第859話 高所
家に入るなり高山病に苦しめられる事になったカイト、ティナら一部を除く一同は、ソラの展開した擬似的な結界の中でどうすべきかを考えていた。
「えっと・・・とりあえず、私と楓ちゃん、魅衣さんは、なんとかなるんですけど・・・」
桜が議論の口火を切る。自分達三人は大丈夫。その根拠は勿論、彼女らが魔術にも長けているから、だ。楓は元より魔術師だし、桜と魅衣は補助として魔術も使う魔法戦士の様な感じだ。なので気圧を操作する程度は簡単だった。
ただ単に先程までは高山病の影響でそこまで知恵が回らなかった上に、魔術を使用出来る精神状態ではなかった事も大きかった。高山病に対して油断していた、という所だろう。
まぁ、実際は敢えて油断させる為に、所見の者にはこの家が気圧に対処していない事を教えられない。なのでまんまとその罠に引っ掛かった、というわけであった。
「問題は、私達ですわね」
次いで、瑞樹が口を開く。そう、次の問題となるのは、この魔術を補助としても使わない面子だ。彼女らも一応低レベルの魔術であれば使えるので決して魔術が使えないわけではないが、それでも今回の状況に合致した魔術を扱えるか、というとそうではない。であれば、何かを考えねばならないのだ。
「となると・・・ソラを除いては何か考えないと駄目なんだろうな」
「いや、ソラも考えろよ。ここは高所だからどうにでもなるが、もしこれが海中とかだったら、桜とは逆にソラの方が対処が必要だろう」
「え・・・海中とかあるのか?」
「これから世界中に行こうってのに海中が無いとか思うなよ。ここは剣と魔法の世界。海中都市はあるぞ。人魚たちの街だな。まぁ、これはお前も知ってるか。行かない、と思うんじゃなくて、もし行ったら、と考えて対処を考えるのが重要だ」
ソラの驚いた様子に、カイトが改めて解説する。それに、仕方がなくソラが考えようとして、気付いた。
「いや、呪符使えば良いじゃん」
「呪符が切れたら?」
「だから、切れない様に予備買っとくんだろ。日帰り任務でも予備は最低二日分。倍は用意しろ。忘れてねーよ」
「荷物全ロストしたら?」
「うっ・・・」
カイトから続けられた最悪の状況の羅列に、ソラがなんとも言えなくなる。そんな事にならない様に立ち回る、と言われれば比喩でもなくカイトから拳が飛んでくるだろう。
「・・・うん。これで荷物全ロストとかありえねー、とか言ったらはったおそうと思ったけど、言わないなら良しだな」
「そりゃ、お前の過去少し調べりゃわかるわ・・・俺、お前と一緒の船にぜってー乗りたくねー」
「食料含めて全ロストとか稀によくある」
「意味ワカンネー」
カイトの冗談めかした言葉に、ソラが笑う。が、目は笑っていない。これが本当だからだ。笑えるわけがなかった。
あえて語るまでもないが、カイトは本来ならば滅多に起きない食料等の生活必需品を含めた物全てをロストするという事態に何度も遭遇しているのであった。それでも武器と防具を残せているのは、その当時の彼が就寝中だろうと街中だろうと武器だけは手放さなかったからだ。ある種の恐怖心に突き動かされていた彼は、それだけは手放せなかった、と言うべきなのかもしれない。そして大抵の冒険者はこういうのに出会うのは一度か二度だ。その時には、普通は死ぬからだ。
カナンを見ればわかるだろう。道具全てを失う様な事態になるのは、それ即ち命がけで逃げ出す様な事態だからだ。普通はその時点で万事休す。そして一度幸運にも逃げ出せても、二度目にはもう無理な状況だ。気をつけているにも関わらずその状況に追い込まれたということは、もうどうにもならない事態だ、という事だ。逃げても一緒だ。
それが300年前なら尚更だ。だと言うのに、彼は生還しているのである。この場合は不幸中の幸いというよりも単に悪運が強い、というべきなのだろう。無茶をしているのに、何故か生還するのである。
いや、この場合無茶をしているからこそ、生き延びれたのだろう。というわけで、カイトは己を例に上げて、対応を示してみせた。
「ま、船の例で言えば、一度目はユリィのおかげ、二度目はディーネのおかげ、三度目は慣れだな」
「一度目は私が飛び込んだんだよねー・・・嵐の海の中に。あれ、ほんとに死ぬ気と言うか死ぬかと思った」
「いや、ホント感謝してるよ・・・」
かなり恨みがましい視線をするユリィの言葉に、カイトが礼を述べる。これについては、これ以外に何か言える事は無い。とは言え、そうしなければならなかったのも事実だ。と、そこでカイトが気付いた。
「・・・って、待て。お前そういや、何処行ってた?」
「むにゅん」
「・・・もっちりお肌に何時も以上の潤い・・・温泉か」
「イエス」
ユリィがピースサインで応ずる。ここは公爵家で働く人員の為に気圧変化に対応させる訓練を施す為にも使われる場所だが、実は多いのは療治の為だ。里には源泉掛け流しの温泉があり、そこに入る事があるのである。どうやらユリィは一人お先に入っていたのだろう。カイトもそうだが、彼女もお風呂好きだ。が、そんなはずはなかった。普通に仕事をサボって風呂に入る程、彼女もサボり魔ではない。
「おおよそ、今の所の困り事聞いてきたよ」
「そか・・・後で聞く」
「うん」
ほっぺたをくっつけた時に、ユリィがそう呟いていた。どうやら今回の仕事に関する話を聞いてくれていたのだろう。この里ではカイトの相棒である彼女はカイトと同じぐらいの扱いを受ける。排他的なこの里でも、彼女に対しては心を開いてくれるのであった。
「まぁ、そりゃ良いわ。一度目の時は海のデカイ魔物に引っ掴まれて嵐の海の中に引き込まれ。二回目は奇襲作戦食らって船まるごと沈没し。三度目は三度目でまたデカブツに遭遇し、という不幸な不幸なオレの教える海での沈没船脱出講座ですよ、と」
「「「・・・あ、あはは・・・」」」
何処か諦めの滲んだカイトの言葉に、全員が苦笑にも近い状態で頬を引き攣らせる。大抵、どれか一度で死んでいる。素直に生きている事が不思議だった。
「さて、では質問です。基本的に、一番困るのはなんだ?」
「? どういうことだ?」
カイトの問いかけに、瞬が首を傾げる。何が一番困るのか、と言われても何がなんだかさっぱりだ。
「この話の流れなんだから、極所で生きる上で、だろう。その上で困る事は何だ?」
「そもそも生きれる環境じゃ無い・・・んじゃないのか?」
「その通り」
瞬の答えにカイトが頷く。その通りだ。摂氏1000度の溶岩地帯だろうとマイナス40度の極寒の地だろうと高度10万メートルの空高くの大地だろうと、そもそも何の対処も無しに人間が生きられる環境ではない。
「では、その上で聞くか。そこで人間が住む場合、何をする?」
「うん?」
瞬が首をかしげる。その上で住むにはどうするか。と、これには桜が口を出した。
「環境を変える、ですか?」
「その通り。環境を作り変えるのさ。テラ・フォーミングってやつだな。で、要点はこれと一緒だ」
「私の場合やったのは、空気を大量に持っていった、って所かな。薄い膜を作って・・・だいたい3メートル四方で周囲の空気を巻き込んで、後は私が空気を操作しながらカイトが戦闘・・・って所」
ユリィがカイトに続けて、自分のやったやり方を告げる。この当時は二人共まだまだ未熟で、ユリィはその後もカイトの呼吸の為に膜を維持するのに精一杯だったし、カイトにしても空気の薄い膜を破らない様に戦う事はできなかった。なのでそう上手く事が運んだわけではないことは、念のために言っておく。
「あれ、最後の方死ぬかと思ったわ」
「あっはは。あれはねー。と言うか酸素とか言われても意味わかんないし」
「というわけで、海の中では上手く二酸化炭素を分離させる事も考えろよ。二酸化炭素は重い。下に溜まる。下の空気を抽出して抜け」
カイトが笑いながら、実体験として対処方法を語る。その当時のユリィには空気の知識なんぞ皆無だ。なので危うく二酸化炭素で窒息死しかけたらしい。が、二人は一頻り笑って、頭を掻いた。
「まぁ、どっちにしろそこに対処出来た所で・・・大海原の中に放り出されりゃ意味無いんだけどな」
「問題そこだよねー」
「ぶっちゃけると、流石に船沈むとどうしようもない。逃げ場が無い。ということで、絶対に一つだけは守れ。逃げ帰る場所だけは、確保しておけ。特に海の上はな」
カイトはため息混じりだった。結局その戦闘中に別の足――烏賊の様な魔物だった――で船は沈没し、戦闘の最中に相打ちの様にして岸壁に叩きつけられた、というのが実際の所だ。
で、その衝撃で風の膜は壊れユリィはカイトにしがみつくのに必死、荒れ狂う海とは言え海中はまだ比較的マシだったので水泳は習得していたカイトが泳いで、偶然近くにあった穴の中に避難してなんとか難を逃れた、というわけだ。
「あぁ、話がズレたな。結局、一番怖いのはどうにもならんことだ。が、人の知恵が上回ったなら、そこは人が住める安住の地となる・・・というわけで、環境を整えてやれ。となると、どうすべきか」
「とすると、どうすべきか・・・」
「どうすべきか・・・」
一同は頭を悩ませる。どうすれば環境が整うのか。それも魔術師である者達も含めて、それを魔術に頼らずやらねばならないのだ。それは誰にもわからなかった。というわけで、10分程まってそろそろティナが解除しそうなのでカイトが答えを述べる事にした。
「ま、簡単な話さ。空間を置換してやれ。生きられる空間が得られないのなら、生きられる空間が創れないのなら、生きられる空間を持ってくれば良い。生きられる世界を創れば良い」
「置換・・・?」
「空間転移の亜種。置換魔術・・・瑞樹なら、覚えがあるだろう?」
「あ・・・」
瑞樹が言われてはっとなった。思い出すのは、かつての竜騎士レースだ。結局彼女は使う事はなかったが、あの時、彼女らには安全装置として一つの魔道具が貸し与えられていた。それはもし万が一落下した場合には空間を入れ替えて元の場所に戻れるという物だった。あれが、置換魔術を応用した物なのだろう。
「空気を入れ替えてやるのさ。まぁ、戦闘になると平時より繊細になるから、やっぱロストは痛いんだが・・・」
「それでも、最悪の場合は時間切れにも対応出来るからね。ちなみに、この場合は口の回りだけ覆って、っていうのは馬鹿のやることだからね。水圧もあるし、熱でも死ぬ。だから全身を覆う事。カイトみたいに大精霊様達の力でなんとか、ってわけにはいかないんだからね」
カイトに続けて、ユリィが注意点を告げる。溶岩地帯になると、気温が摂氏100度を超える事はザラにある。他にも潜水病や急な加圧で死ぬ可能性もある。周囲を完全に隔絶させてしまうのは、当然の話だった。
ちなみに、ユリィは水圧で死ぬ様に言ったが、対処さえすれば水圧で死ぬ事は無い事は念のために言っておく。と、そんな事を語られてふと、全員が気付いた。結局これは魔術だ。魔術師である楓達もそうだが、常に展開しておく事なぞ出来るわけがない。
「・・・待って。それ、そもそもの本題から離れてないかしら」
「そうだな。一見すると、離れている」
楓の言葉をカイトも半分認める。が、一見すると、なのだ。本質的には離れていない。そうして、カイトはとんとん、と人差し指で頭を叩いた。
「ここにぶち込むのさ。常時展開可能な魔術をな。で、脳裏で常時展開」
「うっわー・・・マジか」
「マジ以外に何がある? やらねーと死ぬ。死にたくなきゃ、必死で覚えろ」
カイトが翔の言葉に、呆れる様に肩を竦める。そうしないと死ぬのだ。やるしかない。そしてここでこの話題が出るということは、楓が一つの事に気付いた。
「ということは・・・この屋敷の中にはそれが出来る様になる為の手順がある、というわけね」
「そういうこと」
「ま、そんな意地悪な事はせんよ。普通に本棚に置いておる」
「出てきたか」
どうやら議論に決着が付いた事でティナも隠れる意味がない、と思ったのだろう。彼女が姿を現した。横にはリィルとアルも一緒だ。そうして、一同はその調査の為に奔走する事になるのだった。
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次回予告:第860話『龍の怒り』




