第686話 異族の血 ――一条家編――
模擬戦から明けて翌日。瞬はようやく時間が取れたので、昨日の戦いの影響を改めて確認する意味も含めて医務室のミースの所にやって来ていた。
「と、言うわけなんです」
「なるほど・・・祖先帰りじゃないか、と考えているわけね」
診断書に瞬からの言葉を記載しながら、ミースが相槌を打つ。少し前までは単なる夢としか思っていなかった事で相談していなかったわけであるが、祖先帰りの何かなのではないか、と改めて相談する事にしたのである。
「にしても、酒呑童子か・・・茨木の奴が笑うな」
「知ってるの?」
「ああ。酒呑童子は日本で最も有名な鬼、と言っていいだろうな。いや、おそらく日本で最強の鬼、と言っていい」
ミースの問いかけに、カイト――瞬が同じ様な身の上として来てもらった――が笑いながら頷く。縁は異なもの味なもの、とは言ったものだが、まさにそうだった。
カイトの地球時代の知り合いには酒呑童子の配下の大幹部である茨木童子がいる。まさかその主筋の血にここでお目にかかるとは思いも寄らない事だった。
「奴に聞いた所だと、山を切り崩してぶん投げる、当時の人間最強だった源頼光という男を相手に圧勝する、等逸話には事欠かん鬼族の男だったらしい」
「ああ、俺の見た夢でも、そんな感じの男だった・・・ん? 山を投げる?」
見たことのない光景に、瞬が顔を顰める。いや、夢の中で見た酒呑童子であれば出来そうだ、とは思ったが、それが本当にやったのか、と言われると顔を顰めるしかなかった。
「ああ・・・<<大山投げ>>、と言うらしいな。茨木の奴が100年ぐらい掛けて習得した、と呆れてやがった。思えば確かに、血なのかもな」
「そうか・・・確かに、それはそうかもな」
カイトの言葉に、瞬も苦笑気味に同意する。彼の最も得意とする武芸は、投槍だ。そして祖先もまた、槍ではないが投げる事を得意としたらしい。
「・・・なあ、その<<大山投げ>>。俺も出来る様になるのか?」
「ん? さぁ・・・そこはわからん。そもそもオレは祖先の記憶、なんぞ見たことが無いからな。血の記憶を垣間見れば、出来る様になるかもしれんがな」
「そうなのか?」
「おいおい・・・オレは祖先帰りじゃないって。そこ間違えるなよ」
カイトが苦笑気味に首を振る。間違われやすいが、彼は祖先帰りではない。と言うかそもそも龍族の血に目覚めた、というのが有り大抵な嘘なのだから当然である。
「祖先の記憶を見る、というのは祖先帰りには時折ある事だそうだ。転生じゃないから全てではないからな。先輩が一部と言うか頼光公との戦いしか見れないのは、そこらの影響だろう」
「転生? あり得るのか?」
「まぁ、な・・・とは言え、転生になると、全部を見れる様になっている。一部だけ、というのは逆に無いな」
「そうか」
カイトの言葉に、瞬が何処か嬉しそうに答える。さすがに彼も前が酒呑童子では少し思う所があったようだ。
「にしても・・・転生、か・・・何か嫌そうだったな?」
「・・・転生と言うか、前世の記憶は見ない方が良い。見た奴だからこその言葉だ。聞いとけ」
「そうなのか」
カイトなら、前世の記憶を見れていても不思議は無い。それを利用した武芸はあるのだ。であれば、瞬はカイトの何とも言えない表情での言葉に従っておく事にする。
「まぁ、話を戻そうか。頼光公が出て来た所ばかり、ということは彼が一番記憶していたのがそこ、というわけだな。が、祖先帰りでない奴が祖先の記憶を見た、という事は聞いたことが無い。そもそも祖先帰り自体が極稀に起こる事だしな。数十万人に一人、という確率は伊達じゃあない」
「そうか。わかった。ありがとう」
カイトからの解説に、瞬が頭を下げる。元々彼が鬼族である事は承知済みだったのだ。そして今まで謎だった夢の正体がつかめたのだから、それで満足だった。
「とは言え・・・一条家に酒呑童子、ねぇ・・・因果は巡る、というかなんというか・・・」
「因縁、か。そこらの話は俺も爺さん達から聞かされている」
かつて彼自身、酒呑童子伝説については調べた事があった。それは言うまでもなく、自分の実家の事だからだ。由緒正しい武士の家系、とは教えられていたが、それがどういう家系なのだろうか、と疑問だったのである。
「源 頼光。有職読みとして頼光の名でも呼ばれる平安時代最強の侍。実際、金時の奴はそう呼んでるな・・・いや、あいつはどうやら自分が雷神のハーフで自分と同じ雷を思い起こすから、って話だが」
「金時・・・? それはあの、坂田金時か?」
「ああ。童話に語られるまさかり担いだ金太郎、だな。彼の後の名が坂田金時。頼光の四天王だ」
「ふむ・・・」
瞬はそこで、夢の中で酒呑童子と戦っていた数人の武士や戦士の中に頼光の事を『頼光の兄ぃ』と呼んでいた大男を思い出す。思い返せば頼光らしい男も金時、と呼んでいた。彼が、その坂田金時なのだろう。
「彼は日本土着の雷神の血を引いていて、それ故、今も生きている・・・丑御前の封印の地を守ってな」
「丑御前?」
「古浄瑠璃の『丑御前の御本地』・・・は知らんか」
「すまん」
カイトの言葉に、瞬が苦笑混じりに首を振る。カイトだってこれを知っていたのは茨木童子や坂田金時等、その当時を生きた者を知るが故に、だ。知らなくても無理はない。
「彼らの牛鬼という妖怪退治のお話になるんだが・・・その牛鬼の名を、『丑御前』と呼んだ。まあ、簡単にいえば、その正体は頼光公の血筋に当たる方でな・・・」
「封じた、か・・・そういえば夢の中での頼光も殺せなかった、とぼやいていたな・・・」
「意外と便利だな、夢というのも」
結局は古浄瑠璃なので作り話が混じっているので説明を入れようとしたカイトであるが、機先を制して瞬が答えを言い当てたのを受けて、意外と便利だ、と苦笑する。
「あはは。その御蔭で、この間は<<童子切安綱>>を相手に凄い苦労させられた。首を斬られた感覚があってな。身体が縮こまるのをなんとかするので精一杯だった。そこまで良いものではないさ」
「・・・そうか」
一瞬、カイトとミースの顔つきが変わる。が、それは本当に一瞬で、笑っていた瞬には気付かれなかったようだ。そうして、次の時にはカイトは普通に笑っていた。
「そういえば・・・『丑御前』は女、なのか?」
「? どういうことだ?」
「夢では酒呑童子が妹は殺せなかったか、と頼光に問いかけていた」
「ああ、なるほど・・・そうか、語っていても不思議は無いよな」
カイトは当たり前といえば当たり前に気付くだろう事に笑う。こちらは演技でもなんでもなく、素の笑いだった。
「まあ、らしいな。とは言え、やはり満仲公も娘の不遇は偲んだらしい。浄瑠璃の様に即座に殺す、ということはなかったんだが・・・大本と言うか本来は椿姫、というらしいな。諡として、椿御前、というハズだったんだが・・・牛鬼が椿の根の化身、というのはここから来ているらしい。実際、封印の地には椿が植わっていたからな」
「何があったんだ?」
「詳しくは知らんが・・・どうにも牛頭天王を降ろそうとした者達が居て、それを阻止する為の依代として、まだ赤子だった頼光公の妹である椿姫が選ばれたらしい。それで色々とあって依代となるのには成功したらしいんだが・・・やはり、神降ろしだ。人体にはまず耐えられるものではないさ。残留した牛頭天王の力はやがて姫の身体を蝕んでいき、最後は丑御前という鬼になった、という事だ」
「その後は、兄であり最強と謳われた頼光やその四天王達が、というわけか・・・」
何処か悲しげに、瞬がその先を告げる。全ては、世のため人のため。実の妹の命を奪わなければならなかった頼光の心情を慮ったのであった。
「ああ・・・流石にこれは苦難を極めたそうだ。なにせ一端とは言え神様が相手、だからな。とは言え、なんとか四天王の力を借りつつも、最後は金時山の山奥に封じる事が出来たそうだ。力量もそうだが、殺せなかった、だそうだ。頼光公は年離れつつも血肉を分けた妹、金時や渡辺綱ら四天王にとっては姉代わりだったらしい・・・仕方がない事だろうさ」
自らが夢で見た内容の補完をなされて、瞬が何処か儚げな顔をする。その時の思いは幾許だったのだろうか、と夢でしか見知らぬもう一つの祖先に思いを馳せたのであった。と、そうして話していて、ふと瞬は一つ疑問に思う。
「・・・ん? 待て。お前、そういえばどうして知っているんだ?」
「そりゃ、封印解いたからな」
「はぁ?」
こいつは一体全体何を考えているのだ。そんな感じで瞬が思わず顔を顰める。が、それに対してミースは至って平然としたものだった。
「どうせまたぞろ何か頼まれた、とかでしょう。気にするだけ無駄よ」
「ご明察。金時の奴に頼まれてな。お前らなら、不憫な御前様をなんとか出来るんじゃないか、とな。実は頼光公にも頼まれてな。で、色々とこっちにも事情があって、とな」
「ああ、なるほど・・・」
確かに、言われてみれば理解出来る。神々をも上回るカイトとティナだ。出来ないとは思えないし、相手が善人であれば頼まれればなんとかしよう、という気にもなるだろう。
「ああ、そういえば・・・鬼殺しの力に怯えを覚える様になっていたのなら、ミース。処方箋頼んでおいていいか?」
「もうやってるわよー」
カイトの問いかけに、話に加わらずにミースが処方箋の処方に入っていた。流石に戦えなくなる、という事は無い様子だったが、それでもまだ万が一があるし、殺された刀を目の当たりにして悪夢を見たり、という事もあり得る。万が一の為の精神安定剤を処方してもらっておけ、というつもりだったのであった。
「ああ、悪いな。ミースさんも、ありがとうございます」
「いいっていいって。それがお仕事だしね・・・はい、これで完成っと・・・えーっと」
とりあえず処方箋を完成させると、ミースは薬剤保管庫の棚から自分の処方した薬を探し始める。
「飲み薬と錠剤、どっちが良いー?」
「あ、どっちでも大丈夫ですけど・・・出来れば、錠剤で。飲み薬だとどうしても苦いイメージが・・・」
「そっか・・・まあ、持ち運びしやすいしねー・・・えっと、じゃあこの薬、っと」
ミースは瞬用の薬を取り出すと、とりあえず3日分を彼に手渡す。飲む必要が出るとは思わないが、もし急に出た場合には対応出来る様にした量だった。それに多すぎても持ち運びに困る。
「ありがとうございます。じゃあ、俺はもう戻ります」
「ええ、お大事に」
「はい」
瞬はミースの言葉に頷くと、出しなに頭を下げて扉を閉じて、医務室を後にする。そうして後に残るのは、カイトとミースの二人だけだ。二人は瞬が居なくなったのを確認すると、途端、顔つきを真剣な物に変えた。
「・・・どう思う?」
「微妙ね。祖先帰りの可能性は無くは無いわね。そもそも、天桜学園は名家の子息達が集まっている。それ故、無くはない」
実は二人共、瞬が酒呑童子の祖先帰りだ、という事に対しては半分以上信じていなかった。いや、正確に言えば、途中から信じない様になった、という所だろう。
「祖先帰りについて明かされている事は少ないわ。特に血の記憶の継承については、ほとんど未開と言っても良い。龍族だって一応血の記憶は持ち合わせているけれども、そこまで便利な物じゃないしね」
「所詮、あんなもんは生活に必要な知識を継承する程度、だ。一応稀に祖先の記憶を垣間見る事はあるそうだが・・・」
「死の直前の記憶を見た、というのは一度も聞いたことが無いわね。少なくとも、見れるとも思わない」
二人が瞬の自らが祖先帰りである、という見立てを信じなくなったのは、ここだった。彼は確かに、言った。自らの首を刎ねられる感覚が、と。
それはどう考えても可怪しいだろう。なにせ祖先帰り、ということは子供の血を引いているのだ。裏返せば、祖先帰りの祖となる者の死に様を知れるはずがない。とは言え、それはありえぬのか、というと、またそう断言出来る事はなかった。なのでミースがため息を吐いた。
「とは言え・・・そこも、微妙なんでしょう?」
「そうなんだよなー・・・」
ミースの問いかけに、カイトがため息を吐いた。実に厄介な事に、瞬にはそれを知れる可能性がもう一つだけ、存在してしまっていた。それは彼のもう一つの祖先の事だった。
「さっきの酒呑童子・・・あれ、源 頼光が首を刎ねてるんだよな。見ても不思議じゃない。二人の関係性を考えても、忘れたくない、と思うのは道理だ・・・」
「そうなってくると、今度はやっぱり祖先帰り、というのが一番適切な答えなのよねー・・・しかも雷の大精霊様に好まれた、というのは彼の夢の中の頼光、って人の血族が得意とする属性にぴったり。『二重帰り』は珍しくはあるけど、ありえないではないのよね・・・」
ミースがため息混じりに、全くわからない瞬の正体についての言及を行う。『二重帰り』とは、二種類の祖先帰りが一緒に発露する事だ。これは確率論等から普通は起こり得ないのであるが、ゼロではない以上時折起こる事があった。その可能性も捨てきれなかったのである。
「はぁ・・・とりあえず、先輩については『二重帰り』の祖先帰り、という所で想定を進めておくか」
「そうね。それが一番良いと思うわ」
カイトの言葉に、ミースも同意する。別に祖先帰りだから何か悪いのか、という事はない。とは言え、祖先帰りは今の種族と祖先の種族の相性の問題で時折弊害を生み出す事がある。その対処の為にも、今からいくつもの手を打っておく必要があったのである。そうして、とりあえずは今は様子見、という事にして、カイトも医務室を後にするのであった。
お読み頂きありがとうございました。明日からは再び新章です。
次回予告:第687話『神鯨』




