第942話 勇者・異国の地に立つ
閑話の予定でしたが、色々と考えた結果入れ替えた方が良いと判断して一話だけ本編を先にする事にしました。
ハンナを残して下り始めたエレベーターの中は、嘆きが支配していた。
「ハンナさん・・・」
「ハンナ・・・」
側仕えのメイド達が、シャーナ女王が口々にハンナの名を口にして、嘆きを露わにする。だが、一人。沈黙を保っていた男が居た。それはカイトだ。彼はしばらく無言だったが、唐突に己が庇ったままになっていたシャーナ女王を後ろに居たメイド達に少し乱暴に突き渡した。
「何を!?」
「すまん・・・少しだけ、彼女をオレから離しておいてくれ。血の力に差し障る」
メイド達が抗議の声を上げるが、そうして見たカイトの姿で彼女らは目を見開いた。彼の身体が、小刻みに震えていたのだ。そうしてシャーナ女王を己から避難させたカイトは、人目を憚る事無く、雄叫びを上げた。
「くそ・・・くそくそくそくそくそ! くそぉおおお!」
カイトは雄叫びと共に、目の前のパネルを幾度も殴りつける。強固な魔法金属で出来ているはずのパネルは、それだけで簡単に砕け散った。
「なんでだよ! なんでこうなんだよ! あとちょっと! あとちょっとだったってのに!」
カイトが声を張り上げる。あと少しで、全員が避難出来たのだ。それなのに最後の一粒だけが、彼の手からこぼれ落ちた。
「くそ・・・どうしてだよ・・・なんで上手くいかねぇんだよ・・・なぁ、おい・・・カイト・・・お前、伝説の勇者なんだから何か思い付けよ・・・」
カイトは必死で、この場でハンナを救う方法を考える。彼はまだ、諦めていなかった。だが、どう考えても無理なのだ。転移術で救いに行く事も出来ない。何時こちらが目的の階層に到着するかわからないのだ。
そもそも、どこが目的かさえもわからない。全てはハンナが手はずを整えたのだ。そしてそのハンナから託された彼女らを守る為には、カイトはこの場を離れられないのだ。
もしカイトがハンナを救いに行きそのタイミングでこちらが目的の階層に到着したとして、その時点で敵がシャーナ女王達を待ち構えていれば一巻の終わりだ。彼女の決意に何の意味もなくなる。
「くそっ・・・なんでだよ・・・なんで駄目なんだよ・・・」
無理なのだ。そんなことはわかっている。だから流れるのは、涙と嘆きの言葉だけだ。そうして、しばらく。彼の嘆きの声だけが、エレベーターを支配する。そんな中。彼に声を掛けたのは、シャーナ女王だった。
「カイト・・・」
「・・・大丈夫だ・・・みっともない所を見せた・・・」
シャーナ女王の声を聞くとほぼ同時。カイトは己がなさねばならない事を理解していた。だから涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、なんとか笑顔を見せる。好きなだけ泣いた。ならばこれからは託された者として、ハンナの望んだ勇者カイトとして、立つだけだ。
「・・・カイト、これを」
「・・・ああ、ありがとう」
シャーナ女王はそう言うと、己に差し出されていたハンカチを水で濡らしてカイトへと手渡した。それで、カイトは涙の跡を拭った。そうして彼は微笑んでハンカチで片手を覆った。
「さぁ、シャーナ女王様。これからは貴方の騎士が、貴方と貴方の従者達をお守りしましょう・・・この薔薇は、私の決意の証。どうか、受け取ってくださいますよう。そして、皆様にも」
カイトはハンカチと共にシャーナ女王へと純白の薔薇を手渡すと、更に全員の胸元に純白の薔薇を突き刺した。このタイミングでのこれだ。なんらかの意味があることは、誰もがわかった。そうして、シャーナ女王が問いかける。
「これ・・・は?」
「マーキングです。すでに王城にはありとあらゆる結界が最大レベルで展開されています。如何に私でも相当な力技をやらない限りは転移術を使うのは些か厳しい・・・ですので、目印を設置させていただきました。決して、無くさぬよう。皆様はこの先も歩かねばならないのです。そして私はハンナ殿より託されたのなら、私は皆様をお守りするだけです。これは、そのために必要な物。これより失わぬという私の決意の証です。あなた方には怪我一つ負わせぬという私の決意でございます」
カイトは全員に向けて、何時も通りの様子で申し出る。だが、眼光と風格が一変していた。一切の抑えを解き放ったのだ。
ハンナが望んだ事は、数多の戦士や忠臣達の散り様を見てきたカイトには理解出来た。確かに論理的に考えればそれが最善だ。なのでその通り、彼女の犠牲によってカイトは精神的な戒めを解き放ったのである。そして彼女の死が変えたのは、それだけではなかった。
「・・・わかりました。皆も、構いませんね?」
カイトが変わった事だけではなく、それはシャーナ女王をも変えた。ついに、この日。千年王国最後にしておよそ千年ぶりとなる王が、ラエリア神聖王国に生まれたのだ。
たった一日だけの女王だ。だがそれでも、女王の言葉だ。それは嘆きに沈んでいた側仕えのメイド達をも変えてみせた。そうして、彼女らが涙を拭ってうなずき合う。
「・・・カイト様。我らの身を、御身におあずけ致します・・・どうぞ、よしなに」
「御意」
カイトは跪き、シャーナ女王の命令を受諾する。そうして、まるでその決意を受け取ったかのようにゆっくりとエレベーターが減速していく。
「下がっていろ・・・ここからは、オレ一人だけで十分だ。後ろはもう、気にしなくて良い」
カイトは上で迸った強大な魔力の波に気付いていた。後は彼が左右のエレベーターを完全に塞げば、後顧の憂いは完全に絶たれる。前を向いて進むだけだ。そうして、彼が扉の前に立つと同時に、エレベーターの扉が開いた。
「撃てぇ!」
「無駄だ・・・もう、抑えるのは止めたんだよ」
扉が開くと同時に、待機していたらしい元老院派の兵士達がこちらに向けて無数の魔術と魔弾を放つ。それにカイトはただ、右手をゆっくりと上に持ち上げた。
それで、十分だった。彼の右手に嵌められている指輪は、『祝福の指輪』。全ての属性攻撃を無効化して吸収してみせるこの世で最大の秘宝。たった二つだけの大秘法だ。この程度造作もなく、吸収しきる。
「何・・・?」
「何が起きた?」
「アホ。敵を前に呆けてんじゃねぇよ」
何が起きたのか理解出来ず呆ける敵に、カイトはシャーナ女王達にプレゼントした物と同じく目印の役割を持つ短剣を投げつける。
「ぐっ」
どすっ、という音と共に敵の一人の顔面に短剣が突き刺さる。それに敵は目を見開いて、そちらを振り向いた。
「おせぇ、つってんだろうが」
その次の瞬間。短剣が突き刺さった男が倒れるよりも前に、カイトが彼らの真っ只中に立っていた。目印を機転として転移術を行使したのだ。
「っ! せん」
「はっ」
戦闘開始。カイトに気付いてそう命令しようとした指揮官に対して、カイトは容赦なく刀による斬撃を叩き込む。そして更に返す刀で左に居た兵士を斬りつけて無力化する。
立ち位置の関係で、こちらは殺してはいない。強いて殺す必要はない。無力化で十分だ。とはいえ、それは彼が幸運だったというだけだ。今のカイトには、一切の容赦がなかった。そうして彼は回転するように身を捻りながら、武器を刀から大鎌へと持ち替える。
「な」
「はぁ!」
カイトは何が起きているのかわからない兵士達を一気に大鎌でなで斬りにする。更にそのまま大鎌を振り回して更に敵兵を巻き込むと、大鎌から手を離して吹き飛ばす。絶句さえ相手にさせない程の速度だった。
「おまけだ」
カイトは敵と共に大鎌を吹き飛ばすと、今度は異空間の中からバズーカ型の魔銃を取り出して一発放つ。方向は、先程大鎌と敵を吹き飛ばした方角だ。そうして魔弾を放つと同時に彼は即座に魔銃を収納すると今度は何時もの大太刀と大剣のふた振りを取り出した。
「わかっていたはずなんだ」
カイトは思考するよりも早く次々と繰り出される攻撃に為す術もない敵兵に対して、歪な双剣を振るう。その最中に口にするのは、己の過ちだ。
「どちらが大切か、なんて・・・」
敵を減らしたカイトはここでようやく増援を呼ぼうとした敵に対して即座に魔銃を取り出して、その腕ごと通信機を撃ち貫いた。
「殺さない。なるべく生かしておこう・・・心のどこかで、そう思っていた。それが、オレを間違えさせた。オレは勇者だという勘違いが、オレを間違えさせた」
カイトは悔恨を口にする。それはまるで懺悔のようでもあり、己を戒めているようでもあった。そうして、口調がそれに見合った物にかわった。
「オレは勇者なんて高尚なもんじゃねぇんだよ」
カイトはこちらに魔銃の銃口を向けた敵兵に対して槍を突き出して団子の様に串刺しにして、更に壁へと縫い付ける。そしてさらにそのまま雷で一瞬で敵兵を完全に消し炭にした。
「お前らにも家族が居る・・・そう思った。なんて阿呆だよ、オレは・・・」
カイトは怒りを露わにする。それは、己への怒りだ。敵にも家族がいる。だから、手加減していた。当たり前の話だ。だから、心のどこかで討つのを躊躇った。それが間違いだった、と。
彼自身が、言ったのだ。戦場で討たねば討たれるのは友か己だ、と。案の定、彼の友が討たれた。確かに、誰かに討たれたわけではない。だが、状況によって殺されたのだ。これを防ぎたければやはり、あの時点で敵を全て殺しておくべきだった。話し合いが通じない以上、それしかなかった。
わかっていた話なのだ。この世はご都合主義ではない。敵を信じれば殺されないし殺さないで済む、なんて都合の良い話があるわけがないのだ。喩え報復の連鎖を始めるとわかっていようとも、時として敵を容赦なく殺さなければならないのだ。
「あいつらには甘えを許そう。そう思ったオレは、何時からかオレへも甘えを許していた・・・いや・・・始めからそうだったんだ。オレはオレでありたい。そう思っていた時点で、甘えだった。なんだかんだと理由を付けて逃げていた事が、そもそもの甘えだった。このボロボロの身体そのものが、甘えだった」
カイトはそう言うと、最早敵意を無くした最後の一人に向けて銃口を向ける。最早、容赦はしない。そう誓ったのなら、彼の決断は一つだ。
「死ね」
悲鳴も引きつった声ならぬ音も、それどころか逃げようとする事さえも許される事なく、最後の一人はカイトの魔弾で脳天を撃ち貫かれて地面に倒れ伏す。
この間およそ1分も必要としていない。それで数十人居た兵士が壊滅していた。これが、カイトの本気の一端だった。そうして、戦闘が終わったのを見たシャーナ女王が問いかける。
「カイト様。終わりましたか?」
「ああ・・・ここはどこだ?」
「ここは地下ドック。シャーナ女王専用の飛空艇を格納しているエリアです」
カイトの問いかけを受けて、彼が戦っている間に状況を把握してくれていたシェリアが答えた。彼女らも、覚悟は出来ていた。
「そうか・・・ということは、この先には?」
「おそらくは」
「わかった・・・はっ」
シェリアの言葉を受けたカイトは、彼女らが揃っているのを確認してエレベーターへ向けて白い球を放つ。それはエレベーターの扉の前に来ると破裂して、複雑な魔法陣へと変貌を遂げた。
「何を?」
「封印だ。破壊だと修理されれば終了だ。封印だと一時的だが、その一時的の間はほぼ完璧に防いでくれる。短時間であれば、封印の方が良い」
シェルクの問いかけに対して、カイトはエレベーターへの仕掛けを語る。これで、後顧の憂いは無くなった。そして同時に、ハンナの生存を見限ったという宣言でもあった。
そうして、全員が前の通路を歩き始める。後ろを振り返るのは、命を懸けてくれたハンナに対する無礼だ。ならば、それに誓って前だけを進む。そしてその行く手を阻むのであれば、カイトが片付けるだけだ。
「・・・オレはもう、迷わない」
カイトが先頭を歩いて、一同は先へ進み続ける。そうして、彼らは一路、ハンナの遺した指示に従って、地下ドックにあるという飛空艇を目指して歩き続けるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第942話『閑話』




