第725話 襲来
アイゼンの襲来により一気に忙しくなった冒険部執務室であるが、楓はナナミと共に、着替えに戻らされたソラと由利に先んじてロビーに居るというアイゼンの所へと向かわされていた。ちなみに、なぜ楓だったのか、というとナナミから見て楓は着替える必要が無かったからだ。
「アイゼンって誰?」
「アイゼン・・・拳闘王アイゼンよ。ユニオンの大幹部の一人じゃない。現ユニオンマスターのライバルで有名な・・・」
「正真正銘の大幹部、というわけね・・・それは、危なかったわね・・・」
楓はなぜナナミが焦っていたのかを把握して、一人密かに安堵のため息をこぼした。大幹部が来たというのにそのままでは幾らなんでも風聞に関わる。とは言え、それ故、疑問もあった。
「なぜ、わざわざ今のタイミングで来たのかしら・・・」
「どういうこと?」
楓のつぶやきに、ナナミが首をかしげる。
「普通に考えればわかるわ。今、ここにはギルドマスターが居ない。大幹部がわざわざ来る意味がない。勘繰るのも仕方がないの」
「ああ、なるほど・・・」
幹部となると事務系や裏方仕事もそれなりにこなしている、もしくはそういった部署に伝手がある、と思っている二人は、これがなんらかの策略だと考えていた。主の居ない所に更に上が来る、という事はそう勘繰られても仕方がない事だった。
「ナナミ・・・お茶を出すにしても、少し注意して」
「うん」
もしかしたら戦闘もあり得るかも。二人はそれを考慮して、気をつける事にする。特に楓はかつてティナと杖を作った時に一緒にミレーユから餞別で貰った杖を隠す為の魔道具の中に、杖を入れる事にして何時でも戦闘に入れる様にしておく。
そうして、即興で打ち合わせを終えた二人はロビーに向かい、喧騒を他所に一人の見知らぬ男――アイゼン――の前に向かう。彼は応接用の机を占拠して、普通に読書をしていた。読んでいるのは美術品の目録だった。実は意外と彼は小粋で、こういった美術品にも造詣が深いのである。
「えーっと・・・貴方が、アイゼンさん、ですか?」
「うん?」
アイゼンは読書中だったらしいが、名を問いかけられて顔を上げる。彼は本当にここに居るだけのつもりだったらしく、誰かが来るとは思っていない様子だった。
「ギルドマスターは不在ですので、挨拶に来ました。楓・桜田、と申します。マスター代理は少々手が離せず、もうしばらく、お待ち下さい」
「ああ・・・挨拶は不要だ、と言ったはずだったのだが・・・」
アイゼンは読書を邪魔されて何処か胡乱げな表情で、改めて告げる。それに楓はしくじった、と内心で顔を顰める。とは言え、これは仕方がない。普通に考えて大幹部が来れば挨拶に来るのが普通だ。それをされて不機嫌になられる方が困る。
「まあ、良い。で? 何の用事だ?」
「いえ・・・来られた、と伺いましたので挨拶を、と・・・」
「やれやれ・・・」
楓の言葉に、アイゼンは再度胡乱げな表情をする。理不尽極まりない様に楓には思えた。が、これは理不尽というわけではない。アイゼンはきちんと楓が何を思いここに来ていたのか、を読み取っていた。
変な勘繰りを受けて挨拶に来られる様な立場に自分が居る事が、疎ましかったのだ。有名税と諦めるしかないだろうし、クオンからは時折、そう諫言されていた。が、これはアイゼンの性質だ。治りそうになかった。
「改めて、明言するが・・・何か思っての事ではない。ただここに来ただけだ・・・まあ、信じられないが故に、ここに来たんだろうがな」
「あけすけですね」
「これが、俺の性格だ」
楓の言葉に対して、アイゼンは肩を竦めながらも再度明言する。とは言え、これで楓は一つの安堵を得た。アイゼンに演技をしている風は無く、ナナミと共に危惧していた何か悪辣な策を持ってきた、というわけでは無いだろうからだ。と、そこに一度給湯室へと行っていたナナミがお茶を持ってやって来た。
「お茶です」
「ああ・・・ああ、お茶は置いていってくれ。こちらで入れて飲ませてもらう。おかわりが欲しければ、そこの受付の職員に言えばいいか?」
「ええ」
「わかった・・・代金はカイトにでも請求しておけ。まぁ、請求はせんだろうがな」
「・・・? お知り合い、なんですか?」
ナナミがアイゼンに問いかける。どう考えても親しい仲でないと出ない言葉だった。これには、流石にアイゼンも興味を抱いたらしい。少し目を見開いて、問いかけた。彼は今の今までナナミをカイトが雇って置いていった秘書だと思っていたのだ。
「? 君はギルドマスターの秘書ではないのか?」
「あ、いえ、一応調理師が主なんですが、今はマスターが不在なのでマスター代理の秘書も兼任していて・・・」
アイゼンの問いかけに、ナナミが実情を語る。嘘は見破られる、と思ったので正直な所を告げた。これは正真正銘カイトにとって、不慮の事故だっただろう。実はアイゼンはナナミがカイトの正体を知っている、と勘違いしていたのだ。
カイトにとってこの人事はソラとナナミを慮って――何よりソラの仕事が回らない事が大きい――の配置で、そして今は誰もが正しい事をしていた。ナナミの裏事情を知らないアイゼンが勘違いするのも無理は無かった。
「・・・君は?」
「えーっと・・・」
完全にどうすべきか判断に困る状況に陥った楓は、ここでようやくアイゼンがカイトの知り合いで裏が無い事を正確に把握して、同時に別の意味で危機的状況に陥った事も悟る。
現状、ナナミにカイトの正体が露呈する一歩手前だった。と言うか、何かのきっかけで気付かれても可怪しくはない状況だ。そして、それはアイゼンも悟ったようだ。彼は思わず吹き出して、自分のしでかした失敗に笑みを浮かべて、楓に命ずる。
「ぷっ・・・そうか。今回の一件は俺の責任にしておいてくれ。こちらからも伝えておこう」
「はい・・・」
「君は下がってくれ。少々込み入った話になりそうだ」
「あ、はい。じゃあ、少し離れた所に待機しています」
「そうしてくれ」
ナナミの言葉を受けて、アイゼンが頷く。言外に楓には残れ、と言っていたのである。
「奴も難儀な立場だな。全員が知っているわけではないのか」
「ええ・・・と言うか、我々のマスターの正体に気付いていらっしゃったんですか?」
「ああ。ほぼ完璧に隠蔽は出来ているが・・・冒険者の上層部で気付かぬ奴は居ない。大半が飲み仲間だ。そうでなければ、王侯貴族への揉め事なぞ持っていく奴は居まいよ」
アイゼンが笑う。まあ、これは考えても見れば当たり前に思えたので、楓もすとん、と腑に落ちたようだ。
「で、それは良い。今の代理とやらは、奴の正体を知っているのか?」
「ええ」
「そうか・・・ならば、それで十分だ。少々、思うことがあるだけだ。後は放っておく様に伝えておけ。ここで好きに本でも読ませてもらう。奴の趣味に偏っているが、悪い趣味ではない」
アイゼンは再び机に足を乗せて、読書に戻る。もう話す事は無い、という事なのだろう。邪魔するな、という事なのかもしれない。
「わかりました・・・では、失礼します」
「ああ」
アイゼンは手を振る事もなく、楓の返事に短く応じただけだ。これ以上話す事が無い、とアイゼンが言っているのに、これ以上食い下がれば印象が悪くなる。それぐらいの機微は楓も理解出来た。
「戻るわ。放って置いてくれ、だそうよ」
「良いの?」
「良いも悪いも無いわ。相手は圧倒的な格上。それが放置を望めば、それに従うしかない」
「うーん・・・」
それで良いのか、と思いつつも、それは確かに、とはナナミも思っているらしい。不承不承と言うか釈然としない物を感じつつも、それに従う事にしたようだ。
「じゃあ、なんで来たんだろう・・・」
「さぁ・・・」
ナナミの疑問に楓は首を振る。結局、アイゼンは何も教えてくれる事は無かった。カイトの事を知っている様子であれば、そもそも彼に会いに来たという事は無いだろう。なにせカイトがすでにレインガルドに入っている事は知っているはずなのだ。
様子を見に来た、という事も無いはずだ。彼はそんな性格ではなさそうだった。そうして歩いていると、ソラと由利が下に降りてきた。
「あ、居た居た・・・で、誰がそのアイゼンさん、なんだ?」
「あっちの人、なんだけど・・・」
「本を読んでるから邪魔をするな、だそうよ。挨拶はしに来るな、と念押しされたわ」
「? どういうことー?」
「さっぱりよ」
由利の問いかけに、楓が肩を竦める。何も分からず仕舞いは変わっていない。だが、それはすぐに、わかる事になった。全員が肌で何かが変わった事が理解出来たのだ。
「なに・・・これ・・・」
身の毛もよだつ、とはこの事だろう。ナナミが大いに震えて、怯えを露わにする。そしてそれを感じ取っているのは、彼女だけではない。ロビーに居た全員が感じて、寒気を覚えていた。
「扉の向こう・・・なんか居るな・・・」
ソラが外へと続く扉を睨みつける。抑えてはいるが、明らかに剣呑な雰囲気だった。そうして、次の瞬間。扉が開いて静寂が支配したロビーへと、一人の大男が入ってきた。それは<<暁>>の長、バーンタイン・バーンシュタットだった。彼が覇気を纏って、入ってきたのである。
「あ・・・」
「ぐっ・・・」
ナナミが気絶して、ソラ達は膝を屈する。あまりに、圧倒的。反抗の意思さえ持たせてもらえない。彼が居るだけで、同じ場に立ってさえいられない。圧倒的な核の違い。それを、ただ居るだけで彼はわからせていた。そうして、バーンタインは静寂の中、口を開いた。
「失礼。同業者の本拠地故、挨拶をさせてもらった・・・ウチのわけぇのが世話になってるってぇ聞いた。ギルドマスターに挨拶させて貰いてぇが・・・何処に居る?」
「ギルドマスターは現在不在です、バーンタイン様。依頼により先んじてレインガルドに入っておられます」
受付に立っている彼女をユニオンの職員と判断したバーンタインに問いかけられて、ミレイが不在を告げる。ユニオンの職員がまず第一に訓練される職業訓練は、冒険者の放つ覇気に耐える事だ。それ故、この程度の挨拶では怯まなかった。
ユニオンの受付では常に喧嘩が起きかねない火薬庫なのだ。逆恨みや怨恨からの傷害事件なぞエネフィア全体で見れば一日一件では足りないだろう。そんな中でも仕事が出来る様にするためには、ランクSの冒険者だろうと脅しに耐えうるだけの胆力が必要なのであった。
「そうか・・・不在か。今の代理は? 代理を置いてってねぇわきゃぁねぇだろう」
「俺が、そうだ・・・あんたは、誰だ?」
なんとか必死で立ち上がって、ソラが問いかける。それでも膝は笑っていて、気を抜けば倒れかねなかった。バーンタインが誰かは、ソラにはわかっていない。だが、放たれている敵意に近い圧力は明らかにこちらに向けられている物で、今は自分が代理なのだ、という責任感だけが、彼を立たせていた。
「あぁ、小僧が代理か・・・悪かぁねぇな」
自分に相対して尚、気丈に振る舞える胆力を見てバーンタインは筋は良い、と牙を剥いた笑みを見せる。が、そうして全部の意識を自分に集中されて、ソラは再度、気を失いそうになった。
「同業者の本拠地故、少々挨拶をさせてもらった・・・敵意はねぇ・・・」
「それにしては、随分な圧力だ」
バーンタインの言葉に対して、アイゼンが割り込みを掛ける。いつの間にか、彼はバーンタインの後ろに立っていた。一応本気でやればバーンタイン相手にも気付かれない様に移動出来るが、今回は挨拶として、気付かれる様にやっていた。ソラが拙いのを見て、割り込みを掛けてくれたのだ。
「拳闘王アイゼン・・・なぜここにいるんだ?」
「日本人の子供ともなれば、気にもなろう。お前と一緒だ」
「・・・それだけか?」
「以外に何がある」
「この間、あんたを筆頭に何名かの冒険者に招集が掛かった・・・全員が、ある男の関係者だ。まあ、あんたらは全員無視した様子だが・・・」
バーンタインは言外にアイゼンに問いかける。ここに彼が『挨拶』をした理由は、勇者カイトが居るのではないか、という疑念を抱いたからだ。
自分が『挨拶』をすれば、必ず彼は出てくる。そう読んだが故の行動だった。が、残念ながら、カイトはすでに発った後だ。意味が無く、無駄に終わった。こればかりは、彼が時の利を得られていなかったが故だろう。
「何があった? 俺は8大の長。聞く権利はあるはずだ」
「知らんな。俺がバルフレアの呼び出しに応ずるはずがあるか? 手紙なぞ奴からとわかった時点で破り捨てた」
「・・・聞く相手が悪かった。そういうことにしておこうじゃねぇか」
アイゼンからの返答に、バーンタインはそれで良しとする。これは事実だ。アイゼンはバルフレアからの手紙であれば、読むこともせずに破り捨てる。
俺に用があるなら、自分で来い。好敵手であるが故に、喩えユニオンマスターからの呼び出しであれ応じてやらないのだ。彼はそう言う男で、これは有名な話だった。
「まぁ、俺はウチのガキの見舞いに来ただけだ。療治の酒も持ってこさせてもらった。案内してもらえるか」
「ああ・・・こっちだ」
ソラはアイゼンが稼いでくれた時間を使ってなんとか再度膝を屈しそうになる身体を必死で繋ぎ止めて、バーンタインの案内を開始する。それはたった十数メートルのはずだが、それでも、ソラや冒険者達には数キロにも思えた。
「この先に、寝ているはずだ。後は医者に聞いてくれ・・・けが人達の前だから、その覇気は仕舞っておいてくれ」
「あぁ・・・世話になった。後でわけぇのに詫びの酒を持ってくる様に命じている。受け取ってくれ。ウルカの地酒だ」
医務室へと続く扉を開いてソラが告げると、バーンタインもそこでようやく、覇気を収める。流石にけが人病人の前でまで彼も『挨拶』をするつもりはなかった。そうして、バーンタインの姿が消えた事で、ソラは再び膝を屈した。
「はぁっ・・・はぁっ・・・」
その瞬間、ソラの全身から汗が滝のように流れ出る。身体の震えは止まっていない。それどころか、今まで抑えつけていた分、一気にやって来ていた。
「胆力はあるか・・・悪くはない。及第点だけはくれてやろう」
アイゼンは膝を屈したソラにそう告げると、パーカーを翻してギルドホームを後にする。彼が来た理由は、バーンタインは己の公的な用事を終えれば『挨拶』に来るだろう、と読んだからだ。
そして、カイトもそう読んでいた。酒は約束を守ったと同時に、彼を動かす為の手立てだったのだ。圧倒的な強者であるが故に、同格の立ち位置に居る者達の思考は読めていたのである。
「なんだよ、こいつら・・・」
誰もが立ち上がれぬ中平然と去っていたアイゼンと、それを成したバーンタインにソラは悪態をつく。有り得ない程の、化物達。その会合を目の当たりにした彼には、そう言うしか残されていなかった。こうして、ソラの初となるギルドマスター代理の重要仕事を終える事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
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