第660話 同じ初恋
ソラが悩みに一区切りを付ける事が出来ていた頃。エリスもまた、デッサンに一区切り付ける事が出来ていた。というわけで、一度弥生に対して、意見を求める事にする。
弥生は魅衣と共にカイトへの連絡を終えると買い物――急いで用意した為、足りない物やなかった物があった為――に出て行っていて、すでに宿に戻っていた。なので、エリスは図書館に居た桜やティーネ達を護衛にして、宿に戻る事にする。
「こういう風にしたんだけど・・・どう思う?」
「ちょっとだけ、見せてもらうわね・・・」
敢えて何も語らずに意見を求めたエリスの提案を受けて、弥生はスケッチブックに書かれたデザイン案をしっかりと確認する事にする。
「土台の素材は魔法銀・・・使う宝石はトパーズとエメラルド・・・」
少し乱雑に書かれたメモを見て、弥生が素材についてを把握する。当たり前だが、彼女はデザインをしても実際に細工をするわけではない。アクセサリー作りは共同作業だ。
なので当然、意見を出し合って、一つの作品を完成させる事になる。あくまでも意見を求める、という範囲に限るが、意見を求めることそのものは試験でも許可されていた。
とは言え、無制限に意見を求めても問題だろう。カイト達抜群のセンスを持つ者達まで関われてしまう。なので意見を求められるのは、カイト達を除いたマクスウェル在住の一人だけ、と決められていた。そしてエリスはそれに弥生を指名したのであった。
「ふむ・・・これは・・・あ、もしかして・・・考えたわね・・・」
一見すると奇抜にも思えたデザインだったが、弥生はその意味する所に気付いて、思わず納得の笑みを浮かべる。これは芸術作品と呼んで相応しいデザインだったらしい。
「でも、そういう事なら、少し一手間加えた方が良いわね。ランカちゃんは確か土台の細工が出来たわよね?」
「うん」
「じゃあ・・・というのはどう?」
「一応、出来るけど・・・どうして?」
弥生から言われた細工に、エリスが首を傾げる。出来るかどうか、と言われれば、簡単に出来る。それこそ細工の基礎の技術を少し応用するだけだ。だが、それをする意味が、彼女には理解出来なかった。
「簡単よ・・・」
「うん・・・それは経験あるけど・・・ふんふん・・・え?・・・あ・・・なるほど・・・」
こしょこしょこしょ、と更に小声で耳打ちされたエリスが、弥生が意図する所を把握して、納得する。これは衣服のコーディネートを行う弥生だからこそ、見えた事だった。
「うん。わかった・・・少し待って。今、デザインを少し改良するから」
「そう。頑張ってね」
机に向かうや否や再び浮かんだイメージを作り上げる為に、エリスはデザイン案を描き始める。そうしてそれを見て、桜達が思わず、息を呑んだ。
「凄いですわね・・・」
「ものすごい集中力ですね・・・あれぐらいあれば、魔糸の製作も出来るのかも・・・」
「魔糸? ああ、桜もあれの訓練やってるんだ・・・あれ、難しい?」
「あ、あはは・・・」
ティーネの問いかけに、桜はただただ苦笑を返す。が、それが答えだ。そしてこの答えを見る限り、今の桜はまだ、魔糸をきちんと作れる段階では無い様子だった。と、そんな桜に対して、ティーネが少しだけ、お姉さんぶる。
「じゃあ、アドバイスを一つ。自意識をしっかりと持ちなさい」
「はい?」
「私達エルフは魔糸を作るのに長けているんだけど・・・この魔糸を作るのに長けた種族には、一つの共通点があるの」
ティーネはなんの補助具も無しに指の先から魔糸を作り上げながら、桜へのアドバイスを始める。
「それは、大精霊様の眷族だ、という事よ。エルフを森の精霊、と言う言い方があるんだけど、私達や妖精達は森の声を聞く事が出来る。それは私達が森と繋がっているからなの。でもそれは、私達の自意識が森の中に溶けていく危険性も孕んでいるわけ。そうならない為には、世界と繋がりながら、自意識を確立させる必要があるの。それは種族としての必須スキル。だから、世界の中に魔力を溶かしても、魔力を固形化させる事が出来るわけなのよ」
魔力とは、意思の力。常々に言われている事だ。だがそれ故に、自らの魔力は自ら遠くなれば、世界の魔力の中に溶けてしまう。そしてそうなれば、大海に垂らした一滴の水と同じだ。自らと世界の区別はできなくなる。一瞬で、意識は消え去る事になるだろう。
「世界を感じながら、自らの意思を研ぎ澄ましなさい。イメージするのは、一本の線。糸の先まで全部が自分。糸にほつれが現れるのは、自意識が拡散しているということ。その拡散を止めたければ、糸の先まで自分だ、と認識しなさい」
「ありがとうございます」
ティーネからのアドバイスを胸に刻んで、桜が礼を言う。思いもよらない所から出たアドバイスだが、柔らかくしようとすると未だにほつれがどうにもならない桜にとっては、何よりも有り難いアドバイスだった。と、そうして話していたら、こちらをエリスが見ていた事に気付いた。
「あ・・・ごめんなさい・・・」
「ううん・・・そっか。その手があった・・・」
どうやら五月蝿い、等の文句の意味で睨まれていたとかでは無く、ティーネの話に何か引っかかる物があって、という事らしい。エリスはそういうや否や、即座に今までのデザイン案を削除して、別のデザインを開始する。
「何処かティナちゃんに似てる・・・」
「あはは・・・」
一心不乱にデザインを行うエリスの後ろ姿に、魅衣がティナの姿を幻視する。どうやらそれは彼女だけではなかったらしく、他からも苦笑が上がっていた。とは言え、これは弥生は別意見だったらしい。
「そう? ティナちゃんの場合、なんか変な笑い声とか上げてる時あるわよ?」
「あー・・・」
弥生の言葉に、それも有り得そうだ、と一同も納得する。ちなみに、これは印象に残っている場面の差だ。弥生の場合、見ているのはティナの趣味の開発だ。となれば、ティナの事。やりたい放題やりたい事を詰め込みまくるので、当然楽しくなってきて笑い声を上げるのである。
それに対して桜達はティナの仕事としての開発の場面が大半だ。こちらは流石に楽しい、という事よりも、実用性や目的に合致した事になり、そこまでの面白さは無い。傍から見れば真剣に打ち込んでいる様に見えたのであった。とは言え、そんな小声でのやり取りの傍らも、エリスのデザイン案は進んでいた。
「えっと・・・ブローチから少しサイズアップするから・・・ここは少し簡略化した方が・・・ううん。ランカなら、このぐらいは出来る・・・このままにして・・・逆にここはもう少し繊細に出来るから、ラインを増やす事にして・・・」
自らの相棒を信じ、自らの出せるアイデアを全て記載していく。作る物は、今出せる限界だ。妥協はしない。
「・・・何処かに風の意匠と土の意匠を・・・あ・・・そっか。さっきのあの弥生のアイデアを組み込んで・・・えっと・・・」
エリスは自らが持って来た荷物の中から、風の意匠と土の意匠の基礎となるデザインを書き記した書物を探し始める。そうして見つけるや否や、即座にそれを独自に改良して、アクセサリーの中に込める事にする。ちなみに、今作るアクセサリーは少し大きめのペンダントだった。
「・・・ううん。こうすると、今度は逆にダメになるから・・・あ・・・そっか・・・木の葉は風で飛ぶだけじゃなくて、落ちる事もあるから・・・」
無数のアイデアを出しては、その中から最良なアイデアをエリスは探していく。デザインのモチーフは、世界樹だ。それを使って、ハイ・エルフの採点者達を唸らせる一品を作るつもりだった。
「あ・・・ねえ、弥生。さっきの話だけど、別にあれだけじゃ無いのよね?」
「ええ、そうね。他にも色々な色で可能よ」
「そっか・・・じゃあ・・・」
時に弥生に意見を求めながらも、エリスはデザイン案の作成を進めていく。そうして、日がとっぷりと落ちた頃。何枚もの紙を無駄にした後、第一弾となるデザイン案が完成したらしい。
「こういうの、どう?」
「そうねぇ・・・」
流石にこのまま居ても邪魔になるだけだろう、と外に出た桜達に対して、唯一残っていた弥生がようやく出来上がったデザイン案を見る。それは最初の物よりも、遥かに良いデザインだった。少なくとも、弥生には文句の出しようがない程だった。
「・・・うん。良いわね」
「そっか・・・あ」
一安心、とため息を吐いたエリスだが、その次の瞬間に鳴り響いた腹の音に、思わず赤面する。そんなエリスに対して、弥生は苦笑気味に、教えて上げた。
「しょうがないわよ。だって、ほら」
「・・・あれ?」
いつの間にやら降りていた夜の帳に、エリスが首を傾げる。彼女がここに来た時には、まだ昼日中だった。だというのに、気付いてみれば双子月が中空に浮かんでいたのだ。驚くのも、無理はなかった。
「それだけ集中していた、っていう証拠よ。とは言え、気付いちゃったら、これ以上の作業は身に入らないわね。とりあえず、お夕飯にしましょ?」
「うん・・・えっと、皆は?」
「私が言って、先に食べてもらっておいたわ」
「ありがとう」
もしかして迷惑を掛けたのでは、と一瞬不安になったエリスだが、そこらも弥生がしっかりと対処してくれていたようだ。なのでエリスは感謝と今まで付き合ってくれた二つの意味を込めて、弥生に頭を下げる。そんなエリスに対して、弥生は苦笑する。
「良いのよ。同じ人を初恋にしたよしみ、という所かしら」
「え?」
「あら・・・言ってなかったかしら・・・私、向こうでの幼馴染なの」
「あ・・・」
どうやら、エリスも弥生の話ぐらいは聞いたことがあったらしい。弥生がその幼馴染で、カイトが最も大切に思っていた女性の一人だ、とすぐに理解出来たようだ。と、そんなエリスの表情を見て、弥生が笑う。
「ふふ・・・変な気分ねぇ・・・自分が来たこともない異世界でそれなりに有名だ、なんて」
「そうなの?」
「カイトはこっちで有名になったけど、私は来たことも聞いたこともなかったもの。カイトが語ってくれなかったのよね」
付き合うにあたって、カイトは弥生に対して一つの条件を申し出た。それは、自分に何があったのか、という事を問わない、という事だった。それが異世界の存在を知らせて、下手に危険に関わらせない様にする為の精一杯の妥協だったのだ。
もう異族達と関わっているのだから一緒だろう、とも思ったが、エネフィアには更に危険が多いのだ。せめてもの抵抗だったし、血みどろになった自分を知られたくない、という彼の我が儘でもあった。
当然、弥生だって知りたかった。だが、カイトの顔を見て、やめた。あまりに辛そうだったからだ。逆浦島太郎と言うべきだろう。異世界で勇者と成り果てた男の苦悩は、それほどまでに深い物だったのである。
「だから逆に、少し羨ましくもあるわ・・・貴方達は、私の事、地球での事を語って貰えてたんだから」
「でも、貴方は私達が絶対に見れないカイトさんを見ている」
「そうね。それだけは、私の特権。だから、許せるの」
「そう・・・」
少しの羨望を滲ませながら、エリスが頷く。だからこそ、弥生は全てを許せていた。彼女だけは、カイト少年を把握している。異世界に染まっていない本当の地球人としてのカイトを、だ。
それを知るのは、彼女だけ、だった。そしてその唯一の特権は、もはや誰も手に入れる事は出来ない。他の全員が、異世界と交わったカイトしか、見たことがない。だからこそ、その思い出を語り合えるのは、唯一、彼女だけなのだ。
「貴方も、ここに来る?」
「頑張る」
「そう。じゃあ、頑張りなさい」
同じ人に初恋を抱いた身として、弥生は小さくて、実は年上のライバルに対して、激励を送る。こうして、小さな少女は改めて色々な一歩を踏み出して、宿屋に併設されたお食事処へと、向かっていくのだった。
お読み頂きありがとうございました。所々でしっかり締めていくのが、弥生です。
次回予告:第661話『閑話』




