第826話 帰郷へ向けて
帝王フィリオ一家の夕食会二日目。この日もまた、夕食会は開かれていた。というわけでこの日もこの日でカイトと睦月は帝王フィリオ一家が夕食を食べる横の部屋で、監視を受けながら帝王フィリオの補佐を行っていた。
「な、何かしら、これ・・・」
フューリアが黒に近い茶色の液体で満たされた鍋を見て、頬を引き攣らせる。二日とも鍋料理だ、とは昨日の内に帝王フィリオから聞かされていたわけであるが、今日は匂いがするな、と食卓に着いた時にはそう思っていただけだった。
が、そうして鍋の蓋が開いてみれば、見えたのは黒い液体――醤油――で満たされた鍋だ。何の知識も無い者が警戒するのも無理はない。
「すき焼き、という料理だそうです。日本の代表的な鍋料理の一つですね」
「こ、これが・・・?」
一応、フューリアとて見た目だけで判断はしない。が、やはり茶色い液体で満たされた鍋には警戒心が先だった。とは言え、匂いには抗えないらしく美味しそうだな、とは思ったらしい。全否定ではなく、本当に食べられるのか、という方向性で警戒している様子だった。
「変わった料理を食べるのね・・・で、今日は目の前で料理してくれないのかしら」
「はい。今日はこれを食べます」
フューリアの問いかけを受けて帝王フィリオが答えれば、彼女が少しおずおずとしながらも鍋へと箸を伸ばす。が、その前に、ティトスから待ったが掛かった。
「ああ、少々お待ちを。ティトス。そこの卵を取ってくれ」
「はぁ・・・」
帝王フィリオから言われて、ティトスはテーブルの端に乗っていた卵を取る。後で入れるのかな、と彼は思っていたらしい。
ちなみに、地球では実は卵を生で食べられる国は少ないのであるが、幸いなことに魔術による洗浄等が可能だからか、実はエネフィアの方が生卵を食べられる国は多かったりする。一応安全性はチェックしたが、問題なさそうだった。
「「???」」
二人は目の前で少し深めの手塩皿に割った卵を入れてカチャカチャとかき混ぜる帝王フィリオの行動に首を傾げる。と、そんな卵のかき混ぜはすぐに終わり、帝王フィリオは母へとそれを差し出した。
「これにつけて、お食べください」
「? 卵につけるの?」
「はい。そう言う料理だそうです」
「へー・・・卵を、ねぇ・・・」
勿論ヴァルタード帝国にも卵を食べる文化はあるわけだが、生卵をまるでつけダレの様に扱う文化はなかった。これは流石に日本独特な料理と言える部分だろう。
というわけで、流石に好奇心には勝てなかったらしい。フューリアはとりあえず近くにあった春菊に手を伸ばして、溶いた生卵に浸して口にする。
「あら・・・苦いのかな、と思ったのだけれど・・・少し香ばしくて甘みがあるのね。それに卵がいい具合に絡んでマイルドになるのね」
見た目に反して苦味もなく柔らかな味わいだった事にフューリアが目を見開く。どうやらお気に召したらしく、お箸を更に別の食材へと伸ばしていく。そんな様子に、ティトスも少し怖いもの見たさも相まって手を伸ばした。
「・・・おや」
彼もどうやら茶色の見た目――おまけに豆腐は一部焦げもついていた事もある――に苦味を想像していたらしい。苦味も無く逆に感じられた甘みに驚いていた。
「甘い・・・何か入れたのですか?」
「砂糖を少しな」
「お砂糖?」
「ええ・・・」
母と弟からの質問を受けて、帝王フィリオがすき焼きの解説を行う。そしてそこで二人もこの鍋を満たしていたのが醤油である事を把握したらしい。魚醤しかしらなかった彼らだが、それ故、匂い等から想像出来なかったらしい。そうして、そんな和やかなムードで食事会は進んでいく。
「それで、今日も何かあるのかしら」
元々鍋に入っていた食材の大半を平らげた所で、フューリアが問いかける。やはり二日目でどちらも鍋料理だった事からか、推測が出来たらしい。とは言え、今日持ってきたのは、ご飯ではなくうどん――に似た麺――だった。
「あら・・・少し太いパスタ?」
「ええ。本来はうどんという物を使うらしいのですけども、手に入らなかったので・・・似た物で代用を」
帝王フィリオはフューリアの問いかけに答えつつ、今日も今日とて鍋のシメを作っていく。そんな光景を、カイトと睦月は横の部屋で見ていた。
「ふぅ・・・良かった。やっぱりお醤油をふんだんに使った鍋ってどう思われるか不安だったんですよ」
「あはは。見た目若干ゲテモノっぽいもんな」
睦月の安堵の表情に、カイトも笑みを零す。日本人故に何ら感慨はないし地球であればすき焼きは世界的に知られた料理なので何も思われないだろうが、やはりここは異世界だ。茶色い液体で満たされた鍋は警戒されるのは仕方がなかった。
実のところ一度これを毒味係に見せた所、食べるまでもなく却下されかかったのは帝城で後々まで語り継がれる笑い話だ。料理長が取り成してくれたお陰で食べてくれたが、その時の反応は完全にびっくり仰天という具合だった。味は想像と違うは美味しいわ、で大混乱していたのであった。
「良し。これで、依頼完了かな。睦月、お手柄だ」
「はい!」
カイトの賞賛に睦月が笑顔を浮かべる。今回のMVPは誰がどう考えても睦月だろう。賞賛されて然るべきであった。そうして、そんな風に全体的に満足の行く結果となり、ヴァルタード帝国での依頼は完全に完了、となったのであった。
明けて、翌日の朝。流石に依頼終了と言っても次の日に出られるわけではなく、飛空艇の用意完了までには少しの時間があった。何より書類上の手続きもある。こういった書類は依頼を完遂してからの事だ。
一応帝王フィリオからの依頼なのでなるべく早目に回されるが、流石に昨日の今日では無理があった。と、言うわけで、一同は帝王フィリオから呼び出されていた。今回はカイトと睦月だけではなく、全員だ。
「まずは、諸君。感謝する。今年は母も驚かせる事が出来て良い誕生日会になった。本来ならば、公的な誕生日会に諸君らを招きたい所なのだが・・・な。今年はお流れになってしまってな。申し訳ない。その代わり、情報の入手などで出来る限りの便宜は図らせてもらった。それで許してくれ」
帝王フィリオが笑顔で、カイト達の労をねぎらう。こういうことは形が重要だ。なので改めて、というわけだった。それに、カイトがパーティ・リーダーとして頭を下げた。尚、今回は場所が執務室なので全員平服――そもそもカイトは免除されているが――はしていない。
「ありがとうございます、陛下」
「これで、依頼は完全に終了だ。飛空艇は用意させるが、もうしばらく待ってくれ」
「ありがとうございます」
今回は一応は公であるので、カイトの口調も丁寧だ。そうして幾つかのやり取りが交わされて彼が依頼の終了を示す依頼書にサインをして、本題である飛空艇の話に入った。
「さて・・・それで諸君らの報酬だが、申し出通り輸送艇を用意させてもらった。型落ちだが帝国で引き取った物だ。調整は保証しよう。スペックについてだが、そこそこと思ってくれ。一応武装も搭載されているが、あくまで弱い魔物を追い払う程度の物と考えてくれ」
帝王フィリオの執務室に取り付けられたモニターにカイト達が所有する事になる飛空艇が映し出される。スペックシートは後でもらえる事になるのだが、見た目としてはヴァルタード帝国で普及している商人達が使う一般的な飛空艇――少し角ばっているのがヴァルタード帝国製の特徴――と同じだ。少し長方形なのは、輸送艇だからだった。
その型落ち品を望んだのだから、当然だろう。聞けば一世代前の物で、5年程前に出たモデルらしい。とはいえ、輸送艇の性能は型落ちしてようとさほどかわらない。一応出力は今年発売されたモデルより10%程落ちるらしいが、その程度天桜学園で使うのにきにはならない。性能としては十分だ。戦闘力も巡回の公爵軍が居るので、殆ど考慮していない。
更に言えば長距離の輸送は今の所考えていない。マクスウェルと天桜学園の距離は直線距離で約10キロ。しかもその間は時々輸送艇が単独で移動する様な比較的安全とされる経路だ。これで十分だった。
「サイズは30メートル級。積荷は最大で3トン程・・・が、それに応じて負担もあるらしいから気をつけてくれ。詳細は後ほど事務の者に必要な書類と共にスペックシートを持って行かせよう」
一同はそんな帝王フィリオの言葉を、何処か感慨深げに聞いていた。やはり飛空艇だ。色々な縁が在ったからと言っても、それを自分達で保有出来る様になったのは感慨深い物があったらしい。
そうして、更に幾つかのやり取りの後、正式に帝王フィリオより依頼の終了を示す書類を受け取って、依頼は完全に終了するのだった。
それから、更に数日。カイト達は最後の数日を観光やこちらで得た知り合い達との時間に過ごす事にして飛空艇の準備完了を待つ事にしていたのだが、それもこの日で終わりを迎える事になった。
「皆様。飛空艇のご準備が出来上がりました」
帝城付きの執政官がカイト達へと告げる。どうやら、書類審査等も終わりを迎えたようだ。
「一度皆様の飛空艇をご覧になられますか?」
「・・・お願いします」
カイトは一度全員と顔を見合わせると、全員が頷いた事を受けて立ち上がって申し出を受ける事にする。出発にはまた別の手続きが必要だし食糧の買い込み、備品の確保等色々と必要なので出発は早くとも3日後になるだろうが、一度見ておきたかったらしい。
更に言えばどちらにせよ内装等を確認しなければ何が必要か、というのもわからない。一応長期停泊用に必要な物は一通りは揃っているらしいが、それもどこまで揃っているのかは実際に見てからになるだろう。というわけで、カイト達は執政官の案内を受けて個人所有の飛空艇が停泊する空港へと移動する。
「これが、皆様の飛空艇になります」
「おー・・・」
一同は大きな飛空艇を見上げる。流石に軍用ではないので魔導砲が見える様に取り付けられているわけではなかったが、輸送艇故に大きさは軍用の小型艇よりも大きくかなりの物を積み込めそうだった。
「もう入っても?」
「既に所有権は皆様に譲渡されておりますので、ご自由にどうぞ」
「じゃあ、鍵を使って入ってみるか」
カイトは執政官の言葉を聞いて、彼から受け取っておいた飛空艇の始動キーを使ってハッチを開いた。ハッチは飛空艇の横にあるタイプらしく、カイトが押した遠隔操作用のスイッチを受けてハッチが開いて、タラップが下りてきて彼らを迎え入れた。そうしてとりあえず各々が気になる所を見て回る事にしたので、カイトも一人で見て回る事にした。
「へー・・・無骨な作りだな・・・」
カイトは中を見回りながら、とりあえずの感想を述べる。基本的にはヴァルタード帝国の飛空艇だ。輸送艇と言っても中の構造はそこまで変わらない。
そして輸送艇である以上、どこかに大きな空きスペースがあるだろう。輸送艇なのに積荷を置くスペースが無いわけがない。というわけで、カイトは一度外に出て後ろ側へと歩いていく。
「ああ、なるほど。後にもう一つハッチがあるのか・・・そして側面に4個の飛翔機、と・・・可動は・・・出来そうだな。ホバー可能か」
背面に回ったカイトの目の前には、上下に両開きになるタイプの大きな扉があった。上から下までしっかりと開くタイプだ。
飛空艇の全高が大凡10メートル程度なので幌馬車でも余裕で乗せられるし、ある程度までならば巨大な荷物を搬送する事も出来るだろう。木材や加工機械等で時折大きな物を運ぶ必要もある事を考えれば、十分に使える物だった。
「大体20メートル規模の格納庫か・・・格納庫の高さはおおよそ5メートルって所か。中型の魔導鎧なら格納出来そうか。このサイズで格納庫の高さがこのぐらいだと・・・この上に船員用の部屋とかが、かな・・・まぁ、長距離輸送用を用意してくれた、って事か」
カイトはとりあえず後部ハッチから積荷を格納する為のスペースへと入る。勿論、前からも入れる様に扉もあった。が、外側からどういう形で開くのか、というのを確認したかった為、敢えて外に出たのである。
「側面ハッチは・・・無いか。軍用品でも無いし、飛翔機が4つも付いてるからな・・・まぁ、そこまで重要なものでもなし、無くても問題はないか」
カイトは側面の壁に手を当てながら、開閉可能か調べてみる。軍用の輸送艇ならば側面に吹き抜けの様に開閉可能なハッチがあることもある――兵員を一斉に降ろす為の物――が、これはやはり一般向けという事でそう言う物も無かった。
そうしてまずどれぐらい積み込めそうかを確認したカイトは、とりあえず格納庫前の扉を通って船内へ戻ってコクピットを確認する事にする。そこには既に瞬と翔が居た。瞬はカイトから教えられた計器の位置を確認していて、翔は自分の気が赴くままに観察していた。
「ああ、カイトか。お前もこっちへ来たのか?」
「ああ・・・何か気になるか?」
「いや・・・翔が地球の飛行機がベースにしてはコックピットが飛行機っぽくないな、と思っていた程度だ」
「ああ、それか」
瞬の問いかけを受けて、カイトは一度コクピットを観察する。地球で飛行機のコクピットと言えば操縦席が二つあって色々な計器が存在していて、というような形が一般的だが、一部の小型艇と中型以降のサイズの飛空艇ではどちらかと言えば船の艦橋に近い構造だった。
「一応、飛空艇は船だからな。飛行機とは厳密には異なる」
「ああ、なるほど・・・」
瞬は周囲を見回しながら、確かにこの構造だと飛行機というよりも船の艦橋と考えるのが良いか、と思ったようだ。一人納得していた。そうして、彼が問いかける。
「でも扱い方そのものはさほど変わらないのだろう?」
「ああ。結局、飛空艇だからな。大型になるとやはり慣性とか色々とあるが、操縦方法は基本的には一緒だ。車も小型車と大型車で運転方法が変わっても困るだろ? それと一緒だ」
「それもそうか・・・」
瞬はカイトの話を聞きながら、自分が運転する為の情報の収集を行っていく。それを受けて、カイトは邪魔するのも悪いか、とコクピットを後にする事にした。
そうして向かうのは、次に重要な乗組員用のスペースだ。何があって何が無くて、というのを確認する必要があった。そこはカイトの見立て通り二階になっているらしく艦橋と格納庫の間に階段があって、そこから登る形になっていた。こちらには桜と楓、神楽坂三姉妹プラスでユリィが確認していた。
「なんか足んない物あった?」
「一通りは揃ってるかな。中型艇だけど、それ故少しの間なら寝泊まりする事考えられてるっぽいよ」
カイトの問いかけに、丁度廊下で浮かんでいたユリィが答える。部屋の数は6つ。中では桜達が各々一部屋ずつ確認してくれていた。ユリィはその総指揮、という所らしい。丁度彼女が部屋と部屋の間を移動している所にカイトがやって来たようだ。
「一応一部屋につきベッドは二つ。各部屋に備え付けの小型の冷蔵庫とお風呂、トイレは完備。台所は勿論無し」
「何処かにキッチンと言うか食堂がありそうだな」
「向こうの奥の部屋にあったよ。こじんまりとしたのだけどね。船員用のリビングとかと考えて良いかも」
「冷蔵庫は?」
「業務用のものすっごい大きいのが二つ。こっちも備え付けかな。食洗機も有り。コンロは3つ。業務用の火力高い奴」
「2週間程度なら、寝泊まり出来そうな感じ?」
「な感じ」
カイトの問いかけにユリィが頷く。それならば、出発までの僅かな間を利用して食材を購入しておくべきだろう。当たり前だが食材とキッチン用品は報酬に含まれていない。買い出しリストに書き加える必要がありそうだった。
「一葉。キッチン用品を買い出しリストに加えておいてくれ。あ、ベッドシーツとかは?」
「あ、そう言えば忘れてた・・・そっちもお願いねー」
『わかりました』
カイトとユリィはヘッドセットマイクを通じて、全体の連絡を受け取っている一葉へと必要な物のリストアップを頼む。彼女らはエンジン部の確認を行ってもらっていた。
流石にカイトでも出来る範囲が限られているし、こういう分野であればティナから直々に知識を授けられて手ほどきを受けた彼女らの領分だ。なので彼女らがエンジンの確認を行っているのであった。
「とりあえず一通り買いに行く必要がありそう、か」
「明日朝一から皆で買い出しだねー」
カイトの言葉に彼の肩に座ったユリィも応ずる。出発まではあと少し。明日からは再びドタバタと慌ただしくなりそうだった。そうして、カイト達は飛空艇の中を確認して回って、その翌日は必要な物の買い出しに出かける事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第827話『さらば異国の地よ』




