第944話 譲位
カイトとシャリクの二人の援護を受けて王都ラエリアの全域の通信網をハッキングしたシャーナ女王は、一つ深呼吸をして己の顔を覆っていた覆いを外す。
『はじめまして。私はシャーナ・メイデア・ザビーネ・ラエリアと申します』
王城の上。半透明の映像として、シャーナ女王が投影される。それは王都の誰もが初めて見る彼女の素顔だった。だがそれでも、立ち振舞いから王都の者達には、何かラエリアの民の直感の様な物でこれがシャーナ女王であるとわかった。
『皆様におかれましては、非常に辛い状況に置かれていると思います。私の不徳の致すところ、誠に申し訳ありません』
シャーナ女王は王として、頭を下げる。その様は謝罪だというのに威風堂々としていて、誰しもが彼女が傀儡の王ではない事を悟らせた。そしてそれ故、王の演説に誰もが耳を傾けて、一時、城下に轟いていた爆音が止んだ。
『この度のクーデターは、我が兄シャリク・ラエリアが主導したもの・・・ですが、その意は我と共にあります。彼の意こそ、我が意に相違ありません』
彼女ははっきりとシャリクに罪がないと明言する。それは王国においての王としての裁定だ。故に誰にも覆す事は出来ないし、王としての風格を兼ね備えた彼女の決定を覆す事は不可能だった。
『故に、この騒乱の責任は私にこそあるものと考えます・・・それ故、私は己の王位の返還を以って、この騒乱の幕引きを図るものとします』
王都全域がいきなりの発表にどよめく。それを受けて、彼女は王として、告げねばならぬ事を宣言した。
『これは誰かに命ぜられたものでも、誰かに指示されたものでもありません・・・私は私の意思で、玉座を返還致します。そして私の後継者として、我が兄にして我が意の代弁者たるシャリク・ラエリアを指名致します・・・どうか皆様もご承諾頂けますよう、お願い致します』
「なに・・・を・・・」
シャリクが絶句する。自分は簒奪者として、記されるつもりだったのだ。だというのに演説で唐突に後継者として指名されたのだ。驚くのも無理はない。
誰もこんな事は頼んでいない。望んでもいない。彼女は悲劇の女王として、誰からも憐れまれて良いのだ。それをこんな事をしてしまえば恨みも買ってしまう。生き残った大大老や元老院の議員達から生命を狙われるかもしれない。それを望まぬからこそ、彼は簒奪者となるつもりだったのだ。
「兄上・・・兄上がラエリアを想うお気持ちはよく理解致しました・・・ですが、ならば何故、兄上は簒奪者の王になぞなろうとなさるのです」
演説を終えた後。シャーナ女王は王として、己が初めて王としての意思で後継者とした兄を諌める。そうして、彼女は王として続けた。
「兄上・・・貴方はラエリアの王に簒奪者なぞという汚名を浴びさせるおつもりですか。栄光あるラエリアの血脈に、簒奪者の汚名を背負えとおっしゃるのですか」
『っ!』
シャーナ女王の言葉に、シャリクが目を見開いた。そして、理解した。妹は単なる傀儡のお人形さんだったのではなく真実、王だったのだと。
玉座の返還と後継者の指名だけは、どんな事情があろうと王の専権事項だ。大大老達が王の暗殺を続けたのは、それ故だ。後継者指名がされていなければこそ、彼らによる合議の末という事が可能なのである。
だが、その王が後継者を指名してしまえば、それは彼らでも覆す事は出来ない決定事項となる。後継者を殺さぬ限り、それは変えられないのだ。故に、彼女は己の意思で後継者を指名したのである。
「ならば私は王として、兄上に正式に王位を譲渡するだけです。幸いにして、我が意は兄上の意思。それは変わりません。兄上であれば民草を労られるでしょう・・・それであれば、構いません」
『っ・・・』
シャリクが震える。そして同じように、彼の横でこの会話を聞いていた全ての兵士達が震えていた。彼女は本当にラエリアの王だったのだ、と心の底から理解したのである。そして自分達がそれを失わせたのだ、と理解したのであった。
悔恨と共に、その女王の慈悲に感涙していたのだ。これで、彼らはクーデター軍などではない。彼らこそが、ラエリアの王による大義を得た正規軍になったのだ。
確かに、これは誰かが認めたわけではないし、法に則った正式な譲位ではない。だが、あれを見て譲位が成立しないと考える者は誰一人として、少なくともこの王都には居なかった。それこそ大大老達の生き残りとて成立してしまった、と思わず思ってしまった程だった。それほどに、彼女の覇気はとてつもなかった。
「兄上。我が王位の後継・・・受けてくださいますか?」
『・・・御意、陛下』
シャリクが跪いて、頭を垂れ承諾を告げる。これを受けぬ事は、彼の兄としての沽券と彼女にそれを強いた者としての沽券にかけて出来なかった。そしてそれを受けて、シャーナ女王からシャリクへと王位が譲渡される。
そうして、王となったシャリクが顔を上げた。その顔立ちは、シャーナと同じく王としての顔だった。それで彼が見たのは、カイトだった。
『システムは今、君が握っているな? 頼みがある』
「なんだ?」
『再び王都中に通信を繋いでくれ。この船は御召艦ではない。こちらからでは出来ん』
「わかった・・・これで、大丈夫だ」
シャリクの依頼を受けて、カイトは再び王都中の通信網を乗っ取って今度はシャリクの映像を浮かび上がらせる。映像を撮る機能そのものは軍用艦にも備わっている。なのでシステムさえ操ってやれば可能なのである。
『・・・我はシャリク・ラエリア。先王シャーナ陛下の禅譲を受け王となった者である』
シャリクが王として、演説を開始する。それは先程までの彼よりも遥かに研ぎ澄まされて、王としての覚悟と威風を身に纏っていた。シャーナの王としての覚醒とその譲位を受けて、彼自身の王としての格が更に持ち上げられたのだ。もしかしたら簒奪者というどこか心の重しだった物が取れた事で、本来備えられていた風格が現れたのかもしれなかった。
そしてそのあまりに堂々たる様は見る者全てが彼こそがこの国の正当なる王で、先程の譲位が本当に誰の意思でも無くシャーナの意思によるものなのだ、と心の底から理解させた。
『全てのラエリアの民よ。此度の騒乱は我が意であれど、我が意ではない。諸君らの血を流させた事、申し訳なく思う・・・だが、諸君らも知っているだろう。我がラエリアを蝕んでいた癌を。私利私欲に塗れ我らが愛するラエリアを貪っていた者達の名を。この騒乱は、彼らを廃する為に起こしたものだ。この流される血が無駄ではないと、私は断言しよう。すでに元老院の大半は捕らえた。残りは数少ない・・・』
シャリクは王として、国民達へとこの騒乱の真意を語る。誰もが、大大老と元老院の腐敗は知っていた。そしてシャリク達王族でさえもどうしようもなかったことを知っている。それ故、何時か起こると誰もが心の何処かで思っていた。
そうしてしばらくの間彼の口から謝罪と大大老と元老院の罪が糾弾されていく。だが、誰もが最初の勅命を予測していた。そして、その言葉がついに告げられた。
『故に・・・今ここに我が最初の王命を下す! 今まで我らの王国を貪り食った佞臣たる大大老達とその賛同者達を討ち、そして議会を恣に操った元老院の議員達を捕らえよ! 再度言おう! これは、王命である!』
「「「おぉおおおお!」」」
街の各所から、雄叫びが上がる。クーデター派だった兵士達は自らが大義を得た事により、一気に士気を高めた。そしてシャーナとシャリクの王としての器に魅せられた民達もそれに同調したのだ。今この時、完全に王都ラエリアは完全にシャリクの手に陥落したと断言してよかった。
元老院の議員と大大老の対処の差は法律の差と考えて良い。大大老達はラエリアの臣下。今となってはシャリクの臣下と捉えて良い。法律上、彼の命で処刑が可能だ。旧態依然の法律が残っていた弊害だが、ここではそれが大大老達に悪く働いたのである。
それに対して、元老院の議員達はどんな不正があろうと曲がりなりにも選挙で選ばれた一般市民達の代表という扱いだ。こちらは法律上でも彼の一存での処刑は不可能だ。
とはいえ、どちらにせよ元老院の議員達も流石に今までの不正や時の王族や敵対貴族の暗殺の首謀者などである事を考えれば、最低でも終身刑、大半の議員は処刑を免れないだろう。裁判という手続きを経るか経ないか、という差でしかなかった。故に誰もが暗にはデッド・オア・アライブで良いと判断していた。
『・・・カイト。君にこんな事を言うのは筋ではないのだが・・・』
王都全域への演説が終了した後。シャリクがカイトへと申し出る。それは、一つの依頼だった。
『依頼を一つ受けて欲しい』
「それは冒険者としてか?」
『ああ、そうだ』
「ならば、聞こう」
カイトはシャリクの依頼を受ける事にする。最早この時点で彼がどんな依頼をしてくるかカイトにはわかっているのだ。受けない道理はどこにもなかった。
『シャーナを貴殿の国へと送り届けてくれ。異大陸となれば、安全だろう。この国はこれから荒れる。シャーナを守りきれる自信が私には無い。だが、君ならやってくれるだろう』
「亡命ということか?」
『そう捉えてくれ・・・そして出来れば、時折訪ねてやってくれると有り難い』
「受け入れよう」
カイトは単なる口約束だが、この依頼を受け入れる。そもそもシャーナの保護は彼としても出来ればしてやりたい事だ。単なる善意で動いても、たまには良いだろう。そしてこれは言われなくてもやるつもりだった。ハンナの残した遺志なのだ。受けぬはずがなかった。それに、シャリクが頷いた。
『ああ、そうだ。もしいつの日かこちらの国が安定した時には、改めて依頼を出したい。そのために、今回の依頼の報酬と合わせて君にはその飛空艇を譲り渡そう。今は前報酬と思ってくれ』
「なるほど・・・わかった。その依頼も引き受けよう」
カイトはシャリクの意図を読んで、微笑みと共に頷いた。飛空艇をカイトに渡す理由は、たったひとつ。いつの日か政情が安定した折に、シャーナをこちらへ連れてきてもらう為だ。その護衛が、次の依頼だ。
そのためにもこの飛空艇は有用だ。誰もがこの飛空艇を知っている為、民達もシャーナが来たと分かるからだ。少なくとも、この後のこの国で彼女を疎む者は居ないだろう。それ故、その管理をカイトに任せたい、という所だろう。
『そうか・・・その様子なら、敢えて裏は言う必要はないだろう。我が意を汲んでくれるな?』
「わかった・・・その日が早く訪れる事を、願っている」
『努力しよう・・・いや、やってみせよう』
シャリクは王として、カイトの依頼を請け負った。ここからは、彼の職務だ。彼の当初の目論見である一網打尽は失敗した。だが幸いな事にシャーナの協力によって、王都ラエリアの民衆の圧倒的支持という最大の手札が手に入った。これで、この戦いで彼の勝ちは揺るがないだろう。
幾ら大大老や元老院が金と兵力を持っていようと、民衆という基盤があってはじめてそれらは役に立つ。冒険者を傭兵として雇い入れるのだろうが、それでも彼らとて民衆の一人なのだ。王都の熱は遠からず、ラエリア全土へと波及するはずだ。シャリクの側にもバリーの様な者達がつくだろう。後はどれだけ早く内紛を片付けられるか、になる。
『この種火。決して絶やさん・・・今年度中に・・・いや、冬が来るよりも先にこの戦いを終わらせてみせよう』
「ああ」
シャリクの決意にカイトが頷く。カイトの仕事はここからシャーナ達を引き連れて皇国へと帰還する事だ。ならば、その決意を受け取るだけだ。と、そこにシャリクへと何らかの報告が入ったらしい。彼が幾度か頷いていた。
『・・・そうか。わかった。良くない報告が入った。そちらの発艦を悟られたそうだ』
「何隻だ?」
『200メートル級が5隻』
「八つ当たりもいいところか」
『最早こちらの動きは止められん。なら、そうしたくもなろう』
カイトの嘲笑に、シャリクも同じく嘲笑を送る。すでに王都での勝敗は決した。欲望に塗れた上の上はともかく、流石に末端の兵士達は己の家族も居る民衆へは武器を向けられない。そしてその民衆はシャリクを支持してしまっている。
しかも大大老も元老院も生き残った奴らは王都を脱出していて、指揮系統はズタボロだ。末端の兵士達にはクーデター派に寝返る者も大量に出始めていた。それでも認められない奴らの最後の悪あがきという奴だろう。
『こちらから援護を仕掛ける。その隙に脱出してくれ』
「いや、必要はない・・・この船の一直線上から退避させてくれ。そちらは今は一刻も早く王都の混乱を治める事に集中してくれ・・・敵艦は全て、こちらで片付ける。オレは彼女の道化にして騎士・・・なら、その騎士に任せてもらおう」
『・・・わかった。君に任せよう。各艦は先王の御召艦の進路より移動! 御召艦へ攻撃するものは我への攻撃と同義と捉え、撃墜して構わん! 合わせて王城の緊急用ハッチに攻撃をしようとしている5隻は無視! 先王の騎士を信用しろ!』
シャリクはカイトの言葉を受けて、各艦へと指示を送っていく。どうやら大大老派や元老院派だった飛空艇の幾つかは演説により彼へと協力を表明したらしい。先程まで交戦していたはずの飛空艇もそれに従って動いていく。
「良し・・・シェルク、ハッチは?」
「何時でもいけます。地下通路のシステム、掌握完了」
「わかった、オレの合図と同時に移動を開始してくれ・・・あと、誰か船の上部ハッチを開いてくれ。シェリア、サブパイロットは任せる。発進ぐらいは出来るだろう? 後はオレが帰るまでまっすぐに飛ばせば良い」
「かしこまりました」
カイトの指示を受けて、コ・パイロットの席にシェリアが座る。カイトが敵船を撃破すると同時に船を出して、強引に戦場を突っ切るつもりだった。そうして、カイトは開かれた上部ハッチから船上へと出る。
「・・・移動させろ」
『はい』
カイトの指示を受けて、シェリアが船を地下格納庫から移動させていく。そうして、数分で飛空艇は王城の広場から、外へと搬出された。どうやら、王城前の広場が万が一の為の飛空艇による脱出ルートになっていたのだろう。あそこは数万人は簡単に収容可能な巨大な広場だ。飛空艇を密かに発進させるには良いスペースだろう。
「・・・これが、敵か」
飛空艇が外に出ると同時。大大老派か元老院派かは知らないが、5隻の巨大戦艦がこちらへと魔導砲の砲口を向けて魔力のチャージを始める。
「障壁展開。一撃耐えられれば良い」
『了解です・・・障壁展開』
「良し・・・はぁ!」
カイトは御召艦の障壁が展開されたのを受けて、大空と飛び出した。そうして彼は一度だけ、周囲を確認する。見えたのは、戦火に焼かれた王都の悲惨な姿だ。見慣れていて、しかしいつまでも慣れない光景。それを、カイトは目に焼き付けておく。
「・・・頑張れよ。新王様」
祈るように、願うように。カイトはそうつぶやいた。そうして彼はこちらへと向けられた砲撃に対して、魔力をみなぎらせた。
「おぉおおおお!」
裂帛の気合。それだけで、己に向けられた戦艦の主砲による砲撃が無効化する。御召艦への砲撃は御召艦自身の障壁で無力化している。曲がりなりにも御召艦だ。この程度の砲撃では堕ちはしない。
「下には彼女の愛した民が居る・・・だから」
カイトはこちらへと砲撃した内の一隻に向けて、右手を突き出す。すると彼の背後に魔法陣が現れて、無数の光のしめ縄が放出された。
そしてそれに続いて彼は左手を突き出して、今度はヘクセンの使った鎖をその一隻へ向けて投じた。二つの鎖は一つに絡み合い、光り輝く鎖となった。
「<<アマテラスの鎖>>。お前らは街には落とさん・・・そのまま、吹き飛ばしてやる。おぉおおおお!」
巨大戦艦の一隻を完全に光り輝く鎖で雁字搦めにしたカイトは、そのまま雄叫びを上げて、戦艦をぶん回す。そしてそのまま他の4隻を鎖で絡め取った。
「おぉおおおおおりゃぁあああああ!」
カイトが再び吼える。それと同時に光り輝く鎖が消失して、戦艦5隻は勢いそのままに吹き飛んでいき、地面に衝突してある船は真っ二つにへし折れて、ある船は地面を滑る様にして森の中へと消えていき、また有る船は何度もバウンドした挙句、山に衝突して停止した。
「今だ! 出せ!」
それと、同時。カイトは着地してバックステップで再び船内に戻ると、即座に内線を使ってシェリアへと指示を送る。そうして、カイト達を乗せた御召艦は勢い良く発進したのだった。
その一方。シャリクはというと、ある報告を受け取っていた。
「陛下・・・彼より連絡が」
「そうか・・・では、行こうか。この国の腐敗の根源を絶ちに行こう」
「・・・良いのですか?」
「・・・何がだ?」
部下の言葉にシャリクが僅かに苦笑気味に問いかける。それに、部下が言葉を濁した。
「いえ・・・その、彼は・・・」
「・・・構わん。それが奴の願いだ。ここで死ぬ事。そしてどうにせよ、ここで奴が生き延びても可怪しいし、赦される事ではない。ならばせめて、最後の願いだけは王として叶えよう」
「・・・御意」
シャリクの覚悟に部下が応ずる。ここまでこの作戦が上手く行ったのは、カイトが暗殺者から受け取ったある情報にあった。それは、大大老に内通者が居るという事だ。そうして、彼はその大大老とのけじめをつける為に、揚陸艇に乗り込んでその場所へと向かう事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第945話『閑話』(多分)




