第663話 評定 ――開始前――
一同がエルフの里に到着した翌日。朝一になって、一同が泊まる宿屋に来客があった。それは言うまでもない事かもしれないが、ハイ・エルフ達の使者であった。そうして、エリスが丁寧な口調で使者達に問いかける。
「なんでしょうか」
「エリスクピア様。評定会の準備が整いました。ご同行お願い致します」
「わかっています・・・護衛はこの三名と、協力者として彼女を同行する、という話は聞いていますか?」
「承っております」
ハイ・エルフの使者はエリスの言葉を聞いて腰を折る。護衛の三人は言うまでもなく桜と瑞樹、魅衣で、協力者は弥生だ。今回は彼女を助言者として申請していた為、それに合わせて彼女の入場も許可されたのであった。
ちなみに、護衛と言いつつもハイ・エルフの貴族達と会う為、桜と瑞樹はドレス姿だ。弥生と魅衣は着物にしておいた。こちらの方が慣れている、という事であったし、着物も礼服の一つだ。それで良いだろう、という判断だった。
「では、こちらへ」
「はい」
使者達に案内されて、4人は歩き始める。そうして宿屋を出ると、そこには馬車が一台停止していた。公爵家が用意した馬車に勝るとも劣らない豪華な馬車だった。
とは言え、引くのは地竜では無く普通の馬だ。そこまで遠い距離を移動するわけでは無いので、扱いやすい馬を、というわけである。
「では、お乗りください。護衛の方も、ご一緒にどうぞ」
「ありがとうございます」
使者達はどうやら御者も務めるらしく、馬車の御者席に座るようだ。そうして一同が乗り込んで馬車の扉が閉じると同時に、ゆっくりと馬車が動き始める。移動先はもちろん、昨日確認した建物だ。そしてしばらくすると、御者席側の窓が開く。
「エリスクピア様。もう少しすれば門を潜ります。少々の違和感がありますので、ご了承を」
「わかっています」
エリスの答えを聞いて、使者が再び窓を閉じる。そうして少しすると、ほんの僅かな違和感を感じる。これが先ほど使者達が言っていた違和感、なのだろう。案の定、エリスが口を開いて、それを認めた。
「今、『神葬の森』の中に入ったから、後30分程度で王都に到着する」
「結構広いんですね」
「そうでもない。大体1000キロ四方ぐらい」
「じゅ、十分広いですが・・・」
「そう?」
桜が苦笑したのを受けて、エリスが首を傾げる。1000キロと言えば、日本の本州がすっぽりと入るぐらいの広さだ。十分に広い様に思えるが、そもそもエネフィアそのものが地球の数倍の広さを誇るのだ。そこらは、感覚の差、という所だろう。
「でもここはまだ小さい方。大きい所だと、月ぐらいのサイズの異空間もある」
「月・・・」
桜が頬を引き攣らせる。月とは考えるまでもなく、夜空に浮かぶ月の事だろう。その巨大な月の面積に匹敵する程の空間だ。どんな物なのか、さっぱりだった。
そうして、そんな雑談を行っていると、すぐに馬車が動きを止めた。どうやら到着したのだろう。案の定、扉が開いて、使者達が顔を覗かせる。
「エリスクピア様。到着致しました」
「ありがとう」
使者達に手を引かれて、エリスが馬車から下りる。そうして見えたのは、一つの豪邸だ。ハイ・エルフの名家、オーディオン家の本邸だった。そこにはすでにクリストフが到着していたらしく、彼が出迎えてくれた。
「エリス・・・少し大きくなったか?」
「お父様・・・お久しぶり。少しだけ」
やはり久しぶりの父娘の再会は嬉しいのだろう。クリストフは少しだけ顔に喜色を浮かべて、娘の成長に喜びを見せる。
「それで・・・君達が、護衛か?」
「はい。お久しぶりです、『深遠なる君』様」
「ああ。道中ご苦労だった。オーディオンの者に部屋を用意させた。ゆっくり、休んでくれたまえ」
クリストフがそう言うと、彼の横に従っていた従者達が桜と瑞樹の案内を行う。彼らに付いていけ、という事なのだろう。
「そして・・・そちらの君が、弥生か。勇者殿の想い人と言われる君か」
「照れくさい言われ方だけどね」
クリストフから畏まった言い方をされた弥生が、苦笑混じりにそれを認める。彼女は護衛では無く協力者である為、評定会に参加する事になっていた。
「娘が世話になった」
「いいんです。別に・・・良い作品に携われるのは、職人としても嬉しいですから」
「ほう・・・」
どうやら出来栄えの方は自信があるらしい。それをクリストフが見て取る。少々苦々しくあるが、それでも娘の作品が見れる、というのは彼としても嬉しい事だった。
「では、楽しみにさせてもらおう・・・ついてきなさい」
弥生の言葉に頷くと、クリストフが歩き始める。それにエリスも頷くと、三人が歩き始める。向かう先は待合室というかオーディオン家の応接間だ。
ここからは、桜達は協力者である弥生を除いて別室待機にさせられる事になっていた。そうして通された応接室には、すでにエレノアとエルドが待機していた。
「お久しぶりです、姉様。姉様の作品、楽しみにさせて頂きます」
「うん。楽しみにしておいて」
エレノアの言葉に、エリスが自信をにじませる。今回の作品は、素直に彼女の今までの最高傑作、という自負があった。依頼や試験云々は別にして、本当に満足出来た作品、と太鼓判を押す事の出来る作品に仕上がった、とはランカの言葉だ。叶うなら渡す事なく、ショーケースに飾っておきたい、とも言っていたので、それほどの出来栄えだったのだろう。
と、そうして応接室で休憩をしていると、応接室に一人の男性が入ってきた。場所を考えれば当然といえば当然だが、ハイ・エルフの男性だ。年の頃は見た目で言えば、まだ20代も中頃から後半、という所だろう。服装は貴族が着る服装だったが、何処か音楽家の様な風貌があった。
「クリストフ殿、エリス嬢。お久しぶりです」
「アマデウス様。お久しぶりです」
アマデウス。そう呼ばれたハイ・エルフの男性はエリスの言葉に柔和な笑みを浮かべる。少し神経質そうな顔立ちだったが、その笑顔は柔和だった。
ちなみに、彼の特化している分野は音楽だ。なので細工に関しては専門外なので彼が裁定を下すわけではないが、当主なので評定をされるエリスに挨拶に来た、という所である。
「申し訳ない、アマデウス殿。我が儘を言った」
「いえ、構いません。これが我らの仕事。公平で公正な評価を下す事を、当主アマデウスの名と風の大精霊様の名に誓いましょう。私は関わりませんが、採点者の紹介に参りました」
「お願いします」
「お願い致す」
アマデウスの宣言に、エリスとクリストフが頭を下げる。一応苦いものがあるとは言え、娘の才能を評価されるのだ。やはりクリストフにも少しだけ緊張があったのは、彼も人の親だから、なのだろう。そうして宣言を終えたアマデウスは、そこで弥生に顔を向ける。
「貴方が、弥生ですか?」
「ええ、そうよ。ご存知頂けて光栄ね」
「あはは。我々ハイ・エルフに物怖じしないお嬢さんだ・・・まあ、彼の初恋の人だ、と思えば納得も行く・・・ああ、私はアマデウス・オーディオン。以後、お見知り置きを」
「呼んで良いのですか?」
「ええ、貴方なら、構いません。実はカイト殿とは旧知の仲でして・・・若かりし頃には、彼らには世話になりました。その彼が忘れられぬ女性であれば、さぞ良い方なのでしょう」
「今でも十分、若いと思うのだけれど・・・じゃあ、ありがたく、アマデウスさん、と呼ばせてもらいます」
アマデウスの言葉を受けて、弥生がそうさせてもらう事にする。せっかく名前で呼んでも良い、と許可を受けたのだ。呼ばないのは損だろう。
「それに、私としても是非にお会いしてみたかった。英雄の初恋。さぞ、甘酸っぱい物だったのでしょう」
「そ、そう・・・」
何処か陶酔を滲ませながら断言したアマデウスに、弥生が少しだけ頬を引き攣らせる。どうやら芸術家にありがちな独特のセンスを持ち合わせているらしい。
「べ、別に語れる様な話は無いわよ? 普通に馬鹿な事やって、っていうだけだったし・・・」
「それが、良いのです。平凡な人生だった少年が、恋をして、愛を得て、涙を得て、栄光に至る・・・平凡な物語でこそ、彼の音楽には意味がある! 彼のこちらでの人生は波乱万丈。喩えるなら嵐の大海原を渡る航海・・・謂わばと付ける必要もなく、英雄譚! それにはファンファーレや壮大なオーケストラが似合う! オペラも最高だ! だが、それだけでは、無い! 彼の半生には普通の生き方があったはず、なのだ! それがあってはじめて、彼の音楽は完成する! ただただ壮大なだけの音楽ではあの『ヴェクサシオン』と変わらない! 始めはレヴール! そしてルグレ! 次はラピド! ラピド! ラピド! そして最後はグランディオーソ! リュード! フィナーレを!」
陶酔を越えて光悦に至って更には興奮したアマデウスが、一気にまくし立てる。何を言っているのか大半が意味不明だった。
ちなみに、『ヴェクサシオン』とは地球の音楽だ。とある音楽家が作曲した音楽なのだが、日本語に訳せば『嫌がらせ』を意味する。この時点で、どんな楽曲なのかは察しがつくだろう。
何故そんな曲を知っているのか、というと、彼のこの音楽への思い入れの深さを見れば、わかるだろう。彼は有り余る財力と人脈を使って、地球からなんとか音楽を手に入れられないか、と色々な伝手を使って偶然手に入れたのが、この『ヴェクサシオン』だったらしい。幸い楽曲についての解説書か何かがあったので、地球の音楽については誤解はされなかったのは、地球文明にとって幸いだっただろう。
「そ、そう・・・ま、まあ、今回はご挨拶に来ただけでしょうし、機会があれば、ということで・・・」
「是非、お願い致します! あぁ・・・彼の初恋とはどのような音だったのでしょう・・・」
「・・・失礼致します。こうなると長いので、こちらで・・・」
「え、ええ・・・」
陶酔に頬を染めるアマデウスを見て、彼専属の従者の一人が非常に申し訳なさそうに告げる。流石に今日初めて出会ったばかりの客人にこんな醜態を晒すのは些かいただけないだろう。そうして、陶酔したままのアマデウスを連れて、彼が去って行く。
「・・・ど、どうしたものかしらね・・・」
「アマデウス様はその・・・ああいう性格だから・・・良い音楽家ではあるんだけど。エルフの里で行われる『森の音楽会』でも審査員を務める程だから・・・」
どういう表情をしたものか、と悩みを見せた弥生に対して、エリスが小声で告げる。『森の音楽会』というのは、夏の前に桜達が参加した音楽会の事だ。詳しくは述べないが、もしここに桜達が居れば、今の態度ですぐに彼があの時の審査員だ、と気付いただろう。
「えーっと・・・それで結局、誰が審査員なの?」
「・・・あ」
弥生の問いかけに、全員が口を開く。彼はそれを伝えに来たのだ。だというのに、彼はカイトの初恋についてを想像しただけで、一気に興奮して我を見失ったのだ。本題も忘れ去られていた。と、そうして約10秒程の沈黙が流れると、再び扉が開いた。入ってきたのは、アマデウスだった。
「失礼致しました。悪い癖が出た様で・・・今回の審査官は5人。我が子マリアンネが主任を務める事になります」
「マリアンネ姉様が?」
「お分かりかと思いますが、知己とは言え加点を加える事はありません。減点を行う事も。他の者についても、同様です」
アマデウスがしっかりと、公平無私での採点を行う事を宣言する。まあ、この中に誰も疑う者は居ないが、一応は宣言をしておいた、というだけだ。なお、その採点者達が顔を見せないのは、採点に要らぬ影響を与えない為だ。
「では、失礼致します。これから1時間後に、評定会を行います」
最後に告げるべき事を告げたアマデウスは、今度はしっかりと貴族としての優雅な顔と一礼で、その場を後にする。そうして、ついにその一時間後に、評定会が始まるのだった。
お読み頂きありがとうございました。念のために言っておきますが、アマデウスが以上なだけでハイ・エルフ全体がおかしいわけではないです。
次回予告:第664話『評定』




