第943話 閑話 ある女の最期
「しかし、解せんな・・・何故貴様はシャーナを救おうとする?」
今から、数ヶ月前。シャリクがハンナへと問いかけた。それへの答えは、結局彼女は語らなかった。それをここで、彼女は口にする。
「それは私が救われたからですよ、シャリク様・・・」
ハンナは敵の戦闘音を背に、去っていくエレベーターを一人で見ていた。ここで死ぬというのに、彼女は満足だった。誰にも望まれぬ命だった。それどころか誰もが彼女の存在そのものを恥じた。
だというのに今、自らが死ぬのが嫌だと泣いてくれた人がいた。それも一人や二人ではない。10人には満たないが、それでも自分の身の上を知った上で嘆いてくれる。更には勇者カイトさえ、嘆いてくれているのだ。これほど嬉しい事はなかった。
「シャーナ様・・・貴方だけが、事実を知ってなお私を受け入れてくださいました。禁忌の血、背徳の子と言われたこの私を・・・」
ハンナはシャーナ女王達の乗ったエレベーターに頭を下げると、小さく目を閉じた。己の一生が、走馬灯の様に駆け抜ける。
まず響いたのは、彼女がアンネとして育てられた頃に浴びせられた数々の罵声。王位はすぐに消され、存在は王家の歴史からも抹消された。
貴族達さえ、彼女の存在は恥としてなかったことにした。両親はこの大事件の隠蔽を図った大大老達によって即座に消された。幾ら腐敗した王国の王室でも、これは醜聞にも程があったと判断されたのだ。ただ、彼女は血の力の利用価値を認められて生かされた。
それからしばらくして、暗殺者として育てられていた彼女はある王女の世話役と言う名の精神安定剤としての役割を命ぜられた。それは、シャーナという幼子だ。
父親は彼女の伯父。母はどこかの貴族の女だという。戯れに手を出したそうだ。貴様にお似合いの要らぬ子だ。彼女の父はそう言って、まるで投げ捨てる様にシャーナを己へ預けた。それから彼女はただ職務に従って、幼子の面倒を見続けた。そうして、数年。
『かなしいのですか、はんな?』
そう言われたのは、初めてだった。彼女自身、悲しいなぞ思わなかった。なのに、涙が溢れた。
『これ・・・は・・・』
『なみだ、というのではなかったですか?』
『私の目から・・・?』
『よしよし』
涙を流したハンナを、シャーナ女王が優しく撫でる。彼女が泣いた時にハンナがしていたのを、彼女も覚えていたのだ。この時の事を、ハンナは永遠に忘れたくなかった。
単に幼子のしたことだ。まだ自分の身の上の話がなんなのかわかってもいないだろう。そうわかっていたが、それでも、優しくされたのはこの時が初めてだったのだ。
それから彼女は職務ではなく――彼女にとっては初めて――自分の意思で、シャーナ女王の教育を始める。この優しさが失われない様に。この尊さが損なわれないように。大切に大切に育てる事にする。
その教育は、どういうわけか功を奏した。成功するはずなぞなかった。優しさを知らぬ女が育てて優しい王女が出来るはずなぞ無いのに、何故かシャーナ女王はその時の優しさを損なわぬままに成長した。そうして、月日が流れて40年近く前の事だ。おおよそシャーナ女王が10歳を超えた頃の事だろう。
『シャーナの奴を王位に就かせる事にする』
『っ』
『どうした? 情でも湧いたか?』
『いえ・・・』
ハンナは大大老の言葉に己の気持ちを悟られない様に、首を振った。この国で王座に着いた者の寿命なぞ下手をすれば片手で足りる。ある意味死刑宣告にも等しいのだ。
『まぁ、お主は気にするでない。時には在位年数を長引かせねば民達も煩かろう。故に未成年の内からやらせて、時には王の成人式をやろうという算段じゃて。時には王の慶事も演出せねば、民達も残念じゃろうからのう』
『かしこまりました』
ハンナは内心で僅かな安堵を抱きつつ答えた。彼女の一族の成人年齢は50歳。何故この年齡なのかは最早誰も知らないが、とりあえずはそうなっていた。
であれば、少なくとも30年近くは生きられる、ということだ。彼らは意外と気が長い時は気が長い。必要とあらば50年単位で策を練る。これが彼らの凄さでもあったし、それ故にハンナが安堵出来る理由でもあった。とはいえ、この少し前に生まれていたある女の子が、ハンナには問題になった。
『ふぅむ・・・どうにもシャーナはいまいちじゃのう・・・』
『とはいえ、今変えると流石に民達も煩かろう・・・』
『シャマナに代替えをしたい所ではあるが・・・』
そんな会話を、ハンナは目の前で聞いていた。やはり、としか思わなかった。所詮こんなものは彼らにとって更に良い代替が生まれれば即座に捨てられるだけだ。使い捨ての駒に過ぎないのだ。そして、彼女はそれを理解していればこそ、即位の時点で動いていた。
『シャーナ様だけは、なんとしても私が』
ハンナは部屋を後にして、小さく決意をつぶやいた。とはいえ、だからこそ悲しい事もあった。
『あの・・・ハンナ』
『なんでしょうか』
『いえ・・・その・・・』
シャーナ女王が悲しげに目を伏せる。その目には心配そうな光が宿っていた。ここ数年、彼女と触れ合ってないのだ。それ故、寂しさも滲んでいた。だがそれ以上に、心配そうな光が宿っていた。
彼女にとってあの力は近くの者が大丈夫かを調べる体温計の様な役割も持っていたのだ。だからこそ、心配してくれていたのだ。絶対に何かを隠している、とわかっていたのである。
『ごめんなさい、シャーナ様・・・』
触れられないのは、仕方がない。隠している事を知られるのはまだ良い。だが、自分がスパイをしている事を知られてしまう。それだけは、駄目だ。シャーナ女王は優しいからこそ、必ず自分を止める。
だが、止められるわけにはいかないのだ。もうすでに大大老達はシャーナ女王の廃位で動いている。そして廃位は即ち、死あるのみだ。最早時間がなかった。そんな中、彼女はある男に出会った。それは、カイトだった。
「カイト殿・・・いえ、勇者カイト様・・・申し訳ありません。最後に、貴方のお力をお借りする事になりました・・・ですが、物語そのものである貴方様であれば、シャーナ様もお守りくださるでしょう・・・どうか、シャーナ様を・・・あの子達捨てられた子達を、よろしくお願いします」
ハンナが小さく届かぬ感謝を述べる。流石に大陸間会議の時にはカイトは気付かなかったが、逆にハンナは気付いていた。喩え消されたとて彼女もまた、この国の王の血を受け継いでいたのだ。カイトが油断している所になら、察する事の出来るだけのふれあいを持つ事は出来た。
『・・・彼ならば・・・』
カイトが勇者カイトだと悟った時。ハンナはまさにこれが神の導き、もしくはまさしく勇者の加護だと内心で感極まった。あの当時の彼女にとって唯一の解決できない問題は、シャーナ女王がこの難を逃れた後の保護を担える者の存在だった。
それを出来る存在が、目の前に現れたのだ。これが天の助けでなければなんだというのか。素直にこの時だけは、彼女は運命に感謝した。
『なら、おまかせください。少し時間は掛かるかもしれませんが、彼と会える様にしてさしあげます』
大陸間会議の後。シャーナ女王は目に見えて元気を無くした。カイトが居なくなったからだ。それで、彼女は全ての覚悟を決める。それ故、彼女はシャーナ女王に申し出た。
『本当ですか!?』
『はい、シャーナ様』
『お願いします』
シャーナ女王の言葉に、ハンナは笑顔で頷いた。そうして、彼女はシャリクへと接触する事にする。
『ふむ・・・なるほどな。確かにそれは良い方策だ。あの少年をなんとしてでもこちらに引き込みたかったのはこちらも一緒だ。シャーナの確保が出来るのは、彼ぐらいなものだからな。確かに、他の者でも確保は可能だ。だが・・・安全を担保出来るかはわからん。シャーナが信頼せんからな』
『ええ、私もそう考えています』
『とはいえ・・・解せんな。何故貴様はシャーナを救おうとする? 情でも湧いたか?』
『答える必要がおありですか?』
ハンナは答えない。本心を明かせば、それを誰かに利用される。そんな世界で彼女は生きてきた。そしてシャリクと彼女はビジネスとしての付き合いだ。どちらも利用し、利用される。それで良いのだ。
『いや、必要はない。別にシャーナが殺されようと私には問題ない』
『命は取らない。それが大大老と元老院の情報を渡す際の契約だったはずです』
『わかっている。私とて肉親への情はある。契約云々よりも、国家が優先されるだけだ・・・それに私からしてみれば、国内での幽閉が国外への追放になった所で特段の問題はない。あれをどこかの誰かに取られる事が困るだけだ。我が国の誰の手にも及ばないのであれば、それで十分だ』
『では?』
『ああ、良いだろう。事が進めば、必要な段階で貴様に必要な道具は渡そう。後は貴様が手筈を整えろ。私は関わらん』
シャリクが許可を下ろした。これで、クーデター派はシャーナ女王に手を出さない。勿論、これは出来る限りの、即ち努力義務だ。バックの無い彼女に対して、シャリクは口約束に過ぎないからだ。裏切った所でハンナには何も出来ないのだ。
とはいえ、彼も律儀な男ではある。そして肉親の情も持ち合わせているのは事実だ。だからこそ、殺せば良いのにこの取り引きに応じたのだ。
『これで・・・』
「これで・・・全部が終わった。カイト様。どうか、私の言葉を思い出してください。そこに、全てがございます・・・そしてどうかシャーナ様を、あの子達をよろしくお願いいたします」
ハンナは安堵を浮かべる。これで、全てが完了した。カイトが抑えていた事を、彼女は理解していた。それは仕方がない事だろうと思う。カイトの事情を知ればこそ、彼は全力を出せないのだ。
勿論、肉体面の事情もあるし、流石にそれは彼女も知らない事だ。だが、精神的に抑えている事は理解していた。それを解き放たせる為には誰か彼が親しくしている者の命が必要だと、彼女は理解していた。
「申し訳ありません、カイト様。貴方を本気にさせるには、これしかなかったのです」
ハンナは後ろを振り返る。敵は目の前だ。だが、まだエレベーターは目的地へとたどり着いていない。目的地はこの王城の地下深くなのだ。もともと目の前に迫っていた彼らの方が早いのは当然だった。
「ハンナ! シャーナ女王はどこへやった!」
「ハンナ! そこを退け!」
「これは・・・ハンナ! シャーナ女王はどこだ!」
クーデター派の兵士も大大老派の兵士も、それどころか左右のエレベーターに乗って現れた元老院派の兵士達も総じてハンナへと問いかける。だが、それに彼女は笑顔を浮かべた。
「シャーナ様は今、この世で一番安全な所におられます。とはいえ、それはまだ、完璧ではありません・・・故に、この先。しばらく私にお付き合い頂きますよう、よろしくお願いいたします」
「「「何!?」」」
全ての派閥の兵士達が、ハンナの言葉に驚きを浮かべる。そうして、その次の瞬間。左右のエレベーターの扉をも覆うように彼女を中心として、彼女の生命の全てを使い切った強大な魔術が発動する。
それは、たった僅かな時間だが透明なシャッターをも遥かに上回る強固な守り。己の命を犠牲にした、まさに自己犠牲の塊とも言うべき透き通った守護だった。そうしてそれを壊せないと兵士達が諦めるとほぼ同時に、カイト達の乗ったエレベーターは彼女の望んだ階層へとたどり着いたのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第944話『二人の王』




