考えられないらしい。かの大妖狐がこれとは、と魅衣もどういう反応をすればよいかはわからないが、人類には良い事なのだろう。とは言え、一つ言える事はあった。
「あー・・・あいつ、それは無いわよ? 愛してないと抱けない、とかそういう潔癖さあるから。その代わり、愛してるから思いっきり私達に全部出すって奴だけど・・・」
「・・・わかってるよ・・・でも、そう思っておきたいから・・・」
「う、うーん・・・」
どうにも自虐的と言うか、いまいち信じられないというか、という所なのだろう。自業自得ではあるのだが、哀れは哀れだった。
ちなみに、何故玉藻がそれをわかっていると言っているかというと大きな彼女とこの彼女を含めれば共に過ごした日数とその濃さは魅衣達を遥かに超えている。しかも彼女の場合彼女自身の問題からカイトが彼女と一夜を過ごす場合はほぼほぼ一対一だ。回数こそ少ないかもしれないが、その分一人カイトと話は出来た。理解度は、彼女の方が上だった。
「ま、まぁとりあえず・・・今日の講習を進めよ?」
「うん・・・」
というわけで、魅衣に促された玉藻は再びおずおずと講習を再開する。幸いといえば幸いなのかさすが玉藻の前という所で、日本で使われる魔術について詳しかった、という所だろう。陰陽師と言うが、その開祖は安倍晴明、つまりは彼女と同じく狐族を母に持つ半妖だ。故に使う魔術の基本原理は変わらないらしい。
更には魅衣が女であった事も幸いした。玉藻としても男程の恐怖心を感じずに済んだ為、会話はなんとか成立していたらしい。
「えっと・・・基本的に、防御系の御札は衣服に忍び込ませたりして使います。使えるのは一度きり、という特性を活かして『身代わりの札』とかみたいに一撃死とか呪いとかを防ぐ御札が多いのが日本の御札の特徴です」
「・・・チートじゃない?」
「多分・・・」
魅衣の指摘に玉藻も頷く。大抵一撃死や呪いの系統を防げるのは、当人の防御能力に大きく依存している。例えばかつてメルの側付きである小夜は呪いを受けたわけであるが、それとてこの抗魔防御力とでも言うべき能力が低かった所為で受けたものだ。
もしこれが敵の呪いよりも強ければ、基本的には無効化される。例えばカイトやティナならば、同じ敵の呪いであっても無効化されていただろう。
が、日本の御札は基本的にはこういった力を問答無用に肩代わりしてくれるらしい。これはエネフィアには存在していない物で、地球でも日本だけにしか無いものだそうだ。
後にカイトから聞いた話では、その分どうやらものすごい値が張るらしくそれこそ神様としての死神――例えばシャルや地球で言えばハデスやエレキシュガル――などの使う一撃死を防ぐ御札になると、使い捨ての癖に一枚で数億円――時価――のお値段になるそうだ。
「でも、その分効果は絶大です・・・使いこなせれば咄嗟に敵の攻撃に御札をぶつけて無効化、なんていうのも出来ます・・・使い捨てだから切り札扱いになっちゃうけど・・・」
玉藻はとりあえず御札についての説明を終える。今回は基礎的な座学のお勉強という事で、御札についての使い方とどういう種類があるか、という基本的なお話に留まっていた。
いくらなんでもいっぺんに全部を教える必要はないし、玉藻の負担もある。ゆっくりと教わるつもりだし、ゆっくりと教えていくつもりらしい。そうして、この日から魅衣は一人密かに玉藻から日本の陰陽師達の使う魔術についての手習いを受ける事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第961話『月の子と九尾の狐』




