第828話 飛空艇
カイト達が飛空艇に乗って帝都アンシアを後にして、数時間。巡航速度に乗った事に加え幸いな事に魔物に襲われる事もなく飛空艇は進み続け、周囲には夕日が垂れ込めはじめていた。
と、その頃になり、カイトは再び操縦席に戻ってきていた。操縦方法を教える必要性もあったので、瞬達も一緒だ。
「そろそろ、『禁足地』に入る事になると思うんだけどな・・・」
「マザーのGPSを併用した位置確認では『禁足地』からおよそ300キロの所の筈です」
「後20分程、か」
一葉の言葉を聞いて、カイトがそろそろ高度を下げるか、と操縦席に取り付けられた操縦桿に手を乗せる。『禁足地』は高さ無制限に立入禁止だが、高すぎると強大な魔物に遭遇してしまう可能性がある。なので高度を落として、確実に魔物の侵入が無い高度を飛ぶつもりだった。
「『禁足地』ってどういう所なんだ?」
「所謂一種の楽園みたいな所だよ」
翔の問いかけを受けて、ユリィが答える。魔物は一切存在せず、悪意ある存在は全て排除される。絶対的に安全な場所があるとすれば、それはこの『禁足地』だった。
それ故、生態系はほぼ原初の時のままでこの禁足地にしか生息しない生き物も多かった。そしてそれ故時折、神獣達が認めた動物学者がここで調査している事もある。
「ま、つってもそれは人以外の、という注釈が着く。基本的には人は立ち入れない」
「で、そこで俺達は一泊、と・・・」
「誰の手も入る事のない場所だからな。きれいな夜景が拝めるぞ」
翔の言葉にカイトが笑う。とは言え、どうやら彼はきれいな夜景には興味が無いらしい。ほぼほぼスルーされた。とまぁ、そんな間にもカイトはゆっくりと高度を落として、更には速度も落としていく。
「さて・・・高度3000メートル。速度100キロ。距離は?」
「およそ20キロ」
「なら、そろそろか。二葉。操縦桿を頼む。オレは外に出る用意をする」
「御命令のままに」
カイトの指示を受けて、二葉が操縦を変わる。そしてそれを受けて、カイトは艦橋を後にして上部ハッチへと通じる通路へと向かう事にした。したのだが、その前に桜が問いかけた。
「あ、カイトくん。私達はどうすれば?」
「ん? ああ、桜達はここで待っていてくれ。安易に神獣の前に出ると当てられる・・・と言うか、ここに居ても当てられるからな。ユリィ、一応補佐頼む」
「あいさ」
そう言えば忘れてた、とユリィがカイトの肩から飛び上がり、艦橋に残る事にする。神獣は今の彼女らでは抗いようのない遥かに格上の存在だ。それが敵意を発すれば、それだけで致命的に成りかねない。
そして上部ハッチから出た所でのそれは命取りだ。もし誤ってバランスを崩して落下したらそれだけで命はないだろう。というわけで、カイト以外はここに残る様に指示したのであった。
そうして、カイトは一人二重扉になっている上部ハッチの前に立つと内部隔壁を開いて隔壁の中に入り、二葉へと連絡を入れた。
「さて・・・二葉。ハッチを開いてくれ」
『了解・・・どうぞ』
「ああ。サンキュ」
ごぅ、という音と共に、上部ハッチが開いて外への道が出来る。一瞬カイトは吸い出されるような感覚を得たが、それは即座に障壁が展開されて元通りになった。
「出た。隔壁を閉じておいてくれ。後、白い影が見えたら速度を落として、何時でも停止出来る様にしておけ」
『了解です』
カイトの言葉を受けて、二葉がカイトが入ってきた扉を閉じる。基本的には操縦席から全ての扉と隔壁は操作出来る様になっていた。勿論、手動でも可能だ。
そうして飛び続ける事更に10分程。カイト達の目の前に、急速に接近してくる白い影があった。それを見て、カイトが笑顔で手を振った。
「おーう! ひっさしぶりー!」
『ああ、貴方でしたか』
白い影は巨大な鳥だった。全長は100メートル程もある物凄い大きな鳥だ。が、これだけ大きいにもかかわらず、威圧的な感は無かった。それどころか神々しい風格さえある。そしてそれは、艦橋からでも一目で理解出来る程だった。
「凄い・・・」
桜が呆然と呟く。こんな生き物が居たのか、と驚くと同時に、その素晴らしさに思わず涙が出る程だった。神々の一柱と言われても素直に信じただろう程に、その威容は素晴らしかった。
そして、同時に理解もする。これに睨まれればどうあがいても自分達に命はない、と。『禁足地』が『禁足地』である所以がよく理解出来た。とは言え、それはカイトからすればどうとでもなるレベルの圧力だった。
「一応、近くに来たし久しぶりに自由になれたからな。挨拶に来た」
『殊勝な心掛けです』
当たり前だが、カイトの事を神獣達も知っている。ということで挨拶に来ても不思議ではないし、警戒も解かれた。と、いうわけでカイトが申し出た。
「で、悪いんだけど近くの島で一泊させて。貰ったばっかりでさ。巡航速度でかなり飛んでたから、一応調子見ときたい。ここらだと安全に停泊して一泊出来るからな」
『わかりました。お乗りなさい』
「サンキュ」
神鳥はカイトへと背を向けると、その上に乗る様に指示を出す。神獣の背に乗れるのは世界広しと言えどもカイトぐらいなものだ。というわけで、カイトは神鳥の背に乗ってヘッドセットで艦橋へと連絡を送る。
「案内してくれるってさ。以降はこいつの後についてこい」
『御命令のままに・・・追尾を開始します』
ここからは、自動操縦は使えない。というわけでカイトを背に乗せた神鳥の後を、飛空艇が飛行する。時速は大凡500キロ程度だ。
生き物が単独で出せる速度としては、おそらく最速――地球上最速は隼の時速約400キロ――だろう。これでも手加減していたのだから、全力となると音速は余裕で超えるだろう。その間にも、カイトは神鳥と会話を行っていた。
『地球ではどうでしたか?』
「ああ、うん。久しぶりに家族に会えた」
『それは良かった』
神鳥が何処か柔和な笑顔を浮かべる。基本的に、神獣達は害意の無い者に対しては優しい。傲慢である者も居るには居るが、それにしたって優しい事は優しい。
まぁ、敵対する者には普通の神々以上の圧倒的な攻撃力で殲滅してくるわけなのだが。どれぐらい危ないかというと、300年前当時の魔王軍さえ一切立ち入った形跡が無い程だ。交渉さえしなかったらしい。流石にティステニアを操れる者達でも、ここに喧嘩を売る事だけは避けた様子だった。
「で、こっちは?」
『300年で変わる事はありません』
神鳥が笑う。ここは何時如何なる時でも平穏だ。彼女の背から見える風景も300年前と何ら変わらない。大抵の魔物は神獣達によって撃滅されるし、そうでなくても誰も手を出そうとしない領域だ。
そもそもここに好き好んで来るのはカイトぐらいなものだ。変化なぞありはしなかった。そうして神鳥は少しの間飛び続けて、一本の巨大な木が見えてきた。
「・・・なんだ、あれは・・・」
瞬が思わず呆然と呟いた。それほどまでにその木は大きかった。はじめこれが巨大な木として認識が出来ない程だった。なにせ、数百キロ先からでも見えたからだ。
あまりに分厚い幹に、瑞々しく生い茂る木の葉。潮風を受けているはずなのに一切の影響を感じさせない威容。そして集まっている魔力も桁違いに濃密で、周囲の水面が虹色の輝いて見える程だった。これこそが、このエネフィアという星の全ての魔力の流れを集め調律している『世界樹』だった。
「あれは世界樹。この世界の世界樹だね。この世界・・・星に満ち溢れる全ての魔力は最終的に、あの世界樹の袂に集まって、星の内部へと還元されて、また外に出てくるの」
驚く一同に対して、ユリィが解説を加える。ここらは魔術が一般的な世界であれば、誰もが常識として知っている事だ。そして瞬達もあくまで常識として『世界樹』については教えられていた。
とは言え、教えられて知っていたのと、直に見て見るのとは全く違う。それどころか想像した以上の威容に圧倒されている様子だった。が、それは見慣れていれば普通に思えるわけで、カイトもユリィも平然としていた。
『ああ、あの島なら、一時的に停泊する事が出来るでしょう』
「ああ、そう言えば近くに小さな島があったっけ・・・」
『白砂の島ですが、一泊する程度ならば良い土地でしょう』
「何もないからか」
神鳥の言葉にカイトが笑う。それに神鳥も笑いながら、緩やかに降下を始める。その先には200メートル四方の小さな島があった。一応少しばかりの木々はあるが、それも林程ではなくあくまでもぽつりぽつりと立っているという程度の話だ。何かの理由で流れ着いても最悪は死なない程度に木の実が取れるかも、と言う程度でしかない。
「じゃあなー!」
カイトは去っていく神鳥の背へ向けて、言葉を送る。その後彼女は一気に加速して、瞬く間に世界樹の上に止まった。いつもはあそこに止まっているのである。領域内に近づく飛空艇があったので出て来ただけだった。と、そうしている間にも着陸シーケンスを終了させた飛空艇が、カイトの側に着地した。
「さて・・・じゃ、戻るか。ここ暑いし」
カイトは服をパタパタと煽る。ここは海沿いで、今は夏場だ。いくら日は落ちかけていると言っても、暑いものは暑いのだ。しかもカラッとした暑さではなく、潮風でベタつく嫌な暑さである。
「ただいまー。とりあえず、二葉。運転サンクス・・・で、一葉。エンジンの調子は?」
「今の所異常は見受けられません・・・が、これよりエンジン部のチェックを行ってまいります」
「ああ。オレも手伝おう・・・じゃ、皆は休んでおいてくれ。こっちも確認したら今日は終業だ」
カイトはそう言うだけ言うと、とんぼ返りで艦橋を後にして一葉達三人を連れて機関部へと移動する。本来はここらを専門に調整出来る機関士でも居れば良いのだが、残念ながらこれは定期運行の船ではないのだ。自分達で用意しなければならない一方で、その人員は連れてこれなかった。なのでカイト達がやるしかなかったのであった。
ちなみに、出来るのか、という疑問があるだろうがそれは勿論出来る。そもそも飛空艇の原案はティナが開発した物だ。そもそもの基礎構造がわかっていて、そしてこれが民生品である事を考えれば多少なりとも対処出来たのであった。
「・・・うん。焼付きとかはなさそうだな」
『きちんと整備されている様子です』
魔導炉の下に潜り込んでいたカイトに対して、一葉がヘッドセットで答える。彼女らは上を確認していた。が、少なくとも何処かに異常が見受けられるという事は無く、きちんと動いてくれている様子だった。この様子なら、後は十分に飛べるのだろう。
「三葉ー! そっちのレンチとってくれー! さっき間違って蹴っちまった!」
「あ、はーい!」
カイトは幾つかのカバーを開きながら内部の回路を確認していく。流石に本格的な修理は無理だが、簡単な異常の確認ぐらいは出来た。伊達に義勇軍の総大将と言うか使いっ走りをさせられていない。何故か総大将であるにもかかわらず、どの分野でも一通りの仕事は仕込まれているのであった。
「締結する時は対角で締めて、と・・・これやらないとオーアにぶん殴られるんだよなー・・・」
カイトはぶつくさとぼやきながら、ボルトやナットの締結を行っていく。幸い魔術があるお陰で、地球なら複数人が必要な作業も一人で行える。
なお念のために言えば、事故防止の為に一応三葉が全体の監視をしてし適時二葉が作業の手伝いをしているので決して一人でやっているわけではない。一人でこういう作業をやるとまたオーアからぶん殴られるのであった。
「よっし! これでオッケー。とりあえず、大丈夫か」
カイトはとりあえず魔導炉の確認を終えると、一度魔導炉を休止状態へと落とす。別にアイドリング状態でも問題は無い――魔導炉なので環境負荷はガソリン・エンジンよりも遥かに良い――のだが、どうせなら明日の出発時には瞬にエンジンの始動からやらせてみるつもりだった。
サブの魔導炉は動かしているので、お風呂や食事等の生活活動には問題はない。メインの魔導炉は飛行する為の物だ。生活する為にはここまでの出力はあまりに大きすぎる。飛行時の姿勢制御や万が一の墜落時に姿勢を制御したりする為のサブの魔導炉だけで十分だった。
「ふぅ・・・お前らも終われば休めよー」
「あ、はい!」
魔導炉の上に上がっていた一葉と二葉が声だけを返す。と、そうして出て来たカイトの顔を見て、三葉が蒸したタオルを差し出してくれた。
「はい、マスター」
「うん?」
「ここここ」
三葉は己の頬を指差す。どうやらオイルが付着していたらしい。と、改めて確認してみれば、ツナギも油まみれだった。
「マスター。すっごい油まみれ」
「・・・こりゃ駄目か。帰って業務用洗剤で洗濯だな」
一瞬ここで洗うか、と思ったカイトだが、この油汚れは落ちないだろうと思ったらしく首を振った。そして更に手を見てみれば、こちらもまた油で汚れていた。
「お風呂入ってきたら?」
「そうする・・・後任せた」
「はーい」
三葉の提言にカイトが応ずる。これでは折角真新しい飛空艇だというのに、どこかに触れるだけで油で汚してしまう。何をするにしても、お風呂で身体の汚れを落としてからだろう。そうして、カイトはお風呂に入る事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第829話『禁足地にて』




