第842話 男子会
さて、ソラ達だが瞬の言葉の後も、普通に男子会を続けていた。と言ってもそもそもソラの悩みは完全には晴れていない。というわけで、ついでソラは翔に問いかけた。
「なぁ、お前はどうなんだ?」
「俺? 俺はそもそも・・・あー・・・先輩の前でこういうのもなんなんですけど・・・」
翔は少し照れくさそうに頬を掻く。翔とて勿論、スランプに陥ったはずだ。はず、なのであったが、答えは予想外のモノだった。
「実の所、スランプとかって気にした事ないんだ、俺」
「・・・は?」
「何?」
翔の答えに、ソラも瞬も驚きを露わにした。運動選手であろうとなかろうと、勝負師である限り必ず一度はスランプを経験する。そのはずだろう。現にソラは今経験している。
まぁ、一応言えば流石にカイトは元々が決して勝てない相手に挑むという自殺願望者に近かった上に早々に自分が才能が無い事を悟ったのでスランプとは無縁なのは仕方がないだろうが、そういった特例を除けば多くの者達が一度はスランプを経験してきている。それは当たり前の話だ。
「いや・・・実は、なんですけどね。俺そもそも中学時代から邪な考えでしか走ってないんっすよ」
翔は照れくさそうに告げる。後に全員が口を揃えるが、ここまで清々しい程に邪な考えしかない選手も珍しい程だった。
「そういや・・・ソラは知らねぇよな。お前二年時に転入してきて、更にその後も暫く周囲寄せ付けなかったし」
「おう・・・?」
ソラが首を傾げる。その通りだ。ソラは当時私立中学に居たのだが、そこで揉め事を起こして退学になり、カイト達が通っていた地元の市立中学校へと転入させられたのだ。
そこであった理由は校舎が真新しく施設が整っていて警備員も居て、と市立にしては考えられないぐらいに高設備だったからだ。カイト達は逆に近かったから、というだけである。元々カイトは中学二年生までは普通の少年だったのだ。何か特別な理由があっても困る。
「俺がなぜ陸上始めたか、って知らねぇだろ?」
「おう」
「翠さん陸上部のマネだったんだよ。元々な」
「あー・・・そういや、そうだっけ・・・」
ソラが殆ど記憶には無い過去を思い出す。あの当時は――と言うか今もだが――帰宅部で、どこかの部活に所属しようと思った事はない。
というわけで、中学時代にどんな部活があって、というのは気にしたことがなかった。それに転入当時は荒れ果てていた事もあり、誰もソラを誘ってくれる事は無かった。これはカイト、ティナを除く後追いで入ってきた友人一同が同じなのでさほど誰も気にしていない。
「でさ。まぁ、一目惚れってか近所のお姉さんだったんだよな、翠さん」
「幼馴染・・・じゃないんだっけ?」
「おう。所詮、近所のお姉さん止まり」
翔が認める。一応、幼馴染には近いが、そこまで親しい付き合いがあるわけでもないらしい。遠いというわけでもないが、あくまでも彼の言うとおり近所のお姉さん、という所だそうだ。
「で、さ。中学入学の前の年にバレンタインデーのチョコレート貰えたんだよな。手作りの。勿論、義理な」
「そういや、三年の時に一時期、大揉めした事あったよな・・・」
「あー・・・俺、危うくチョコ食われそうになったなー」
ソラに合わせて翔も笑う。中学男子だ。どういう理由があれバレンタインデーのチョコレートというのは重要だった。それが手作りであれば尚更だ。
ちなみに、勿論きっかけはカイトだ。例によって例の如く。カイトが弥生から手作りチョコを貰って――正確には貰った事が露呈して――大紛糾したのであった。
おまけに義理とはいえ由利からも貰って魅衣からも義理と偽った本命を貰い、ティナからは勿論の様に本命チョコだ。勿論、ソラも義理ではあるが貰った。
で、そこで揉めに揉めている所に、OGである弥生と一緒に翠が来たのである。で、陸上部に配布されその流れで翔にも、である。勿論、弥生からも支給された。
そうして揉め事は陸上部へと波及して、というわけであった。何ら不思議無い日常の一コマなのであった。ちなみに、弥生がカイトと陸上部で別に来たのは義理と本命の差だ。この当時はすでに付き合っていたので、普通に分けられたのであった。
「っと。それは良いんだよ・・・で、そこでどうしたんですか、って聞いたら伝統として陸上部のマネは義理チョコ配るって事聞いてさ・・・丁度会ったから君にもあげるね、って」
「チョコに釣られたわけか・・・」
「う、うっす・・・」
瞬のどこか呆れた様な物言いに、翔がかなり恥ずかしそうに頷いた。そうとしか言えない。ちなみに、この義理チョコが手作りに変わったのは彼女の年かららしい。弥生の発案だそうだ。男子一同からは大いに歓迎されていた。
「ま、まぁ、それは置いておいて・・・ちょっと憧れてた近所のお姉さんにカッコイイ所見せたいな、で陸上始めたんですよ」
恥ずかしげに、翔が自らの陸上を始めた所以を語る。
「で、実はそういうわけなんで、一回貰ったらどうでもよくなっちゃって2年に入った時ぐらいに辞めようかな、って考えた事あったんですよね、俺。別に伸び悩んで、とかじゃあなくて、飽きた、ってだけなんですけど」
翔はどこか、申し訳なさげだった。確かに目の前には世界トップクラスの選手にして、部の部長が居るのだ。聞かせて良い話ではないだろう。
とは言え、だからといって瞬が機嫌を損ねる事はなかった。これは過去の話だ。そして今の彼の所属は陸上部。つまり、今も走り続けているのである。飽きた、と言いつつ続けている。であれば、彼は何かを見付けたのであろう。
「ここらで引退しようかな、って思って何時言い出すかな、って考えて結局言い出せなくてダラダラと続けてたんですけど、丁度ゴールデン・ウィークに近くなっていっそゴールデン・ウィークで幽霊部員にでもなるか、と思ってたんですよ」
翔は先程の申し訳無さそうな顔から一転、どこか楽しげな顔をする。
「まぁ、先輩みたいに才能があった、ってわけじゃなくて、やっぱり練習やってると肉体がきちんと結果を出してくれる時期だった、ってわけで・・・いつも通りに走ってると偶然ベストタイム刻んじまったんです。先輩みたいに目に見えて伸びた、ってわけじゃなくそんな大差無い記録だったんですけどね」
後に翔が語るが、本当にコンマ数秒縮まった、とかそう言うレベルだったらしい。人によっては追い風のお陰だ、と言うかもしれないレベルだ。とは言え、その程度でも結果は結果だ。本人はそうか、幸運だったな、ぐらいだったのだが、それを喜んでくれた人物が居た。
「で、翠さんが伸びた結果を見て思いっきり喜んでくれたんですよね・・・あんま話したく無いんですけど、その時の笑顔が可愛くて。メガネがちょっとずり落ちそうになってる所とか・・・」
「・・・おい、俺達は何時からお前の惚気を聞かされる羽目になった」
「あ・・・すんません」
暫く続いた惚気にかなり甘ったるい物を口にさせられた瞬が制止を掛けると、翔が慌てて頭を下げた。惚気も結構だが、聞かされる側は困る。そしてそう言う場ではないのだ。
「えーっと・・・それで、あぁ、二年の時の話か。えーっと・・・」
翔は惚気の所為で忘れてしまった話を少し思い出す為、少し悩んで飲み物を一杯口にして唇を湿らせて、再び話し始めた。
「で、その時に惚れちまったんです。じゃあこの人の為に走ろう、って思って走ってると、やっぱり記録出ると喜んでくれるのが嬉しくて・・・そうやって走ってたんですよ」
翔はどこか懐かしげに、あの時の事を思い出す。それから、だ。少しずつ口説き始めたのは。そしてそうなると、やっぱり彼も男だ。惚れた相手に少しでも格好良い所を見てもらおうと練習に打ち込む。
そうなると、やはり今まで殆どお遊びに近かった練習に身が入った事で記録はぐんぐん伸びていき、だ。二年の後半にはレギュラーを取れる程にまでなっていたらしい。
「で、やっぱりそうなると3年になって居なくなってどうしようか、と思っちまったんですけどね。その点ウチの中学と言うかカイトが居たんですよ」
「カイトが? どうしたんだ?」
「ああ、先輩。ほら、カイトと言うか弥生さん居るでしょ? で、こいつの彼女の翠さんは弥生さんと友人なんで、バレンタインデーだゴールデンウィークだなんだ、で付き合いあったんっす」
瞬が疑問を得たが、そこにソラが解説を入れる。そもそも二人共OGだ。OGが母校に顔見せに来ても不思議ではない。翠の場合は友人が何かと理由を付けて母校と言うかカイトに会いに行くのだ。必然、接触はあったのだろう。
「うっす。まぁ、そういうわけで不甲斐ない所見せらんねぇよな、って思うときちんと練習やってせめて高校でもレギュラーぐらいにはなんねぇと駄目だよな、って思ったんです。だって、せめてレギュラーになんないとコクってらんないじゃないですか。補欠が男むさい陸上の女マネに、って・・・」
翔が笑う。彼とて男だ。男の見栄はある。弥生に隠れてあまりそういう浮いた話は出ないが、翠も素は良い。メガネ好きの面子の中には弥生ではなくこちらを狙っていた者も居る。
なにせ男子だらけの部の中の女子マネージャーだ。人気が無い方が珍しい。となると、やはり男としては面子の一つも立てたいものだ。これは男である以上、の話だ。男はどうしても面子に拘ってしまうのだ。
部員の多いだろう陸上部の中でも瞬の補佐に立てているのだって、そこらの頑張りがきちんと評価されているからだろう。勿論、多くの者はそんな邪な考えがあるとは知らないだろうが。
「で、そうなるとスランプとか考える前にとりあえず走って記録伸ばす事考えたくて。で、走ってるといつの間にか走る事そのものが好きになってきて・・・幸い天桜に入学出来たら施設整ってたお陰とコーチとか整ってたお陰で記録も結構伸びてくれてレギュラーにもなれた、ってわけなんです」
翔が語り終える。才能が無かった、とは言わない。スポーツ推薦だのなんだのとある以上、天桜学園は全分野でそれなりの強豪校だ。陸上も勿論そうだ。
瞬の影に隠れてはいたが、短距離も長距離も全国大会に何度も出場経験がある。その中でレギュラーを取れているあたり、翔も才能はあったのだろう。が、それとこれとは話は別だ。やはり走るのが楽しかったから、走っていたのだ。
「まぁ、こういうわけなんでスランプ経験した事が無いんです、俺。常に別の方面で焦りとかは感じてたんで・・・翠さんにカッコイイ所見せたい、ってだけで今も走ってるみたいなもんですからね。あぁ、今は別ですね」
「ぷっ・・・世界を回って色々な奴が居ると思っていたんだが・・・こういう風に陸上にのめり込んだ奴を見たのは初めてだ」
最後にもう一度結論を告げた翔に、瞬が笑いかける。結局、彼は意中の相手を射止める為だけに走ってきたのだ。レギュラーを取ったのもそのためだ。一世一代の告白は一年生の時にレギュラーを言い渡された時点で、行ったらしい。
そしてだから、スランプになる事は無いのだろう。そもそも選手がスランプになるのは記録に悩むからだ。記録を気にしていなければ、スランプにはならないだろう。
そもそも彼にとって記録は副次的な物だ。重要視していた点が違う。だから、記録が伸び悩んだら一度休んで、という風に変に力を入れずにすんだのだろう。もしかしたら本来はスランプになるべき所で別の理由で陸上を離れてサボれていたから、結局スランプにならなかっただけかもしれない。
「うっす、すんません・・・変になんつーか、馬鹿馬鹿しいってか邪な考え持って走ってて・・・」
「あはは。良い。それでもお前が頑張っている事だけは、全員が知っているからな」
酒が丁度良い具合に入ってきた事もあって、瞬が楽しげに翔の肩を叩く。流石に面と向かって頑張りを評価されると恥ずかしかったのか、翔も少し照れくさそうだった。
「にしても、そうか・・・そうだよな。俺も変に深く考えてたのが馬鹿だったか」
何故か相談者であるソラではなく、瞬が一人得心のいった様に笑う。立場や見方が変われば変わるもの。記録が伸びない事を深く考えていた自分が馬鹿だと思ったようだ。そうして、そんな笑い声が上がる中、更に夜はふけていく事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
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