第642話 迷いの森
竜を捕縛してから、更に数日。その頃には草原も終わり、幾つかの荒野や森を越えて、目的としている『迷いの森』にやって来ていた。
「さて・・・まあ、入る前に色々と気をつける事がある」
森の前に立って、旭姫が一同に告げる。ここから先は、鬱蒼と木々が生い茂る森だ。しかも名前は『迷いの森』だ。油断大敵であった。
「この先の森で、3日間お前達には過ごしてもらうわけだけど・・・気をつけるべきはまずは一つ。妖精に絶対に安易についていかない事」
「ひどい・・・」
「ほぅ・・・」
さめざめと涙を流すふりをしたユリィだが、カイトがむんず、と彼女を引っ掴んで睨みつける。
「お前、ここの妖精達と組んでオレにいたずらしなかったかなー、ユリィちゃん? しかもそろそろ二桁も後半に差し掛からないかなー?」
「ぴゅ~♪」
ぶん、とそっぽを向いて、ユリィは口笛を吹き始める。なんら言い訳も出来ない。カイトが入る度にユリィと共にいたずらをしかけてくるのが、ここの妖精達だ。まあ、すでにカイトもいたずらについては見切っているので、挨拶代わりにしかならないのだが。
「今回、致し方がなしにお前通したが・・・というわけで、逆にいたずらは満載だろう。絶対。確実に。落とし穴は普通だろ」
「だ、大丈夫だよ、多分・・・そんなやばいのは、うん、無い・・・うん、無いと思う・・・無いと良いなぁ・・・」
段々と落ちていくトーンには、ユリィ自身同族の行動には自信が無かった。今回は事情を説明して仕掛けない様に、と族長に頼んではいる。なのでカイト対策の悪辣な物はないだろう、とは思う。
だが、いたずらはダメでも挨拶程度なら良いよね、と言うのが、妖精達だ。その線引は彼ら以外には不明だ。何かがあるらしいのだが、傍から見ればいたずらにしか見えない。
「まあ、そういうわけで、絶対に落とし穴とかはある。他にも子供の笑い声とか涙声とか聞こえても気にしない事」
「は? こ、子供の声、ですか?」
「薄暗い雰囲気出てきたら、要注意な」
「か、帰りたい・・・」
薄暗い森の中で子供の笑い声や泣き声なぞ誰も聞きたくはない。ファンタジーからホラー真っ逆さまだ。というわけで、剣道部の中でもホラーが苦手な部員が思わず帰りたくなっていた。まあ、そう言ってもここからは逃げられない。なので、一同は諦めて、森の中に入っていくのだった。
そんな森の入り口から、約2時間。慣れたカイトとユリィ、更にはカイトの面子があるので流石に手出し厳禁にされていた旭姫を除いて、ある意味ボロボロだった。
全体的に森に生えている木の実がフードのポケットの中に入っていたり、髪の毛にはオナモミの実がくっついていたり、と散々だった。原因は言うまでもなく、妖精達のいたずらだ。案の定、挨拶代わりと言わんばかりのいたずらが仕掛けられていた。
「ひゃあ!」
『クスクスクス』
『キャッキャ』
『あはははは』
「うふふふふ」
『わはははは』
思わず屈んだ暦ら女子生徒達を見て、薄暗い闇の中に、妖精たちの笑い声が響く。まあ、これは確実にいたずらに引っかかりまくる彼らを笑っている声だ。と、そんな中、一つ見知った声が混じっていた事に、カイトは気付いていた。
「混ざるな混ざるな」
「ふふふ・・・ひゃ。うー・・・」
笑い声に自分の笑い声を混ぜ込んでいたユリィだが、カイトに引っ掴まれて注意されて不満気に口を尖らせる。なにげに周囲の声と同じようにエコーを掛けていた。
と、そんなカイトに対して、暦が問いかける。かれこれ一時間ほど歩いていたが、まだ到着しないのである。そろそろ不思議に感じても可怪しくない頃だった。
「せ、先輩・・・まだ着かないんですか・・・?」
「ん? んー・・・まあ、もうちっと着かない気がする」
「き、気がするって・・・」
無責任な、とビクビクと怯える暦は思う。が、これは致し方がない。実はカイトは今、地図等を見て歩いているわけではない。ある案内人にしたがって、歩いているのである。
「とりあえず野営地まで案内してもらいたいんだけどなー・・・おーい! そろそろ野営地の方行ってくれー!」
『えー・・・もうちょっと遊ぼー』
『まだ遊び足りないよー』
「ひゃあ!?」
闇の中から響いてきた声に、暦達が再び身を屈めて怯える。ちなみに、どうやらこんな状況は予想外だったらしく、武蔵の弟弟子達の中の一部もここまで怯える事こそ無かったが、しっぽ等の毛が逆立っていた。
彼らは通常浮遊都市レインガルドに暮らしているので、外に出る事が無くこんな事になるとは、と予想外だったらしい。妖精のいたずらはどうやら今日も今日とて絶好調、の様子だった。
「やれやれ・・・遊ぶなら後で遊んでやる! だから一度連れてってくれ! そろそろ荷物を置きたいって!」
『しょうが無いなー。君の頼みだから、聞いてあげる』
カイトの言葉を聞いて、どうやら思い直してくれたらしい。カイトの事を昔から知る妖精だったらしい。カイトの言葉なので、と聞いてくれたようだ。
そうして、森の一部がいきなり割れた。割れた、というのは何ら比喩でもなんでもない。まさにそう言うしか無いぐらいに、木々がメキメキという音を立てて、移動したのである。
「は?」
「ああ、やっと開けた・・・この先が、野営地だ。今までずっと同じ場所を歩いてたんだ」
「へ?」
「トラップ。殆ど同じだろ? ぐるぐると回ってる間に、ネタを変えたり補充されてただけだ。暗転はそこら隠す為のいわば幕間という所かな」
唖然となる一同に向けて、カイトが笑いながらネタばらしを行う。ここらが、『迷いの森』と言われる所以だった。もし彼ら妖精達に認められなければ、永遠にこの森で迷う事になるのであった。
「さて・・・おい、椿。道が開いた。入れてやってくれ」
『かしこまりました』
カイトからの通信を受けて、森の外で待機していた椿が地竜を移動させ始める。森の中を歩くという事で地竜を置いてきぼりにしていたのだが、実はこれは暦達に吐いた嘘だった。
通れなかったのは事実だが、野営地に案内されるまでは道が出来ないので、置いて来ただけであった。そうして、数分後。椿がカイト達に合流する。
「もー・・・人が悪いですよ、先輩・・・」
「妖精たちの挨拶には、慣れてもらわないとな。これから数日は頻繁に来るだろうからな」
暦の不満に、カイトが笑う。敢えて言うまでもなく、ここは妖精たちの棲家だ。訓練では彼らにも密かに協力してもらうつもりなので、その対価と言う所か、確実にいたずらもされることになる。それを考えて、慣れる為にも何も言わなかったのであった。
「うぅ・・・」
とは言え、どうやら妖精達のいたずらはよく効いたようだ。全員がビクビクおどおどという様な感じだった。そうして、暫くの間一同は現れた道にしたがって、歩いて行く。すると、10分ほど歩いた所に、少し広めの開けた場所に出れた。
『はーい、とうちゃーく』
「サンキュー」
『じゃあ、また後でねー』
『ばいばーい』
『じゃねー』
カイトの言葉を聞いて、妖精達が去って行く。野営地でまでいたずらをするつもりは無いらしい。まあ、今のところは、という所だろう。そうして、カイトとユリィ、旭姫が楽しげに少しの間ひらひらと手を振る。この三人は被害が無かったので、妖精たちと戯れた印象しか無かった。
「よし・・・じゃあ、野営準備をここで整えるか」
「基本的にここではいたずらされない、と思って良いから、妖精たちが来ても仲良くな」
「じゃあ、私ちょっと昔なじみ達と遊んでくるねー」
カイトと旭姫が一同に対して野営準備を整えさせ始める傍ら、どうやらいたずら妖精の中に昔なじみを見つけたらしいユリィが飛び去っていく。
彼女は元来ここの更に奥にある『ミストレア大滝』の生まれだ。迷い子なのでそこで育ったわけではないのでそこまで愛着は無いが、それでも生まれ故郷だ。それ故それなりに顔は出す様にしており、知り合いも馴染みも居たのであった。
「よし、じゃあ次のいたずらが仕掛けられる前に、さっさと野営用意を終わらせちまうぞ。ここで、三日間野宿だ。色々と用意が必要だから、急ぐぞ」
「ああ」
カイトの指示で、剣道部の部員達も一斉に用意を始める。ちなみに、椿は完璧に出来るので彼女には手助けをさせない事にしている。ということで、彼女は何時も通り、カイトほ補佐だった。そうして、全員揃って野営の準備を行う事にするのだった。
野営準備が整うと同時。そこからは、修行の時間だ。とは言え、実はこの森には魔物は特定の場所を除いて、発生しない。妖精という種族が生まれる場所は大精霊の力が満ち溢れたかなり清浄な空間で、魔物が最も嫌う空間なのである。なので魔物は特定の場所でしか、生まれないのだ。つまり、そこまで行かなければならないのであった。
「うぅ・・・またこれ・・・」
『ひっぐ。えっぐ・・・』
『えーん!』
『びゃー!』
暦が涙ながらに、周囲に響く子供の泣き声に身を震わせる。これが喩え妖精の物だ、とわかっていても、やはり薄暗い森の中では怖いのである。
しかも妖精達は本能的にどのタイミングでやれば良いのか、というのが分かっているらしい。絶妙なタイミングで、泣き声や笑い声を入れてきていた。余計に怖かった。
というわけで、暦は今、必死でカイトの裾を掴んでいた。後に聞いた話だが、どうやら暦は幽霊やお化け屋敷が大層苦手らしい。そんな暦に苦笑しつつも、カイトは彼女に言葉を掛ける。
「まあ、そろそろ終わるから、安心しろって」
「ほ、ホントですか・・・?」
「子供の妖精たちは弱いからな。魔物の棲家には決して近寄らない・・・近寄るなよ?」
『わかってるよー。だって近寄ると怒るもん』
森の奥を睨んだカイトの言葉に、妖精達が少しだけ口を尖らせる。どうやら今来ているのは比較的年若い妖精達らしい。実は行ってみたい、という雰囲気が滲んでいた。
「ダメだ。知ってるだろ? あそこは危険なんだよ」
『うー・・・』
一応、この年若い妖精達もわかってはいるらしい。不満気ではあったが、駄々をこねる事はなかった。こちらも本能的にカイトの言葉に嘘が無い事を把握して、更には危険である事を本能的に悟っているが故に、だろう。そんな不満気な妖精達だが、ある所までたどり着くと、カイト達に声を掛けた。
『じゃあ、ここから先が、魔物の出る領域だよ。気を付けてね』
「ああ、サンキュ・・・あ、そうだ・・・ちょいちょい」
「なーにー?」
カイトが手招きしたのを受けて、妖精が数人木々の影から現れる。カイトの顔に少し良い物を感じ取ったらしく、姿を初めて表してくれたのであった。
「わー・・・かわいー。ほんとに物語の中から出てきたみたい・・・」
女子生徒達がうっとりと妖精の姿に見惚れてしまう。現れた妖精達は男の子も女の子も居たが、全員愛らしい容姿と幻想的な衣服を身に纏っていた。と、そんな少女達を他所に、カイトがひそひそと妖精達に小声で話をする。
「オレの野営地に行ったら、メイド服を着た女の子に何時もの、って言ってみ?」
「どうして?」
「良い物くれるから」
「なにそれー?」
「何時ものは何時ものだよ、行こ。ありがとねー」
どうやらカイトを知っている少女が居たらしく、何時もの、で通じたようだ。なのでそれを聞くと、笑顔で他の妖精達の手を引いて飛び去っていった。
ちなみに、何時もの、とはお菓子だ。カイトは天真爛漫な妖精達の為にいつも持って来ていたのである。なお、その所為か一部の妖精にはカイトのことは『勇者』では無く『お菓子の人』と認識されていたりする。
「あ・・・行っちゃった・・・」
「ユリィちゃんだけじゃないんだ、可愛いの・・・」
「早めに帰れれば、野営地で待っててくれるかもよ?」
「よーし!」
カイトの言葉に、女子生徒達を中心にやる気を見せる。妖精達の声に踊らされていたというのに、その姿を見るなりなんとも現金な物だった。
「さて・・・じゃあ、やるべき事を説明する。えーっと・・・」
カイトは一応旭姫から与えられた指示をするために、彼女から与えられた巻物を開いて一同に提示する。
「ここから全員で食料を決められた分回収して、野営地まで戻ってくること」
「・・・それだけか?」
「それだけ」
「簡単じゃないか・・・?」
旭姫の訓練にしては簡単に思えた訓練に、藤堂が首を傾げる。この場の魔物はランクCの下位程度の実力がせいぜいで、そこまで強くはないと聞いている。全員で共同して事にあたる様に、と言い含められていたので、なおさらに簡単に映ったのであった。
「藤堂先輩、ちょい、油断です」
「は?」
カイトから右肩を指さされて、藤堂やその他の面々がそちらを窺い見る。
「やほ。ユリィ・・・君たちに分かる様に言えばユリシア学園長からおじゃまする様に言われたから、お手伝いに来たよ」
「うわぁ!?」
そこに居たのは、一人の妖精だった。性別はおそらく男の子だ。まあ、実は彼の年齢を考えると男の子では無く成人男性というべきなのだが、見た目はどう見ても子供だった。それが、藤堂の肩の上に座っていたのである。
「い、何時の間に・・・? と言うか、妖精は入っちゃダメだったんじゃ・・・」
「ガキの妖精共は、ですよ。入っちゃダメなのは。大人の妖精はこうやって普通に入ってきます・・・と言うか、魔物の駆除やらないとダメですからね。妖精にも戦士がいます。彼もその一人、というわけです」
「そういうこと。こう見えても700歳だよ? それなりに、戦った事もあるからね。君達よりも僕は強いよ」
「な、700歳・・・?」
意外どころか思い切り年を取っていた妖精の言葉に、一同が目を丸くする。子供そのものなのに、どうやらこれで大人らしい。まあ、年老いた妖精なぞ夢が壊れるので、一同としても微妙な所だったが。
「また古株が来たな・・・」
「にしし」
呆れた様なカイトの言葉に、妖精が笑う。それは何処からどう見ても子供にしか見えなかった。ちなみに、二人は知り合いだった。だから来たわけである。
「まあ、そういうわけで。僕らは君達が木の実を集めるのを邪魔する。君たちは僕らの妨害と魔物の襲撃を対処しつつ、ご飯を集めるんだ。タイム・リミットは毎日17時まで。日が落ちた森は危険だからね。魔物の襲撃中には妨害しない事は一応明言させてもらっておくよ。一応やばい時には援護する事もね。あ、もう一つ一応言っておくけど、取り過ぎない様に一部の木の実は魔術で隠させてもらってるよ」
妖精が改めて注意事項を説明する。この訓練ではただ単に素早い敵と戦うだけではない。気配を隠して近づく事が得意な敵に如何に対処するのか、という第六感的な力も試される物だったのである。そうして、妖精達と共に、訓練が開始されたのであった。
お読み頂きありがとうございました。




