第838話 閑話 ――残酷な過去――
じゃあ、今度は『私達』がまだ『私』だった頃。前世なぞ何も無い本当に魂が始まった時に話を戻しましょ。その時。私には7人の幼馴染が居た。私を含めれば8人。その一人は勿論、カイト。その時の名もカイト。だから、カイトはカイトなわけ。そして、私は。
「ヒメア」
一番始めのカイトが、私の名を呼ぶ。ああ、何度も聞いて、そして聞けなくなった声。大切だと知るのは、失ってから。
「なに?」
「プリント」
「はーい」
私と彼は幼馴染。この世界は色々と不思議な世界で、魂は生まれるではなく製造される事が多かった。簡単に言えばフラスコや箱庭。『世界の意思』達が創り上げた今の『世界』の大本となる実験室。もしくは試作世界とでも言えば良いかしら。
重力、光の屈折率、風がどう吹くか、なんかの物理的な事象。魔力という物理現象ではない力で火を起こし、水を生み出し、風を起こすにはどうするか、なんかの魔術的な事象。時はどう流れ、空間はどうやって規定されるのか。神や人間、獣人や龍、神獣達『人』とは如何なる生命体か。無限の可能性や運命はどうすればその『人』に与えられるのか。
そんな事が無数の試行錯誤の果てに『世界達』の努力によって最適解が生み出され、決められて、これから幾つもの世界を生み出していこう、という最後の実験。
実際に『人』の為の世界を生み出して、特別強固な魂を『人』として生きてもらってこれで良いのか、と確かめる世界だった。
勿論、世界の決めたルールは所詮はフラスコの中の話だった。だからこそ、実際に動かしてみると幾つもの困難やバグが起きた。何度も『世界』達は修正を試み、『人』が歩めるか見守った。『世界』が手を出さなくても自分達だけで歩いていける。それを確認する為の世界。そんな中に、私と彼は居た。
「じゃあねー」
「うーん!」
幼い頃の私達。素直で純粋だった私。変わったのは、年を経てからの事。第二次性徴期を迎えて、性差を認識してから。改めて言うと恥ずかしいんだけど、カイトが男である事を認識してから、私は素直ではなくなってしまった。しょうがないでしょ。私だって女なんだから。
ここらの第二次性徴期に入ってからの男女の話なんかは、この世界で初めて確認された事。『世界』達はありとあらゆる事を規定したけれど、そもそも全部を作れるのなら『世界』を生み出す意味がない。
世界は見ず知らずの事を知りたいから、意図しない結末を生み出せる『可能性』を持つ『人』を生み出した・・・って聞いている。詳しい事はわからない。所詮私も『人』の一端。どうして『世界』が『人』を『世界』を生み出したのか、なんてわからない。
ただ彼らも成長に応じて感じ方が変わったりする事は想定していなかった、というだけ。素直に、彼らは喜んだらしいけど。まぁ、私も嬉しく思う。お陰で彼が好きだ、と思える様になった。
うん。敢えて言うとこっ恥ずかしい。とは言え、こんな日常を延々と見せられても誰もが困る。私とて困る。恥ずかしすぎて死にそうだ。というわけで、少し時を飛ばして重要な部分に焦点を当てよう。
「七耀の魂?」
「そうだ。お前ら7人は、その魂だ。人類の救世主。お前らが、オレの後を継いで人々に可能性の輝きを見せてやれ」
『先生』が言う。それが、私達。<<白の聖女>>もその一つ。7人の世界救世を成し得る可能性を持ち合わせる魂。ありとあらゆる危機の救世主となり得る可能性。その起点となるのが、私達だった。
そう。当たり前なのかもしれないけど、『世界』達はありとあらゆる可能性を私達『人類』に与えてくれた。が、それ故自分達で滅びる可能性も当然、くれていた。とは言え滅びてもらっては困るらしい。まぁ、私達は所謂創造主様からのプレゼント、というわけかしらね。先達となるべく生み出された魂。それが、私達だった。
「・・・せんせー。こいつは?」
赤毛の幼馴染が、蒼毛のカイトを指差した。私達幼馴染は8人。今回言われた『七耀の魂』の中に、カイトは入っていなかった。皆が不思議に思うのは当たり前。私も不思議だった。でも、そんな問いかけに『先生』が困った様な顔をしたのよね。
「・・・それが、こいつだけはわからない」
「・・・へー・・・せんせーでも知らない事あるんだ・・・」
私達は驚いた。というのも、この『先生』というのはこの世で初めて『英雄』になった人だったから。全ての英雄の始祖。一番世界について詳しいのは彼だと思っていた。
「せんせい。七耀の魂ってなぁに?」
「七耀の魂・・・それは」
『先生』の授業は何時もと変わらない様子で進んでいく。この時は、私達は『七耀の魂』の意味はわからなかった。とは言え、どうやら『先生』やその世界に唯一存在した国の『王様』達は知っていたらしい。
ああ、王様が複数居るのは合議制だから、らしいわ。詳しくは面倒だから語らない。けれどもそれが重要なファクターだった、と知るのはずっと先の事。私達が罠に嵌められた時。ええ、恨めしい腐った『王様』達の所為で、私達・・・いえ、カイトは地獄を見た。これはもう語った話ね。
そこは今はどうでも良いわね。良くはないけど。話の本筋ではないもの。私達が『七耀の魂』である事が全ての原因の一つではあるけれど、それが直接私の憎悪に関わるわけではない。
そうして、暫くの間私達は色々な事を『先生』に学びながら、過ごしていた。その間にも当たり前だけど私達は成長を続けて、『七耀の魂』が如何なる存在であるかを理解するに至っていた。
「未来の英雄・・・ねぇ・・・先生。俺達はなれるんでしょうか」
「成れるではない。成れ」
大体20歳に近付いた頃。実験的だから年齢は意味を為さない世界だったから、詳しい年齢はわからない。見た目としてその程度、というぐらい。
まぁ、実際。私も真剣に結婚を考えていた頃だから、そのぐらいで良いと思う。ロマンチック云々を笑わないで。普通に平和で牧歌的な村だったんだから。
「『七耀の魂』・・・人類の崩壊を食い止める導き手・・・そんな大役が俺に務まるんでしょうか・・・」
「どうだろうな・・・まぁ、喩え生まれ変わっても、もし一緒になったのなら手は貸してやる」
「覚えてないんでしょう?」
「そう思うか?」
『先生』が赤毛の青年の問いかけに逆に問いかける。この頃には私達の見た目は年齢だけで見れば『先生』と殆ど変わらない状態だ。少し年下、というぐらい。でも教師と教え子という関係は続いていた。
そして何をしているか、というと『英雄』である『先生』と一緒に『英雄の卵』として活動を始めていた。これから私達は8人で苦しんでしまう人々を救うんだ。そう思って、日々色々な形で努力を続けていた。
「この世界が終われば、オレ達は本当の意味で生まれる。そうなれば、オレ達は眠るだろう。だが・・・魂の奥底にオレ達が眠っても、オレ達は死ぬわけじゃあない・・・オレ達は魂の奥底で眠り、次のオレ達を通じて世界を垣間見続ける・・・そして、オレ達が望めばまた、その時のオレ達に力を貸し与える事が出来るだろう」
とある遠征の最中。『先生』が言う。この時の私達には意味はわからなかったけど、何度も輪廻転生を繰り返す中で理解した。私達は<<始原の力>>と呼ぶけれど、貴方達は<<原初の魂>>という。また別の世界では<<根源の力>>と呼ぶ。全部同じだ。
やっぱり今思い直しても凄い。カイトが慕うわけよね。彼は私達には見れないレベルで『人の力』の強さという物を見通していた。
だけど、この時。私の内心は憂鬱だった。<<白の聖女>>の役割の全てを知ったからだ。先生の話からそれを思い出したのだ。
「・・・」
「・・・大丈夫だって。お前、何時も蹴ってるだろ? それと一緒じゃん。なんだったらオレがなってやろっか? お前の番」
「はぁ!? なんであんたなんかに抱かれないといけないのよ!」
カイトの言葉に、私は怒った風を見せる。番。この意味を敢えて説明する必要もないでしょう? 私は『報酬』。世界で一番美しい魂と、美しい容姿。それを与えられた私に与えられた役割は、世界を救った者に奉仕する事。そしてそれを守り、導く事。未来を見通す力はその為の力。世界を救える者を探し出さねばならないし、それが世界を救える者だと信じられなければならないから。
つまり、私は夫となる人物を自分で守って育てる。あぁ、この点に関してだけは、世界に文句を言いたい。私に条件を満たせば売女の様に誰にでも股を開く女になれ、と言っているのだから。
でも、なんて合理的なんだろう、とは思う。誰もが望むストーリーでしょう? 世界を救ったかっこいい『勇者様』と人々を守った美しい『聖女様』。そのカップルなんて、なんてお似合い。
それが現実に起きれば誰もがこう思う。世界に希望をもたらす希望の象徴。彼らが希望を見せてくれる。私達は絶望を得たけど、確かに希望はあったのだ、と。
「いって! 殴んなよ!」
「変な事言うからでしょ!」
顔を真っ赤にして怒った風を見せる。嬉しかった。真っ赤になっているのは嬉しいから。ぶったのは照れ隠し。だって想像しただけで本当はすぐに茂みに行きたくなった。女の子だって好きな人とエッチな事したいのよ。本心を抑えるのに必死だった。
内心でいっそ『はい!』と言えればと今でも悔しい。だって、この時は信じていたのだもの。彼が私の『夫』として永遠に寄り添ってくれる、って。
でも怖かった。もし受け入れられないのなら、って。だから、まだ少しだけこの関係を続けたかった。そして、それから少しして。私は未来を見た。
「あ・・・あぁ・・・止めてよ・・・止めて・・・止めて! 止めてってば・・・いやぁ・・・」
目の前で繰り広げられる男女の交わりに、私は涙を流して見せないでくれ、と懇願した。でも、叶わない。この力は抑制が効かない。ずっと。全部見せられた。
私が聞きたかった『愛してる』という言葉も、言いたかった『好き』という言葉も。子供を待ち望む妻の言葉に、愛おしげに応ずる夫の言葉。
全部、目の前では使われている。でも、相手は私じゃない。足元が崩れていく感覚、というのをおそらく世界で初めて味わったのは、私。そう言える。
「なんで・・・どうして・・・」
私は見た。全部を。そこに私は居ない。転生の先。私の居ない所で、私の大好きな人が他に大好きな人を得て夫婦になった。私のことなんか忘れて、幸せになっていた。
「・・・え、あ、おい! どうした! また未来が見えたのか!」
未来が見えるのは唐突だ。見たいから見えるわけではない。変える事が出来る、という事ぐらいしか今の私にもわからない。だから、あまりの異変にカイトが慌てて私を揺さぶる。
「あ・・・あ・・・」
見えた景色は消えた。でも、今でもまぶたの裏には残っている。ああ、ここからは語ったわね。私はカイトにある『お願い』をして、それは聞き届けられた。
その時。私は更におまけとして、プロポーズをされた。この時の話は聞かせたいけど、恥ずかしいからしない。重要・・・だけど重要じゃない。
そこは乙女心としてわかってほしい。なので少しだけ、時を飛ばす。これは、結婚式の数日前。全ての地獄が始まったあの日。私が『死んだ』日。これ以降、私は又聞きになる。
だから申し訳ないけど、記憶としても記録としても再生は出来ない。私は知らない。だけどこの事件があって、カイトは地獄に落とされた。これだけは、覚えておいて欲しい。
彼は望まぬ形で地獄へと落とされた。彼は被害者。騙されただけ。この時の『王様』達による悪徳の被害者。赤毛の青年・・・真紅の英雄へと玉座を譲れと『世界』達に言われて、今の栄華を失いたくないと抵抗し、そしてそれと同時に自らの『王位』の正しさを補完する為に『私』を手に入れようとした。
その結果、彼は私を守って地獄へと落ちる事になった。まぁ、その私は村の幼子を庇って死んでしまったのだけれど。そうして彼が激怒して『国』へと反旗を翻す事になったのが、全ての真実。
でも、これは『先生』達は知らなかった。巧妙に操られて、嘘ではない事実によって私達はバラバラにされていた。偶然、カイトが私が攫われる直前に間に合っただけ。そこで起きた悲劇によって、カイトは『国』へと襲いかかった。
なぜ犯人が『国』だとわかったか? 簡単よ。その悲劇を起こした現場に、『王様』の息子。即ち『王子』が居たから。勿論隠れていたけど、我慢できなくなってその場で私を犯そうとした事で姿を現したのが、運の尽き。カイトに見付かった、ってわけ。馬鹿というか阿呆ね。
ええ、言いたいことはわかるわ。どんな理由があろうと、他者を傷付けている時点で言い逃れは出来ない。彼は咎人。それだけは、私も認める。でも、彼の気持ちだけは理解してあげて欲しい。『妻』を奪われそうになり、そして奪った相手へと報復しているだけ。
「すまん・・・」
『先生』が本当に申し訳なさそうに謝罪する。死んだ私が蘇生されて目覚めたのは、私が死んだ後に『先生』が作ったもう一つの国だった。そこで、私はその後の全てを聞いた。
結局。『カイト』は最後まで非道にはなれなかったらしい。カイトが暴走した、と『王様』達から聞いた『先生』達が駆けつけて、彼を捕らえた。その当時には既に武力だけなら、カイトが最強だった。勝てる道理は無かった。僅かに残った理性が、カイトを止めさせたのだ、と『先生』は語ってくれた。
が、そうして落ち着くまで我々が預かり追って処罰を決める、と言った『王様』達に彼を引き渡した。信賞必罰。『先生』は英雄だったから、それを守るつもりだった。そして少し牢屋に入っていれば彼も落ち着くだろう、と思ったらしい。
だけど、そこで騙されたと知ったらしい。そろそろ落ち着いただろうから一度話をさせてくれ、と『先生』と幼馴染達が『王様』達に話に行ったらしい。そこで、『カイト』は『奈落』という場所へと落とした事を聞かされたらしい。
『奈落』。それは今では存在していないけど、わかりやすく言えば処分出来ない深刻なエラーなんかを引き起こした『存在』を隔離したり、重罪の中でも更に重い罪を犯した者を落とす場所だった。どんな場所かは知らない。私は行ったこともないし、誰も行った事がない。
でも、一つだけ誰でも知っている事があった。それはそこからはどうあがいても出られない、ということ。当たり前よね。
深刻なエラーを引き起こした存在がまともな世界に出てくれば、それだけで周囲にはエラーが出る。出てこられては困る。だから、『世界』達はその世界を永遠に隔離するつもりで絶対に出れない様にしていた。
だけど、一つだけ出られる可能性があった。それは当然だけど、『世界』達に訴えかける事。『奈落』さえ『世界』達が作ったのなら、『奈落』のシステムを書き換える事も出来る。だから、私は世界と契約した。
「世界よ・・・私の声を聞くのなら、声を返して」
『・・・如何な用か・・・』
「カイトを返して」
『・・・それは出来ぬ・・・彼の者は『奈落』へと追放された・・・』
『・・・あの世界からこちらへの道を繋げてはならぬ・・・』
『世界』達は口々に私へと却下を命ずる。だが当然、私はここで折れるはずがなかった。
「なら、私はこの役目から降りるわ・・・どうして『報酬』も無しに世界を救えと?」
『・・・報酬であれば、貴様にはこの世で一番の者が与えられる・・・』
『・・・それこそが報酬であろう・・・』
この時。世界はまだ『人の心』という物を理解していなかった。仕方がない。彼らが『人類』の観測を始めてたかだか人類が数えられる程。『人』ではない彼らに理解出来ても困る。だからこそ、この世で一番の男とはこの世を破滅から救った『英雄』だろう、と考えていた。
「いいえ。私にとってそれは唯一、カイトだけ。私は彼以外にこの身を捧げる気は毛頭存在していない」
『『『・・・』』』
『世界』達はかなり悩んでいた。私の言っている意味が理解出来ないし、私の意思も理解出来なかった。勿論、『世界』達ならば私の意思を強引に捻じ曲げさせる事も出来た。が、それは出来ない。
彼らの望みは創造した『人類』が『創造主』さえも予想出来ない行動をしてもらう事だ。まさに、今の私がそうだった。
だというのに意に沿わぬから、と書き換えられるはずがない。それどころか自ら達に対してさえ意思を貫こうとする私を見て、『先生』に預けた事が正解だった、とある種の歓喜を抱いている『世界』さえある程だった。
とは言え、困る事は困るらしい。まぁ、当然よね。私の役割は『七耀の魂』の中でも特別に重要。その私が反旗を翻す事になれば、この後に生まれる本番の世界からは『希望』が失われる事になってしまう。私は『人類』全てを対価に、世界へと譲歩を迫ったのよ。
『・・・汝。世界を救うか?・・・』
「カイトと愛し合えるのなら」
『・・・汝。あの男以外を望まぬのか?・・・』
「それ以外にありえない。彼は私の所為で死ねなくなった・・・それを私が見捨てる事は許されない。何より私が私を許せない。私は彼の『死』。私だけが、彼を殺せる・・・永遠の地獄の中で彼を過ごさせろと?」
『『『・・・』』』
『世界』達は私からすればわずかな時間だけど、彼らからするとかなり長い時間話し合った。時間さえも彼らが創り上げた。過去も未来も現在も全て、彼らが規定した。おそらく刹那と永遠が同意義な彼らが、長い時間を話し合った。
『・・・良かろう。奈落から彼を出そう・・・』
『・・・ただし、条件がある・・・』
『・・・彼の者は罪人・・・』
『・・・その罪は償わねばならぬ・・・』
「っ・・・」
当たり前の事を言われた。でも、私の顔は歪んでいた。それは理解して欲しい。そして、彼の『贖罪』が告げられた。
『・・・彼の者を殺せ・・・』
『・・・これより彼の者には『魔王』としての任を与えよう・・・』
『・・・世界が腐敗した時。その腐敗を一身に受け束ねる者だ・・・』
『・・・これより我らは、『人類』全てに対する反逆者を『魔王』と呼び表す事にする・・・』
『・・・汝はそれに対する勇気ある者。『勇者』となり、彼を殺し続けよ・・・』
「っ! 私に彼を殺せ、っていうの!」
彼を殺す事なんて絶対に嫌だった。ああ、一応言っておくけど、この時『勇者』と『魔王』という概念が出来上がったわけ。だから、私が勇者でカイトが魔王。私達のために創られた言葉だった。
『・・・それが、彼の者の贖罪だ・・・』
『・・・彼の者は飲んだ・・・』
「・・・なら、聞かせて。カイトからその言葉を」
私は『世界』の言葉を信じていなかった。だから、カイトから直々に聞かせてもらう事を望んだ。そして、カイトが現れた。と言っても、触れられない幻で、だけど。
『よう』
「っ! カイト・・・あなた・・・私のカイト・・・」
いつもの様に、彼は片手を挙げて笑ってくれた。どれだけ辛い状況なのかはわからない。でも、彼は傷だらけだったし、元気も少し失われていた。何があったのか聞きたかったし、今でも聞きたい。
それでも、笑ってくれた。そんないつも通りのカイトに、私は知らず手が伸びていた。けれど、触れられる事はなかった。
『話は聞いた・・・マジでやんの?』
「なんでそんなに軽いのよ、馬鹿!」
『いや・・・だって、お前に出来そうにねーし。いっそ別の奴探した方がよくね?』
「っ! やるわよ、やってやるわよ! あんた殺せば良いんでしょ! 簡単よ! 何度殺してやろうか、と思ったと思ってるのよ! 何度だって耐えてやるわよ!」
カイトの言葉に私は猛反発してしまった。当たり前だ。だって、別の奴って言った時のカイトの顔が泣きそうだったもん。でも必死で、やめておけ、と止めてくれていた。
どれだけ辛いかわかっているからこそ、『夫』となろうとした者として、『妻』となってくれようとした者へともうそれだけで十分だよ、って言っていた。私の幸せを願ってくれていた。だけど、それが彼の失敗。そんなの見せられたら、また惚れ直しちゃった。
この手を握れる機会がまだある。だからこそ、私はそれを受け入れなかった。彼以上に私を幸せにしてくれる人なんて見つかりっこない。そう思えた。
「もう良いわ! さっさと消して! 何度だって殺してやる! そしてその代わり、絶対に最後には幸せにしなさい!」
私は涙を流しながら、ヒステリックに声を上げる。心の中では消さないで、と頼みながら。あぁ、どうしてなのかな。なんで自分から素直になれないんだろ。
とは言え、最後には少し素直になれていた。夫婦にはまだ成れていなかったけど、恋人だから、かな。だから、本心はきちんとカイトには伝わっていた。
『おぉう・・・マジですか・・・ああ、わかったよ。ヒメア、愛してる。だから、オレを殺してくれ。オレもお前とまた一緒に暮らしたい・・・だから、痛いだろうけど耐えるよ・・・お前も辛いだろうけど、耐えてくれ・・・多分、次は憎しみ合う事になる・・・けど・・・愛している・・・』
「っ・・・私も愛してる・・・だから、だから、お願い・・・私の事を嫌いにならないで・・・」
願うように。祈るように。私は最後に愛しているという言葉を残して消えたカイトへと届く様に祈りながら告げる。これからするのは、彼を傷付ける行為だ。嫌われないという方が難しい。それでも、もう私にはそれに縋るしかなかった。
そうして、私はカイトの贖罪に付き合う事になった。ふぅ・・・これでとりあえず、カイトがなぜそんな事になったのか、という事は語れたわね。じゃあ、次はなぜ私が人類を憎む様になったのか、を語ろうと思うのだけど、とりあえず一度休憩を挟む事にしましょう。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告;第839話『閑話』




