第802話 山道にて
弥生達が宿場町に到着して、翌日の朝。この日もこの日で弥生達は馬車に乗って移動を行う事にしていた。行き先は馬車で数時間の所にある少し大きな街だ。
「じゃあ、今日もお話しましょうか」
「はい、フューリア様」
フューリアの言葉に、桜が頷く。基本的に、雑魚であっても魔物の討伐は全て近衛兵団が行っていた。桜達は武器の携行を許されていないのだから、仕方がない。
さすがに桜達も徒手空拳では戦えないし、血の匂いをさせてフューリアの前に出すわけにもいかない。なので引っ込んでいてくれ、と軍から言われていたのである。そうして暫くの間馬車は何事も無く進んでいく。
「そう言えば・・・以前に伺ったのだけど。日本には特殊なお茶の作法がある、と聞いた事があるわね」
「茶道の事ですか?」
「ああ、そういうのね」
桜の言葉にフューリアが興味を見せる。弥生に対して聞きたかった事――主に皐月関連――はすでに昨日の内に根掘り葉掘り聞き込んだので、今は再び彼女が興味を持った話題になっていた。
「してもらえるかしら」
「いえ・・・その、道具がないので・・・」
「ふふ」
桜が少し申し訳なさそうに返答したのを受けて、フューリアが意味深な顔で手を叩いた。すると、控えていたメイドの一人が、台車を押してやってきた。
「こちらを」
「これでどうかしら?」
お上品ながらも少しいたずらっぽい笑みを浮かべながら、フューリアが三人に問いかける。台車の中にあったのは、茶道で使う用品一式だ。きちんと急須もお湯を捨てる為の建水等と大半があった。そんな様子に、思わず桜と楓は顔を見合わせてぽかん、となる。
「えーっと、あの・・・これは?」
「うふふ。驚いてもらえたかしら。実は500年ほど前のお話なのだけど、我が国に日本人が流れ着いた事があったのよ。と言っても、その当時は日本なんて言っても誰も知らない国だったのだけれどもね。その彼が情報を残していて、クレインという方の協力で茶器なんかを復刻させてみたのだけれど・・・どうかしら?」
困惑する楓の問いかけに、フューリアが事情を説明する。これが発覚したのは、カイトが帰った更に後だ。フューリアが言う様にその当時までは異大陸の間でのやり取りはあまりなく、更に日本という単語そのものが殆ど誰も知らない様な状況だったのだ。知られていなくても不思議はなかった。
勿論、カイトも知らない。カイトが日本人であるという情報が伝わって転移して来て誰もが疑問に思うのは、転移したのは彼だけだったのか、という当然の疑問だ。そこから各国調査をはじめて、その結果出たのが、この最早名前も失われた茶人だったというわけであった。
「でも残念な事にお茶会を開いた、こういう道具を使っていた、という情報は残っていたのだけれど、どういう風にお茶会を行ったのか、とかの資料は残念ながら完全に失われていたのよ・・・で、貴方達三人を呼んだ、というわけね」
「あの・・・もしかして、弥生さんを呼んだのは・・・」
「あら、察しが良いわね」
楓の更なる問いかけに、フューリアは笑顔を浮かべて再度手を鳴らす。すると、今度はまた別のメイドが台車を押して来た。その台車の中には当然の様に、一着の着物が入っていた。と、そんな台車の着物の上に、一通の手紙が添えられていた。
「これは?」
「読んで?」
「はい・・・」
桜はとりあえず、着物の上に添えられていた手紙の封を開ける。手紙は洋紙ではなく和紙だった。と、そうして書かれていた文字には、桜達も僅かだが見覚えがあった。
「・・・燈火様からの?」
「ええ。このエネフィアで着物を取り扱うのは中津国一国とレインガルドのみ。この間の会議の折りにフィリオが会ったらしくて、その彼女が送ってくださったの。私の誕生日が近いから、と一種の誕生日プレゼントという所かしらね。私達は誰も着付けが出来ないから観賞用、という所なのだけれど・・・せっかくだから、着てみたいじゃない?」
にこにこと笑いながら、フューリアが事情を説明する。帝王フィリオとヴァルタード帝国上層部にはカイト達の出自は知られている。フューリアも知ろうとすれば知れる。ここらは各国の上層部であれば皇国に問い合わせれば聞ける事だからだ。流石に皇国も出自程度を隠すつもりはなかった。
その流れで弥生が老舗呉服店の娘である事を知って、一度着てみるか、と思ったのだろう。で、更についでなので茶道について知っていそうな二人が居るので体験もしてみよう、という考えだった。意外としたたかだった。サイズについては手紙にある限りはきちんと合わせている、と書いてあった。問題もないだろう。
「それに・・・」
フューリアは更に笑って、もう一度手を叩く。すると、扉が開いていき、最奥の部屋が見える様になった。
「あ・・・」
「ふふ・・・少しワガママを言って、寝室を改装してもらったのよ。畳は中津国からの輸入品なのだけれど、管理はしっかりしていたわよ?」
そこに広がっていたのは、和室だった。さすがに禅語の書いてある掛け軸はないしふすまも無いが、生け花――と言っても日本人的な美的センスからすると少し変だが――はあったし、土壁の代わりなのか緑色の壁で覆われていた。
「マクダウェル家の中庭にある一室を見よう見真似で再現させてみたのだけれど・・・どう?」
「あはは・・・わかりました。一度道具は確認させてください」
「あら、お願いね」
桜の言葉にフューリアが笑顔を浮かべる。したたかながらも、どこか少女っぽい印象のある貴婦人だった。そうして暫くの間。桜達は茶道の道具に誤りがないか、自らも着物に着替えたり、と用意を行う事にするのだった。
結論から言えば、茶道の道具はしっかりとした物――さすがに一部魔道具で代用していたが――だった。道具だけではさすがに何流かというのはわからないが、漂流者は少なくとも茶道が今の形になった頃――少なくとも千利休よりも後――の人物ではありそうだ。そして更に腕の立つ茶人なのだろう、とも。
というわけで、三人に加えてフューリアは着物に着替えて馬車の最奥に用意されていた茶室に一応の雰囲気を出す為に窓とカーテンを少し開けて外を見える様にして、お茶会を行う事になっていた。
「あら・・・こういうのも味があっていいわね」
一通りお茶を楽しんだ後、フューリアが笑顔で告げる。どうやら異世界の人にも侘び寂びを理解出来る人は居たらしい。
「抹茶・・・というのかしら」
「はい」
お茶を点てていた桜が後片付けをしながら、質問に答える。今回は桜がお茶を点てて、楓が逐一作法の説明と実演をしていた。弥生はフューリアの着付けと部屋の違和感が拭えなかった部分の手直しを行ったので、役割分担として手は出さなかった。
「回し飲みというのはさせてみようかしら。これなら、誰も毒とか入れられそうにないものね」
「あはは・・・」
仕方がない事なのかもしれないが、やはり気になったのはここなのだろう。茶碗は一緒だし、飲んだお茶も先の人が飲んだ後だ。見ようによっては毒見役にも見えるのだ。ということで、笑顔のフューリアに対して桜も楓も弥生も苦い笑いしか出せなかった。
ちなみに、お点前で一番初めに飲む人は『正客』と言って主賓役でお茶会では一番重要な相手なので、勿論毒味等ではない。作法をいまいち理解していない彼女だからこその言葉だった。
なお、今回はこの正客は楓が務めた。一度見せてみない事にはどうしようもないからだし、事情をメイド達に説明した所、逆に感心されていた。毒が入っていない事を自分で示した、と考えているらしい。彼女らもいまいち理解していない様子だった。
「ふぅ・・・これで外の景色が良かったら良かったのだけど・・・ごめんなさいね。昨日に言っておくべきだったわね」
一通り体験し終えて満足したらしいフューリアが桜に謝罪する。というのも、実は外に見えているのは残念ながら山岳地帯だったのである。
しかも谷間にあたる場所で、景観はいまいちよくなかった。それに対して昨日は草原や森の中でも比較的景色の良い所で、たしかにこれは昨日なら、と惜しむのも無理は無かった。
そう言っても、その外の風景にしても終わった時点でメイド達が窓を閉めてカーテンを下ろした。今回は特例、ということで許してくれたのであった。
「そうだわ。そう言えば、数ヶ月後にはフィリオの誕生日なの。その時に、これをお願いしようかしら」
「あはは。その時はまた、ご依頼頂ければ」
フューリアにしても日本の茶道が客人をもてなす為のものだ、とは理解したようだ。なので今回の誕生日プレゼントの返礼を含めていっそ、と思い付いたようだ。仲の良い家族だった。
「うふふ。本当なら、お嫁さんはどう、と言いたい所なのだけど、フィリオは去年結婚したばかりだし、今貴方達を迎えるとお偉方もうるさそうだものね。それに・・・貴方達、恋してる様子だものね」
「え・・・」
「うふふ・・・」
ぽかん、と呆気にとられた桜に対して、フューリアが微笑む。勇者カイトの話をしている時の桜と弥生の顔から、二人とカイトの関係性を理解したのである。
「さ、じゃあ弥生さん。悪いのだけれど、お着替えをお願いして良いかしら? 一人で脱げる事は脱げるのだけれど・・・あら?」
弥生に対して着替えの補助を頼もうとしたフューリアだが、そこで唐突に馬車が停止する。と、同時に部屋に取り付けられた内線がけたたましい音をかき鳴らした。どうやら何かがあったらしい。そうして、側に居たメイドが受話器を取って、話を聞き始める。
「・・・わかりました。奥様、軍の者からの連絡です。『コカトリス』が出たので、しばらく討伐に入る、と」
どうやら魔物が出たらしい。ここは山道だ。そして馬車で移動している以上、普通だった。その為に軍が護衛に出ているのだ。そしてそうである以上、フューリアもよくあること、と焦る事もなく命ずる。
「あら・・・魔眼に気をつける様にしなさい」
「かしこまりました。伝えさせて頂きます。奥様はこのままこの部屋にてお待ち下さい」
メイドの一人はそう言うと、他数人のメイドを残して部屋を後にする。どうやらこの和室が一番強固な守りを有しているらしい。元は寝室だったらしいので、その分強固になっているのだろう。
「もぅ・・・こんな時に来なくても良いのに・・・ねぇ」
「はい」
話を振られた楓も社交辞令等ではなく、心の底からフューリアの言葉に応ずる。久し振りに日本文化に触れたというのに、最後がこれだ。時間的にこういう事が出来るのは移動中しかないので色々と仕方がないとわかっていても、少しだけ恨みがましいのは仕方がない。と、そうして少し愚痴を言っていた所に、再びメイドが戻ってきた。しかも、少しだけ焦りが浮かんでいた。
「奥様、皆様方・・・少々まずい事態に」
「あら?」
「どうにも山賊に襲われている様子です。賊共はコカトリスを飼い慣らしたらしく、馬と護衛を魔眼で器用に狙い撃っている模様です。山道であった事が災いして護衛が伸び切っており、些か守りあぐねている様子です」
「あら・・・」
この報告には、さすがにフューリアの顔にも僅かに焦りが浮かぶ。とは言え、まだこの程度で負けるとは思っていない。こちらは近衛兵団だし、最悪は彼女らだけならば、この場で籠城すればなんとかなる。が、それにしても戦える者は戦うべきだろう。というわけで、桜が申し出た。
「お手伝いします」
「・・・申し訳ありません」
「ああ、桜ちゃん達はこっちに残っておいて」
頷き合って立ち上がった桜と楓に対して、弥生が制止を掛ける。とは言え、これは足手まとい等というわけではない。きちんとした道理があることだった。
「現状、その服じゃ二人共満足に戦えないでしょ? さすがにその服で『コカトリス』と戦うのは自殺行為よ。馬車の中から援護を頂戴。私が外に出るわ・・・やーちゃん!」
『うむ。お主の見立てが功を奏したようだな』
弥生の求めに応じて、八咫烏が壁を突き抜けて舞い降りる。どこかでピンチになった際に助力を求める為に、密かに<<布都御魂剣>>を持って外で待機してもらっていたのである。
はじめから外に出ていれば、帝城の者達も気付かないし、見咎められない。八咫烏の言うとおり、万が一に備えた対策が功を奏したようだ。そしてそうである以上、何かお小言を言われる事はないだろう。これが、仕事の一環だ。
『とは言え、どうするつもりだ? お主があれを使わぬ限りは、勝てる相手ではないぞ』
「それなのよね・・・まぁ、考えはあるのよ。どっちかは、切らないと駄目そうだもの」
八咫烏の問いかけに、弥生が僅かに苦い顔を見せる。さすがにランクSの魔物を操った盗賊団の襲撃を受けるとは考えていなかった。が、対応策が無いではない。一つは、吸血姫の力を解放する事。その上で<<布都御魂剣>>を使えば、この窮地からも逃れられるだろう。
もう一つはカイトの予想した通り、彼女がいままでずっと隠してきたもう一つの力である<<原初の魂>>を解放する事だった。しかも弥生の<<原初の魂>>は数を相手にする場合等には有用な物だった。
「でも、カイトにバレたくないのは、あっち。だから、こっちを切るしかないわよね」
弥生がため息を吐いた。切る事を決めたのは、<<原初の魂>>の方だ。吸血姫化については絶対に今は無理だ。彼女にしても心構えが欲しい。
「・・・任せて大丈夫ですか?」
「ええ。<<原初の魂>>、使うわ」
「援護します」
「桜、近づく敵への牽制をお願い。私は魔力を溜めて一掃するわ」
「はい」
「お願いね。こっちは<<布都御魂剣>>も使うから、あまり馬車の援護に回るので精一杯になりそうだもの」
馬車の中から窓を通して外を覗き見て牽制と応戦を行う事を決めた桜と楓を背に、弥生はメイド数人と共に外へと出る。と、そこではすでに戦いが繰り広げられていて、新たに現れた美女達に盗賊達が沸き立った。
「ひょー! 若頭! あれ、当然お持ち帰りでいいっすよね!」
「勿論だぜ野郎ども! お頭にも土産頼まれてるしな!」
「しゃー! てめぇら傷物にするんじゃねぇぞー!」
「「「おぉおおおお!」」」
まぁ、言うまでもないが無法者たちの前に弥生ほどの美女と同じく美女揃いのメイドが姿を現したのだ。当然男達の視線は下品で、そして向けられるだけで嫌悪感を抱く様な物だった。
それに、弥生が顔を顰めた。久々に浴びるこういった下品な視線は久々といえども、良い気持ちにはなれなかった。とは言え、どうやらそういう目的らしく石化されるのは困るのか、矢は飛んでこないし魔眼を向けられる事もなかった。『コカトリス』の石化を防げるほどの力は無いらしい。
「はぁ・・・」
弥生がため息を吐く。自分に向けられるいやらしい視線には慣れていると思ったが、ここまで嫌悪感を伴うもの久し振りだった。そして、同時に思った。彼らをカイトと同じ『男』どころか自らと同じ『人』とは思いたくない、と。
そうして、弥生は身体的変化が出ない程度に僅かに吸血姫の血を活性化させて、冷酷さを手に入れる。容赦をするつもりはなかったし、出来る余裕も無い。
『弥生。やれるな? 近づいてくる畜生共の対処は我がしてやろう』
「ありがと・・・」
「ぐわ! なんだ!?」
「あちぃ!?」
「さぁ、集合の時間よ・・・<<大火・覇王の墓>>!」
八咫烏が<<八咫の鏡>>を模した鏡から灼熱の極光を生み出すと同時に、弥生がいつの間にかその手に握られていた手持ち式の銃を上に撃つ。
それを合図に現れたのは、それは全てを焼き尽くさんとする地獄の業火だ。そうして、遂に弥生の過去世の顕現が始まるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第803話『炎の記憶』




