第934話 クーデターの予兆
カイトが到着して翌日の夜。勲章の授与式前日の晩だ。シャリクは己の基地である千年王国北部にあるヴェルフ軍基地の執務室に待機していた。
「・・・授与式はこれから数時間後か」
シャリクは雪の残る北の霊峰を眺める。ここは、僻地だ。元帥といえば聞こえは良いが、ここは体の良い閑職だった。それ故、ここまでの兵力を整えるのにはかなりの時間が必要だった。幾つもの幸運にも恵まれた。その結果と言える。
「暗殺者達は?」
『頃合いを見計らい、仕事をすると』
「そうか・・・」
シャリクは影に隠れた密偵の言葉に安堵を滲ませる。人質の救助だけは気がかりだったが、彼らが大丈夫だというのだから後は信じるだけだ。
「客人はどうしている?」
『妹君と談笑をされていたご様子。ですが、おそらく・・・』
「こちらに気付いている、か・・・シャーナの命運は彼頼みになるか。後は、彼があれを国外に連れ出してもらえれば、か」
シャリクは僅かな申し訳無さを滲ませる。母は違うとはいえ、妹をほぼほぼ見知らぬ男に預けるのだ。しかもどちらにもそんな事を知らせずに、である。おまけに言えば、これから長く世話になってしまう。一人の男として、申し訳がなかった。
「・・・とはいえ、これしかなかったのだ」
シャリクは諦観を滲ませる。彼に全てを救うことは出来ない。国を救うか、家族を救うか。家族の中でも誰を救い、誰を救わぬのか。彼はそれを選択するしかなかった。
その中で、彼は彼の思惑から自分の後継者となり得る実子を救うことにした。妻はそのおまけと言うか、一緒に軟禁されているが故偶然に救われるだけだ。私情を挟んだつもりはない。挟める身ではない、と自重した。そんな彼に対して、側近の男がどこかの悲しさを滲ませた。
「・・・閣下は少しご自分の幸せを望まれてもよろしいかと思われます」
「・・・ふっ。構わんよ。この国を救うと決めた。その時から、私は己の身の幸福が国の幸福と捉えた。その中でも、出来る限りのわがままはさせてもらった・・・だから、覚悟を決めたのだ」
「・・・御意」
「すまん」
シャリクは側近たちの敬礼による同意の宣言に、頭を下げる。これから彼らが行うのは、軍事クーデターだ。それもただの軍事クーデターではない。国を割る事になるクーデターだ。博打とも言える。
血は流れるだろう。恨まれるだろう。だがそれでも、国を若返らせる為には必要な事だった。そうして、彼は最後の問いかけを行う。
「・・・最後に問おう。我らはこれより、腐った枝を切り落とす。この木には、まだ芽吹いたばかりの青々とした木の葉も生い茂っている。恨まれよう。憎まれよう・・・それでも、私と共に来てくれるか」
「「「はっ!」」」
側近達が敬礼で応ずる。そうして、軍靴の音が彼の執務室に響いた。
「では・・・始めよう。行動を開始してくれ」
シャリクの号令を受けて、密かに側近達が行動を開始する。そしてその動きは彼の派閥に密かに属する者達へと瞬く間に広がっていき、一時間後。密かに、彼らが集結した。
「これは・・・やはりクーデターか!」
「急いで議員に報告を!」
それを、大大老派の兵士も元老院派の兵士も見ていた。だが、彼らは気付かなかった。敢えて動きを見せてそれを誘い出していたのだ、ということに。派閥の兵士は玉石混交だ。末端の兵士故に知恵の回る者は多くはなかった。それが、災いした。安易に動いた者はかなり多かったのだ。
「・・・何?」
「おい・・・冗談をやっている暇は無いぞ! 妨害の外へ急げ!」
彼らは一様に後ろを向いて、目を見開いた。先程まで同じ派閥の見張り役だと思っていた兵士達が他の同僚達を地面に打ち据えて、今は己へと刃を向けていたのだ。だが、冗談でもなんでもなかった。
「・・・降伏してもらおうか」
「降伏しろ。抵抗するのならば、容赦はせん」
ここまでくれば、誰だって悟る。予想以上にシャリク派の兵士達が多かった、という事を。そして、自分達が誘い出されたのだ、ということを。
そうして、この集結を知って確認に走った兵士達の大半が捕縛される。そしてそれらスパイ達を捕縛した兵士達は、一様に己の表向きの身分を使いこう伝令を入れた。
『どうなっている? 先程の通信の途絶はなんだ?』
「異常無し。通信機の異常も偶然の嵐にでも呑まれたのだろうな。時々あることだ」
『それで? 演説の内容は?』
「まだだ。今から始まる所だ・・・ああ、始まった」
『了解だ。演説に何か変わった所は?』
「いや・・・単に若くして勲章を授与される者が出たから貴様らも頑張る様に、という程度だ。変わった所は・・・無いな。暗号とかでもないだろう」
王都ラエリアの二つの派閥の幹部達が、安堵の声を漏らす。集結を始めた事そのものは、彼らにも伝わっていた。シャリク達とて行動を起こしてそれが悟られない道理は無いと思っていた。
だから、敢えて一度連絡を入れさせた。とはいえ、彼らが送れるのはシャリクが集合を掛けた、というだけの情報だ。クーデターを起こした、という確証は出せない。次の内容を送る為にもその集合場所に彼らも行かねばならないのだ。
そこを、彼らが狙い撃ったのである。そして後は抱き込んだクーデター派の兵士が偽情報を両陣営に流して、何事もなかったかの様に振る舞うだけだった。基地さえ確保出来れば、シャリクの地位があれば表向きは何も起きていない様に振る舞える。内通者も確保している。一晩ぐらいなら、なんとかなる。
「第一段階クリア」
全員が密かにうなずき合う。これで、第一段階はクリアだ。外からはこの基地では何も異常は起きていない事になっている。完全にフリーだった。複数のルートから、問題なしと伝えたのだ。
勿論それでも完璧ではないだろうが、こちらの意見が大勢を占めればクーデターの誤報を疑う。そうして確認を取ろうとしている間に、こちらは残りのスパイ達を捕らえられるという寸法だ。
「外へ出た奴らは?」
「そちらも今頃処理を終えて、今は妨害が単なる事故と報告させているはずだ」
「そうか・・・行こう」
「ああ」
偽りの同僚達の討伐を終えた兵士達が、シャリクの待つ基地中心の大きな広場へと集結していく。そうして集まったのは、シャリクが集めた兵士約2万人という所だ。この基地で常時勤務している兵の半分にも満たない兵力しかなかった。
だがそれでも士気は高かったし、基地の兵装はごっそり手に入った。それに兵力で言えば、外にも少なくない同調者達が潜んでいる。クーデターが起これば寝返る兵も居ると想定している。
現状に危機感と閉塞感を抱いているのは少なくないのだ。特に腐敗に触れた者達には、それが多かった。とはいえ、これからは出たとこ勝負だ。軍事行動に絶対は無い。後は、兵士達を信じて進むだけだった。
「閣下。兵達が揃いました」
「そうか・・・では、行こう」
兵士達が集結したのを受けて、シャリクが基地の広場のお立ち台へと登る。兵士達が決起するのだ。指揮官として、演説の一つでも打たねばならなかった。
「私はシャリク・ラエリア。まずは諸君らに感謝を示そう。私と共に来てくれて感謝する・・・」
シャリクが演説を開始する。そうして、ついに。王都では知られる事もなく、クーデターが開始されるのだった。
さて、一方その頃のカイトはというと、数時間前まで行われていたシャーナ女王との会話を終えて一人で現状を見直していた。これから数時間が、勝敗の行方を左右する。彼はそれを理解していた。
「ふむ・・・もしクーデターが起こるのなら後一時間前後で何も動きが見受けられなければ、ジジイどもは策に嵌められたと見るべきだな」
カイトはシャリクの行動の予定を見直して、動くのなら今晩だろう、と予想していた。基地を制圧して飛空艇の用意を整えて内通者へと第一段階成功の連絡を送り、などをやっていると最低でも一晩は欲しいのだ。その後実際にシャリク達が行動を開始するのは早朝になるだろう。そこから電撃戦で侵攻したとすれば、丁度カイトの授与式の時間だった。
「ん・・・結界が展開されたか。ということは、クーデターは起こるか。後はそれを掴まれたか、どうかだが・・・流石に勲章の授与式の前日には外聞もある。奴らも安易な行動には出ないだろうから・・・まだ、確証は得ていないと思うが・・・さて・・・原点に立ち戻った爺は、どこまで周囲を偽れるか・・・」
カイトは使い魔の顕現を禁止する結界の展開を見て、シャリクが動いたことを理解する。ここでどう出るかが、彼らの命運を決める。そうして、更に二時間。結界が停止した。
「・・・さて・・・伝令が駆け込んでくるか、否か」
カイトは少しだけ、扉に注視する。ここで急報が来れば、シャリク達の劣勢が確定する。来なければ、彼らの勝ちが確定する。この一晩が、彼らにとって運命の分かれ道だ。
とはいえ、結界の解除があった事によって、今のところシャリク達の勝ちの可能性が高まった様に思える。幾らなんでも何も掴めていない状態から2時間で反乱の鎮圧は不可能だからだ。
冒険者ユニオンが大々的に動けば別だが、今回はクーデターの趨勢が固まるまではバルフレア達は表向き中立を貫くとレヴィが告げていた。ならば、それは不可能だ。そうして、更に10分の時間が流れる。
「・・・誰も来ない、か。偽計が成ったか」
カイトは誰も――己への暗殺者も含む――訪ねてこない現状を見て、シャリクのクーデターが王都側の誰にも悟られていない事を把握する。
「ヴェルフ基地は制圧されたと見るべきだな・・・基地全てを手に入れていれば、虚報や偽造文書などで一日は嘘を通せる。そして今は夜。大半の部署は動きを止めている・・・朝までであれば、確実にバレないだろうな」
ここら腐敗した組織の痛いところというか必然の結末というか、組織が腐敗しきっているが故に賄賂などが通用してしまうが故に動きが鈍いのだ。
例えば、一晩と言わなくても小銭を握らせれば特定の時間で警備を少しだけ手を抜いてくれ、という事が通用してしまうのである。こちら側に情報が伝わり本格的な調査が行われる事になるのは、どれだけ早くても明日の朝になる事だろう。
「・・・さて・・・そうなると隣の部屋の二人がどう出るか、だな」
カイトはそう言うと、意識を集中して隣の部屋の声に耳を澄ませる。ここは従者達の為の部屋だ。防音は完璧ではない。聴覚を強化すれば、盗聴は可能だった。
『・・・かな?』
『・・・だと思う』
二人は丁度何かを話し合っている様子だ。それなら丁度よいか、とカイトは趣味が悪くはあったが、自らの安全を確保する為に少しだけ二人の会話を盗聴する事にした。
『・・・少なくとも、シャーナ様はあの男を信じていらっしゃる』
『それは・・・多分そうだと思うけど・・・』
どうやら幸いな事にして丁度カイトについての会話だったようだ。これがどういう類の話かはわからないが、運が良ければ彼女らが敵か味方かぐらいはわかる。そのまま、会話を聞き続ける事にした。
『・・・シャーナ様の信じる方なら、少なくとも悪い方ではないと思う』
『・・・そう・・・だけど・・・でも・・・うん。そうだよね。それにこの機を逃したらシェリアは・・・』
『良いの、私は。それより、貴方がここから出られる事が大事』
『違うよ! シェリアがここから出る方が大事だよ! 私はなんとかなるから・・・』
どうやら、何らかの危急の話になっているようだ。少しだけ言い争う様な風があった。そうして、シェルクが続けた。
『だって・・・シェリア。デンゼル様から・・・』
『良いの、私は・・・諦めているわけじゃないけど、貴方より身体は丈夫だから』
『笑い事じゃない! 知ってるでしょ!? デンゼル様に引き取られた女の子は誰一人として館から出て来た者は居ないって!』
どうやら、シェリアには身請けの話が出ているようだ。が、その相手は良い相手ではないらしい。カイトとしては、ここで内心やめておきたい所だった。どう考えても、碌な話ではなかったからだ。だが、それも出来ない。なので内心の嫌悪感を宥めつつ、会話を聞き続ける事にした。
『それに、シェリアもわかってるでしょう? その為にわざわざハンナ様が私達二人をあの人の世話役にしてくれた、って・・・』
シェルクから告げられたのは、ハンナが二人をカイトの世話役にした裏事情だった。どうやら、ハンナらしからぬあてがわれた女を抱く様に勧める発言はこの二人の為でもあったのだろう。それに、カイトがため息を吐いた。
「そういうつもりだったのか、あの人・・・」
要は方便だ。カイトが気に入った為にシャーナ女王が二人を命の礼として特別に下賜した、とすれば合法的にカイトが二人をこの国から出せる。そのデンゼルと言う屑の魔の手からシェリアを逃してやる事が出来るのだ。
とはいえ、そのままではシェリアが納得しない。妹を一人ここに残していく事になるからだ。だから、二人一緒にあてがった、というわけだったのである。その一方、二人の会話はまだ続いていた。
『それは・・・でも、そんな事を言ったらシェルクだって・・・』
『・・・うん・・・わかってる・・・』
『シェルクも・・・さんみたいにはなりたくないでしょう・・・?』
シェリアは小さな声だったので、誰の名だったかはわからない。わからないが、少なくとも懇意にしていた女性ではあるのだろう。
そしてこの様子であれば、大方の内容は想像が出来る。大方どこかの貴族に良いように弄ばれて、捨てられたという事なのだろう。と、そんなシェルクはやはり乗り気ではなさそうだった。
『でも・・・でも・・・やっぱりハンナさんを置いてはいけないよ・・・シャーナ様や皆も・・・』
『ハンナさん・・・大丈夫なのかしら・・・』
どうやら、二人にとってシャーナ女王の側仕え達というのは同僚云々よりも、似たような境遇に追いやられている仲間意識があるようだ。そしてその中には、シャーナ女王も入っているらしい。
であれば、彼女らは味方と考えて良いだろう。というわけで、カイトは少しだけ安堵を滲ませて盗聴をやめる事にする。が、その止めるまでの僅かな間にも、彼の耳には話の内容は入ってきた。
『どう・・・なんだろう・・・でもあの人は絶対にシャーナ様を置いてはいかないよ・・・』
『そう・・・よね・・・だってあの人にとってシャーナ様は・・・』
『うん・・・それにハンナさんのご両親は・・・』
『馬鹿! それは口に出しちゃ駄目よ! 誰が聞いているかわからないのよ!?』
『あっ!』
「っ!」
シェルクがうっかり零したハンナの血統を聞いた瞬間。カイトは盗聴なんぞしなければ良かった、と死にたくなるほどに後悔した。勝手に聞いて良い話ではなかった。
とはいえ、考えればわかる話だ。シャーナ女王の側仕えなのだ。元々が乳母兼世話役だからなのか、とも思ったが、それ以前の話だった。彼女もここに入れられている以上、何らかの事情を抱えていたのである。
「・・・そういうことか。そりゃ、誰にもわかんねーわな」
カイトは胸糞悪い気持ちを宥めながら、盗聴をやめる。元々は二人が敵か味方か判断する為に盗聴したのだが、おまけ付きでハンナがどういう思惑だったのかを理解したのだ。が、それは知らない方が良い事がある、と再認識させられただけだった。
「・・・そういうことだったのか・・・ちっ・・・吐きたい、ってか昔吐いた時よりずっとえげつねぇ事になってんな、この国は・・・胸糞わり・・・」
カイトは胸糞悪い思いを抱えながら、ベッドに横たわる。確かに、この国の王の系譜がかなり複雑なのはカイトも理解していた。孫が継いだ後にその祖父の兄妹が即位しその孫の子と婚姻し権威を補強、等という無茶苦茶な事もある。確かに腐敗の最たる例が大大老と元老院というだけで、王族もかなり腐敗していたのだ。そしてその腐敗が相当進んでいるとも知っていた。だが、もはや倫理観さえ行き着く所に行き着いているとは思わなかったのだ。
シャリクがクーデターを起こしたくなる気持ちはよくわかった。と言うか今なら、カイトは無料で参戦してやりたいぐらいだった。
「別にこちとら年齢以外ロリやら子持ち未亡人やら入れたハーレムやってる関係で同性愛だろうと未亡人だろうと兄弟姉妹だろうと愛がありゃ止めはしねぇがな・・・ちっ」
カイトは腐りきった王国に対して、悪態をつく。とはいえ、当人はすでに死んでいるらしい。これは先の会話でわかっていた。そして死人に鞭打つ事は彼は好みではない。
なので、これ以上はカイトも考えたくはなかったらしい。そうして彼は完全にこの事を頭から追い出す事にして、目を閉じる事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第935話『闇の名家』




