第906話 カナンの生家
カナンの故郷に先んじて入ったカイトはとりあえずなんの罠も仕掛けられていない事を確認すると、一度馬車と合流する事にした。幸いにしてカイトはルゥに乗って移動していた。毎時10数キロしか移動出来ない馬車よりも遥かに先を進んでいた為、合流したのは村からかなり離れた所だった。
「はい、ただいま」
「おーう、おかえりー」
窓から顔を覗かせるカイトに対して、ソラが片手を挙げる。丁度彼の近くに窓があったのであった。そうして、カイトはソラに少しだけ横にズレてもらって馬車の中に入った。
「ふぅ・・・とりあえず、先行での調査は終了した」
カイトは手頃な椅子に座ると、とりあえず今の所の報告を行う事にする。それを受けて、キリエが先を促した。
「そうか。聞こう」
「ああ・・・まず、一応の前準備として村長には会ってきた」
カイトの言葉を聞いた瞬間、カナンの表情が僅かに強張った。そうして浮かんだのは、やはり申し訳無さと不安だ。同世代の子供達はまだしも、村長に良くしてもらっていたという印象は残っていたのだろう。申し訳ない事をしてしまった、と彼女自身が思っていたらしい。
「ああ、安心して大丈夫だ。村長さんは心配なさっていたよ。カナンが無事だ、と聞いたら身を乗り出していらっしゃった」
「そう・・・ですか・・・」
カナンはカイトの言葉に、安堵を浮かべる。やはり何も言わずに出てきた事は不義理をしてしまった、と思っているのだろう。とは言え、いじめられていた経験から連絡を取る事も憚られたそうだ。
「ああ・・・それで、一応聞いてみたんだが・・・カナンの生家については、やはりそのまま残っているらしい」
「そう・・・なんですか?」
「こちらも、クーからの映像で確認しておる。お主の言う通りの位置にお主の言うた通りの家がある。流石に花壇等は一部撤去されておる様子じゃがのう」
カナンの問いかけに対して、クーら使い魔勢から寄せられる情報を処理しながらティナが答える。
「まぁ、見せても良いがここらは己の目で確かめるべきじゃろう。下げねばならぬ頭もあるじゃろうからな。先に確かめるより、不義理を詫びる方が先じゃ」
「・・・うん・・・」
ティナの言葉にカナンが小さく、そして恥ずかしげに頷く。不義理とは言うまでもなく村長夫妻に対してだ。孤児になった彼女の面倒をしばらく見てくれていたのが夫妻だ。流石に10歳そこそこのいじめられていた子供にほぼ他人の大人が信じられなかったとしても仕方がないが、それでも今は頭を下げるべきと理解出来ていた。
「あの・・・魅衣にティナも・・・一緒に来て・・・くれる?」
「あったりまえでしょ?」
「そうでなければ言うとらんわ」
魅衣が快活に頷いて、ティナが笑いながら明言する。そもそもティナはここで渋れば引っ張ってでも頭を下げさせに行くつもりだったのだ。今更といえば今更だった。
「で、他には?」
「他には、か。まぁ、色々とあったが・・・今はそれで十分だろう」
仲睦まじい三人組は放っておく事にして更に問いかけたキリエにカイトは首を振る。一応母親の事等幾つか聞けたが、今のキリエに聞かせた所で混乱させるだけだ。
それにまだ気になる事も多い。未確定情報を教えるよりは、はっきりと分かってからにするつもりだった。そうして、カイト達を乗せた馬車は少しだけ明るくなり、進んでいくのだった。
そんな会話から、およそ2時間後。一同を乗せた馬車はエラクゥ村へとたどり着いていた。と、そんな一同を出迎えたのは、村長――キリエが来る為その出迎え――と村の若者だった。
「よくお越しくださいました」
「ああ、村長。久しぶりだ・・・ああ、視察と言ってもそこまで語っ苦しいものではない。楽にしてくれ」
頭を下げた村長に対して、キリエが笑いながら告げる。そうして、キリエが更に続けた。
「視察とは言ったが、まぁ、村長も知っているだろうがはっきりと言ってしまえば私が仕事をしている、という言い訳にすぎないのだからね。何か指摘して改善を、という事はよほどのことが無い限りはしないつもりだ」
「いえ、視察も立派なお仕事ですよ」
「そう言って貰えると助かる」
キリエと村長は笑いながら、とりあえずの社交辞令を交わし合う。そうしてそれが一段落落ち着いた所で、キリエは後ろのカイト達へと話を向ける。
「ゼファードとクオリアは知っているな。それでこちらの彼らが今回の護衛なのだが・・・彼らの部屋も用意してやってくれているか?」
「はい、ご用命の通りに」
「そうか・・・では、今日は世話になる」
キリエはそう言うと歩き始める。今日は移動でかなりの時間を使った為、一応の名目である視察は明日の朝一からになるらしい。というわけで、今日はその疲れを癒やす為に休みだそうだ。そうして、キリエは村長に案内されて歩き始める。と、そんな時だ。
「・・・あ・・・」
村の若者達の一人を見て、ぴくり、とカナンが僅かにだが怯えた様子を見せる。どうやら知り合いらしい。そうして、その一人が口を開いた。
「・・・カナン・・・だよな?」
「・・・フォル・・・ス・・・?」
二人の間に、どこか気まずさが漂う。カナンの様子だとおそらく、このフォルスという青年がカナンを除け者にしていた主犯格なのだろう。
キリエを出迎える面子に入っている所を見ると、村の豪族の息子等の立ち位置なのだろう。そしてフォルスのこの様子を見れば、彼が後悔している事がまるわかりだった。
「あの・・・その・・・」
フォルスがかなり言い難そうにする。ここら実はカイト以外は誰も知らなかった事なので、カイト側は全員意味不明というような表情だった。そうして、数分の迷いの後、フォルスが勢い良く頭を下げた。
「ごめん!」
「え?」
「ごめん。なんってか・・・うん。ごめん。それしか言えないけど・・・とにかく、悪かった・・・」
「・・・あ、うん・・・もう良いから・・・」
少しおどおどとした様子で、カナンがフォルスの謝罪を受け入れる。というよりも、今はできれば顔を見たくない、というのが素直な感想なのだろう。そしてどうやら、フォルスもそれを感じ取ったらしい。
「じゃあ、もう行くから・・・」
「・・・うん」
気まずい雰囲気だけを残して、フォルスが去っていく。と、そんな理解不能な一幕が終わった後、当然だが魅衣が問いかけた。
「どしたの?」
「えっと・・・今のフォルスって言うんだけど・・・私の幼馴染みたいなので・・・ちょっと・・・」
カナンはあまり語りたくないらしく、小さくそう言うだけだ。そして幸運な事に、今はここで立ち止まるわけにはいかない。なので、カナンがそれを促した。
「えっと・・・行こ?」
「あ、うん」
とはいえ、魅衣もカナンの過去等を推測して、大凡は察したらしい。カナンが語らない事には問い詰める事はないだろう、と先を急かす彼女に従って歩き始めるのだった。
そうして、その後。カナンは村長宅にて村長夫妻と再会を果たしていた。
「カナン・・・良く戻りましたね」
「あ・・・」
かつて己が知る柔和な笑顔で微笑みかけられ、カナンが少しだけ安堵の表情を浮かべる。
「あの・・・ごめん・・・なさい」
「いや、良いのだ。あの頃は何もしてやれなくてすまなかった」
小さくも決意した様に謝罪したカナンに対して、村長が懐かしげな瞳で首を振る。カイトからは、今のカナンが元気に暮らしている事を聞いていた。なら、それで十分だった。
そうして、しばらくの間。カナンと村長夫妻が話し合う。とはいえ、何時までもというわけにはいかない。今回のカナンの帰郷は訳あっての事だ。その為にキリエにも動いてもらった。それを調べないといけない。
「辛くなったら戻ってきなさい。ここはカナンの故郷。何時でも、待っていてあげるから」
「ありがとうございます」
「鍵は・・・持っているか?」
「あ、はい」
カナンはもう帰らないつもりでいたが、それでも家の鍵を捨てる事は出来なかったらしい。自分の冒険者登録証に取り付けているチェーンに一緒に取り付けて、手放す事なく持っていた。
「そうか・・・家はあの時のままにしている。行ってきなさい」
「・・・はい」
カナンは村長の言葉に頷いた。兎にも角にも自身の家に行かない事には何も始まらない。そして実は、今回の宿泊に関しては先程話し合いカナン、魅衣、ティナの三人組はそちらで宿泊する事にしていた。
「・・・あの・・・ありがと」
村長宅を出た直後。夕暮の中でカナンが感謝を述べる。それは少しの晴れやかさを含んだものだった。やはり、故郷の土というのは良いのだろう。それを、魅衣もティナも黙って受け入れるだけだった。
そうして、少し歩けばカナンの生家にたどり着く。そこにはすでにカイトとソラ、由利の三人が待っていた。先んじて偵察をしていたのだ。
「ああ、来たか・・・なかなかに大きな家だな」
「あ、はい。そうみたいです」
カイトの言葉にカナンも同意する。彼女もここで暮らしていた時にはさほど思わなかったのだが、外に出て冒険者として活動してみるとそれなりに大きかった事に気づいていたらしい。
彼女の家だが、たしかにそこには何らかの意思が介在しているだろうという大きさだ。建屋としては2階建てだが、規模としては母娘だけで暮らすには大きい規模だ。更には家庭菜園用と思しき庭や小規模だが花壇――こちらは後に聞けば母が設置したらしい――まである。
「で、周囲を見てみたが手入れはきちんとされている様子だった。荒らされているとかはなさそうと思うが・・・流石に中まではな」
「あ、ちょっと待ってください。今開けます・・・」
カイトの言葉を受けて、カナンがポケットから鍵を取り出した。そうして、少しだけ緊張するも意を決した様子で、鍵を差し込んで、扉を開いた。
「・・・どうぞ」
扉を開いて、カナンがカイト達を招き入れる。一応外観に見合った品の良さと質の良さがあるが、どうやら中については普通の邸宅と変わりがない様子だ。特筆する程豪華という事もなく、一般の家と差があるとは思えなかった。
「・・・」
カナンは懐かしげに、周囲を見回す。そして、どこか自嘲気味に笑った。
「これ・・・こんな小さかったっけ・・・」
カナンが手を置いたのは、靴箱だ。それは彼女の腰程度の高さしかなかった。が、記憶の中の靴箱は彼女の肩ぐらいまであった。嫌でも、己が数年もの間ここを離れていた事を理解させられたのだ。そうして、少しだけ家の空気を肺腑に吸い込んで、カナンは今自分が為すべきことをやる事にした。
「・・・うん。えっと、マスター」
「なんだ?」
「それで、何を調べた方が良いですか?」
「そうだな・・・カナンのお母さんの部屋に入っても良いか? できれば何か残っていないか調べたい」
「あ、はい。わかりました。こっちです」
カナンはカイトの求めを受けて、案内を開始する。ちなみに、だがどうやらこの家は土足厳禁らしい。獣人は感覚の問題から基本的に裸足である事も多いので靴を履いて家に出入りする事が多いのだが、どうやらここは違うらしい。なお、大抵の場合は玄関に足ふきマットに近い物――足を洗う為の魔道具――が設置されているので、獣人が入った家の床が泥だらけになるという事はない。
「えっと・・・ここが、お母さんの部屋です・・・ただいま、お母さん」
カナンはそういうと、扉を開いて中に入る。そこは家の外観に見合わず、どこかゴシック様式の印象があった。
「やっぱり、か・・・部屋が『夜の一族』の物だな」
「そう・・・なんですか?」
カナンはカイトから告げられた言葉を聞いて、そうなんだ、と思う。基本的に『夜の一族』の者達は外に出たがらない。出ても夜が基本だ。なので知らないでも無理はないのだ。
なお、これは彼らが太陽に弱いのではなく、月から受ける魔力が彼らにとって最適だからだ。普通に太陽の下でも出歩ける。これは獣人でもルゥら神狼族を頂点とした狼系の獣人達にも当てはまる。更にはお互いに結構傲慢だ。そこらで、あまり仲が良くはない。
「ああ・・・まぁ、そこらはどうでも良いか。何処に何があるかわかっているのなら、教えてくれ。中はいじっていないそうだからな」
「あ、はい」
カナンはカイトの指示を受けて、記憶を探り始める。そうして、しばらくの間カナンの母についての調査を各自手分けして行う事になるのであった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第907話『調査』




