第863話 月天の明兎
一つだけ疑問を提示する。古龍が一人、仁龍の治める中津国には、<<月天>>という武官が存在する。それは彼の国において武の頂点に立つ者達だけが名乗る事を許された、謂わばチャンプの様な称号だ。
そしてかつて、それは月花である事はわかっている。<<月天>>の月花。それが、300年前の月花の呼ばれ方だ。であれば、疑問が出る。彼女は300年前に強大な魔物と戦い、助からぬ傷を負った。だが、それでその座が300年の間不在となる事があるのだろうか、という事だ。
答えは、否だ。当たり前だが武官である以上戦死することは始めから想定内。であれば、普通は次を決めるか、代理人を決めるかはするだろう。であれば、その次は既に存在しているはずなのだ。
「<<月天>>の明兎。さて、どこまで食い下がれるかね」
瞬の投槍を自らの咆哮で吹き飛ばしたミントを見ながら、カイトが笑う。実は中津国の現最強――月花の数代後の<<月天>>――は彼女だった。それはソラ達では勝てないだろう。技量であれば月花が勝るが、力であればミントが勝る。それが、中津国での評判だった。
「ま、多少はやるようになった、というべきじゃろ」
「多少はな。これなら、外にも出れるか」
ティナの言葉にカイトが笑う。ティナも同じような笑みを浮かべていた。今回、一同が文句も無く戦いを挑んだ理由は実のところ、これが試金石だったからだ。
今後、一同はマクダウェルの外へと出て行く事になる。そうなると、より一層強い敵が出て来るのだ。それと戦う為の試金石だったのである。いつも通りトップ勢が試して、そこからノウハウ等を広く伝えさせるつもりだった。そうして、二人は再びソラ達の戦いを観戦する事にするのだった。
さて、ソラと瞬が同時に前線に躍り出ると同時。ソラは違和感がどうしても拭えず、ミントの手に注視する事にしていた。
「先輩! なんか腕ヤバイかもしんないっす! 唐突に力増したってか、かなり力強いっすよ!」
「わかった! ソラ! お前は防御で衝撃をもらうなよ!」
「うっす!」
ソラからの警告を受けた瞬は、敵が腕力に優れている事を胸に刻む。ソラの言い方は今まで力を隠していたのかそれとも力が急激に増大したのかはわからないが、とりあえず注意すべきだという事は理解出来る。
「なら、掴まれると厄介か」
瞬はソラの情報から掴まれる事が拙いと判断すると、敵の情報が不明な所が多いので<<雷炎武>>の段階を落として<<雷炎武・弐式>>を展開する事にする。
参式では一気に決めに行けるが、じゃじゃ馬だ。未知の相手でも一気に決めに行けるのであれば別だが、今回の相手の格上は確定だ。仲間の援護もあるので、今は選択肢から除外する。
それに、ただでさえ燃費の悪い<<雷炎武>>だ。そこにルーンを加えた事で、出力の増大と共に一気に燃費も悪化したのだ。それ故、様子見が必要と判断される状況では単純に加護を使わない壱式――なんとか出来る様になったらしい――か、加護だけの弐式を使う様にしていたのである。
「ふむ・・・妙な増強術を使う」
そんな瞬にミントは少しの感心を覚えていた。彼女は中津国の武官だ。この間の大陸間会議は兎も角、更にその前の御前試合なぞ風のうわさにさえ聞いていない。なのでそこそこ有名人な瞬の<<雷炎武>>については知らなかった様子である。
「ふん・・・」
ミントは少しだけ、考える。瞬の上昇率は先程彼女が動いた時の速さに対応出来る程度にはなっている。攻撃の基点となっているのは彼だ。なので、一番潰すべきは彼だろう。
「連携には中々な慣れが見受けられる・・・」
瞬の攻撃を回避して返す刀で斬撃を放つも、ミントの攻撃はその間に入ったソラによって防がれる。ソラはどうやら先程のミントの妙な力の増大を警戒しているらしく、持てる能力の全てを防御に全振りしてカウンターはしてこなかった。
とは言え、ソラの行動は防御だ。衝撃で僅かに身体は固くなる。身動きが即座に取れるわけではない。ならばその瞬間を狙いたい所であるが、それは中々に難しかった。
「はぁ!」
「っ」
ミントが一瞬だけ、魔力を漲らせる。翔と魅衣の幻にまぎれて、桜の魔糸が忍び寄っていたのだ。所詮、魔糸は魔力の塊だ。一応魔力の一点集中なので困難ではあるのだが、ある程度の圧倒的な出力を放てば吹き飛ばす事は可能だった。
どうやら、ミントの方が圧倒的に格上だ、というのは共通して持つ認識なのだろう。攻撃が届く可能性のある瞬に攻撃を全て預けて、全員が彼女への牽制や行動の抑制、防御を織り交ぜた援護をしていた。
とは言え、攻撃が瞬だけか、というとそうではない。桜と魅衣、翔に牽制とミントの抑制を預け、ソラが全体への攻撃を防ぐ。となると、残る楓と由利もまた、攻撃に入っていたのだ。
「むっ・・・」
ミントが魔力を漲らせて桜の魔糸を吹き飛ばすと、その瞬間を狙い定めて楓の魔術が飛来する。それは無数の雷だった。どうやら、彼女はミントに火・風・土・水の四属性の効果が薄い事に気付いたのだろう。そしてそんな彼女は同時に、由利の矢に対しても細工を施していた。
「<<雷・付与>>」
「ふっ!」
楓の魔術によって雷属性を付与された矢を更に最大までチャージした攻撃が放たれる。先程までは先と同じく土の矢だったのだが、属性の相性の関係で加護を切ったのだろう。完全な雷の矢だった。
「ちっ」
ミントは舌打ち一つを賞賛とする。この雷の矢を防いだ瞬間、瞬が一気に攻め込む事は目に見えていた。既に瞬が退いてから数拍。熟練でなくても近接戦闘をメインとする戦士なら、余程の決め手ではない限りは次の一手の準備には十分な時間だった。ならば、回避。ミントは即座に身を屈める。
「させるか!」
が、その瞬間だ。魅衣が無数の氷柱を投じて牽制する。こちらも、基本四属性ではない。彼女が気付いたかどうかは定かではないが、どうにせよ有難くはない手だった。
「ん・・・」
これは少々拙い。ミントは完全に身動きの取れない事を悟る。上に跳び上がれば氷が着弾し、そのままなら雷の矢が着弾する。逃げ場が無かった。
とは言え、これは手加減しまくりならば、というだけの話だ。なので彼女は即座に刀を右手だけで持つと、ぐっと左手に力を溜めてアッパーカットの要領で勢いそのままに上空へと飛び出した。そしてその瞬間、ずっと彼女の手に集中していたソラが違和感の正体に気付いた。
「・・・やっぱそうか!」
「どうした!?」
「あの人、腕が僅かにですけど龍になってるんっすよ!」
「何!?」
ソラの言葉に、一同は着物の裾から僅かに覗くミントの手を窺い見る。が、そこには先程と同じく、白いすべすべの肌があるだけだった。とは言え、ソラの見た物が正解だった。そんな会話を一時中座の合図と見て取って、ミントが地面に着地して解説をしてくれた。
「よくぞ見抜いた。カイト殿の下で鍛錬を積むだけはある」
「すっげ・・・」
ミントは一同の目の前で腕だけを龍のそれと人のそれが混じった様な状態へと変える。ソラが受けた力の増大も、魅衣の攻撃をただ殴り飛ばすだけで吹き飛ばすという芸当も、全てはこの腕が為している事だった。
「高位の龍族になると、人の姿でも<<龍の咆哮>>は放てる。が、更に拙の様な高位の龍族になると・・・」
ミントはそう言うと、少しだけ力を溜める。そうして、かっ、と彼女の目が見開かれるとその姿が光り輝いた。
「うわぁ!」
ミントから放たれる魔力の嵐に、一同が思わず防御の姿勢を取って身体を固くする。この姿を始めから取っていられれば、確実に彼らには勝ち目がなかっただろう程の圧力だった。手加減されている事が如実に理解出来る一幕だった。そうして、暫くすると濃密な魔力の滾りはそのままに、圧力だけが収まった。
「拙らは<<龍神転化>>と呼び、この里の者達や西の国々・・・あぁ、中津国以外の国では<<龍人転化>>と呼ぶ術だ」
「龍人・・・?」
見たままを、楓が呟く。光の収まった後に現れたのは、まさに彼女の言うままに物語に語られる龍人だ。肌に龍の鱗が生え、頭には龍の角が。目は龍眼になり、圧倒的な圧力を有する。龍と人の力を併せ持った存在。そう見えた。
「そう呼ぶ者も居る・・・ある程度高位の種族には、龍化や獣化以外にもこのように人と龍、人と獣の力を併せ持つ形態を取る事が出来る者達も居る。獣人の場合は、<<獣人転化>>と呼ぶ。そういった種族の中でもこの力を使える者は、これを出してからが本番」
純白の鱗に覆われたミントは、圧倒的な威圧感を纏いながら告げる。これの難点らしい難点は、抑えが効きにくい事だ。基礎的な出力を増加させる事は即ち、手加減がそれだけ難しくなる事と同義だからだ。
「では、行くぞ」
ミントが納刀した状態で拳を構える。そして一瞬だけぴりっとした空気が流れて、ミントが消えた。速度は先の倍を遥かに上回っている様子だった。
「っ! 三枝!」
「もうやってる! ソラ!」
楓の言葉に、魅衣が応ずる。消えたのは、高速で移動したから。そして彼女の今の速度に誰が応対出来るか、となるとまず厳しい。なので全周囲を防御しなければ、防御の裏を掛かれて敗北だ。
「おう!」
魅衣の言葉を受けて、ソラが巨大な球の盾を創り出して全員を覆い尽くす。一撃でも耐えられれば良い。そうすれば、後は魅衣と楓が分厚い防御を作り上げ、桜が魔糸で動きを阻害して、だ。が、そんなソラの強固な盾は、一瞬で消し飛んだ。
「・・・は?」
気付けば、一瞬だった。誰も傷付いていないのに、ソラの展開した盾だけが剥ぎ取られていた。彼が唖然となるのも無理はなかった。
「・・・嘘だろ、おい・・・」
一同の目の前に立つミントを見て、ソラが頬を引き攣らせる。その手にはソラが張ったと思しき盾の残骸があった。刀を抜いている様子は見えなかったので、素手で強引に引剥がしたのだろう。
「拙の先代達であれば、技量で切り裂く事も出来たのだろう。が、何分拙は繊細な行動が苦手で」
がらん、とミントはソラの魔力の盾の残骸を投げ捨てる。投げ捨てられた盾の残骸はそのまま消える。と、そんな行動に一瞬唖然となった一同だが、その次の瞬間、我を取り戻した楓と魅衣が同時に行動に移る。
「っ」
「無駄だ」
一瞬で展開された氷の壁をミントは拳一つで平然と砕き散らせる。これで、刀は使っていない。やったのは単なる正拳突きだ。両者の差は歴然たる物だった。
「・・・ソラ。一撃だけ、耐えられるか?」
「・・・いや、あれは厳しいんじゃねぇっすかねぇ」
瞬の問いかけに、ソラが少し半笑いで頬を引き攣らせながら答える。が、ぱっと見だ。なのでソラは一度、しっかりと今の光景を見直す事にする。どうやら、ミントは次のこちらの出方を待ってくれるらしい。考える時間はまだなんとか、少し存在していた。
「・・・一発。やれて、一発っすね。それ以上になると、確実に耐えられないっすよ。それでも、確率は半々って所で・・・」
ソラが顔付きを険しくする。彼女の今の出力で、更には素手であるという前提があるが、それならばなんとか一撃は耐えられる可能性はあった。
「・・・可能性を高めるなら?」
「楓ちゃんになんとか勢いを弱めてもらった上で、更に直撃後に振動を受け流すのに桜ちゃんの魔糸での援護が欲しい所っす。その上で、翔と魅衣の二人に全力の魔術で補佐って所っすね」
「援護要員を全員、か・・・」
ソラの言葉を受けて、瞬が考える。ソラが完全にあの攻撃を防ぐのであれば、全員の力を集めた上でなければならないのだ。手加減されているとは言え<<月天>>を相手にここまでこれたのは十分に賞賛されるべきだろうが、まだまだ上は厚かった。
「やるか」
「・・・うっす」
ソラと瞬はうなずき合い、そして今の会話を聞いていただろう一同とうなずき合う。そうしてそんな行動を見て、ミントもこちらが動く事を理解したようだ。徒手空拳で構えを作り、魔力を再度高めていく。
「ふぅ・・・先輩。やれんの、一発っきりですからね」
「わかっている・・・小鳥遊、牽制は頼む」
ミントの魔力の高まりに合わせて、ソラが魔力を高めて、瞬は展開していた<<雷炎武>>を更に最上位の<<雷炎武・参式>>へとチェンジする。決められるのは、たった一度。そしてそれでも届くかどうかは微妙な一撃だ。が、これしか手は残されていなかった。
「良し・・・覚悟は?」
「何時でも」
ソラと瞬の二人はうなずき合い、気合を入れ直す。そうして、それを開始の合図と見て取ったミントが一気に地面を蹴った。
「おぉおおおおお!」
「<<氷壁>>!」
ミントが地面を蹴るとほぼ同時に、ソラが雄叫びを上げて前に出る。そしてそれと同時に、その彼の前に巨大な氷壁が展開する。放ったのは楓だ。それは見る見るうちに砕かれていき、すぐにミントはソラの目の前までたどり着いた。
だが、それでよかった。何処に居るかもわからないのが困るのであって、何処に居るかわかれば衝撃に備える事が出来るのだ。
「うぉおおおお!」
ソラは雄叫びを上げて風の加護を全力で使用し、更には鎧の機能をフルに発揮する。そうしてそれとほぼ同時に桜による柔らかな魔糸が彼の背後に壁を作った。そしてその次の瞬間。今まで見えなかったミントの姿が顕れる。攻撃の為に止まったのだ。
「行くぞ」
「翔、こっちは盾に重ねる!」
「おっしゃ! こっちは攻撃に攻撃ぶつけて相殺する!」
ミントはソラの前で既に右手を引いており、一刻の猶予もなかった。そこへ、魅衣が魔術による障壁をソラの盾の前に幾重にも展開して、更に翔が魔力による刺突を飛ばして、ミントの右手を狙い撃つ。少しでも威力を削ぐ事が出来れば、それだけソラの援護になるのだ。
が、こんなものは所詮は付け焼き刃。ミントの拳はまるでそれらの障害をまるで紙のように貫いて、ソラの盾へと衝突した。
「うぅうううおおおおお!」
一瞬拮抗が生まれてソラが雄叫びを上げて、地面に踏みとどまる。だが、元より差は歴然。少し動いたのをきっかけとしてソラの身体は大きく地面を滑り、しかし、桜の作り上げた魔糸の壁により受け止められる。
「ぐっ!」
それに、桜が顔を顰めた。ソラの勢いはとてつもないもので、魔糸の壁がものすごい勢いで千切れていっていたのだ。膨大な魔力を編んで作った壁が破壊された衝撃で、彼女自身にもバックロードが訪れているのである。魔糸は彼女の感覚とリンクしている。故に強引に千切られるとバックロードが訪れるらしい。
「っ・・・なん・・・とか・・・」
「ふっ!」
が、なんとかソラも桜の壁も耐えきった。ソラの腕も無事だ。折れていない。そして、それなりには力を込めた反動で身を固くするミントへと、由利が最大までチャージした矢を放った。
「ふんっ!」
由利の矢に対して、ミントは既に引いていた左手を振り抜いて、真正面から打ち合う。あれだけ対処して部内であれば一番の防御力を誇るソラであれだ。その一撃は安々と由利の矢を砕き散らせた。しかしその瞬間、瞬が肉薄して、両手の槍を突き出す。
「取った!」
溜められるだけの魔力を溜めて、左右両方の槍に更にルーンを刻み雷と炎の槍と化す。現状で瞬が使える近接戦闘での最大の威力――投槍は近すぎて使えない為――を持つ攻撃だった。が、これが少々、悪手だった。
「何!?」
「拙の身体は龍のそれと大差はない・・・炎を選んだのが、失策だ」
「ぐっ・・・」
瞬の驚きが響き渡り、次いでミントの言葉が告げられて瞬が地面へと倒れ伏す。ミントは突き出していた左手で瞬の炎の槍を掴み、更には半身をズラして雷の槍を回避。その上で、空いた右手で瞬のがら空きの胴体に一撃を食らわせたのであった。
龍の鱗には、炎は効果が薄い。というよりも、水も土も風も効果が薄い。どちらか一方が基本四元素であった事が、今回の敗因だった。まぁ、こればかりは相性の問題だ。瞬には切り札として炎と雷を使うしかないので、責められる話ではなかった。
「はーい、終了。先輩が倒れた時点で攻められん。終わりで良いだろう」
瞬が倒れた事でカイトが勝負の終了を告げる。そもそも、ソラにしても先程の一撃で満足に動けないだろうし、桜にしてもバックロードで暫くは動けないだろう。三人やられた時点で終わりだった。そうして、ソラ達対ミントの戦いが幕を下ろしたのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第864話『若衆との戦い』




