第835話 勇者と魔王
すいません。投稿を完全に忘れてたらしいです。
遙かなる過去。遙かなる未来。それを繋ぐ現在。これらは全て、不可分だ。分ける事なぞ出来るはずがない。であれば、魂もまた、全て地続きだ。
「どうしたもんかねぇ・・・」
「憂鬱?」
物憂げなカイトの背中に、いつも通りアウラがへばり付く。今回、カイトはジャンヌをマクダウェル邸へと通す様に命じた。桜達に見られて困るわけではないが、安易に記憶を刺激しかねない。なので情報封鎖も敷いた。
まだ、早い。それは早いのだ。瑞樹はまだ良かった。彼女はかつてカイトが引き取って育てた女の子だ。だが、戦いの記憶を持つ者も居るだろう。今の自分とは大きく異る自分も居るだろう。嘆きの中で息絶えた者も居るかもしれない。そして、誰が『そう』なのかもわからない。
カイトは己が好きになった女性については今の己が好きになったと言い切れるが、前の自分が惚れた女性が居る可能性は考えている。と言うより、ティナが自らの過去を教えてくれた時に、何時か出会う事もあるのだろう、と理解した。
とは言え、それが誰が誰なのか、というのは彼にもわからないのだ。顔貌は大きく変わる。性格も大きく変わる。当たり前だ。親も環境も違うのに同じ姿と同じ性格をしているはずがない。魂がそうだと悟るには、流石に彼女らも違いすぎる。知りたければ、彼女らの目覚めを待たねばならない。
「憂鬱、ねぇ・・・あぁ、憂鬱だ。フルボッコにされるのがわかってて憂鬱じゃない方が可怪しい」
「フルボッコ?」
「ボッコボコ」
カイトが笑う。それは諦めが着けられている様な顔だ。当たり前だが、カイトはそんな事を考えていたわけではない。そんな事でここまで物憂げな顔をする男ではない。が、とりあえずの冗談としてはそれでよかった。
「はぁ・・・」
「で、誰?」
カイトの目の前には、ジャンヌの映像が浮かんでいた。あの会話というか報告はカイトへの直通だったわけだが、それ故、アウラもまだ知らなかった。
「大昔の女だ。前前前世でオレの妻だった女」
「おー・・・お?」
一瞬頷いたアウラだが、物凄い事を言われた事に気付いた。
「前前前世?」
「そう、前前前世。いや、もっと前なんだけどな。面倒だから、その程度にしてるだけだ」
「・・・んー・・・」
アウラは少し何かを考える。基本的に、カイトの言うことは十割信じる事にしている。しているのだが、少しこれはどうか悩んだらしい。とは言え、答えは結局一緒だ。
「ま、いっか」
「さよか」
どうでも良いか、と切り捨てたアウラに、カイトが少し苦笑気味に笑う。この思い切りの良さというかざっくりと本質だけを受け入れる所は、彼としては好ましい所だ。意外と悩むカイトにとって、アウラの思い切りの良さは有り難い。悩んでいるのが馬鹿らしくなるからだ。
「だって、カイトはカイト。弟。結局そこ」
「・・・だな」
カイトは晴れやかな顔で自らの義姉の胸に沈む。どれだけ過去に縛られようと、今は今だ。過去をどれだけ知り、過去の自分と今の自分が同一存在であろうが、厳密には過去の自分だ。
生まれ変わっている限り、厳密にそれを己であると定義する事は不可能だ。限りなく自分に近いが、限りなく自分に近いだけだ。全部同じだが、やはり違う。統合されていようと融合されていようと、統合しているのは『今』のカイトだ。重く引きずる必要はない。
と、そうして軽くなった思考で少し考えようとしたカイトの唇を、彼のおとがいを上げたアウラの唇が塞いだ。そもそもアウラがここに居てキスの一つも無い方が可怪しい。
「あむ・・・」
「ん・・・」
暫く、カイトはアウラの唇を楽しむ。この程度は姉弟のじゃれ合いの内だ。そうして暫くして、二人の唇が離れて唾液が橋を作った。
「楽になった?」
「あぁ、まぁな」
何処か心配するようなアウラの問いかけに、カイトが頷く。確かに、幾分楽になった。少なくとも、悩むだけ無駄、と悟る事が出来た。
「・・・そうだな。受け入れないと、いけないよな」
過去は過去。あの一生涯で行った『あれ』は、カイトにとって捨て去りたい過去だ。あまりに凄惨で悲惨な過去。カイトをして、思い出すのも嫌な過去。彼女が関わる過去の中でも、一番凄惨な過去だ。それを、思い出していた。
「・・・なぁ、姉さん」
「ん?」
「オレがさ・・・虐殺した事があるとすると、どうする?」
「ん・・・」
カイトの問いかけが重要な事だ、とアウラは理解した。比喩ではない。カイトはおそらく本当に虐殺を行った。だから、安易に答えを返す事はしなかった。
「したくてした?」
「・・・いや。したくはなかった。でも、そうするしかなかった」
「じゃ、問題ない。お姉ちゃんはずっと一緒」
何処か小さく見えたカイトを、アウラは背中から抱きしめる。それは何処か、不安になっている幼子をあやす母親の様でもあった。
喩えカイトが虐殺を行っていようと、彼女にとっては問題ではない。その手がどれ程血塗られていようとも、彼女はその手を握るだろう。
そんな彼女に問題があるとするのなら、なぜそれをしたのか、というホワイダニットだ。それがカイトの意思では無いとするのなら、問題はなかった。なぜなら、それは守る為の仕方がない事だからだ。喩え前のカイトだろうと、カイトならそうしただろう。そう、信じられているのだ。
「・・・ん、そだな。ありがと、姉さん」
カイトは言葉できちんと伝えると返礼とばかりに、今度は彼の方からキスする。随分と楽になった。どうしても受け入れたくない事は、カイトにもあった。
己の過去だから、と受け入れたくない事はあるのだ。だが、それでも受け入れていかねばならない。過去は過去。終わった事なのだ。変えられない。
変えられないのなら、受け入れるしかない。見ないようにするのも、一つの手だろう。だが、カイトはそれもしたくはなかった。だから、受け入れる事にしたのだ。
「・・・良し! じゃあ、気合入れてちょっと前の嫁さんに挨拶してきますか!」
「おー」
カイトは気合を入れて立ち上がる。妻と会うのに気合を入れるとはどういうわけか、と思うが、アウラには疑問はなかった。カイトの女だ。確実に一癖も二癖もある事なぞ、目に見えた話だ。そうして、二人はとりあえずジャンヌが来るのを待つ事にするのだった。
一方、その頃。ジャンヌはというと、瑞希から一つの望みをお願いされていた。
「記憶を封じて欲しい?」
「はい」
ジャンヌの問いかけに、瑞樹が頷く。彼女が望んだのは、ジャンヌが言った通り記憶の封印だ。既に学園生達への封印は施した。その後に自分もお願い、と頼まれたのだ。
「今僅かに取り戻せた記憶・・・これはおそらく、まだ目覚めるべきではない記憶ですわね・・・今ほころびが出ていますけど、もし取り戻せば私は必ず、優越感を抱いてしまう。それは卑怯。これは今は思い出すべきではない内容・・・それに、あなたの存在は隠したいはずですわ」
「・・・あぁ。やっぱりあなたも・・・」
ジャンヌが微笑む。それは先程までの禍々しさは無く、おそらく彼女本来の物と思しき様子があった。瑞樹がカイトの事を理解してくれている一人だ、と心の底から理解したのだ。だからこそ、その望みを聞き届ける事にした。
「・・・私の本当の名・・・ヒメア、っていうの。今度はきちんと、ご挨拶しましょ? あの時の女の子さん・・・この世界を救った本当の英雄の一人」
「ええ」
瑞樹が輝かんばかりの笑顔を浮かべる。そうして、彼女の記憶は天桜学園が帰還して、ジャンヌその人、否、ヒメアが現れる日まで、失われる事になるのだった。
そんな瑞樹とジャンヌの話し合いから、およそ20分後。兎にも角にもカイトはジャンヌが来たという話を聞くと、とりあえず土下座して出迎える事にした。
「・・・何してるの?」
「土下座」
「なぜ土下座なのですか、お兄様」
「わかっててもフルボッコは嫌なのです」
クズハ――客が来るということで出迎える事になった――の問いかけを受けたカイトは、深々と土下座したまま答える。ティナはボロボロになろうと許してくれるが、許してくれないのがジャンヌだ。そうして、扉が開いた。
「カイ・・・ト・・・」
目に涙を溜めていたジャンヌだが、彼女は部屋に入るなり一気に氷点下を遥かに下回る程に不機嫌になる。彼女にとってカイトの状態を見る事は基本スキル――正式な技術としてあるわけではない――の一つだ。一目で理解した。そして扉が開くと同時に、カイトが謝罪した。
「ごめんなさい!」
「・・・ねぇ、カイト・・・どういうわけ?」
ジャンヌが物凄い圧力を放ちながら、カイトへと問いかける。
「ねぇ・・・答えなさい」
「うっ・・・あの・・・その・・・」
「ねぇ・・・」
ジャンヌの問いかけにカイトが恐怖で物を言えなくなる。それどころかあまりの威圧感に所詮は前世の女、と牽制を考えていたクズハもアウラも何も言えない程だった。二人があまりの剣呑さにオロオロとうろたえる程だった。
「どういうこと・・・? ねぇ、カイト・・・身体、大半無いよね・・・? と言うか、本来の身体は?」
「あ、あっちは現在修復中・・・じ、自分で壊しちゃった・・・てへっ?」
なんとか場を和ませようとしたらしいカイトだが、じとーとジャンヌから睨まれる。逆効果だったらしい。というわけで、再び頭を下げた。
「ご、ごめんって・・・い、いや、いつも通り無茶やっただけなんだ・・・」
「それで、どうやって私が殺せるのかな?」
「ご、ごめんなさい! 頑張って治療してます!」
色々と可怪しいが、これで良いらしい。カイトはごんっ、と大音が鳴るぐらいに勢い良く頭を下げる。
「それで?」
「はい・・・?」
「何時頃、治るわけ?」
「え、えーっと・・・」
「あんたまさか、私が当分来ないよな、って放置してたわけじゃあ、無いわよね?」
「・・・」
今にも自分の頭を踏み抜きそうなジャンヌに対して、カイトが黙る。厳密には正しくはないが、それはこちらの事情だ。彼女には関係が無い。おまけに圧力がものすごくてカイトにも弁明が出来なかった。
「・・・ねぇ。もしかして、その姿で私を探してたわけ?」
「・・・えっと・・・はい」
ぶちっ、とジャンヌの額に浮かんでいた青筋から血が吹き出る様を、三人は幻視した。
「・・・ねぇ、カイト・・・今まで私達何度も生まれ変わって、その中で貴方が私にくれた物は幾つかあるけど・・・その中で私達にとって一番大切な物は何?」
「はい。オレの『死』です・・・貴方以外に私は殺せない様にしてます」
「で、その貴方を殺す為の条件は?」
「殺そうと思って殺す。必要な事は心臓ぐっさり」
「そうね。そうよね。今も覚えてる。あの森の中の湖。プロポーズと一緒に貰ったこの指輪。そして貴方の『死』という概念・・・で?」
少しうっとりとした様子で語ったジャンヌだが、最後に半眼でカイトへと問いかける。
「えっと・・・で?」
「その大切な私達の愛の証をどうして失ってるのか、って聞いてんでしょうが!」
ついにジャンヌが切れた。まぁ、仕方がない。これは二人にとっていわゆる婚約指輪を失った様な感じだ、と思えば良い。普通にキレられて当然である。とは言え、ここでジャンヌがキレた事で、なんとかカイトも切り返す事が出来る様になった。
「しょ、しょーがないだろ! こっちまだ覚醒前! 頑張ってたんだからしょうがないだろ!?」
「はぁ!? 生まれ変わって忘れてたからって私が一度でもあんたから貰った物無くした事あった!? こっち死んだって手放さないわよ! 指輪、ここ! ネックレス、ここ! その他まだまだあるわよ!」
「ガチでキチガイじみてんな!? ってか、力全ロスト、記憶全ロストで始めてるんだからしゃーないでしょが! 持ち物全部没収! 前世の記憶どころか魔力さえ完全ゼロベースでスタートだぞ! 魔王時代とかとは全然違うの! 何時ものオレじゃねぇっての!」
袖振り合うも多生の縁。生まれ変わろうと一緒な為、基本的には昨日離れたかの様に初見の二人が言い合いを始める。お互いにお互いを知りすぎているらしい。と、そんな言い合いを行う二人に、クズハがおずおずと問いかけた。
「え、えーっと・・・あの、お兄様・・・? 確か前世の奥様、とお伺いしていたのですが・・・」
「あぁ、奥様兼幼馴染第一号。ツンデレ兼ヤンデレ・・・ついでにいうと、超腐れ縁」
「超腐れ縁というよりも、単に独占欲の強いだけじゃろ」
カイトの言葉に応ずる様に、白銀紅眼のティナが現れる。と、そんなティナを見て、カイトが首を傾げた。
「ん? お前眠ったんじゃなかったっけ?」
「眠ろうとした・・・が、やっぱり腹立ったので分身を残した」
ティナはそう言うと、一瞬だけ透ける。どうやら彼女はジャンヌの構造を見て、己でも似たような事を試みたらしい。魔術であれば天才な彼女が更に失われた知識を得た事により、この程度は簡単に成し遂げられる様になったらしい。
ジャンヌも然りで、ティナも本来は桁外れだった。道化師をして、三人揃えば天桜学園ぐらい軽く日本に呼び戻せる、というのも理解出来る。
「えーっと・・・お姉さま? お知り合い、だったのですか?」
「まぁのぅ・・・この泥棒猫とは知り合いと言うか腐れ縁じゃ」
「泥棒猫?」
「あん?」
ジャンヌとティナが睨み合う。結局ここは仲が悪い。そもそもの来歴からすれば、仲が悪いというか軋轢があるのも仕方がない。
が、それでも一緒に歩んでいこう、と決めたのが彼女らだ。そして、この場合は喧嘩をするほど仲が良い、という話だ。なにせティナは彼女が目覚めるまで待っていた。ジャンヌはティナの力を信じた上で、それを利用する為に敵の策に乗った。根っこの部分では、認めあっていた。
「はーい、ストップ。流石にオレここで引っかき傷は作りたくない」
「・・・ちっ」
「・・・ふんっ!」
二人はそっぽを向いて、お互いから視線を逸らす。基本的にはこれで良い。お互いに刺激しあっている方がカイトにも刺激があって良い。それに、いざという時は協力しあう。
「まぁ、良いわ。理解してやれ」
「うぅー・・・」
ティナの言葉に、ジャンヌは不満げだ。ティナも不満げであったが、そこはそれと理解しているらしい。
「・・・はぁ。良い? 私が本当に目覚める時までには、きちんと治療しておくこと」
「はい」
「よろしい」
ジャンヌが笑う。彼女とてわかっていたのだ。カイトがいつも通りに無茶をやった結果なのだ、という事ぐらい。そのぐらいわかっている。弥生が言った本来の幼馴染なのだ。何度生まれ変わっても、カイトと巡り合う。それをこの彼女は知っている。なれば、このぐらいわかっていなければなんなのだ。
まぁ、理性で理解しようと、感情が納得しない時はある。今回はそれだった、という話だ。二人にとって事の重要性を考えれば、仕方がない話だったのだろう。そうして、そんなジャンヌが僅かに辛そうに告げた。
「・・・抱きしめるのも、キスもしないで」
「ああ、わかってる・・・だから、してないだろ?」
カイトが応ずる。今はまだ、再会の時ではないのだ。この再会は地球で果たされるべきことで、地球でなければ果たせない事だ。そしてまだお互いに、重要な物が足りていない。
ジャンヌは『ヒメア』という本来の自分。カイトはかつての戦いで失った『己の身体』。どちらもそれを取り戻さなければ、本当の再会とはいえない。
そうして、ふとジャンヌが密かに隠れていたユリィを見付ける。当たり前だが、カイト居る所に彼女在り、だ。ついてきていたが、隠れたのだ。なぜ隠れていたのか。彼女はかつて、カイトの腹心だったからだ。
「・・・久しぶり。こうやって話すのは本当に初めて、よね?」
「うん・・・だから、なんて言うかわかんなくて・・・でも大切な時だ、ってわかってるから・・・」
「・・・お互い、言いたい事は無しにして良い?」
「・・・うん」
ジャンヌの問いかけに、ユリィが応ずる。恨みがないといえば、嘘になる。前世の彼女は、その時のカイトの為にジャンヌやその仲間達と戦い、散っていった。なので言いたいことは山ほどある。
とは言え、それはジャンヌの側も一緒だ。カイトは魔王。彼女は勇者。殺し合ったのだ。恨み言は山ほどあろう。だから、お互いに言わない事にした。
お互いに望まない戦いをやらされて、憎しみ合い苦しんできたのだ。だが、お互いに恨むべきは相手ではないのだ。そしてだから、ジャンヌが深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。全てが終わった後に、ソフィアと一緒にカイトから聞きました。貴方達が地獄へ落とされたカイトにずっと寄り添ってくれた、って・・・ありがとう。ずっとカイトの側に居てくれて。貴方達にだけは、私からお願いさせてください。これからも、カイトをお願いします」
もう一度、ジャンヌがユリィへと頭を下げる。そしてそれは、ティナもまた、頷いた。
「そうか・・・そうじゃな。お主は賞賛されるべきじゃ。報われぬ想いとわかってなお、側に寄り添った。余も言おう。ありがとう」
「え、ちょ・・・恥ずかしいってば」
ティナからも頭を下げられ礼を言われ、ユリィがこっ恥ずかしそうに照れかえる。流石にこの展開は想定外だったらしい。
「そうだな・・・改めて、オレも言わせてくれ。ありがとう、ユリィ・・・ユリシア。オレの最愛の相棒殿。そして、これからもよろしく」
「え、ちょ! 何これ!? 褒め殺し!? 何時から私の褒め殺しになったの!?」
更に続いたカイトからの感謝に、ユリィが珍しく顔を真っ赤に染めてアタフタと慌てふためく。特にカイトからの感謝が効いていた。そうしてそんな形でユリィが照れる事になり、過去と現在の会合が果たされたのだった。
お読み頂きありがとうございました。遅れてすいません。




