第752話 行動開始
メリアとメルアの二人の来訪によって、わずかに漂い始めた微妙な雰囲気。しかし、それはまだ、何も変える事は無かった。全員、聡い少女だ。カイトが嫌う事を理解している。こんな所で蹴落としあえば、彼が一番悲しむのが理解出来ているのだ。
それに、何より。蹴落とし合う事そのものが、彼女らの流儀では無かった。高め合う事により、自らに振り向いてもらう。敵を蹴落とすのではなく、自らが上回る事によって勝ってみせる。
そう言う気質だからこそ、カイトは彼女らを愛しているのだ。蹴落とそうとすれば、一気にカイトの寵愛を失う事が理解出来ているのである。何より、蹴落とし合うということはその分自らの女としての格が下がるという事だ。カイトが認めるはずもない。
「はぁ・・・だから、彼の後宮は嫌なのよ・・・」
シアがため息を吐く。当然だが、彼女には冒険部の現状はつぶさに報告されていた。その中には、二人の来訪も当然の様に存在していた。まぁ、それはその日の内に報告されていたので、今は経過報告を聞いていただけだ。
「翌日から、一気におめかしし始めた、ね・・・」
「レイシア様もなさいますか?」
「・・・急に色気付けば、各国が要らぬ勘繰りをするわ。やめなさい」
「かしこまりました」
少し楽しげなフィニスの提言に、シアは首を振る。それでもわずかに逡巡が見えたのは、やはり彼女も触発されたから、だろう。と、そんなシアに、ヘンゼルが問い掛けた。
「なぜ、カイト様のハーレムは嫌なんですか?」
「ああ、それ? 普通に考えなさいな。後宮って普通はドロドロとした蹴落とし合いよ? まぁ、この場合は後宮というのは単なる揶揄だけれども、貴族の奥方勢なんて王様も貴族もさほどかわらないわ」
「はぁ・・・」
確かに、どんな物語でも後宮とは奥方達が寵愛を巡って激しい女同士のバトルを繰り広げるのが、通例だ。それはヘンゼルも共通認識として持ち合わせていた。だからこそ、シアは呆れ混じりに首を振る。入ってはじめて見えた事もあるのだ。
「それが、彼の所では全く逆。蹴落とすのではなく、高め合うのよ。蹴落とし合いを嫌うかの様に、一致団結している・・・で、表面上はにこにこ、机の下でキャットファイト。まるで外交と一緒よ。まだ、彼が正式に復帰していないが故に何も起きないけれど、婚姻して後宮が組織されたら、相当ホットな戦争が起きるわよ」
外交交渉は、シアの得意とする所ではない。そもそも彼女は内政向けだ。まさか内政をやる所で外交をやる事になるとは思ってもみなかったのだ。だがそう言われて、しかしヘンゼルは何が駄目なのかわからなくなる。
「それ、何が駄目なんですか?」
「駄目? 駄目な事は何も無いわ。それどころか各国の奥方からすれば、天国でしょうね。後宮とは本来、冷戦なのだから」
シアはヘンゼルの問い掛けに、別に何も悪くない、と断言する。そう、悪い事は何もない。彼女自身、自分の仕事が楽になるので非常に助かっている。だが、だからこそ、駄目な部分が出て来るのだ。
「はぁ・・・」
「・・・わからないの? 普通の後宮は冷戦。私達はホットな戦い。ぶつかりあって研磨し合うから。だけど、だからこそ誰も、徒党を組む事が出来ない。全員が敵。だからこそ、全員が味方・・・そう言う場所よ、彼の後宮は」
数多貴族の後宮事情を聞いてきたシアにとって、これほど恐怖すべき場所は無かった。誰も、協力してくれない。その代わりに和を乱す者には、全員が一致して攻撃する。壊すならば叩き落され、研磨する事だけが彼女らには許されるのだ。アリサだろうとメリア達だろうと、それこそ桜達だろうとそれしか許容されないのだ。
全員が油断出来ない。誰も彼もが抜け駆けを狙っているのだ。蹴落とし合いではなく、抜け駆けを狙わねばならない。一瞬の隙も、見逃せない。
他の後宮や大奥からすれば、天国だろう。他の妻達に自分の地位が脅かされる事は無いのだから。だが、その分盛大に厄介な事は起きた。常に、自分を高めないといけないのだ。というわけで、フィニスがようやく得心がいった様な顔をして頷いた。
「・・・シア様。それで、昨今気合が入ってらっしゃったわけですね?」
「・・・へ?」
フィニスからの指摘に、シアが首を傾げる。やはり、彼女も女の子、ということだろう。知らず知らず、実は彼女も少し気合を入れていたのであった。
「メル様も気合が入ってらっしゃいまして、どういうことか、と思ったのですが・・・ご理解致しました」
「待って待って、待ちなさい・・・私が気合を入れてた?」
頭を抱えながら、シアが問いかける。気負いしていたつもりは無かった。そしてそれはヘンゼルも気付いている事だった。
「はい。小夜ちゃんから聞いたんですけど、メル様もドレスで悩む様になった、と・・・相当小夜ちゃんが気合入れてました」
「ヘンゼルまで!?・・・どうしたものかしらね・・・今更手を抜くと逆にそれは違和感だし・・・かと言って意識しちゃうと変に気合入るし・・・」
どうやら、知らず気合が入っていたらしい。それをシアは客観的な視点から受け入れる。鈍感とも言えるヘンゼルに気付かれていた時点で相当なものだろう。そうして、そんな娘二人の情報は当然、皇帝レオンハルトへと届けられていた。
「・・・うぅーむ・・・」
「どうなさいますか?」
「どうしろ、と言われてもな。王として喜ばしい事ではあるが・・・はぁ・・・」
皇帝レオンハルトは喜ばしいこと、と言いながら心底頭を抱えたい気持ちで一杯になる。確かに、英雄に対して自らがよく見られたい、と思うのは悪い話ではない。
無いのだが、よりにもよってそれがメルまで含まれているのだ。今まで色恋沙汰なぞとんと聞かなかった娘が女に目覚めてくれて嬉しい半面、国として考えると、頭が痛い話でもあった。彼女が目下皇位継承権の最有力候補なのだ。本人が望んでいなくても、それは変わらない。
「最悪は勇者カイトを玉座に、というのも考えねばなるまいなぁ・・・」
皇帝レオンハルトは、深くため息を吐く。悪い手ではない。シアとメルの二人が輿入れして、カイトの即位となれば、国民は諸手を挙げて大歓喜するだろう。貴族達も反対はし難い。皇女二人が輿入れ、なぞ特例にも程があるが、勇者カイトならばそれが許された。
「それが真剣に考え得る程の手札なのが、勇者カイトの哀れな所、ですか」
「だな・・・何処も反対を出さんぞ、勇者カイトの即位なぞ。いや、正確にはメルを輿入れさせて入婿として、となろうが・・・俺とて奏上されれば真剣に悩む」
皇国上層部も、このアイデアには承諾するだろう。『無冠の部隊』が手中に入るのだ。軍や文官達の上層部なぞ歓喜の涙を流しかねない。隣の大国と冷戦中である事も考えれば、これがどれほどの価値があるかわからないほどだ。これほど国益に適う婚姻と即位も珍しいだろう。
更におまけに、ティナの件もある。カイトが即位してしまえば、ティナを初代皇王イクスフォスの第一子だ、と公表しても何も問題がない。
いや、皇室が在るべき姿に戻ったのだ、とさえ言える。が、それで良いのか、とも思った。それはカイトを想っての事だった。
「本当に、哀れな男だ・・・地位さえも、女の為か」
「男としての沽券はなさそうですな。まぁ、あれらしくはありますが」
「ははは。言ってやるな」
ハイゼンベルグ公ジェイクの言葉に、皇帝レオンハルトは笑う。カイトには完全に利益が無い。全て、他人のためだ。勇者らしいとは言えるが、同じ男として少し哀れだった。そうして、そんな冗談とも本気とも取れる雑談をしながら、彼らは次の会議に備える事になるのだった。
一方、丁度その頃。旅館へ一人の女性が密かにやって来ていた。と言っても、それは獣化していた為、誰にも人と気付かれる事は無かった。
『とうちゃーく・・・さて、誰か居る? 桜ちゃん・・・は居ない、と。まあ、会議行ってるんだから当然かー』
女性の声が、執務室となっている部屋へと響く。彼女はカイトの使い魔の一体。ファナの妹だった。名前はファルネーゼ。カイトや姉のファナ、親しい連中は通例として、ファルと呼んでいた。獅子の獣人だ。
近くはないが、皇帝レオンハルトの親類縁者でもあった。正確には母方の親族だ。金獅子と言われる一族の族長筋だった。
とは言え、今はバレない様に小型化している事もあって、猫と大差が無かった。というわけで、窓から猫が入り込んできたと思った楓によって、首筋を引っ掴まれた。声は気のせいと思われたらしい。
「・・・何、この猫」
「あ、可愛い・・・えっと・・・にぼし、食べる?」
楓がひっつかんだファルネーゼに対して、魅衣が机の中からニボシを取り出す。ニボシが入っていた理由は簡単だ。八咫烏への餌付け用だった。
『あ、勝手に我のを・・・む? これは何ぞ高名な神獣の血脈ではあるまいか?』
八咫烏が文句を言おうとして、そこでふと、ファルネーゼを見る。そうして、二人の目があった。
『おっす、やーちゃんくん』
「しゃべった・・・ああ、カイトの使い魔さん?」
片手を上げて陽気に挨拶したファルネーゼを見て、楓が事情を理解する。もし何かある場合には使い魔を寄越す、と言われていたので、彼女がその使い魔と理解したのだ。ちなみに、冒険部居残り組は全員月花が来るものだと思っていたらしい。
『おっすおっす、少年少女達。ファルネーゼお姉さん参上だよ。はじめまして』
「よ、陽気な方っすね・・・」
『元気が一番。ウチの姉ちゃんもそう言ってるもんね。あ、ウチの姉ちゃんは確か魅衣ちゃんには会ってたんだっけ』
「へ?」
注目が集まった魅衣だが、姉と言われて一向に思い出せない。誰なのか、と思うだけだ。と、そんな魅衣を見て、ファルネーゼは人型になる。それは褐色の肌に金色の髪を持つオリエンタルな美女だった。顔は陽気な笑みが浮かんでいて、姉もそうだが、太陽の様な女性だった。
「これでわかんないかな? わかんない? いや、わかるっしょー」
「・・・あ、ファナさん」
「ビンゴー。ぱふぱふにゃーにゃー。あ、ちなみに猫じゃなくてライオンだよー。がおー」
「・・・えーっとー・・・」
誰もが反応し難い。今まで数多くの獣人と出会ってきたが、無いタイプの相手だった。と、言うわけで、楓はスルーする事にした。
「で、何の用?」
「スルースキル高い・・・恐ろしい子! まあ、ぶっちゃけると、お仕事お仕事。カイトから情報屋にアポイント取ってくれってねー」
「良いんだ・・・ま、まあ、良いわ。わかった。いつ行けばいいのかしら?」
「うーんと・・・近いうちに? 聞いてくる事は、メモどおりに」
ファルネーゼは少しカイトと連絡を取って、そう告げる。今すぐ、とまではいかないが、それでもなるべく早い内に情報が欲しいのも事実だ。そろそろ情報が集まっていると見ていたからだ。そうして、楓はファルネーゼからメモを受け取る。
「じゃあ、明日で良い?」
「おっけおっけ。そっちにも準備あるしね」
早い内に、がカイトからの返答である場合、それは明日でも問題が無い、ということだ。流石に四日後とかでは問題だが、今日の内に、では無い事だけは確かだ。
「わかった。じゃあ、明日の何時ごろ向かうのが最適なのかしら?」
「日が落ちる頃だね。ベストは会議が夜の部に入った頃。私は、遠くから見守るからねー」
ファルネーゼはそう言うと、再び猫に姿を変える。そしてそれを受けて、ソラが指示に入った。
「おっしゃ。じゃあ、桜田。人員の調整頼むわ」
「ええ・・・山岸は借りるわ。カイトからの命令でもあるものね」
「おう・・・って、翔。引き継ぎ、やっといてくれよ」
「おーう。とりあえずメインは綾崎先輩がやってくれてるから、夕陽の所行ってくる」
翔はそう言うと、椅子から立ち上がる。瞬はどうしても学校としての立ち位置の関係で会議に出る事が多く、その間は綾崎がその代理を担っていた。翔はその補佐だ。
そして、夕陽は翔が非番だったり今回の様に急に出る必要が出た場合には、代理となるのであった。綾崎が実力などを勘案して一番やりやすいのが彼、と綾崎その人からの指名だった。
「じゃあ、私も魔術師達の方に引き継ぎしてくるわね」
「おう」
楓の言葉に、ソラが応ずる。楓は桜の代わりに冒険部を取り纏めていると同時に、魔術師を率いている。ここの引き継ぎも必要だった。
「おっし・・・じゃあ、この間にこっちも色々情報貰ってきた後の事考えるか」
ソラはそう言うと、その次を考え始める。メモには、冒険部に関する情報も貰う様に指示が入っていた。ならば、今の内からいつでも行動に移れる様にしなければならなかった。こうして、冒険部も行動を開始するのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第753話『影との戦い』
2017年3月19日 追記
・誤字修正
『ファナ』が『フアナ』になっていたのを修正しました。




