第690話 ブリーフィング
『剣神社』での一連のやり取りを終えたカイトは、一度武蔵達浮遊大陸側が用意してくれていた旅館に戻っていた。というのも別に『剣神社』以外でやることは何も無いからだ。後はあいさつ回りだが、それにしたって向こうの事情もある。待ちだった。
「さて・・・とりあえず温泉に入るのも良いが、ここは天然温泉じゃないんだよなー・・・」
誂えられた個室で、カイトがぼやく。残念ながらカイトはここに居れるのは会議が始まるまでだ。それ故、彼だけは個室が与えられていた。下手に同居人を置いても仕事に差し障りがあるし、椿の事もある。
個室にするのが最適、とされたようだ。ちなみに、仕事に入ると椿はこちらに待機になる。これは致し方がない事だった。
本格的に冒険者としての仕事が始まると、カイトは千年王国の女王の護衛としてあちら側の旅館――千年王国側は洋風のホテル――に宿泊しなければならない。そこにメイドは連れていけないからだ。と、そんな椿がカイトに問いかける。
「御主人様。ご夕食の方はどうなさいますか?」
「ん? ああ、晩飯か・・・いや、今日の用意は必要無い。夜に会合があるから、その流れで先生の所で食ってくる事になるだろうからな」
「わかりました。では、遅くなると考えた方が?」
「ああ、そうしてくれ。会議つっても近所の自治会と変わらん。終わったら飲み会になるだろうから、帰りは裏口からになるだろう。表口は閉める様に命じておいてくれ」
「かしこまりました」
カイトからの指示を受けて、椿が頭を下げる。基本的に、ここの滞在中の飲食は彼女が作るつもりだったし、カイトもそうしてもらうつもりだった。
とは言え、今日だけは別だ。今日はこの後にはレガドの長達と会談を行う為、武蔵の所で振る舞われる事になる、と読んだのであった。時間が夕食を跨ぐのは、各々が仕事を抱えている為だ。仕方がない。
「んー・・・とりあえず温泉入っときたい所だけど・・・そんな暇があるか、だな」
「現在時刻は17時になっております。後50分程で迎えの方が来られる事になるかと」
「だよな・・・はぁ・・・諦めるか」
椿からの指摘に、カイトがため息を吐いた。とりあえず温泉に入って一杯、としたい所であったが、残念ながら『剣神社』に行っていた関係でそれは望めそうになかった。
明日の事に関するミーティングは18時開始で、19時に一度中座して21時に再開、終了予定は22時頃だった。はじめ一時間は面通しとレガドの今後を話し合い、夕食後に本格的な攻略計画を雑談半分でミーティングを行う事になるだろう、という予想だった。と、カイトの予想通り、そんな暇はくれないらしい。開け放った窓から、武蔵がやって来た。
「おお、おったな。どうじゃ、一杯やるか?」
「何やったんで?」
「かかか。別にミトラと揉めたわけではない・・・丁度良い魚が釣れてな。炙って食わぬか?」
「頂きます」
よく見れば武蔵は簡素な釣り竿を持ち、腰には魚籠と呼ばれる釣った魚を入れる用の籠がぶら下がっていた。どうやら彼は彼で暇にかまけて海釣りにでも行ったのだろう。
そうして、二人は庭に出て七輪を取り出し、包丁でさっさと捌いて魚を炙る事にする。ちなみに、武蔵は料理が出来る。戦国時代の男は料理が出来るのは普通だった為、武蔵も普通に料理が出来たのであった。
「丁度マアジとイシダイが釣れてのう。マアジ少々おおぶりじゃが、弟子達と食うには些か数が足りん。イシダイが釣れたが・・・こちらは小ぶり。帯に短し襷に長し、という状況じゃて」
「あはは・・・じゃあ後は炙って一杯、と」
「そういうことよ。マアジは後でミトラにでも頼むとして、酒の肴にイシダイのあぶりでも食うか、とな」
武蔵の言いたい事を理解して、カイトは椿と共に苦笑気味にイシダイをさばき始める。その間に武蔵は炙りを食べる為の調味料を作っていた。
「にんにく少しに、醤油を焦がし、と・・・」
「たまねぎ乗っけますか?」
「ああ、うむ。貰うか」
ちゃちゃちゃ、と手際良く二人の男が庭先で料理を行う。それは見ようによっては奇妙な光景だった。というわけで、焦がし醤油の良い匂い等と合わせて、見物客が出来始めていた。
「さて・・・でじゃ、次は炙りよ」
「ここからは、私がやらせて頂きます。お二人はどうぞ、お酒の方を」
「うむ。すまぬな・・・カイト、供せい」
「はい」
とりあえず用意した即席のござの席に腰掛けた武蔵が、どぶろく片手にカイトに言い付ける。すでに炙るだけになっていたし、此処から先は人手が要るわけでもない。というわけで、カイトは武蔵の言葉に従って、ござの上に座る。
そうしてそんなことをしていると、あっという間に一時間が経過して、時間が来た。というわけで、庭先で炙りを酒の肴に酒を楽しんでいた武蔵とカイトを見つけた使者が、こちらに歩いてきた。
「先生。こちらでしたか・・・長老方がおよびで御座います」
「うむ? はぁ・・・せっかく美味い炙りで一杯楽しんでおったというのに・・・仕方がない。行くとするか。お主らも来い。どうせ向かう所は一緒じゃ」
「わかりました・・・藤堂先輩、じゃあこちらも」
「ああ・・・武蔵先生。馳走になりました」
カイトの言葉に従い、武蔵と話す為にやって来ていた藤堂が腰を上げる。彼は今回の表層部の主力の一人で、部隊長の一人でもあった。それ故、ブリーフィングには参加することになっていた。武蔵の勧めを断れずに彼も数献酒盃を傾けたが、足元は大丈夫そうだった。
「うむ・・・さて、では、ついてこい。ここからはそう遠くはない」
「はい」
そもそもカイトは何処に向かうか理解しているわけであるが、藤堂はわかっていない。というわけで、一同は連れ立って武蔵に従って、少し遠くにある会議場へと移動する。それは3階建ての建物で、結構な広さがあった。その中の一つが、今回のブリーフィングで使う会議場だった。
「あ、御意見番。長老方ももうしばらくで到着されます」
「なんじゃぁ。呼んどきながら来とらんのか。年上は敬わんか。なら、酒でも持ってくれば良かったか」
「あはは。もうしばらくすると来られますので、今しばらくお待ちを」
「仕方がない・・・まあ、良い。先に入っておるぞ」
「はい」
門番の言葉に呆れつつも、武蔵は建物の中に入る事にする。そこは中世の会議室、というような感じだった。とは言え、これはここが可怪しいわけではない。
実は日本風なのはカイト達が滞在する一角と武蔵と旭姫の滞在する一角だけだ。あそこはカイトの存在等があって、純日本風になっていただけなのである。普通はこのように少し異世界風の中世西洋風が基本なのであった。と、そうして会議室に入るまでの僅かな間に、藤堂が疑問を呈した。
ちなみに、ご意見番とはレガドでの武蔵の地位だ。旭姫はお目付け役となっている。里の英雄である彼らは公には口を出さないが、そのかわりに、ご意見番やお目付け役として、有事や暴走を防ぐ役割を持っていたのである。
「そういえば・・・先に武蔵先生は年上、と仰られましたが、何歳なのですか?」
「なんじゃ、不躾な・・・まあ、この街へ来たのは500年程前じゃ。大戦の少し前じゃな。それで儂が死んだ頃から逆算できよう。とは言え、精神生命体故、年は食わんのよ・・・それ故、長老達と言えどもガキの頃から見知っておるわ」
藤堂の疑問に、武蔵が少し苦笑気味に告げる。実は彼の妻のミトラも同じように精神生命体で、半ば不老不死に近い。ここらは彼が活躍した500年前の戦いに起因する幾つかの理由があるのであるが、今は横に置いておく事にする。
「さて・・・まあ、他の者達が来るまで、もうしばらくのんびりとするか」
「はい」
武蔵の言葉に、カイトも藤堂も頷く。今回、学園側から参加したのはこの二人だけだ。全体の取りまとめはカイトが行うし、実働部隊の総指揮は藤堂が行う。これ以上は不必要だからだ。なお、ティナは密かに公爵家側に参加することになっていた。そうして、一同は少しの間、待つ事にするのであった。
それから、30分程。カイト達が雑談をしていると、会議室に今回の会談の面子が勢揃いする。
「これで、全員なのですか?」
「む? おぉ、そうじゃな。と言っても、実働部隊の隊長は儂で、補佐には姫子様が付く。会談に参加しておる以外にも、まだおるよ」
藤堂の質問を受けて、武蔵が小声で答える。すでに会議は始まりつつあったので、小声なのであった。そうして、武蔵が小声でカイトに対して上座に座った少し若い男を示した。
「ほれ、あのど真ん中の角の男。あれが、今の里長じゃ。マギクという奴よ。本名は聞くな。長い」
「あはは。何時も通りですか。龍・・・神社の宗家の当主ですか?」
「そうよな。ミトラの甥の息子よ」
カイトの言葉を武蔵が認める。上座に座っていたのは、頭に東洋龍の様な丸いタイプの角のある一人の男だった。そこから、カイトが家柄を見て取ったのである。
レガドでは通例的に、異族は何処か一部の種族のわかる隠形を解いて生活していた。別に角やしっぽ、少しの鱗程度であれば生活に支障はない。なのでここらは、文化の差、という所だろう。
「ああ、ミトラ殿の・・・そういえば、奥方妊娠してましたっけ」
「うむ。300年前の事じゃな。昨年先代から当主の座を受け継いだのよ。そろそろ良いじゃろう、とな」
「ということは、30年コースですか?」
「うむ。若いからのう」
カイトの言葉を再度武蔵が認める。里長は長が死ぬか、30年で代替わりする事になっていた。これは長寿の種族がいる上に閉鎖的な浮遊都市レインガルドにおいて、一人による独裁を防ぐ事が目的だった。
武蔵と旭姫という御意見番やお目付け役が居るのも、そのためでもある。まあ、今のところ幸か不幸か、二人が役に立った事は無い。なお、体力的な不安が出れば代替わりも可能だ。先代はどうやらそうしたのだろう。と、そんなマギクが武蔵の方を向いた。
「と、言う方針なのですが・・・伯父貴殿は問題ありませんか?」
「む? お、おぉ。問題は無い。儂は別にそこらは気にせんからな」
「聞いてなかったでしょ」
「うむ」
カイトの言葉に、少し焦った様子の武蔵が頷く。ちなみに、今の話題は会議の後の行き先について、だった。多少ならば操れる――と言っても方角程度だが――ので、何処に向かおうか、と話し合っていたのである。なお、伯父貴というのは武蔵とマギクが親族である為である。
「まあ、どうにせよ聞いた所で無駄よ。儂はそこら気にせんからな」
「今のこの生活が気に入っている、ですか」
「武家暮らしよりも、気ままなこの生活の方が良いわ」
カイトの言葉は、昔武蔵自身が言った事だった。それ故、彼は笑いながら、今で良い、と昔と同じように告げる。大昔に帰る方法を探す気は無いのか、とカイトに問われて、今の言葉を返したのである。
「まあ、お主らはそうもいくまい」
「オレは、どうにでもなるんですけどね。最悪は地球の救援の必要もありますから・・・」
「馬鹿げておると思うておったが・・・やはり馬鹿げておるな」
「勇者ですので」
武蔵の言葉に今度はカイトが笑う。結局、お互いに変わった事は無かった。と、そんな話をしている内に、どうやら話は本題に入るようだ。
「というわけで、現在の調査状況は第一層が完了、というわけだ」
マギクがレインガルドの重役達に対して、現在の調査状況を語る。古都レガドの階層は幾つかに分かれており、その最上層にして最も広いエリアがこの第一層だ。
同時に最も危険性が無い所で、レインガルドの技師達が通常時にでも立ち入れる場所でもあった。所謂簡易なメンテナンスを行う部分、と考えれば良いだろう。
「伯父貴殿。それで第二層からの調査を明後日からはじめてもらいたいわけなのですが・・・頼めますか?」
「うむ。儂の門下生達は問題が無い。人足にしても日本からの客達50人に、公爵軍特殊部隊で事足りる。第二層と第三層は問題があるまい・・・それよりも、第一層の司令室が問題じゃ。きちんと整っておろうな?」
「はい。これは確認済みです。公爵家のソフィーティア少佐率いる調査隊にはこちらに詰めてもらう予定です。通信用の機材についても、明日には整う予定です」
言うまでもなく、ティナは魔術師だ。剣士しか入れない遺跡には入る事は出来ない。いや、一応彼女も剣士としての心得はあるので入ろうと思えば入れるが、腕前には不安が残る。それにそうなると今度は情報を集約して、それを解析する人員が足りなくなる。調査の為に来ているというのに、それでは本末転倒だった。
ちなみに、司令室とは謂わばコントロールブリッジと考えれば良い。ここだけは唯一中と自由に情報のやり取りが出来る為、ここをオペレーター達の専用の場所にするのであった。
「うむ・・・で、残るは最下層じゃったな。これは儂と姫、ヤマトを中心とした少数が向かう。まあ、情報の解析が出来んが、どうせそこらは他も変わらん。これで不安あるか?」
「いえ、伯父貴に向かって頂くなら、不安はありません。ご随意に」
武蔵の腕前は剣に限って言えば、エネフィアでもトップクラスだ。何ら遜色なく、一位二位を争うだろう。なのでそれを知るマギクも首を振って全部任せる、と言外に告げる。そもそもこれは再確認だ。今更問題は無かった。
ちなみに、ヤマトとは武蔵の第一子の事だ。由来は考えるまでもないだろう。300年前には小生意気な小僧だったのだが、どうやら300年で武芸者として一流に育っていたようだ。
「うむ。では明日一日は最後の休息と準備にあてて、明後日からは事にあたる事にしよう」
「お頼みします」
武蔵の言葉に、マギクが頭を下げる。そうして、これを最後に会談は一時中断となり、各々夕食を食べる事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第691話『宮本家』




