第833話 最初の花嫁
カイトがティナとの会話を終えて、数日。カイトはとりあえず表向きはいつもどおりの日常を過ごしていた。そしてその一方でジャンヌは全てを終えて、道化師の手で移送されていた。勿論、対応は最上級だ。
もし手を出せばその時点でカイトへと伝わる。そうなれば、こちらの秘密基地へと一気に敵の主力が攻めてくる。それだけは避けねばならなかった。
「ではこの使い魔に従って飛べば、カイト殿のところへと行けますよ」
道化師は使い魔の一体をジャンヌへと渡す。当たり前だが彼がカイトの近くへ行く事はない。なのでカイトの起居するマクスウェルへと道案内する為だけの使い魔を創り、それをプレゼントしたのだ。
「地脈の乗り方は・・・」
「言われなくてもわかっているわ。私は単独でも星を渡る事も出来る・・・ああ、最後に。私を目覚めさせてくれた事だけは、感謝しておくわ」
ジャンヌはティナと相対していた時とは違い、ぶっきらぼうに言い放つ。敵は敵。馴れ合うつもりはない。カイトの敵である以上、道化師もそれに協力している奴らも全員敵だ。理解するのはそれで十分だ。後は目覚めた後の自分が対処するなり、カイトが対処するだけの話だからだ。
「あぁ。確かに、カイトの街。頑張ってカイトの作った物を受け継いだ子が居るのね」
ジャンヌが微笑む。基本的に恋敵は恋敵と認識しているが、彼女は同時に正当に評価もする。なのでこの街を発展させた者が誰かはわからないまでも、評価だけは高かった。
そうして、マクスウェルの街を見て、ジャンヌが消える。地球で発達した大陸をも渡る転移術。地脈を利用した転移術を行使したのだ。地球はエネフィアよりも遥かに前から、丸い事を知っていた。
それ故、星を俯瞰して見る魔術も発達していたのだ。これもまた、地球より持ち込んだ魔術だった。まぁ、ジャンヌの場合はそんな事は関係なく転移出来るのだが。
彼女の場合は更に上。世界そのものを俯瞰して見ている。単独で星を渡ることさえ、覚醒した彼女にとっては簡単な事だった。
「・・・ふぅ」
消えたジャンヌを見て、道化師は地脈を切断する。自分が敵である事を理解しているのだ。そして正真正銘、彼女は全ての歴史上最強格の一人。神々でも到底勝ち目のない世界の切り札の一人だ。
放置すればその次の瞬間、自分の所へとカイト達が乗り込んでくるだろう。地脈そのものを切断するのはかなりの大仕事であったが、相手を考えればこれぐらいやっても損はなかった。
「彼女が消えるまでに残された時間は、およそ半日・・・とは言え、地球に戻られるでしょうから・・・およそ3時間という所でしょうか。それまでは、非常用電源で駆動ですね」
道化師は懐中時計ではなく、デジタルの時計を取り出してストップウォッチを作動させる。消えるまでにどれだけ要するか、というのを測るつもりだった。地球で手に入れた物だ。こちらにあるアナログな物よりも正確に時間を測れるので重宝していた。
「さて・・・では、良い眠りを、ジャンヌ」
道化師はどこか嘲笑を滲ませながら、恭しく一礼する。ジャンヌにとってこれは単なる束の間の夢だ。いや、地球に彼女の本体が居ると仮定するのであれば、これは白昼夢。もう一人の彼女が見る束の間の幻だった。
消えたジャンヌだが、魔力の流れに沿ってマクスウェルへと移動していた。が、残念ながらマクスウェルへと直接移動する事は出来なかった。
理由は簡単だ。ティナの張り巡らせた結界があったからだ。強引に突破も出来たが、それはカイトに怒られる。それは嫌なので少し離れた場所へと現れる事になった。
「っ!」
が、その場所がかなりまずかった。演習中らしい者達の近くだったのだ。転移術の性質上、どうしても避けられない事故だった。未来や遠くを見通せない限り転移先でこういう事故が起こり得る事だけは、どうしても避けようがないのである。
「危ない!」
誰かの注意を促す声が響く。とは言え、ジャンヌには焦りは無かった。この程度、全ての過去世を知る彼女にとっては何ら遜色なく無数に繰り返してきた事だからだ。
「<<絶対魔導障壁>>」
複雑で奇っ怪な模様が浮かび上がり、飛んできた天竜の一撃を完全に防ぎ切る。別に無くてもとある契約のお陰でなんの問題も無いのだが、それを誰かに教えてやる必要はない。
「大丈夫ですか!?」
どうやら、軍の演習中の場所に迷い込んだらしい。大慌てで軍の兵士が飛んできた。なぜ軍の兵士だとわかったか、というと簡単だ。装備が揃いで、目立つ所に何処かの貴族の紋章が記章されていたからだ。
「ええ・・・ねぇ。一つ聞きたいのだけれど」
「はぁ・・・」
とりあえずは、無事らしい。それを理解した兵士は色々と言いたいことを後回しにしても、相手が美女だった事もあって聞く事にしたらしい。
「カイト、という名に聞き覚えは?」
「はぁ?」
兵士が今度は訝しむ。聞いたことは、と言われなくても聞いたことが無いはずがない。
「・・・もしや・・・地球から来られたのか?」
それなら急な顕現も見たこともない様な魔術も、それどころかここらのデザインでは無い衣服にも全てに納得が行く。ここはマクダウェル領。色々と日本に縁のある土地だ。この推測に至るには、そう時間は必要無かった。そしてジャンヌはそれを認めた。広義的には、それで間違いがない。
「そうね。そうなる・・・と思うわね」
「やっぱりか・・・おーい! 本隊に連絡! 地球からのお客さんの可能性ー!」
軍の兵士は叱責しようか考えていたが、事故であるのなら仕方がない。それどころか怪我が無かった事を喜ぶべきだ、と即座に周囲で待機している兵士達に向けて声を発する。
元々奇妙な服装だ、とは思っていたのだ。地球人であればさもありなん、と即座に受け入れたらしく、軍の飛空艇が近付いてきて、更には合同で演習していた軍ではない者達もやって来た。
「地球からのお客さん・・・あぁ、確かに欧州の衣装と言われれば、そうですわね。エネフィアの衣服というよりも地球の中世の衣服と言われた方がすんなりと筋が通りますわ」
レイアの上で待機していた瑞樹はエルロードから意見を求められて、見たままを告げる。ジャンヌの衣服は大体15世紀中頃の衣服だ。質素で村娘が着る様な衣服だが、それ故何処かエネフィア的ではない。
そして地球では時折過去の時代の衣服を着るイベントがある。地球の異族達の中にはまだ着ている者も居るらしいという。それらの類の者が転移事故の可能性は十二分に考えられた。そしてその言葉を受けて、エルロードが申し出た。
「うーむ・・・そういうことであれば、悪いが一緒に来てもらえるか? 君達が日本人である事がわかれば、そして天桜学園がある事がわかってもらえれば、すんなりと話を通せる」
「・・・そうですわね。こちらも天竜の扱いについてご教授頂いている身。ご協力させて頂きますわ」
瑞樹は少し考えて、エルロードの申し出を受ける事にする。流石に冒険部もまだ天竜を人数分調達出来ているわけではない。だが、騎竜スキルは一朝一夕に身につく物ではないのだ。なので今回の様に時折軍の天竜を借りて、合同演習の形で調練を行っているのであった。
勿論、合同演習なのできちんと演習も行っている。それ故、ジャンヌへと攻撃が飛んだのだ。天竜部隊による上空からの砲撃と、その直後の高空からの戦士達による強襲。
マクダウェル領はまだしもエネフィア全体で見れば天竜部隊との連携はわりと重要なので、こういう練習が出来るのは軍としてもありがたかったのであった。
勿論、別の日には地竜部隊――これはまた瑞樹とは別の者が率いる――との連携も行う予定だ。偶然に天竜部隊との連携の最中にジャンヌが転移してきただけの話だ。
「そうか。ありがとう・・・誰か閣下へと連絡を入れろ」
「カイトが帰ってきていて良かったね」
「全くだ・・・ルキウス。留守は任せた」
「わかりました」
エルロードはアルを連れてルキウスに留守を任せる事にして、その場を後にする。勿論、瑞樹達冒険部の天竜部隊となる面々も一緒だ。そうして瑞樹達が天竜で、エルロードとアル、更に少数の側近が飛翔機で地上へ降りていく。
「うあ・・・」
ジャンヌの姿を見て、冒険部の男子達が思わず息を呑む。それほどまでに、彼女は美しかった。常日頃美しいと言われる瑞樹でさえ思わず自信をなくしそうな程だった。とは言え、ある男子が一つの事に気付いて、あからさまな落胆を浮かべた。
「あ・・・あちゃー・・・左手の薬指」
「うん・・・? あー・・・」
全員の顔に諦めというか何処か残念そうな表情が浮かび上がる。左手の薬指に指輪が嵌っていたのだ。地球人で左手の薬指に指輪。これの意味する所はたった一つだ。既婚者、というわけであった。
まぁ、ジャンヌの――見た目の――年の頃は大体20歳前後。結婚していても不思議はない、と思ったらしい。勿論、その年代なので男避けの可能性はある。が、そこらは流石に彼らにはわからない事だった。
「どうしたんですの?」
「左手の薬指」
男子諸君の言葉を聞いていたらしい女子の一人が、瑞樹へと小声でジャンヌの左手の薬指を見る様に告げる。何処か呆れがあったのは、男女の差だろう。
とは言え、その指輪を見て瑞樹が思わず、呆然となった。見たことがあった、というよりも見慣れた物だったのだ。しかも、そっくりではない。全く同じ拵えだったのだ。
「・・・え? それは・・・」
「ああ、やっぱり」
呆然となった瑞樹に対して、ジャンヌが微笑みかける。それは綺麗であったが同時に、何か空恐ろしい『何か』を含んでいた。
「貴方・・・カイトを知っている?」
「っ!」
一瞬。誰にも何が起きたか理解が出来なかった。気付けば目の前にジャンヌが浮いていたのだ。
「ああ、答えなくていいわ。だって、分かるもの。この距離まで近づけば、いやでも理解出来る・・・昨夜、何回愛して貰った? 一回二回じゃないわね、この濃さ」
「っ!」
驚きは驚きでも、瑞樹は別の驚きで顔を真っ赤に染める。カイトが帰って来た。となれば、彼女も恋人の一人である以上、勿論そういった行為は有りきのお話だ。
昨夜も勿論求められた。と言うか瑞樹から求めた。どれだけ高貴な身分だろうと彼女だって人間だ。減るものは減るし、溜まるものは溜まる。彼女から求めた所で不思議な話はどこにもない。
「ああ、良いの。別に・・・ううん。良くないけど、良いの。カイトは奪われる恐怖を知っている。だから、奪われたくないならしっかりと守るわ」
瑞樹へと鼻を近づけて匂いを確かめる様に、ジャンヌは明言する。カイトは自らに始まり、多くの者を幾度となく奪われている。あまりに多くの者を奪われた。その恐怖はいつまでも彼を苛むだろう。それを言っていた。
「ねぇ・・・何回? 五回? 六回? でも他の女の匂いも・・・っ!」
何かに気付いた様に、ジャンヌの眼が見開かれる。そして一気に不機嫌さを増した。
「・・・やっぱり、あの女も居る」
「え、えーっと・・・あの、貴方は・・・」
いきなり不機嫌になったジャンヌに対して、瑞樹が問いかける。何かが、危うい。それが彼女には感じられていた。
「・・・ジャンヌ。ジャンヌ・ダルク。今は、それで良いわ。現世の名は残念ながらわからないの」
「ジャンヌ・ダルク?」
瑞樹が怪訝そうに眉の根をつける。その名は聞いたことがない、という方が可怪しい名だ。それに、ジャンヌが明言した。
「本人よ? 1432年に死去したとされるジャンヌ・ダルク・・・その、反転体とでも言おうかしら」
「反転体?」
「まぁ、簡単に言えばその人の性質を逆転させた存在、というべきかしら・・・私の場合、自前の人類への憎悪を表に出された、というだけなのだけど」
「っ!」
瑞樹が仰天する。彼女が本当にジャンヌ・ダルクだと言うのなら、なんとも救いのない話に思えたのだ。が、これは真実を知らないが故の勘違いだった。だからこそ、ジャンヌが笑った。
「あはは! そんな顔しないでよ。別にコンピエーニュで裏切られた程度で人類に憎悪なんて抱かないわ・・・そんなの、山ほど知ってるもの。別に特別珍しい話じゃないでしょ? 正しい事している人が疎ましい奴、なんて。私が憎いのは、この世全て。須らく人類と全ての世界よ。あの程度、見慣れてるわ」
全員が、その言葉が真実だと理解した。それほどまでに彼女から発せられる魔力はなんというか、禍々しかった。どれほどの非道を為されれば人類にここまでの憎悪を抱けるのか。そんな程に濃厚で濃密な憎悪だった。
「ああ、でも安心して? 貴方達は殺さない。カイトが悲しむ」
「・・・さっきからカイトさんのお名前を何度も呼ばれてますが・・・一体どういったご関係なのです?」
「ああ、なんだ・・・貴方、思い出してないの」
何処か失望と言うか失意を瑞樹に対して浮かべるジャンヌは、悲しげに目を落とした。それは折角少しでも理解してくれる相手だ、と思っていたのに理解がしてもらえない事に気付いたが故だった。
「カイトを好きになった理由・・・忘れたんだ」
「っ! そんなはずがあるわけがありませんわ!」
流石にこの一言には瑞樹も黙っていられなかったらしい。思わず、声を荒げる。が、これは少々語弊があったらしい。ジャンヌが即座に訂正を入れた。
「ああ、ごめんなさい。そういう意味じゃないの。今のカイトを好きになった理由はあるでしょ・・・うん。私も早く見たいな、今のカイト・・・どんな人なんだろ・・・かっこいい? あ、いつも通りか・・・ねぇ、今も変わらないの?」
今までカイトの話をしていながら、ジャンヌが恋い焦がれる少女の様にまるで会った事がないかの様に問いかける。意味がわからない。瑞樹にはそう思えた。
「でも、違うの。貴方が忘れたのは、私達の魂が彼を愛している理由・・・そして、カイトの過去。受け入れていこう、って決めた彼の罪。あまりにも大きすぎて彼自身が砕け散る程の・・・」
「・・・? それは一体どういう・・・」
瑞樹が訝しむ。ジャンヌの顔は悲しげで、それは自分を仲間と思っていればこそ見せた表情だった。だが、その答えは返ってくる事はなかった。
「・・・駄目。教えられない。貴方が、取り戻して。カイトとの物語を。私は知らない。貴方は知っているカイト。その物語を」
「・・・」
ジャンヌの言葉に何かが、瑞樹の胸に去来する。忘れるな。そう訴えかけている自分がいる。当たり前の事を叫ぶ自分。
カイトは優しい。そして彼は傷付きやすい。そんな危うい彼だから、私達が止まり木になってやるのだ。そう、桜達と話し合った。それとは、また別の事。
「貴方を・・・私は・・・知っている・・・?」
声高に叫ぶ自分が、訴えかける。彼女の痛みを知っている。彼女の嘆きを知っている。人類を恨む理由を、人類を憎む理由を、知っている。そう、訴えかける。そして一瞬。ここではない世界が見えた。
『・・・大丈夫か?』
『・・・うん』
『行く宛、無いのか?』
『・・・うん』
『周囲に人影無し、と・・・はぁ・・・こんな子供が今回の異常の原因かよ・・・おーい! これ、殺さなくていいだろ! あぁ!? 嫌に決まってんだろ! オレが面倒見るからな!』
あぁ、これは。もう一つのカイトとの出会い。幼子であった『瑞樹』とまた別の『カイト』との出会い。忘れたくないと願った出会い。私と彼の始まりの日。
彼には想い人がいて好きとは伝えられなかったけど、それでも好きなのだ、と彼を想い過ごした日々の一端。それを、瑞樹はわずかに垣間見た。
「う・・・あ・・・」
涙が流れた。それは嘆きではなく、歓喜の涙。そして、心の奥底が理解した。彼女を知っている。会ったことはない。聞いたのだ。他ならぬ『カイト』その人から。
「あぁ・・・」
一瞬だけ見えた自分の過去。遥か彼方の何処かの自分。喩え死んでも失いたくない、と願った大切な思い出。それがあるのだ、と思い出した。思い出せた。
「・・・伝えたい想いが、ありましたわね」
「そっか・・・」
瑞樹の言葉に、ジャンヌが羨ましそうに頷く。そこにはわずかに嫉妬が含まれていた。が、当然だろう。言い様のない嫉妬を抱えたのは、自分も一緒だ。
心の奥底が、もう一つ叫んでいた。彼女は『敵』だ。気をつけろ、と。それも一番の強敵だ。ティナをして強敵と言わしめる相手だ、と。そしてそれ故、瑞樹は笑顔を浮かべた。
「・・・<<最初の花嫁>>さん」
「何?」
「少しぐらいは、良い目を合わせて頂いても構いませんわね?」
瑞樹の問いかけに、今まで何処か憎しみやそういった感情の浮かんでいたジャンヌの顔が嫉妬で歪んだ。
「っ・・・ちょっと一つ良い?」
「なんですの?」
「さいってい! あんた最悪! それを私に言う!? あんた、あいつの妹かなんか!?」
「最高の褒め言葉ですわね」
嫉妬満載のジャンヌの言葉に、瑞樹が輝かんばかりの笑みを浮かべる。これはレース。相手を出し抜いてなんぼだ。もし瑞樹がジャンヌの立場でもそう言うだろうし、ジャンヌが瑞樹の立場でもああ言っただろう。とは言え、それとこれとは話は別だ。
「案内、しますわ。カイトさんの下へと。お乗りになられてくださいな」
「ありがとう」
彼女をカイトと会わせない、という選択肢は無い。いくら恋敵だろうと、彼女だけは会わせないといけない。ずっと昔。今ではない遥か過去。そこからずっと、カイトを愛し続けているのだ。そして、カイトも愛している。それが、今の彼女にはわかった。
会わせてあげないのはあまりにかわいそうだ。そうして、困惑する誰しもを放置して、瑞樹はレイアをマクスウェルの方へと、向かわせようとするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第834話『もう一人の勇者』




