第734話 シャーナ女王
千年王国ラエリアのシャーナ女王と共に馬車に乗ったカイトだが、その馬車はどうやら空間が弄られたかなり高価な品だった。中には豪奢な内装と各種生活設備、豪奢な机まであった。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
馬車に乗ったのは、三人だ。シャーナ女王の乳母だというハンナという妙齢のメイドに、相変わらず顔を半透明の布で隠したシャーナ女王、そしてカイトだ。が、カイトは非常にやりにくい思いをしていた。それは、少し前に遡る。
『はじめまして、シャーナ女王陛下。護衛を務めますカイト・アマネと申します』
『あ・・・』
『カイト殿。無闇矢鱈に女王陛下に話しかける事はなりません』
笑顔で挨拶をしたカイトなのだが、それにシャーナ女王が何かを言おうとした瞬間、その前にハンナが割り込んだのだ。その後も似たような応対の繰り返しで、今に至るのであった。
まあ、何度も繰り返した結果、カイトは現在ハンナに睨まれていた。更におまけに、お小言を繰り返し言われていた。
「大大老殿が持ち上げて良い気になっているのかもしれませんが・・・貴方は何処の馬の骨とも知らぬ単なる冒険者。高貴な身である陛下にお声をかけるとは、如何な了見ですか。それでは折角の日本の名が泣きますよ」
「はぁ・・・女王陛下に話しかけてはならない、とは執事長殿からも大大老殿からも言われていませんよ? 仕事を円滑に進める為にも、護衛対象の事を知り、護衛対象と交友を持つのもしっかりとした仕事です。お互いに不信感があれば、それこそ護衛に差し障る。信頼を得る事こそが、側付きの護衛がまず第一に成すことでしょう」
何度目かになったお小言に、カイトもついに口を開く。が、これに、ハンナが目を見開いた。
「・・・何も言えぬが故に何も言い返さぬと思ったのですが・・・」
「? おかしな点でも?」
「いえ、何も・・・自らの考えがあるのなら、良いでしょう」
カイトの考えは、確かに筋の通った物だ。が、それを言われて、途端にハンナが逆に黙った。警戒している様でもあり、何かを考えている様にも見えた。
「というわけで・・・改めて。はじめまして、女王陛下。カイトです」
「・・・え?」
カイトが跪いて右手を取って手の甲にキスしたのを見て、シャーナ女王が思わず、きょとん、とする。カイトが何か失敗したわけではない。カイトとて一貴族である以上、これはきちんと堂に入った物だった。
だが、それに絶句したのはハンナだ。カイトの返しに道理を見て話しかけるまでは良いかも、と思った彼女も、まさかこんな行動に出るとは思いもよらない事だった。
「なっ・・・あ、貴方・・・」
ハンナは真っ赤になってプルプルプルと震える。二の句も継げない、とはこの事だろう。が、これにカイトが笑いながら、告げた。
「おや? オレは触れてはいけない、とは言われていませんよ? 常識的に考えて、触れてはならない、という事は無いですしね。預言者殿から法典も見せて頂きましたが、そんな事どこにも書かれていませんでしたし。更に相手は女王陛下。この距離まで近くに居てこの程度の作法でもせねば、逆に無礼でしょう」
「う・・・ぐ・・・」
カイトの言葉は揚げ足取りではあったが、きちんと筋は通っていた。おまけに、作法に間違いも無い。問題の指摘は不可能だ。しかも、白いロングコートのお陰でそれなりには品の良い格好だ。それ故、その姿はさまになっていた。
なのでハンナは真っ赤になりつつも、シャーナ女王の手前口をパクパクするだけで怒鳴る事も出来ない。そんな二人の様子に、ついにシャーナ女王が笑いを上げた。
「ぷっ・・・あはは!」
儚げではあったが、楽しげで明るい笑い声だ。と言っても一度笑い声を上げた後は笑い方もお上品で、クスクスクス、という様な感じだ。どうやら、楽しんでもらえたようだ。
カイトとて人生経験は見た目以上に積んでいる。こう出ればこうなる、という展開が読めている。なので笑ってもらう為に、こういうことを敢えてしたのである。そんなシャーナ女王の笑い声に、ハンナは呆気にとられる。
「シャーナ様・・・?」
「楽しい方ですね・・・」
どうやら声を上げて笑ってしまったのは、シャーナ女王にとっては恥ずかしい事だったようだ。目端に伝った涙を拭い、改めて口元を隠す様に笑いを浮かべる。
「はぁ・・・カイト様。貴方は日本で道化師でもやっておられたのですか?」
「道化を演ずるのも、冒険者の仕事ですから」
シャーナ女王がご機嫌になった様子を見て叱責を諦めたハンナの言葉に、カイトは何処か恭しい様子で一礼する。だが、その言葉の裏に潜む刃物の冷たさを、ハンナは僅かに感じたらしい。一瞬だけ、違和感を感じる。現在のカイトは真実、道化を演じている。それを指した言葉でもあった。
だが、ハンナはそれら全てを彼が醸し出す雰囲気と合わせて、気のせいとして処理したようだ。一瞬の間を空けたものの、首を振る。
「・・・やれやれ・・・せいぜい、シャーナ様にご無礼の無い様にだけは、願います」
「かしこまりました、ハンナ殿」
今度のハンナの言葉には、カイトはかしこまったポーズまでおまけして答える。それを、相変わらず笑顔でシャーナ女王が見ていた。
得体の知れない道化。ここでのカイトはそれに徹する事にしていた。今回、シャーナ女王に危害が加えられる事は先の大大老の顔を見ても明らかだ。なので、道化に徹するつもりだったのだ。
普通、彼らは見ず知らずの若者を何もなしに持ち上げる事なぞしない。自らを無条件に持ち上げたその時点で、カイトの中ではシャーナ女王への襲撃は確定した事象となった。
とは言え、今の道化に演じていれば、運が良ければ警戒して襲撃を行わないかもしれない。報告はされるはずだ。今回は逆手に取って、というプランで動いているが、何も無いならそちらの方が良いのだ。誰も傷付かない。それがベストだろう。
『カイト。彼女は敵かしら?』
『乳母だと言っていたが・・・まだ決めるのは早計だな・・・月花。式神の一体を彼女に張り付かせろ。日本製のあれが見破れるとは思えん』
『わかりました』
唯一自らの切り札として配置しているフランの問いかけに、カイトはまだ様子見を決める。誰が敵で、誰が味方か。ハンナがシャーナ女王の乳母だ、と言っても味方であるとは限らない。
最悪は自らの、ひいてはシャーナ女王の味方が皆無、と言う可能性もある。この宝石の様な女王を守る為には、それを見極めねばならなかった。
「はぁ・・・どこまで、わかっている事やら・・・まあ、良いでしょう。先に仕事の話を致しましょう。降りてからは即座に仕事についてもらいますからね」
「わかりました」
「降りるまでにこの中に入っている資料を読んでおきなさい。我々の軍で使う暗号の一覧です。また、貴方には専用の通信機を渡しておきます。軍とのやり取りは私を通して行います。もし私が居ない場合等で私が必要な時には、中に入っている通信用の魔道具を使いなさい」
ハンナはカイトに対して、一つの小さめの鞄を差し出す。大きさは長さ20センチ程度のあまり大きくない鞄で、厚みは無かった。中には軍で使う暗号の一覧や、ハンナの言っていたペンダント型の通信用魔道具が入っていた。
ヘッドセット型の通信用魔道具はカイトが帰還後に持ち込んだ技術なので、千年王国ではまだ普及していないのである。カイトはそれを見て、隠れて自らのヘッドセット型魔道具と同期させておく。
ティナと合流出来た際に細工されていないかどうか調べるつもりだった。その間に連絡が入った時に備えて、細工しておいたのである。
「わかりました・・・」
カイトはハンナから提出された資料を読み始める。暗号、と言っていたが暗号通信用の符牒というよりも、これは通信を傍受されても問題無い様にするための隠語や言葉が使えない場合でのボディランゲージに近い物だった。
一通り目を通してみたが、どうやらこれは細工されていそうになかった。カイトが入手している千年王国軍の情報と一致していた。まあ、共同して動く場合があった時に、そこで手違いがあったら困るのは向こうも一緒だ。偽らなかったのだろう。
「・・・シャーナ様。あの男、どう思われますか?」
資料を読み始めたカイトを前に、ハンナがシャーナへと密かに問いかける。彼女が敵か味方かはわからないが、女王の前で迂闊な事はしないだろう。
「・・・楽しい方だと」
「・・・私は信用出来ません」
「そうは見えませんでした。彼の心には、大空があった。あんな綺麗な空は、初めて見ました・・・」
「見たのですか?」
「意図してはいませんでしたが・・・油断している所に手を取られたので・・・」
ハンナの問いかけに対して、シャーナは密かにカイトに申し訳無さを滲ませる。どの王家にも、大抵神秘性が必要だ。それは千年王国でも変わらない。
では、彼女らのそれはなんだったのか。それが、今の一言だった。彼女ら千年王国の王族には、どういう理由か他人の心を見通す力があったのだ。触れなければ読み取れないが、触れられれば精神の表層部を読む事が出来る。思考を読む程便利な力ではないが、それでも特異な力には違いない。イクスフォスの特殊な力に匹敵する神秘性としては十分だろう。
それが、彼女らラエリア家が千年王国にて王家と祀り上げられた理由だった。妖精族とは違う方向性から、彼女らには嘘が通用しないのである。
「・・・疑いますか?」
「いえ。シャーナ様がそうおっしゃるのでしたら、私はそれを信じましょう」
ハンナはシャーナ女王のどこか願う様な問いかけを受けて、曲げていた腰を伸ばしてそれを否定する。どうやら、シャーナ女王も自分の味方が皆無に等しい事は把握しているようだ。ハンナさえも僅かに疑っている様子だった。それを、今度はカイトは密かに見ていた。
「・・・哀れだな。人間不信に陥らねば良いんだが・・・」
『哀れみを抱いても、下手な行動はダメよ。貴方はエンテシア皇国公爵。彼女はラエリア神聖王国の女王。碌な話にはならないわ』
「わかっているさ」
哀れみを浮かべていたカイトへと、フランが忠告を送る。まあ、彼女はカイトがわかっているとは思っていない。いや、わかっているとは思っているが、守るとは思っていない。
女の子が苦しんでいるのを見ると体が勝手に、というのがカイトだ。そう言う意味での信頼度は高く、同時にそれ故に何もしない、という事への信頼度は低いのである。まあ、そんなカイトだからこそ、フラン達は傅いているのだ。苦言はお目付け役として一応の所は、だろう。
「だが・・・この間ぐらい、オレが味方になってやるには、問題が無いだろう? それが、仕事だからな」
『余分な事をして、揉め事を持ってくるのが貴方よ』
「耳が痛いな」
『どうだか』
フランの呆れた様な口調に、カイトは信用ないな、と薄く笑みを浮かべる。と、どうやらそれは見咎められていたようだ。
「どうされましたか?」
「ん? ああ、いえ。何も」
「ならば、急に笑みなぞ浮かべないでください」
今度はハンナがカイトへと注意を送る。彼女の内心としてはやはり得体の知れない男、という所なのだろう。
「おっと・・・それは失礼しました。道化が身に付いてしまったようですね」
「やれやれ・・・大大老殿は何を考えていらっしゃるのやら・・・せめて人柄ぐらい見て決めれば良いものを・・・」
カイトの応対に、ハンナがため息を吐く。ここらは、大大老達も予想外だったのだろう。まあ、他大陸の冒険者の人柄まで入手出来る様な情報網は今の所エネフィアにはほとんど――勿論、然るべき伝手を使えば手に入る――存在していない。
仕方がない、とハンナも諦めているようだ。どちらかと言えば、大大老達に言った所で取り合ってもくれない、と考えているのかもしれない。
と、そんな風に馬車に揺られて――と言っても揺れは一切感じなかったが――少しすると、馬車が止まる。どうやら、彼女らが泊まるホテルへと到着したのだろう。案の定扉が開いて、前には大大老達やホテルの従業員達が総出で出迎えていた。そうして、御者がシャーナ女王へと声を掛ける。
「シャーナ様。着きまして御座います」
「わかりました」
「カイト様。貴方も陛下とは別の扉から、降りてください。あちらに非常用の扉が」
「わかりました。仕事、開始ですね」
シャーナ女王に続くハンナの言葉に、カイトは御者に合図を送って護衛が乗り降りする為の非常用の扉を開かせる。ここから、仕事は本格的に開始だ。彼女の側に付き従い、常にその身を守らねばならない。そうして、カイトの仕事がスタートするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第735話『ティア・ドロップ』




