第735話 ティア・ドロップ
ホテルに入ると同時に始まったカイトの仕事だが、それはまず、ホテルの内装を確認する事だった。が、歩いて案内する、というホテルの従業員――千年王国から連れて来た従業員――の言葉に対して、これはカイトが断りを入れた。
「貴方が、女王陛下の護衛ですか? ホテルの案内をさせて頂きます。護衛の役に立ててください」
「ああ、いえ。必要ありません」
「はい?」
「下見でしたら、仕事を始める前に終わらせていますから」
訝しむホテルの従業員に対して、カイトがそう言い含める。これから先、何時攻撃があっても不思議ではない。一応大陸間会議は明日からでその開始まで攻撃は無いと思うが、それこそが油断だ。安易に離れる事はしたくなかった。
「いえ、ですが・・・」
「総建屋15階建て。部屋数は上から順に二階層ぶち抜きの最高級スイートルームが一部屋、スイートルームが10部屋。その下に高級官僚用の部屋が・・・」
ホテルの従業員がなおも渋ったのを受けて、カイトが歩きながらホテルの概要を一気に羅列する。それは、彼も把握していた通りだったらしく、思わず足を止めた。
「レインガルドには武蔵様のご依頼により先んじて入る事が許可されていましたので、このように下見は終わらせています。少し過去の文献を調査すれば、千年王国の大使達がここに泊まるという事はすぐにわかりましたので」
「・・・そうですか。わかりました。では、また別のご用命の際には、お申し付けください」
カイトが先んじて入っていた事は、参加国ならば誰でも知っている。それが武蔵の依頼である事も、だ。そしてだからこそ、どの国も問題視出来なかった。
武蔵の意向は、どの国も無視出来ない。勇者のお師匠様、とはそれだけの地位なのだ。それにここの管理者は武蔵達だ。他国の人間が口を挟めるわけではなかった。
「・・・意外と、仕事熱心ですね」
「何か問題が?」
「いえ・・・」
戻ってきたカイトに問いかけたハンナだが、その顔は驚きが浮かんでいた。そうして、カイトはシャーナ女王にお詫びを述べる。少しだけ離れてしまったのだ。必要だったとは言え、謝罪も必要な事だった。
「失礼しました。何分私も若輩ですので、気を回して下さったのでしょう。お側を離れて申し訳ありませんでした」
「いえ・・・」
シャーナ女王は小さく、そう短く告げる。彼女とてカイトを好漢だとは思っていても、信用しているわけではない。彼女の力は嘘は見抜けても、内容までは見抜けないのだ。何を考えているか、というのもわからない。そこまで便利な力では無い。
「部屋は最上階で、エレベータを使います」
「エレベータも検査済みですので、ご安心を」
ハンナに続けて、カイトがそう告げる。現に彼もきちんと自分の目で確認していたし、今も月花に配備させた式神を使って密偵達の監視を行っていない。何があっても大丈夫と言い切れるだけの自信があった。
ちなみに、式神とは使い魔の一種、と考えれば良い。これは地球で生まれた使い魔の一種で、かなり特殊な物だった。性能も見た目も統一はされておらず、ゴーレムに近い物から使い魔に近い物まで山ほどある。共通しているのは紙で出来ている札を使って呼び出される、という所ぐらいだろう。
これは誰しもが思い浮かべる式神で良いのだが、カイトは地球での活動時に安倍晴明と呼ばれる陰陽師からこれの作り方を学んで、同様に月花にも学ばせたのである。
公然と魔術が使えない地球で生まれた独特な物で、隠密性に非常に優れた物だった。その中でも、特に日本の式神は隠密性に優れている。少なくとも、よほどの実力者でなければカイト達が操る隠密専用の式神を見抜ける者は居ないだろう。
「ここが、最上級スイートルームになります。シャーナ様。何時もの通り、お部屋は整っているはずです」
「そうですか」
ハンナの言葉を受けて、シャーナ女王は頷く。後に聞けばここに来るのは即位から3度目らしく彼女が好む設定もある、ということだった。それに合わせたのだろう。そうして、ハンナは続けてカイトに仕事の話を行う。
「本階層へは大大老殿か彼らの認めた方以外には入る事が出来ない仕組みになっています。ですので、貴方は特に窓からの侵入に注意してください」
「了解です・・・オレは、大丈夫なんですかね? 通行証の様なの何ももらってないんですが・・・」
「冒険者登録証と同期させていますから、エレベータのパネルにそれをかざしてください」
カイトの問いかけに対して、ハンナが入退室の仕方を教えてくれる。どうやら登録証のデータをここの施設に組み込んでいるのだろう。詳しく聞けば入退出のチェックも兼ねているらしい。無許可に誰かが入り込んでも困るだろう。そうして、そこらの確認が取れた事でカイトが本格的に仕事に入る。
「さて・・・では、内装を確認しますか。少々魔術を使っても?」
「シャーナ様に危害が加わらないのでしたら」
「勿論です」
ハンナの許可を受けて、カイトは両手の指から魔糸を大量に生み出す。
「・・・何をなさるつもりですか?」
「? 全部屋を確認するだけ、ですが・・・護衛、オレひとりですからね。陛下から離れるわけにもいきませんし」
「ど、どうやって?」
ハンナが目を見開いて驚きを露わにする。魔糸を使って調査が出来る、とは聞いたことも無い事だったらしい。とは言え、これは有名ではないだけで、知る人ぞ知るやり方だった。
「所詮、魔糸は自らの魔力ですからね。固定化させなければ、自らの指の先と同じ様な感覚で使えます。まあ、分岐した分、それだけの情報を処理出来るだけの技術が必要ですけどね・・・護衛の仕事が入ったので、覚えました」
ハンナはカイトの言葉に、更に得体の知れない感覚を強める。言うは易く行うは難し。簡単に出来るはずがないし、出来ないと思えばこそ、大大老達はカイトを呼び寄せたのだ。得体が知れない、と思うのも無理は無かった。が、そんなハンナの感情は、顔を見ればカイトには理解出来た。
「はぁ・・・覚えるでしょ。これに命運が握られてるんですから。大国を相手取る不利は知っているつもりですよ。護衛に万が一があっては、たまらない」
「まあ、それはそうですが・・・」
釈然としない。ハンナが言外に告げる。確かに、言っている事は道理だし、理解出来る。命が懸かっている、とまでは言わないだろうが、それに等しいレベルの重責が彼の両肩に乗っている。
大国の王者の護衛、というのはそれほどの重責だなのだ。それが千年王国クラスにもなると、冒険者全体への風聞にも関わる。必死で覚えた、と言われればそれに納得せざるを得なかった。そうして、カイトはどこか非難するように、ハンナへと告げた。
「道化も道化なりに仕事の意地があるように、冒険者にも冒険者の誇りと意地がある。可怪しいとするなら、それは貴方の日本人感、でしょうね。怠け者とでも思っていましたか?」
「・・・失礼しました。侮っていたのは、私の不明です。年若い冒険者、と思っていた私の不明でした」
「そう言って頂ければ」
少し考えた後のハンナからの謝罪を、カイトが顔の険しさを消して受け入れる。どこか侮りが無かったとは、ハンナも言えない。でなければ得体の知らない、という感情を抱くはずがない。必要だから覚えた、というのを信じる事にしたようだ。カイトの狙い通りといえば、狙い通りの反応だった。
「それで、検査はどうなのですか?」
「後はクローゼットの中と通風口だけですが・・・通風口は外に直結しているわけではないですね。一度空調設備に繋がっている。ここに仕掛けをしておけば、後は問題が無いでしょう」
「仕掛け?」
「単純なトラップです・・・内容は語りませんよ。聞かれている可能性もありますから」
「そうですか・・・では、台所は問題無いですね? シャーナ様。紅茶を入れてまいります」
ハンナはカイトの言葉を聞いて、自分も仕事の準備に入る。彼女の仕事は多い。なにせ今回シャーナ女王の側付きは彼女一人だ。普通なら分業出来る事も、全て彼女一人でやらねばならなかった。
勿論王城に帰れば多いのだろうが、ここには専属はハンナ一人だけらしい。それだけ、千年王国にとってシャーナ女王が重要視されていない証だった。
「毒見役等は?」
「私が、入れているのです。何か問題でも?」
「・・・そういうことにしておきましょう」
ハンナのどこかむっとした問いかけに、カイトが言外の言葉を告げる。それは疑っているぞ、という言葉だった。毒見役を置かない、というのは普通に疑って然るべき点だ。仕方がない。そうして一人台所に向かっていったハンナを横目に、カイトがシャーナ女王へと耳打ちする。
「ご安心を、陛下。万が一の場合のちょっとした切り札は持ち合わせていますので」
「え・・・?」
カイトからの言葉にシャーナ女王は一瞬カイトの顔を見て、そして彼が密かに見せた懐の内側を見る。それは虹色に光る液体の入った小瓶、最上級の回復薬でもある『霊薬』だった。『エリクシル』を持ってこようかとも思ったらしいが、流石にそれは訝しまられるだろう、とワンランク下げたのである。
「ね? 内緒、ですよ。どこかの煩い爺共が手に入れようとしかねませんからね」
どこかいたずらっぽく笑うカイトに、シャーナ女王は布の内側でもわかるぐらいにきょとん、とした顔を浮かべる。
数多の作り物の笑顔を見てきた彼女にとって、カイトの笑顔が演技でないのはわかっている。だから尚更、無条件に味方してくれる彼には呆気にとられるしかなかったのだ。
「・・・あの・・・」
「はい?」
「どうして・・・?」
問いかけは短かった。だが、そこに潜んだ言外の問いかけを、カイトはしっかりと読み取っていた。
「女の子には優しくするんだぞ・・・大昔にオレを引き取ってくれた方の言葉です」
「私は・・・あの・・・貴方達人間種から見ればおばあさん、ですよ?」
「それでも、オレから見れば可愛い女の子ですよ。種族の差、と言う奴ですからね・・・あ、可愛いって、不遜になりますかね?」
再度手を取ってカイトが告げた言葉に、シャーナ女王は今までの全てが嘘ではない事を悟る。悪辣ではあるが、これが、カイトのやり方だった。
嘘は見抜かれる。ならば、嘘を言わねば良いのだ。カイトとしては、これほど付き合いやすい少女は居なかった。嘘を言わなくて良いのだ。気が楽で良い。
手を取る事そのものは、千年王国の王家について何も知らない者からすれば普通の事だ。だからこそ、躊躇いもなく手を取られれば彼女らは知らない、と信じられてしまう。
いや、それどころか。知っていても平然と触れてくる相手なぞ、彼女は二人しか知らない。その二人は母親と乳母のハンナだ。父親である先々代の王様とは、シャーナ女王は会ったことがない。そのハンナも、もう10年程は素手では触れてくれていない。だから、この涙は、必然だっただろう。
「・・・人の手って・・・暖かいんですね・・・」
「っ!?」
小さく告げられた言葉と零れ落ちた雫に、カイトが思わずぎょっとなる。とは言え、迷いなく言葉を出せるのが、カイトという男の悪癖だった。
「ええ・・・こんな血まみれの手でよろしければ、触れてやってください」
「ありがとう・・・」
優しく微笑みながら告げられたカイトの言葉に、シャーナ女王は指先だけで怖がる様に触れる。本当に何ら不安もなく人肌に触れるのは十数年ぶりだった。心のどこかに、怯えがあるのだろう。
そして指先だけなのは、罪悪感が故だ。嬉しかったが故に、力の抑制は出来ていない。今もシャーナ女王はカイトの心を読んでしまっている。それに、カイトは怖がるではなく、憐憫を浮かべた。
(千年王国の王族の死因は、たった2つ・・・各種の暗殺か、心が耐えきらなくなっての精神崩壊か・・・寿命を終えられた者は居ない・・・寿命1000年以上と言われながら平均寿命がたった300年、か・・・)
馬鹿馬鹿しい。カイトは本当に心の底から、この世界を怒鳴りつけたくなった。貴族とは、魑魅魍魎が跋扈する世界だ。心の奥底なぞ覗かない方が良い世界のナンバー・ワンだろう。
カイトでさえ、慣れぬ頃には表層を覗いただけで嘔吐していた。それを喩え抽象的とは言え常に見せられるとすれば、精神なぞ簡単に摩耗するだろう。この様な少女であれば、尚更だ。
では、覗かないという手はどうなのだ、と言うかもしれない。それも無理だ。そうしなければ生き残れない。千年王国で王位継承権を持つ者達が生き残るには、嘘を見抜き精神を摩耗させる事だけが、生き残れる方法だった。それぐらいには、腐っているのだ。
そして、大大老達が居る限り、その傀儡である王達には改革の大鉈を振るえる事はない。振るおうとした瞬間に待っているのは、譲位と言う名の更に良い傀儡への代替わりか、不慮の事故という名の暗殺だろう。
「・・・こんな事、本当は言うべきではないのですが・・・ご安心を、陛下。少なくとも、オレは味方です」
「っ・・・ありがとう」
カイトからの言葉に、自分が心を読める事をシャーナ女王は思わず告白しそうになる。だが、これは他国の、それも一介の少年に漏らせる事ではない。そして、得てしまえばこそ、失う事を恐れてしまう。それは出来なかった。そうして、それを受けて、カイトは微笑んで手を離した。
「おっと。そろそろ来ますね。バレたらまた煩そうですからね」
「はい」
シャーナ女王が笑って、カイトの言葉に頷く。幸いなことに、泣いていた事はバレない。顔は半透明の布で覆われている。アイギスの様に馬鹿をやるならまだしも、やらないのならハンナにも見えないのだ。そして案の定、そのタイミングを見計らったかの様にハンナが台座に紅茶セット一式を乗せてやって来た。
「シャーナ様。お茶が入りました」
「ありがとう」
どうやらシャーナ女王も一応は女王である様だ。一瞬で切り替えて、今までの一連をまるで感じさせない振る舞いを行う。そうして、カイトの護衛が本格的にスタートしたのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第736話『孤独な戦い』




