第904話 調査開始
カイト達を残して急発進した馬車の中で、カナンは非常に複雑な表情をしていた。当たり前だろう。襲ってきたのは獣人で、そして父親もまた獣人だという事がわかっている。この状況での蹴撃だ。父親を疑いたくなるのも無理はなかった。
「気にするな、とは言わぬよ。無理じゃろうからのう・・・とはいえ、カナンよ。一つお主は思い違いをしておるよ」
目に見えて落ち込んでいるカナンに対して、ティナが優しく諭す様に告げる。
「思い違い・・・?」
ティナの言葉に、カナンが顔を上げる。
「簡単な事じゃ・・・お主の母親は、お主の父親を信じておったんじゃろう?」
まず、ティナは一番初めの大前提を問いかける。それに、カナンは頷いた。カナンとて一度は問いかけた事がある。何故自分には父親がいないのか、と。それに母はこういったらしい。お父さんは今は一緒にいられないけど、何時かはきっと、と。
幼い頃はこれが死んだのだな、と彼女は思っていた。だが、更に歳を重ねるとこれが虚勢でもなんでもなく、そう確信している様な様子であった事に気付いた。
「なら、父親が放ったとは限らぬよ。名家の子であれば、やはりお主が生きていて疎む者はおろう。と言うか、そちらの方が高い。父についてそう悲観する必要もない」
「そう・・・かな・・・」
カナンは悲しげだが、少しだけ希望を取り戻す。
「うむ・・・自身の父親が信じられぬというのであれば、お主が信じた母を、そして彼女が信じた父を信じよ。今はそれで良かろう。まだ、会った事もない父親に勝手に幻滅する必要はない」
ティナは改めて、カナンへと告げる。それをカナンが受け入れたかはわからないが、少なくとも少しは落ち着いたようだ。それに、ティナが安堵する。そうして少し離れたティナに対して、魅衣が問いかけた。
「何かわかった事あるの?」
「無いのう・・・」
カナンに聞こえない様に結界を展開して、ティナがため息を吐いた。これは完全に単なる推測と憶測、更には希望的観測による慰めだ。なので、ティナの顔もかなり苦いものが浮かんでいた。
「はぁ・・・これは完全に憶測の上の希望的観測じゃ・・・逆に父親が主犯だった場合、相当バックロードが訪れる。できれば、そうでない事を余も祈るしかない・・・が、最悪の想定をしておるものに何もせんのは逆効果に成りかねんからのう・・・」
ティナがため息を吐く。本当に今回ばかりは、情報が無い事が嘆かわしかった。最悪はカナンの危惧する通りの結末を迎える可能性は無いわけではないのだ。ただ単に彼女はそれ以外の可能性もある、という事を示しただけで、十分にその可能性はあったのである。
「・・・」
勿論、それはカナンもわかっている。だから、彼女は相変わらず複雑な表情で黙ったままだ。とはいえ、今の彼女に出来る事はただ祈るだけだ。そうして、そんな彼女らを乗せた馬車は、ただ沈黙を纏い進んでいくのだった。
一方のカイトはというと、ルゥに乗って移動していた。
「・・・さて・・・厄介な話は厄介な話になってきたな」
『匂いで追跡は可能ですが・・・どうなさいますか、旦那様』
「いや、止めておこう。それは相手も承知済みだろう。なら待ち伏せされる可能性もあるし、そうでなくてもどこかで匂いを落としてくる可能性はあるだろう」
カイトはルゥの提案に対して首を振った。相手はこちらに狼系の獣人が居る事を把握している。鼻であれば、狼系の獣人の鼻の良さは獣人でなくても誰もが知っている事だ。ならばその鼻を使って追跡されるのを警戒するのは当然の話だろう。そしてそうであるのなら、どこかで対策を取られていて不思議はない。
『常道ですこと』
「今は、カナンを守る事に集中したい」
カイトはそう言うと、ルゥの背中に寝っ転がる。周囲の警戒についてはルゥ一人で十分だ。それに今は街道沿いを進んでいる。比較的安全なルートだ。問題はそうそう起こるとは思えなかった。
「さて・・・となると、やはり気になるのは村の方か」
『ですわね』
「・・・先に行った方が良いか」
カイトは再び起き上がって街道の先を見据える。この道を真っすぐ行けばカナンの故郷であるエラクゥ村へとたどり着くと聞いている。であれば、道に迷う事はないだろう。
「ルゥ。頼んだ」
『わかりました』
本来の姿へと戻ったカイトの求めを受けて、ルゥが地面を蹴って走り始める。馬車を追い抜いて、先んじて村に入っておこうと考えたのだ。
相手はこちらが馬車で移動していると思っている。そしてさらに言えば、カイトは真の姿を晒していない。ならば、もし万が一敵が先んじてカナンの故郷へと手を伸ばしていた所で匂いに気付かれなければスルーされるだろう。
それに襲撃が失敗した事が伝わっていても、匂いまでは連絡出来ない。カイトがカイトと分かる事はないだろう。もし襲撃者が先んじていてもそれはそれで儲けものだ。相手も気付くが、こちらも気付ける。
そして性能であればこちらが上。よほど風下に位置しない限りは先手を取る事は容易い。そして風を操る事はカイトにとっては容易い事だ。先手は打てる。
そうしてカイト達は馬車の横を通り過ぎる際に念話で一応ゼファードへと連絡を入れておいて、そのまま直進して村を目指して進む事にする。
「良し・・・ルゥ。匂いは?」
『何もありませんわね・・・敵の手は及んでいないかと』
村まで近づいた所で、カイト達は森の中に潜んでいた。ルゥは鼻を鳴らして匂いを嗅いで、敵の匂いが無い事を把握する。何処からわかったか、というと血の匂いだ。襲撃者にせよ暗殺者にせよ、どうしても隠しきれない血の匂いがある。それを嗅ぎ分ける事は彼女にとっては容易な事だった。
「なら、安心か・・・入るか」
『私は引っ込んだ方が良いですわね』
「そうしてくれ。敵が後から来る可能性もなくはない。見られたくはない」
カイトの求めを受けて、ルゥが実体化を解いて消える。これで、後はなんとかなる。こういう旅人を装うのはカイトの得手だ。というわけで、カイトは徒歩で来た旅人を装って歩いて村へと近づいていく。
「おや・・・これは珍しい。旅人さんかい?」
村へと入る門の所で、村の自警団所属らしい中年の男性がカイトに気付いた。
「ん? ああ、まぁ、そんな所だ。冒険者だよ」
カイトは気さくさの中にも村の侵入を防ぐ様に僅かにカイトの前に立ち塞がった男性に対して、冒険者の登録証を提示する。交戦の意図は無いし、警戒されて良い事はない。
「うん? 見たこともない証だな」
「ランクAだよ・・・見たことないか?」
「そりゃ・・・いやすまんすまん。ここらに来るのはせいぜいランクCとかそこそこでな。そんな高位の旅人さんが来るとは思っても見なかった」
カイトの言葉に男性は笑いながら照れくさそうに頭を掻く。嘘ではないし、信じてくれたらしい。よほどの事情がなければそもそも山に入るのは狩人達や山菜採りが大半だ。そして村の近くにある山だ。魔物のランクはせいぜいD程度らしい。
なのでそれに合わせて、ここを訪れる冒険者達はランクCとか程度になるそうだ。それ以上になるとここに来る依頼を受ける事は稀になるのだろう。道中にしても偶発的な遭遇戦がある程度だ。足の速い獣人達であれば、ランクAの魔物と出会っても逃げ切れる可能性はある。そういう点でもランクAの冒険者を見た事がなくても不思議はなかった。
「ああ、悪い悪い。いつまでも足止めさせちゃ悪いよな・・・入っていいぞ」
「ありがとう」
カイトは笑いながら、道を開けてくれた男性へと礼を述べる。そうしてあるき出そうとしたカイトだが、そこで思い出した風を装って問いかけた。
「ああ、そうだ。一応アクラムで聞いてたんだが、この村にも冒険者ユニオンの支部が出来たんだって? 随分前にここ出身という冒険者に出会ってな。無かったと聞いていたんだが・・・どうなんだ?」
「ん? ああ、それか。ああ、出来たぞ・・・ほら、あのちょっと大きな建物、見えるかい?」
カイトを通して己は先程まで腰掛けていた椅子に座ろうとしていた男性だが、カイトの問いかけに再度顔を上げる。そうしてそんな彼が指し示したのは、一軒の2階建ての建物だ。大きさとしては個人の家としては少し大きく、しかし貴族達の邸宅程には大きくはない。様相も質素で豪邸という様子はなかった。
「あれが、そうだ」
「そうか。ありがとう」
「なんだ、兄さん仕事かと思ったんだが、そうじゃないのか?」
「いや、似た様な所だけどな。ここから更に北に古い一族の自治区があるだろう? そこの古い知り合いに呼ばれてね。酒でも飲み交わすか、って言う話なんだが、そのついでに立ち寄っただけさ」
カイトはそう嘯く。ここらは、彼の得意とする所だ。一切の気負いもなく語られた言葉は、嘘と見抜く事は困難だ。それ故、この男性もそうなのか、と目を見開いて驚いていた。
「兄さん若いかと思ったが、結構年行ってるのか?」
「老化が緩やかになる程度には、龍の血を引いていてね。お陰様で若く見られる」
カイトは苦笑を見せる。龍の血を引いているのは事実だし、龍の因子を持ち合わせているのも事実だ。年相応ではないのもまた事実だ。嘘というのは真実の中に僅かに混ぜて使う事。誰かから教わった事だった。
「おっと・・・それじゃあ、こんな口調じゃ失礼になっちまうかな?」
「いや、それでいいさ。気にする様な職業でも年齢でも無いしな」
「ははははは! そりゃ、有り難い。敬語は苦手なんだ」
カイトが笑ったのを受けて、男性も笑う。そうして、適度に男性からの信頼を得ておいて、カイトは本題に入る事にした。
「ああ、そうだ。一応聞いておきたいんだが、困り事とか無いのか? ついでだしな。帰り道で立ち寄る事もあるかもしれないからな」
「うん? まぁ、困り事っちゃあウチのかぁちゃんが怖いぐらいか?」
「あはは。そりゃ、流石にオレの出番じゃないな」
「ははは。ま、そんな所だ。この村は基本的に平和さ。村長も優しいし、村の子供達も呑気に暮らしてる。特に何かが起きるって事はないさ」
カイトの言葉に男性は笑う。あくまでも、何も困っていない事を指し示す為に敢えて言及しただけなのだろう。
「まぁ、困り事ってか少し前にブランシェットのお偉いさんの使者が来られたってぐらいか」
「そうなのか? 何か起きたのか?」
「さぁ・・・昔なつかしい名前を聞いた、ってぐらいでな。特に何かあるってわけでもねぇ・・・はぁ・・・カナンの奴、元気してっかねぇ・・・って、悪い悪い。兄さんに聞かせる内容じゃねぇな。ま、そんなぐらいさ」
少し懐かしげにした男性が、カイトへと笑って何でもない、と首を振る。どうやらこの様子だと、他に何か特筆すべき事はないのだろう。
「そうか。悪いな」
「ああ、じゃあな」
カイトが村へと入っていったのを受けて、男性は再び視線を本へと落とす。そしてそれに、カイトは一つ安堵した。
「ってことは、カナンの家に先回りされている事はない、か・・・」
カイトは少しだけ安堵を浮かべる。一番怖かったのは先回りされている事だ。とはいえ、更に情報は欲しい。なのでカイトは一度冒険者ユニオンの支部へと向かう事にした。
「失礼・・・誰か居ないのかー!」
カイトは誰も居なかったユニオン支部の受付を見て、声を張り上げる。不用心ではあるが、本当に田舎の冒険者ユニオンの支部はこんなものだ。このサイズから考えるとおそらくこのユニオン支部の建物はユニオンに所属する職員の自宅も兼ねているのだろう。そしてこういう場合、大抵職員は一人か二人だ。なので不在であるのも良くある事だった。
「あ、はーい。すいません、何かご用事ですか?」
出て来たのは、10代中頃に見える少年だ。ミレイの事を考えれば、この年齢でも可怪しくはない。有能であればユニオンは年齢を問わず受け入れる。
「ああ、すまない。近くまで立ち寄った冒険者でね・・・えらく若いな」
「あはは・・・これでも二十歳超えているんですけどね・・・ハーフリングの血を薄く引いているんで若く見られるんです・・・」
「そ、そうか・・・悪かった。オレも似たようなものだから分かるよ」
「あはは・・・慣れてますから・・・」
どんよりとした風を見せるユニオンの職員の少年もとい男性に対して、カイトが謝罪する。どうやら少し気にしていたらしい。
「っと。一応、これが冒険者登録証になる。別の仕事の兼ね合いで偽造証だが、そこは気にしないでくれ」
「・・・はい、分かりました。少々お待ち下さい」
カイトから述べられた事とそれを指し示す登録証を見て一瞬顔つきを変えた職員だが、即座に気を取り直して仕事に取り掛かる。その手際には慣れが見えて、この様子だと本当に数年の経歴がある様に見受けられた。
「・・・はい、ありがとうございます。これで、本支部へ立ち寄った事は記録されました」
「助かる」
カイトは返却された登録証を受け取って、それを懐にしまい込む。そうして、カイトへとこの職員が問いかけた。
「珍しいですね、依頼も受けずにこの村に、って・・・あ、シャリマといいます。お見知りおきを。何時もは奥で魔術の研究をしています」
「それで、居なかったわけか・・・ああ、カイトだ・・・実は北に知り合いが居てね。それにお呼ばれしてるんだが、道中でここに支部が出来たと聞いたものでね。ついでなので仕事を受けておくかと思ったんだが・・・この様子だと依頼は殆ど発生しなさそうか」
差し出された右手を握り返してカイトは笑いながら、がらんどうというのが正しい受付の状態を観察する。ここまでの道中でも気付いていたが、この村はかなり平和だ。北にはラカムら古い獣人の一族が治める自治領があるし、周囲の野山についても比較的安全だ。土地柄として、揉め事が起こりにくい土地柄なのだろう。
「あはは・・・すいません。一応、週に何度か山に入る系の依頼は発生するんですが・・・本支部に所属する冒険者が片付けてしまいますから・・・」
シャリマは笑いながら、今のところ仕事は発生していない、と明言する。ユニオンの職員の給金はユニオンが支払っている。なので依頼が発生しようとしまいと維持費に問題はない。そして建物に維持についても自宅を兼ねている関係でほとんど発生しない。ユニオンにとって負担があるとすれば、強いて言えばシャリマの給金程度だろう。
とはいえ、地方の小さなユニオン支部であれば赤字経営であってもさほど問題はないらしい。それよりも冒険者達の風聞を取る方を選んでいるのであった。
「ここに冒険者・・・嫁さんか?」
「はい。僕の妻が冒険者でして・・・」
少し照れくさそうにシャリマが頷いた。この規模の支部でここを中心として所属する冒険者が居るとなると、それはこの地に赴任する職員に付いて来た冒険者ぐらいだ。そして案の定、そうらしい。
「そうか・・・なら、邪魔するのも悪いか。まぁ、気が向けば顔を出したいが・・・この村に空き家なんかはあるのか?」
「あー・・・一軒あるんですけど、どうにも留守にされている家らしいんですよ。僕も妻も見たことはないんですけどね」
「ほう?」
カイトは予想はついたものの、あくまでも知らない風を装って首を傾げる。
「大昔に母と子で住んでいたらしいんですけど、お母さんが流行り病で亡くられて娘さんは旅立っちゃったらしくて・・・でも村長さんの意向で、今でもそのままにしているらしいです」
「そうか・・・なら、村長に聞いた方が良いか」
「そうしてください。村長さんの家でしたら、村の中心にあります・・・あ、でもそう言えば誰かお客様が来られる、という話だからあまり期待しない方が良いかも・・・」
「そうか・・・まぁ、最悪ちょっと駆け足にダチの所行くから大丈夫だ。ありがとな」
「いえ」
カイトはそう言うと、シャリマと別れを交わす。そうして、カイトは次に村長宅へと向かう事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第905話『カナンの秘密』




