第922話 月の子・覚醒
異母兄であるラザフォードとの戦いの最中。未知の感覚を得たカナンは、朦朧とする意識の中で数日前の事を思い出していた。それは、洞窟の中での事だ。
『ふっ』
レイナードが爪の先から血色の斬撃を飛ばす。それは、吸血鬼ら『夜の一族』であれば基本的なスキルとして持ち合わせる技術だった。
『おらよ!』
ラカムも同じく、爪の先から斬撃を飛ばす。こちらは、獣人の中でも比較的高位の者であれば普通に出来る基本的な技術だ。勿論、ラザフォードは出来るし、エールも可能だ。それ故、彼女は両種族の象徴である事を示す為に爪を作ったのだ。
どちらも原理としては簡単で、爪に魔力を集めて擬似的な刃としているだけだ。再現だけであれば人間でも可能だ。ハーフであるカナンは自分の技量ではそれは出来ないと思っていたので今まで使わなかったのだ。
『ふむ?』
『おう?』
それを言われて、ラカムとレイナードは顔を見合わせる。と、そうして少しだけ考えて、レイナードが得心が行ったかのようにうなずいた。
『・・・そうか。そう言えばメリーは己の事を龍と偽っていたと聞いたか』
思えば無理のある話だが、ラムニーの依頼を受けた村長がそこらを深く追求しない様に口止めをしていたのだろう。カナンがそんな事に気付くよりも前にメリージェーンは死去していたし、その後彼女は村を去った。真実に気付く余地の無いまま、今に至ったのだ。仕方がない事だったのだろう。
『少し背を向け』
『はぁ・・・』
カナンはレイナードに言われるがまま、背中を向く。そうして、その背中にレイナードの手が当てられた。
『っ!』
一瞬の沈黙の後。レイナードの手が灼熱の様な熱さを持った様な幻覚を得る。が、それに何かを言う前に、カナンは己の身体もまた火照った様な印象を得た。
『所詮、因子も何も持っている事を知らねば使えはせん。カナン。貴様は我が妹・メリージェーンの子でもある。であれば、貴様には必然、我が一族の血も流れている』
火照った身体を宥めるのに精一杯なカナンに対して、レイナードが告げる。それは言われなくても当たり前の事だ。が、それは今までは知らなかった事だ。そしてそれ故、いわば今のカナンの中に眠る『吸血姫』の血は錆びついていた。カナン自身が使う事を知らなかったからだ。
『今、その血を目覚めさせた。一時は身体が火照った様なイメージを得るだろう。それを忘れるな。それこそが、我が一族の力だ』
己の鼓動が太鼓の音の様に大きな音を立てている様な気がする。カナンはその音色を聞きながら、レイナードの言葉をただただ聞くだけだ。
『我が一族が敵から血を抜けるのも、我が一族が血を斬撃として放てるのも、全ては我が一族の力。血の活性化と血の操作。他者の因子を活性化させ、己の力を、身体能力を活性化させる。それが、我が一族の力だ』
レイナードは続けた。彼が今カナンに行ったのは、その力を使ってカナンの中に眠る母の血、即ち『吸血姫』としての力を活性化させたのだ。サビつき、わからなかったもう一つの力。それを活性化させてカナンに強引に教え込ませたのだ。
『その感覚を、覚えておけ』
レイナードの言葉が、カナンの脳裏に響く。熱い。痛みで熱いのか、それとも別の要因で熱いのか。朦朧とする意識では、カナンにはわからない。わかるのは、ただ熱いという事だけだ。
「・・・あ」
熱い。熱い。熱い。ただ、それだけしかない。意識がぼうっ、となる。身体がコントロール出来ない。自分の獣としての意識が、自分を喰らい尽くしていく。
「あ、あ、あぁあああ」
まるで唄うように、喉から声が出て行く。どこか遠くで、カナンはそれを聞いていた。
「何が・・・」
「始まったな」
「ああ・・・フォード! 良いから獣化しろ! 今のカナンはそのままのお前じゃ手に負えねぇぞ!」
唐突な出来事に困惑するラザフォードに対して、ラカムとレイナードは何が起きているか理解していた。そしてそれ故、ラカムはラザフォードに向けてアドバイスを送る。
「あ」
ぷつん、とまるで糸が切れる様に唐突に、唄が消える。いや、音よりも遥かに速く動いた為、途切れた様に聞こえたのだ。そして、ラザフォードの視界からカナンが消えた。
「何っ!?」
ラザフォードは困惑の中、目の前にカナンが現れたのを見た。まるで一切見えなかった。見えたのは、真紅の閃光が疾走っただけだ。
「あぁぁあああ」
まるで唄う様に獣の鳴き声を上げるカナンが、今度は舞い踊る様に回し蹴りを放つ。
「っ!」
ラザフォードはカナンの回し蹴りを咄嗟に棒でガードする。が、その次の瞬間。彼の持っていた棒は粉微塵に砕け散った。そして、その次の瞬間。彼の身体を衝撃が襲った。カナンが二撃目を放っていたのだ。
「フォード! 獣化しろ!」
衝撃で視界がブレる。そしてその中で、ラザフォードはラカムの声を聞いた。それは少し心配している様でもあった。
『っ』
ラザフォード迷うこと無く、獣化する。人の姿のままでは、何が起きているかわからない。少なくとも因子を活性化させて反射神経を上げなければ、何が起きているかさえ見極められなかった。しかし、そうして見えたのは驚きだった。
『何!?』
カナンが燃えている。一言で言えば、そう言い表せた。彼女の身体から、血にも似た真紅色の霧が上がっていたのだ。まるで、血が沸騰して湯気を上げている様にも見えた。
が、これが何かは、彼にはわからなかった。彼は見たこともない現象だった。と、そうしてラザフォードがカナンの姿を確認出来た次の瞬間。カナンは再び、真紅の閃光になった。
「あぁああああ♪」
まるで獣が唄う様にカナンが声を上げる。その声だけを頼りに、ラザフォードはカナンの位置を察知する。
『っ』
とんっ、とラザフォードは地面を蹴る。その次の瞬間、彼の居た空間を真紅の斬撃がえぐり取った。
『ぐぉおおおお!』
ラザフォードが雄叫びを上げる。それは魔力の乗った雄叫びで、空間をビリビリと振動させる。カナンの足を止めるつもりだったのだ。今の速度は、獣化した彼にでも追いつける速度ではなかった。あまりに速すぎるのだ。普通のハーフの出せる速度であろうはずがなかった。
「あぁああああ♪」
それに対して、カナンもまた雄叫びを上げる。しかし、それはまるで唄うようだった。そうして、二つの雄叫びがぶつかり合い、魔力の波動は対消滅した。
『っ』
ラザフォードは、今の一幕で悟る。獣化でさえ今のカナンは止められない、と。ならば、彼にはもうひとつしか残されていない。
「・・・認めるでござる。カナンよ、いや、我が妹よ。汝は確かに、我が妹にござろう」
人と獣。その二つを併せ持つ姿へと、ラザフォードが変貌する。彼は獣人の中でも有数の力の持ち主だ。若く――と言っても50歳を軽く超えているが――はあるが、修練の結果<<獣人転化>>を使う事が出来た。
そうして口にしたのは、カナンへの掛け値なしの賞賛だ。何が起きたかはわからない。だが少なくとも、その姿は己の父とその好敵手の妹の血を引いているが故の姿だと獣の本能が悟っていた。血を纏う獣。これほどわかりやすい姿はなかった。
「なれば、これよりは兄の威厳を示す為に全力で相手をいたそう」
家族と認めたのなら、今度は兄としての威厳を示す。これは師範としてのラザフォードでも英雄ラカムの子としてのラザフォードでもなく、カナンの兄としてのラザフォードとしての意思だ。
たかだか十数歳の妹に負けては兄の沽券に差し障る。単にそれだけの話だ。そしてここに至って、遂に彼にもカナンの全容とその動きがはっきりと目視出来る様になった。
「ふむ・・・燃えるような真紅の髪。輝ける月の如き白銀の瞳・・・何が起きているかは存ぜぬが・・・我らとも違う一つの姿ではござろう」
ラザフォードは一瞬で肉薄していたカナンの真紅の光の宿った爪を己の爪で食い止める。速度は速かったが、この姿でなら対処可能だった。そうして、ラザフォードは今度はこちらの番だとばかりに有り余る力を使ってカナンを上へと放り投げた。
「おぉおおおお!」
豪速でカナンが打ち上げられる。が、カナンは右腕に生み出した巨大な白銀の爪で虚空に真紅の傷跡を残しながら、急速に減速した。そうして、彼女は地面に垂直に虚空に足を下ろす。
「っ」
どんっ、という轟音と共に、カナンが虚空を蹴った。そうして再び、真紅の閃光が迸る。
「ふむ・・・どうにもまだ出力に振り回されていると見える。目覚めたばかり、という所に候」
今度はラザフォードには通用しなかった。彼は悠々と真紅の閃光の軌跡から逃れていた。被害はカナンの蹴撃によって地面にヒビが入っただけだ。
とはいえ、これは当たり前の話だった。たった今目覚めたばかりのカナンに対して、ラザフォードはこの<<獣人転化>>を年単位で修行してきている。性能差がなくなっていたのであれば、必然ラザフォードの方が上回るのだ。
「ふんっ!」
ラザフォードは爪を振るい、地面に着地したばかりのカナンへと攻撃を仕掛ける。実は、彼が棒を使っていたのは手加減をしていたからだ。本来の彼は徒手空拳こそが主武装だった。
「あぁあああ」
それに対して、カナンは再び超速を以って回避する。それに、ラザフォードが笑みを浮かべた。そうして、彼もまた地面を蹴ってカナンを追撃する。今度は、両者の速度はさほど変わらない。僅かに速度はカナンが上回り、技術でラザフォードが上回っていたぐらいだ。
「あぁあああ」
「ぬぅん!」
真紅と金色の閃光が、ぶつかり合う。その度に両者の間で振るわれるのは、己の爪を利用した斬撃だ。そんな二人のやり取りを当たり前だが、カイト達は見ていた。
「うーん・・・ちょっと想定以上かも?」
「いやぁ・・・まだまだ余力あんだろ」
ユリィの少し驚いた様な言葉に対して、カイトは笑顔だった。素直に良い拾い物をした、と思っているらしい。そうして、カイトは続けた。
「レイとラカムの血だ・・・こんなもんじゃ、終わらねぇさ。あの子なら、終局へと至れるはずだ」
カイトは笑う。どこまで至れるのか、少し見極めるつもりだった。そしてそれは、ラカムもレイナードも一緒だった。そんなラカムへと、カイトが問いかけた。
「ラカム。ラザフォードってのの実力はお前のガキでどのぐらいだ?」
「上から数えて数人って所か・・・見極めるにゃ、悪くない奴だ」
「そか・・・」
現状、ラザフォードとカナンの戦いはわずかにラザフォードが押している様子だ。総合的なスペックではカナンが上回っていたが、練度が圧倒的なまでに違う。技で力を上回っていたのだ。
そして、今のカナンはかなり獣に立ち戻っている。レイナードが述べた、自己の活性化。それに加えて、獣の因子。これらが合わさった事により、カナンの意識は大きく獣に戻っていた。
本能のみで戦っていると言っても良い。そして、獣人は曲がりなりにも獣の力を持ち合わせているのだ。であればラザフォードであればカナンに対処する事は冷静になりさえすれば、可能だった。
「もう一段上がれば、オレが介入する。てめぇの息子の方はお前に任せた」
「わぁった」
ラカムはカイトの要請を受けて、何時でも介入出来る様に準備を整える。もう一段階上がれば、今のラザフォードでは対処は無理だ。そしていくらなんでもカナンの身体への負担も桁違いになってしまう。見極めるにしてもそこが、限度だった。そしてそのタイミングは存外、早く訪れた。
「はっ」
ラザフォードは合気道の要領でカナンの力を受け流し、更にそのまま彼女へ向けて回し蹴りを打ち込む。流石に今のカナンにはそれは致命打には成り得なかったが、力量差をカナンに悟らせるには十分だった。
「見事でござ・・・何?」
見事と賞賛したラザフォードだが、その次の異変が起きつつある事を悟って目を見開いた。今までカナンは全身から無秩序に真紅の霧を立ち上らせていたのであるが、それが一つの形を形作ろうとしていたのだ。
「翼・・・?」
ラザフォードが呟く。今まで全身から立ち上っていた真紅の霧はいつしか彼女の背中側にのみ集中し始め、まるで翼の様な形に変わっていたのだ。それは、『吸血姫』達の背に生える悪魔羽にも似ていた。が、決してそんな禍々しい物ではなく、それどころか神々しくさえ思えた。
「っと、『血解』したか。ラカム、『緋ノ翼』が完全に出る前に介入する」
「おう、任せた。フォード! そこまでだ! これ以上やるとお前じゃ勝てねぇし、カナンの身体も拙い!」
ラカムの制止の声を背に、とんっ、とカイトが軽い感じで地面を蹴る。そして、カナンの前に立ち塞がった。
「封」
カイトは左手に魔導書を取り出すと、即座にカナンの額へと自らの血で文字を描いた。今の彼女は一時的に獣人としての因子と吸血姫としての因子が過剰に活性化している様な感じだ。なのでルーン文字を使って一時的に封印を施してやったのである。
魔導書はこれに抗った場合に更に強度を上げる為の万が一、という所であるのだが、どうやら必要がなかったらしい。幸い完全に理性が呑まれていたわけではないらしく、カイトが仲間とわかっているようで抵抗はしなかった。
「あっちぃな、おい・・・ティナ! 冷水!」
「うむ」
カイトは封印と同時にどさり、と崩れたカナンを抱きかかえると、高熱を発する彼女へ向けて冷水を浴びせかけさせる。
「ぴっきゃあぁあああ!」
氷水を浴びせかけられて、カナンが悲鳴を上げる。それは何時も通りのカナンの声だ。
「・・・あれ?」
ぶんぶんと顔を振ってカナンは周囲を見回す。
「よう。お目覚めか?」
「え、あ、マスター・・・あれ? 勝負は?」
どうやら、カナンはほぼほぼ何があったか覚えていないようだ。それに対して、ラザフォードは改めてはっきりと宣言した。
「認めよう。そなたは確かに、我が父ラカムとメリージェーン殿の子でござろう。疑って申し訳ない」
しっかりとラザフォードはカナンへと頭を下げて謝罪する。どうやら武人としての性質を持ち合わせている彼はそれが道理であると認められれば、しっかりと頭を下げられるようだ。が、一方のカナンは何がなんだかさっぱりだ。
「??? くしゅん! あれ? なんでびしょ濡れなんですか・・・?」
「あはは・・・フォード。服を用意してやれ。そしてさっきの様子だと、全部把握してるんだろ?」
「かしこまりました」
何が何だかさっぱりなカナンに対してラカムは笑ってそう問いかける。それにラザフォードは頷いて、残っていた弟子達に指示を送り、更にカナンを連れて服を着替えさせに行く事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第923話『暗殺の詳細』




