第916話 ふるさと
皇帝レオンハルトとカイトとの間でカナンの処遇が話し合われた後。カイト達は飛空艇に乗って、ラカムの本拠地へとやって来ていた。
「おーう。帰ったぞー」
ラカムが声を上げる。勝手に出ていって勝手に帰って来る。それは彼の常だ。それ故にカナンの所に行ってもしばらくは疑われなかったのだ。
とはいえ、今回は一日で戻ってきたので早かったな、程度だった。が、そんな周囲の者達でさえ、彼が引き連れていた面子には目を落とさんばかりに驚いていた。
「<<夜王>>レイナード・・・」
まぁ、基本的に超長寿なのはラカムらごく一部だけだ。この里の全員が全員超長寿というわけではない。なのでカイトを知らない者もかなり多く、驚きや畏怖を以ってささやかれていたのはレイナードの名だった。とはいえ、カイト達にとってみればそんなことはどうでも良い。なのでカイトは懐かしげに周囲を見回していた。
「おー。なっつかしー。草原駆け抜けて狩りしたっけなー」
「あのときゃ宴会だったな」
大きく息を吸い込んで草原の香りを肺腑に取り入れたカイトの言葉に、ラカムが顔の険しさを取って笑う。二人で狩りに出かけた事があったのだ。その時の草原を駆け抜けた記憶は、今でも彼らの中に楽しかった記憶として残っていた。
さて、ラカムの本拠地だが、これは普通の街で良い。遊牧民達の伝統的なゲルなどが立ち並んでいるわけではない。住居は石造りもあるがどちらかというと木造建築が多く、きちんと通信網も整備されている。
強いて他の街との違いを上げると、やはりそれでも古い獣人達が多い為か服装はラカムの様な獣人達の伝統衣装が多い、というぐらいだろう。なので服装としては統一感がない。各地の獣人達が各々の伝統衣装を着ている為だ。ここはある意味、各地の古い種族が集まる集会所を兼ねてもいた。
「・・・なんか・・・懐かしい・・・」
そんな町並みを見ながら、カナンが呟く。彼女は来たことが無いはずなのに、何故か、この街の匂いが懐かしいと感じた。ラカムが父と知ったから、というのではない。身体の奥底が、そう感じていた。
「それはそうだろう。貴様はこの地で生まれた。身体が覚えているのであろう」
「え?」
「今度は、我が領土へと来ると良い。母の育った地を見せてやろう」
レイナードは呆気にとられたカナンに詳細を答える事はなく、そう告げる。ここが父の育った地だとするのなら、レイナードの治める地はカナンの母が生まれ育った場所だ。
見せてやりたい、という優しさが滲んだ発言だったのだろう。少し素直になれないのは、ラカムとレイナードで似ていたのかもしれない。そんな優しさを見て、カナンはレイナードへと頭を下げた。
「・・・ありがとうございます」
「良い」
レイナードはにこりともせず、短くそう言うだけだ。いつもと変わらない彼だ。これで良いのだろう。と、そんな一同に対して、一人の女性が近づいてきた。それも、額に青筋を立てて、だ。
「・・・げ・・・ラム姉・・・」
「お久しぶりです、ラムさん」
「うん?」
近づいてきたのは、少し前にカイトが告げたラカムの従姉妹となるラムニーだ。彼女は160センチほどと小柄でスレンダーな女性あったが、その威圧感などはラカムにも劣らない。まるで身長差があって無いが如くに感じられた。
金獅子族である為、彼女も金髪だ。そして彼女も草原を駆け抜けているからか、日に焼けた小麦色の肌が美しかった。体つきはしなやか。雌獅子という言葉が良く似合う女性だった。
ラカムは彼女に厳しく躾けられていた為、未だに口喧嘩では勝てないそうだ。そしてそんな彼女は、挨拶をしたカイトも睨みつけた。カイトが居て、レイナードが居る。それで大体は理解したらしい。
「これはカイト殿。貴殿のお呼びでしたか・・・せめてこれを呼び出す時は一言言っていただきたいのですが・・・これでも族長。予定はかなり詰まっています」
「いや、これは失礼した。とはいえ、どうしてものっぴきならない事情があってね。こいつの事も大目に見てやって欲しい」
「ほう?」
カイトの申し出を受けて、ラムニーはわずかだが剣呑な雰囲気を収める。カイトがのっぴきならないというのだ。事と次第に応じては、ラカムが無断で出て行った事を許す事も考えていた。
ということで、カイトが一気に叩き込んだ。ここで時間を潰して変な所から横槍が入っても困る。まずは、どこか安心出来る場所へ行く必要があった。
「・・・ここでは話せん。場所を変えたい」
「・・・良いでしょう。付いて来てください」
カイトが一瞬目つきを真剣なものに変えた事で、ラムニーも事の次第がかなりの大事になっている事を把握して、歩き始める。基本的にここでのカイトの世話は彼女に一任されている。カイトの不在時にもユリィがここに来た時には彼女の世話を受けている。
彼女は本家筋ではないが、族長筋――ラカムの従姉妹であるということは即ち祖父は同じ――だ。カイトという英雄の世話役としては、最適だったらしい。それは今も変わらないだろう。なので、基本的にはカイトとしてはラカムを通すよりも彼女に従った方がやりやすかった。そしてラカムにしても事務的な話や政略面では彼女に任せている事が多い。異論は出なかった。
そうして、一同はラカムの家ではなく、カイトが泊まっていたラムニーの家へと通される事になった。こちらならばしばらくは時間稼ぎが出来るだろう、という推測だった。
「まずは・・・ラムニーさん。改めてお久しぶりです。相変わらずお美しい限りで何よりです」
「ええ、お久しぶりです」
兎にも角にも挨拶をせねば始まらない。というわけで一同は軽く挨拶を交わし合う。が、それがカナンに至った所で、さしものラムニーも目を見開く事になった。
「カナン? あの、カナンですか?」
「ああ・・・そのカナンだ。俺のガキのな」
「ちょっと、失礼します」
ラカムから言われたラムニーであったが、流石にはいそうですか、と即座に信じられるはずがない。これはお家騒動に繋がる事だ。なので彼女は立ち上がると、カナンの所へと歩いていった。
「ひゃあん!」
「じっとしていなさい」
カナンが可愛らしい悲鳴を上げるが、ラムニーはそれを無視して首筋の匂いを嗅ぎ分ける。彼女が小柄であるからと侮る事なかれ。あくまでもスペックシートの話だが、彼女の身体能力はラカムに次ぐレベルだ。
彼女とて古い獣人の中でも更に強い一人だ。そして、ラカムを厳しく躾けたのは彼女なのだ。当然その中には、獣人としての性能の使い方も含まれていた。その気になれば、彼女は匂いを嗅ぎ分けて親子関係の有無を判断するぐらいは出来た。そんな彼女は少しカナンの匂いを嗅いで、頷いた。
「・・・良いでしょう。認めます」
「だろうな。俺がそもそも認めてる」
自分の従姉妹からも確証を出されて、ラカムが肩を竦める。彼とて当たり前だが匂いを確認している。その点、彼は近づかなくても匂いを嗅ぎ分けたのはやはり彼の方が獣人としての能力が圧倒的に上だから、だろう。彼の性能はおそらく獣人でも最高クラスと考えて良い。
なお、彼らは動物と同じなので基本的には意識しなければ嗅ぎ分ける事は出来ない。なので寝ていても嗅ぎ分けられる、とか近くにいるから、と嗅ぎ分けられるわけではない。あくまでも、ここらのスペックは意識して出す事で得られる力である。
「貴方は自分の娘であり、外側に理解者が必要である事を理解しなさい」
「は、はい・・・」
ラムニーから睨まれて、ラカムがこくこくと頷く。三つ子の魂百までも、というのだろう。肉体的に上回っている今でも、精神的に彼に勝ち目は無い様子だった。
「とはいえ・・・なるほど。そういうことならば、今回の事は大目に見ましょう。レイナード様。此度は御身にもご協力頂いたご様子。感謝致します」
「我はただカイトの所に来ただけだ。偶然というだけだ。気にするな」
ラムニーから頭を下げられたレイナードはそれだけで良しとすることにする。そもそも彼は自分の姪の保護を確定させに来ただけだ。それ以外に他意は無いし、興味もない。と、そうして礼を述べたラムニーであったが、彼女は一つ頷いた。
「とはいえ・・・なるほど。そういうことでしたか」
「どうした?」
「はい。ラカム。実は貴方が発ってより少しして、ラザフォードがこちらに」
「フォードが?」
ラカムが眉の根をつける。ラザフォードとは、ラカムの息子の一人だ。ここもまた、メリージェーンとラカムの仲を強固に反対していた家の一つだ。
「はぁ・・・湖獅子の連中も怖いな・・・」
「湖獅子?」
「ここから30キロほど東に行った所にある湖を中心とした一帯に居を構える獅子系の一族だ。それ故、湖の側の獅子ということで湖獅子ってわけだ。ブランシュ家の分家の一つ、獣人の格としてはブランシェット家と同格と見て良い」
魅衣の問いかけを受けて、カイトがラカムの家の分家について解説する。ここらは、彼も基本知識として知っていた。と、そう言われた魅衣が少し疑問に思ったようだ。それを、口にした。
「・・・でもなんか変じゃない? ブランシェット家って公爵・・・あんたと同格よね?」
「まぁな。公にはそうなる・・・まぁ、対外的にはウチは一応大精霊達と繋がっているから、大戦の英雄が現当主であるハイゼンベルグ家と同格の一つ上と見られているけどな。ここは権威と権力の差だ。流石に両大戦の最大の功労者と同格にはな」
「いや、そっちはどうでも良いのよ・・・公爵が結構下って良いの?」
魅衣が疑問を呈する。確かに、わからなくはない。ブランシェット家は公爵。皇国として見ればかなり上位の貴族だ。それがここでは下に位置しているという。これで良いのだろうか、というのは確かに疑問だろう。
「まぁ、そりゃ・・・ラカム」
「あいよ・・・お嬢ちゃん。獣人という種として、ウチでは考える。と言うか、基本的に古い種族の奴らは国に属しているつもりはねぇんだわ、これが・・・つっても、一応領主様にも体面ってものがあるからよぅ・・・自治区として、俺達にここらの領有を認めてるわけだ」
ラカムはそう言うと、ここでは政治体系が異なっている事を明言する。そしてそれ故、ここは自治区なのだ。皇国の庇護下には入っているが、ここの獣人達は皇帝レオンハルトに従っているわけではないのだ。
と言うかそもそも文化風習が違う奴らを強引にこちらの政治体系に組み入れる事は出来ない。それは果てはアメリカを見ればわかるように、インディアンとの戦いになってくるだろう。
が、ここらはイクスフォスの人の良い所というか、異世界の存在故の話になってくる。彼はそれを望まなかった。それは侵略者のやることだ。こちらが、勝手にここら一帯を領地としただけだ。侵略者と言われても不思議はない。それは彼のやり方でもないし、当時の上層部の方針でもない。
とはいえ、従わぬ者を国の中に入れておけば、それはそれで外聞にも差し障る。なのでイクスフォスはブランシェット家当主の求めに応ずる形にして名目上は自治区として与えた、という事にしたのであった。
「ここでは、獣人の血統が格になる。ブランシェット家は俺、ブランシュ家・・・金獅子族の若者が興した新興の家に過ぎねぇのよ」
そもそもブランシュの名はその時出来たものだ、とラカムは明言する。家名や名というのは他者が呼ぶのに必要だから名付けられるものだ。なので古くからの言い方であれば、ラカムは金獅子族の長ラカムとなる。彼らは『~族の○○』と呼び表すのが普通だった。そうして、カイトが続けた。
「まぁ、そういうわけでここじゃブランシェット家つっても分家の一つに落ちる。ここの長は金獅子族だ。皇帝陛下じゃないんだよ。彼はこの外を治めているまた別の長、ってわけだな。この中では、彼は同格と見做されるわけだ」
「なるほどね・・・」
魅衣がここでの政治体系が違っている事を理解する。ここばかりは、どうしても仕方がない。国が存在し、そしてその国には領土という概念がある。しかし、それは誰かが勝手に決めている事だ。
ここの古い獣人達の様に、それを無視して自由に生きている者達も確かに存在している。それを強引に従える事は侵略に他ならない。そして、この土地に先に暮らしていたのは彼らの方だ。領有権の概念があろうとなかろうと、優先されるべきは金獅子の一族のはずだろう。そしてイクスフォスはそれを認めた、というわけだった。勿論、ラカム達もそれを理解しているので一応は皇国に協力している。
「あ、ごめん。腰折った」
「いや・・・で、この流れだと、湖獅子の奴らが、気になるわけか?」
カイトが改めてラムニーへと問いかける。ここらは基本知識を共有する為にも、話しておくのは重要だろう。なにげにカナンも知らなかったらしく、頷いていた。
「ええ・・・つい先ごろ危急の用向きだ、ということで来られたのですが・・・」
「今は?」
「日を改める、と再び己の居へと」
ラカムの問いかけに、ラムニーが彼の不在の間で起きた事を語る。そうして、改めてカナンの襲撃者探しが始まるのだった。
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