第831話 半覚醒
カイト達がマクスウェルまで後少しの距離に迫っていた頃。事態は遠く離れた何処かにて、起きていた。
「・・・では、お願いします」
「ええ」
道化師の依頼を受けて、ジャンヌが杖を掲げる。ジャンヌ・ダルクなのだから旗ではないのか、と思う者がいるかもしれないが、ジャンヌ・ダルクでもあった彼女が本来持つ物は杖だ。本来旗を持ってはいけない者が持ったが故に、ああなった。それがカイトら様々な事を知る者達の言葉で、彼女の言葉でもあった。
「・・・これで、大丈夫よ。後は好きにしなさい」
ジャンヌが告げる。彼女が何をしたのか。それは簡単だ。周囲を完全に隔絶してしまったのだ。大精霊達でさえ、ここで何が起きているかは理解不能だ。それほどの性能の結界を展開したのである。
ティナでも近づいたとてこの中で何が起きても気付く事は不可能だろう。が、それはある一つの限定的な条件が絡まなければ、の話だ。
「ありがとうございます」
「・・・」
道化師の感謝に、ジャンヌは何も答えない。お互いにお互いを利用しあっている事ぐらい承知済みだ。なので、彼女は遠くの空を見上げた。
「・・・馬鹿な奴。私が力を行使すれば、彼女も目覚めるというのに」
ここが何処かはであった彼女にもわからない。そもそも彼女は地球人だ。異世界に呼び出されてその知識があるとは思えない。
そして当然、彼らはここがどこか教えてはくれない。それが道化師とジャンヌの契約だ。結界の中で何をするかも教えない、というのも契約の内だ。それを彼女は素直に飲んだ。が、素直に飲んだからといって、素直に従っているとは限らない。
「私を舐めないでよ。伊達に幾千幾万と『魔王』を殺し続けてきた『伝説の勇者』じゃないんだから」
ジャンヌが楽しげに笑う。彼女は『勇者』であったが故に『人』と言う種そのものを憎んだ状態で蘇生された。それ故、人類がどうなろうと興味はない。というよりも邪魔なのでいっそ滅んでくれ、とさえ思っている。が、そこにカイトが絡めば話は別になる。
道化師がカイトの敵であると理解しながら彼女がカイトに何の情報も渡さないと思っているのなら、まだまだ彼女と彼女のライバル達を甘く見ていた。たかだか魂が生まれて――その生きてきた総時間として――数千年程度で手に負える存在ではなかった。正真正銘、培ってきた経験値が違うのだ。
「泥棒猫に恩を買われる様で腹が立つけど・・・あー、うん。やっぱり腹立つ! なんで泥棒猫が先にカイトの側に居るのよ! 私が居ないの良いことに正妻ポジ気取ってるのが尚更腹立つ! と言うか待ってられたら尚更腹立つ!」
ジャンヌは勝手に一人で怒り始める。が、そんな勝手な激怒は誰にも知られる事なく、隔絶された空間の中で消えていくのだった。
一方、その頃。そんな聖女にあるまじき誰もが微妙な表情しか浮かべられないだろう怒鳴り声を撒き散らすジャンヌに対して、マクスウェルは冒険部のギルドホームではのっぴきならない事態が起きていた。
「・・・え?」
カナンが目を瞬かせる。だが、目を瞬かせているのは彼女だけではない。執務室に居た全員が一緒だった。幸いといえば幸いなのは、この中でティナの正体を知らないのがカナンだけ、という所だろう。
隠蔽は容易い。が、正体を知っていても今のティナの唐突な変貌と今の姿には、誰もが困惑を浮かべるしかなかった。
「・・・何、それ・・・?」
「・・・ふむ・・・」
カナンの問いかけを受けたティナだが、彼女は周囲を見回しているだけだ。が、そんな様子に何かあったのかも、と魅衣が慌てて問いかけた。
「え、ちょっと、ティナちゃん!? 急にどうしたの!? 何かあった!?」
「・・・何か、か・・・ふむ・・・」
ティナは魅衣の問いかけに一人考え始める。そんな彼女の髪は白銀に染まり、目は真紅に染まっていた。誰も見たことのない変貌に驚いていたのだ。と、そんな熟慮はものの数秒で終わった。
「・・・ふむ。あのキチガイ女が目覚めておるな」
「き、キチガイ女?」
「うむ。キチガイじゃ。カイトの寵愛が欲しいからと泣いて脅すわ散々独占しおるわあまつさえカイトの阿呆もそれに付き合って延々数万回殺されるわ・・・だからお主の席は無いというのに勝手に作って居座るわ・・・あー、もう! 今思い出しても腹立つわ! なぜあれの所為で余が冷や飯食いせねばならん! そもそも冷や飯を食うのはお主じゃというのに! <<蒼の巫女>>はカイトの伴侶となるべく創られた魂! 余はそもそもカイトの妻になる為に生まれたと言うに! それを奪うとは何様のつもりじゃ!」
「???」
ティナから羅列される言葉の数々に、魅衣は困惑するしかない。明らかに可怪しい話が山ほど存在していたのだ。それに彼女の言葉とは思えない程に同じくカイトの寵愛を受ける者への罵詈雑言が含まれていた。
「え、えーっと、ティナさん? 説明してくれると嬉しいのですけど・・・」
「あん?・・・おぉ、そう言えばお主らは知らんのか。ふむ。なら、今は、無駄じゃろう。今はのう」
「???」
魅衣も瑞樹も首を傾げるしかない。何の話だかさっぱりだ。そうして制止が入ったからか、ティナは少し落ち着いたようだ。
「ま、一つ言えるとすれば、今のこの余は暫くだけの一時的な状態じゃ。本来はならんはずじゃったんじゃが・・・ふむ・・・」
ティナは再度何かを考え始める。そうして彼女は周囲を360度見回して、ある一点を見つめた。
「「見付けた」」
遠く。遥か遠くのジャンヌとティナが交わせぬはずの視線を交わす。お互いに理解出来ている。絶対に今この時にお互いを見ている、と。完全に勘だ。だと言うのに、正解だった。
「・・・ふむ・・・これが起こるとするのなら・・・そして今の余が完全に覚醒しておらんのなら・・・ふむ・・・なるほど。あのピエロの仕業じゃな。なんぞヒメアのレプリカでも作りおったか・・・この方向は・・・なるほど。どうやら、案外厄介な事態にはなりそうじゃな」
ティナは一人、事の裏の裏まで把握して、ジャンヌの望みを理解する。なんだかんだと言いつつも、彼女の性能が高まっただけだ。その他に変化は皆無だ。なのでやるべきことも見据えていたし、為すべきことはわかっている。が、それとこれとは話が別なだけだ。
「業腹じゃ。非常に業腹じゃが・・・」
「とんでもなく腹が立つけど・・・」
お互いに直に会話は交わしていない。が、何を言いたいか、そして何を望んでいるかは理解しあっていた。
「ふん・・・泥棒猫なぞそこで朽ち果てれば良いが・・・ちっ。お主を見捨てるとカイトがひどく悲しむ。仕方があるまいな」
「本当に腹立つ・・・あんたに頼むなんて」
「あぁ、腹立つのう・・・」
二人は会ったこともない相手に対して、勝手に腹を立て合う。が、これが彼女らのデフォルトだ。ここにカイトが加わればキャットファイトになるのが日常だ。そしてカイトがとばっちりを食うのも日常だった。
「が、一つ言おう。お主の無念は理解しよう。カイトに会う事を余も許そう。せめて一度ぐらいは触れても良いじゃろう」
「・・・あんたに許される事じゃないっての。そもそもカイトは私のものだって。後から奪ったのあんたでしょ」
どうやら、ティナの言い分はジャンヌの琴線に触れたらしい。彼女の頭に青筋が浮かんでいた。と、その返答に今度はティナが青筋を浮かべた。
「そもそも余が先にカイトを得るのが筋じゃろう! それをお主が運命捻じ曲げて簒奪したのが真相じゃろうに!」
「はぁ!? そもそも私はプロポーズされてたんだからそっちが優先でしょ! カイトの意思が優先される!」
「プロポーズ云々はお主の泣き脅しではないか! 他所様の情事を覗き見しおって!」
「あれは遥か未来のお話であの時点では起きてませんでしたよーだ! あんたが生まれたのはそのかなり後! 生まれた後の話! カイトと出会ったのだってほんとに最近の話じゃん!」
「フラスコの中の話をするでないわ! あそこで生まれとる魂は物凄い限られとるし、そもそもあの世界にも余らもおった! 活動出来なんだだけよ!」
遠くで二人が言い合いを行う。どう見ても奇妙な言動なのだが、ジャンヌの方は周囲に誰もいないし、ティナの側はティナの剣幕に誰も声が掛けられない状況だった。なので止める者も居ない言い合いは、暫く続いた。
「「ぐぬぬ!」」
二人は会話も交わしていないはずなのに、何故か完全に相手の言うことを理解して睨み合う。袖振り合うも多生の縁。それも極まれば生まれ変わろうと、お互いをお互いが理解しているらしい。まぁ、彼女らの場合はもしかしたら絡みすぎて団子状態になっているのかもしれない。
「・・・何が何だか誰かわからないの?」
「あー・・・うん。誰もわかんない」
そんな奇妙な光景を見ながらカナンが問いかければ、魅衣さえ首を振るしかない。勿論、横にだ。ティナの正体が魔王ユスティーナである事は彼女らにとっては周知の事実であるが、今の姿は彼女らからしても理解不能だ。なぜ何時もの金髪金眼ではなく白銀赤眼は見たことがない。
それ以前に誰と話しているのかさえ全くわからないし、何の話なのかも一切不明だった。ということで、カナンがおずおずとティナが変貌を遂げた女性へと問いかけた。
「えーっと・・・何やってるの?」
「む?・・・あ」
どうやらここでティナはカナンが居た事に気付いたらしい。そもそも変化は彼女にも不可避な物だった。彼女はかつてカイトが言った通り、ジャンヌの目覚めに呼応して自らの<<原初の魂>>を目覚める様に設定した。
それは遥か過去の話で、今の彼女がカイトと初めて情を交わした日の事だ。勿論その時にはこんな事になるとは思ってもおらず、カイトが側にいて他の二人も一緒に居るはずだ、という想定の下で封印を施したのだ。まさか誰も居ない状態で目覚める事はそもそも想定外だったのである。
そして更に言えば、普段のティナは封印されている事さえ知らない。彼女の叡智でも及ばぬレベルで封印が施されていたし、そもそも魂の奥底に封印があるためいくら彼女でも気付く事は出来ない。
カイトは複雑奇っ怪さ故に手出し出来ないし、とこうなったのは仕方がない事だった。敢えて文句を言うのなら、ジャンヌを蘇らせた道化師に言うべきだろう。
「・・・」
「・・・」
何時もと違い、ティナが若干見下ろす格好で二人が見つめ合う。ティナは今どうしようか、と考えており、カナンはこれは本当にティナなのか、と悩んでいた。が、そうして少しして、ティナが顔を顰めた。
「ふーむ・・・と言ってもカイトに伝える事ができた故に当分はこのままになりそうなんじゃよな」
「? 銀髪って事?」
「まぁ、それもある」
魅衣の問いかけにティナは微妙な反応を返す。実際には今の封印は半分解けているだけで、完全に解けているわけではない。なのでジャンヌが消滅さえしてしまえば、また封印は元通りになるだろう。そもそもこれが事故である以上、当然の話だ。
「ふーむ・・・どうしたものかのう・・・」
「そもそも、どうしてその髪と姿に急に戻ったわけ?」
「うむ。そりゃ、簡単じゃ。どっかでカイトと余に関わりがある女が目覚めた、という話でのう。その際には自動でこれになる様に設定しておったんじゃが・・・むぅ・・・やっちまったのう・・・」
「何か問題があるわけ?」
「うむ、あるぞ。今の状況は余も想定しておらぬ事故じゃ。想定出来た話でも無いんじゃが・・・まぁ、そういうわけでその女が元通りになれば、余は今のこの会話を含めた全ての会話の記憶を失う・・・うむ。しゃーない。無かった事にしてしまうか」
「・・・え?」
全員がきょとん、と目を丸くする。現状、ティナにはもう手の施しようがない。いくらなんでもここまで見られては大問題だし、そもそもカナンにどう説明したものか、となってしまう。
これが普段のティナなら記憶もそのままなので問題は無いが、今の彼女はカナンに正体が露呈した記憶を失うのだ。ここで正体を露呈させた所で、今度は封印が再度機能した時に問題が出る。無かった事にするしかなかった。
「ま、すまんのう。流石にこの一幕は無かった事にせねばならんのよ」
「え、ちょっ・・・」
「ティナちゃん!?」
ティナは魅衣やカナンの制止に問答無用に杖を取り出すと、何時も使う魔術とは明らかに桁違いに複雑かつ繊細な魔術を行使する。無かった事にするしか無いのなら、無かった事にするしかない。というわけで、彼女は今の一幕の会話を無かった事にさせる。
「はぁ・・・とりあえず屋上へ行くしかない、かのう・・・おーい、カイト。どうせわかっとるんじゃから屋上に来い」
ティナはそう呟くと、何事もなかったかの様に仕事に戻った魅衣達を尻目に、屋上へと向かう事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。今回のお話は大半が何が何だかさっぱりだと思いますが、今はこれはこれとしてお考えください。補完はきっちりやります。
次回予告:第732話『輪廻転生の輪の中で』




