第877話 深海探索
ブリーフィングを行った翌日。カイト達は水着に着替えていた。理由は考えるまでもなく、海に入るからだ。万が一泡が破られた場合には海水が流れ込んでくるのだ。
そうなれば再び泡を展開した所で濡れた服に体温は奪われるし、動きも鈍って命取りだ。防水性の高い防具を持たない限りは、水着必須の任務だった。
「良し。久しぶりの水着だな」
カイトは着替えを終えて、更にその上からパーカーを羽織る。寒いわけではないが、パーカーにはポケットがついている。中での探査任務があるカイトは一応何かあった場合に備えて小物を入れられる様にしておいたのだ。とは言え、それだけでは心許ない。なのでカイトは更にカバンの中を漁る。
「後は・・・えっと・・・あったあった。椿が用意してくれてたな」
カイトが取り出したのはウエストポーチだ。今回、船は魔物との戦闘によってかなり破壊された状態で沈没した。なので工具類も必要になると考えられたのでそれを仕舞う為のポーチを腰に装着しておく事にしたのだ。勿論、懐中電灯も仕舞える物だ。
「良し・・・後は、ディーネ。今回は頼むな」
『任されましょう』
カイトの言葉にディーネが声を返した。海の中とはそれ即ち水の中。彼女の領域だ。彼女がいれば地上も同然に動き回れる。何が起こるかわからない以上、万が一には備えておく――これは万が一の中でも最悪の場合だが――つもりだった。そうしてカイトは万が一に備えると、再度自身の用意を確認する。
「良し・・・これで大丈夫、と」
何も問題はない。それをカイトは改めて確認する。まぁ、正直な話としてカイトは何時もの防具でもなんら問題なく水中戦をこなせる。万が一の場合には即座にそれにするつもりだが、一応何も知らない生徒も多数居る関係で水着を着ているだけだ。
それにカイトの場合厄災種でもなければ防具は本当に必要なのか、とは誰もが一度は抱く素直な疑問だ。問題はさほど無いだろう。まだ弱かった時代の癖が抜けないだけだろう。そして万が一に備えるのは悪い事ではない。これで良いだろう。
そうしてカイトは部屋を出て、冒険部としての集合場所であるホテルのロビーラウンジへと足を向ける。そこにはすでに一部の面子が揃っていた。
「あ、先輩」
「うん、かわいいな」
「なっ・・・いきなり何言うんですか!」
暦の水着姿を褒めた所、彼女は顔を真っ赤にして照れかえる。当たり前だが彼女も任務である以上、水着着用だ。そしてカイトは実のところ暦の水着姿をしっかりと見るのはこれが初めてだ。
そしてこの男が女の子の水着姿を見て褒め言葉の一つも言わない方が可怪しい。そう調教されているのだ。当然だろう。そしてこの男の悪い所は、こういう素の場合には下心が無い事だろう。クリティカルヒットしやすかった。
「いや、そりゃここで褒め言葉の一つも言わないと女性に対して失礼だろ」
「そ、そういうのは誰か恋人にでも言うべきであって・・・」
「今居ないし。そもそも減るもんでもないしな・・・うん、やっぱり良いんじゃないか?」
カイトは改めて暦の姿をしっかりと確認する。確かに、女としての色気であれば桜達やティナには遠く及ばない。及ばないが、それだからといって水着が似合わないわけではない。
彼女の着ていた水着は所謂ワンピースタイプの物ではなく、少し色気の滲んだビキニタイプの物だ。そう言っても彼女なのでやはり羞恥心があるらしく腰にはパレオを巻いていたし、布地もかなり大きめの物だった。更には今回は刀を帯びられる物も身に着けている。
「うん、なんというか・・・健康的な美しさ、ってのがあるよな。肌も綺麗だし・・・もしかすると桜達よりも肌は綺麗かも・・・うん、きめ細かいし・・・ムダ毛も殆ど生えてないし・・・顔もニキビとかキレイになくなってる・・・最近、美容にも気を遣っている様子で良い事じゃんか」
「あぅあぅ・・・」
カイトからじっくりと観察されて、暦が更に真っ赤になる。肌はきめ細かく、更には元々運動部である為か程よい肉付きがある。カモシカのような足、とはこの事だろう。
勿論それでも筋肉質というわけではなく、少女らしい丸みや柔らかさも備わっていた。どうやら筋肉が本格的に備わる前にエネフィアに転移した事が大きいのだろう。魔力というブースターを得た事で筋肉が余分に身に付かず、女らしさを失わずに済んだ様子だった。
やはり筋肉質でゴツゴツとした女の子よりも、女の子らしい丸みがあった方が男受けはするだろう。カイトもそちらの方が好みだ。カイトとしてはかわいい女の子が増えて嬉しい限りである。
「・・・あー、先輩? 良いんっすか、口説いて・・・」
「うん? あ、悪い悪い。そんな照れないでくれ」
「あうぅ・・・」
夕陽の言葉で、カイトは暦をまじまじと見てしまっていた事に気付いた。小柄かつ胸についてもさほど大きくなく、非常に均整の取れた身体だった。思わず、カイトが感心する程ではあったらしい。更には顔もこちらに来て段々と女らしくなっており、十分可愛らしい女の子と言って通用するレベルになっていた。
「と言うか、先輩。先輩・・・胸小さくてもいけたんっすか?」
「うん? どしてだ?」
「いや・・・先輩、結構胸大きな人じゃないっすか」
「いや? 別に大きいから良いってわけじゃないぞ?」
どうやら桜や瑞樹、更にはティナの本来の姿を知っているからか夕陽はカイトが巨乳派だと思っていたらしい。カイトが夕陽の奇妙な誤解に笑っていた。
「え・・・そうなんっすか?」
「ああ。普通にな・・・小ぶりにゃ小ぶりの良さが・・・って、言わせんな」
「あいてっ! 勝手に言っただけじゃないっすか!」
「言わせたようなもんだろ」
ごつん、と振り下ろされたげんこつに夕陽が頭を擦る。それに、カイトが冗談っぽく話し始める。
「ウチの爺さまの遺言だ、胸に貴賎無しってな」
「嘘っしょ」
「いや、これは大マジでな・・・あ、血の繋がりのある方じゃないけどな」
カイトはとりあえず罪をヘルメス翁へと擦り付けておく事にする。と、そんな男同士の馬鹿話をしている一方で、暦が今度は上級生達に弄られていた。
「良かったじゃない、小さい胸も良いんだって・・・でもやっぱり、大きい方が良いわよねー」
「ななな、なんでですか!?」
「うふふふ・・・」
わしゃわしゃと水泳部の女子生徒達が手を動かして、暦に詰め寄っていく。どうやら女子生徒で纏めていた所、暦は水泳部の女子生徒達に気に入られた様だ。
暦がこぶりな胸を気にしていた事は全員――と言っても女子だけだが――が把握している事だ。そして暦の性格は生真面目故に可愛がり甲斐がある、とでも上級生達に思われているのだろう。
「うきゃー!」
「揉ませろー!」
ドタバタと暦が逃げ回り、それを水泳部上級生組が追いかけまわる。どうやら数人エロ親父じみた性格の女子生徒が混じっていたらしい。剣道部の全員が基本的には真面目なので暦は慣れていなさそうだった。が、顔は楽しげだ。決して嫌がっている様子はなかった。
「あはは」
逃げ回る暦とそれを追っかける女子生徒の集団にカイトが笑みを浮かべる。仲良きことは美しきかな、とでも思っているのだろう。と、そんな風に笑いあっている間に全員が揃った様だ。そんな雑談をしながら、一同はローレシア王国の軍基地まで移動する事にするのだった。
ローレシア王国軍の基地へと足を運んだ一同だが、そこで他の冒険者達と共に一所に集められていた。が、何かブリーフィングがあるわけでもなく普通にそこから船に乗るか、というだけだったようだ。そのまま船に乗せられて、泡に包まれて移動する事になった。
「どれぐらい移動するんですか?」
船の中で暦がカイトへと問いかける。今回は港までではなく、沈没船の場所までの移動だ。一応レインガルド近くだとは聞いているが、正確な場所は知らないのだ。
「んー・・・ざっと片道2時間って所か。今回は軍用だしそもそも移動距離そのものも短いからな。それに周辺海域の安全はローレシア王国軍が確保している。速度出した所で問題は無い」
カイトはざっと周辺の地図を思い浮かべながら、暦の質問に答えた。今回沈んだ船の場所は公海上だが、一番近いのはローレシア王国の領海だ。それ故、沈没船の調査もローレシア王国が請け負っていたわけであるが、それでもやはり少し距離はある。片道2時間程の時間を要したわけである。
「さて・・・じゃあ、来る時にも一度やったが、もう一度最後の念押しをしておこう。まず仕事始める前に幾つか注意事項を説明しておくと・・・足場には気をつけろ。基本的に海の魔物に海中で戦って勝てる道理はない。無いがやらないといけないのが、冒険者の辛い所だ」
一同に向けて、カイトが語り始める。ここらカイトや桜等水の加護持ちであれば比較的自由に動ける様になるのだが、残念ながらこの場の面子の中で水の加護を持ち合わせている者は誰ひとりとしていなかった。なので基本的には、普通の冒険者と同じく自分でなんとかする事によって対応せねばならなかった。
「コツとしては足場を固めるやり方の応用だ。水を固めて足場にして、なんとか踏ん張れ」
ここらはかつて翔を相手に語った事と一緒だ。水の中というのはかなり不安定だが、それでも物質として存在しているのだ。魔力でしっかりと固定してやれば踏ん張る事は可能だった。そして可能ならそれをやるだけだ。
ちなみに、水泳部を除いた全員が<<縮地>>については習得済みだ。水泳部にしても足場を固定するぐらいは出来る。そして剣道部に至っては荷物を持った状態でも出来る。
なので水場での戦闘は一応、出来る状態には仕上がっていた。と言ってもこれが初陣になるのでやはり無理と油断は厳禁だ。
「あ、後それと、敵は鱗が堅い奴が居る場合がある」
「場合がある?」
「カニとかエビとかそう言う系統の魔物ですよ。生態系としては似たようなもんですからね」
藤堂の問いかけにカイトが答える。彼らの頭の中では今、どうやって戦うか、という戦略が立てられている所だった。
「なら、基本は石巨人系との戦い方が有効、か・・・」
「ハサミには気を付けた方が良いか・・・」
やはりカニやエビとなると一番怖いだろうのは、その両手にあるハサミだろう。それに挟まれては一巻の終わりだろう事ぐらい聞くまでもない話だった。そして、これはカイトも同意する所だった。
「そうですね、その2つには気を付けておくべきだと思います。と言っても、甲殻類の特徴として鱗の接合部は柔らかい事を覚えておくと良いかもしれませんね」
「ふむ・・・動くにあたって仕方がない所、か・・・」
如何に魔物と言えどもやはり物理的な性質そのものは越えられない壁として存在している。幾ら魔術があろうと堅い物質で柔軟な動きが出来るわけではない。その接合部分を狙うのは常道だろう。
「と言っても近付く事になりますので、その時はどちらにせよハサミには気をつけて。挟まれればどうあがいても真っ二つになる未来しか待ち受けていないですよ」
「他に気をつけるべき魔物は?」
「後は・・・デカブツぐらいですね。血の匂いに引き寄せられたサメやら魔物やらに出会うのは最悪です。ですが、まぁ、そこらについては国軍が対処する事になっているので基本的には今回の依頼では無視で大丈夫かと思われます。やっぱり怖いのは海底を歩かれて密かに入られる事なんで・・・如何に軍と言っても完全な排除は無理ですからね。影となる場所や深い所から来られれば対処のしようがない」
今回の任務内容は調査だが、根本的な所には拠点防衛任務も含まれている。沈没船をこれ以上破壊されない事が何より重要なのだ。なので街の側と同じく、巨大な魔物については討伐は厳禁だった。
と言っても今回の場合はそちらは国軍が請け負う事になっている。更には海上ではエンテシア皇国の海軍も展開しており、万が一に備えていた。そちらについては考えなくても良いだろう。
「ということは、基本的には魔物は殆ど考えなくて良い、ということかな?」
「ええ、大凡は。でもまあ、それでも一日数度は入り込むと考えて良いでしょう。基本的に広範囲に渡って調査しますからね。軍の警備網も完璧ではないし、デカブツを潰すのに精一杯になる。穴が生まれるのだけは、仕方がないと諦めるべきかと」
「まぁ、そこは仕方がないか」
カイトの念押しに藤堂もそれはそれで良いだろう、と納得する。完璧に全て軍で討伐出来るのならわざわざ冒険者に高い金を払って依頼なんぞしないだろう。無理だから依頼しているのだ。そこは弁えておくべきだ。と、そんな所に綾崎が疑問を呈した。
「一つ疑問を良いか?」
「なんですか?」
「もし万が一の話だが・・・魔物のハサミに挟まれそうになった場合は?」
「万が一、ね・・・」
カイトは頭の中に巨大なカニをイメージして、それのハサミが目の前に迫ってくるイメージを行う。そうして己ならどうするか、を考えれば答えが見えてくるからだ。
「まず、基本的には<<縮地>>で全力で離脱してください。挟まれる事だけは避けるべきだ」
「以外には?」
「後は・・・そうですね。海中なので氷属性の力は比較的有効です。勿論氷なのでフレンドリー・ファイアには気を付けないといけないんですが・・・万が一の場合には氷をハサミの間に突っ込むか、凍傷覚悟で全身を分厚い氷で覆ってなんとか耐えて、その間に仲間が救助ですかね」
なりふり構わなければ、氷で全身を覆い尽くすぐらいは誰にでも出来る。最下級程度の氷属性の魔術であれば、誰でも習得している。それを全力で行使すればどうということもないだろう。が、勿論ここらは己の身を顧みない行動だ。本当に万が一に備えてだろう。
「わかった。なんとか、氷で対処すれば良いのだな?」
「ええ・・・あ、わかっているかと思いますが、水中で雷属性は厳禁ですからね」
「ああ、わかっている」
綾崎が頷いた。それぐらいわかっていたので、彼も笑っていた。と、そんな話をしながら暇をつぶしていると、どうやら目的地に近づいたらしい。軍の事務官が待合室に顔を出した。
「目的地に近づきました。冒険者の方々は全員ご用意を。ああ、カイト・アマネ殿はこちらへ。他のブリーフィングがあります」
「おっと・・・もうそんな時間か。じゃあ、全員腕輪は大丈夫か?」
カイトが最後の確認として、腕輪とシュノーケルの様な魔道具を確認させる。これからの会話は全て念話だけになる。声を発せれるのはこれが最後だ。そうして、全員の用意が整っている事を確認して、カイトは事務官に向けて頷く。
「わかりました。では、ハッチの準備を開始します」
「お願いします。では、貴方はこちらへ」
カイトの返答に更に他の冒険者達の応答を受けて、軍の事務官が外に出る為の用意を整え始める。そうして、カイトは一同から別れて別のブリーフィングを受ける事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第878話『沈没船』




