第626話 再会は今だ成らず
拐われた者達の救助を終えて、カイト達は外に停泊した飛空艇に乗り込む事にする。そこで暫く、カイトが開放した魔力がきちんと散るのを待っていると、飛空艇の中に誂えられた医務室のベッドに乗せられたナナミが、目を覚ました。
「あ・・・」
「よ・・・大丈夫か?」
「うん・・・ごめんね、迷惑かけちゃって」
「良いって・・・あ、ここマクダウェル家の飛空艇の医務室な。迎えに来てくれたんだって」
泣いている所を見られてかなり照れくさそうなナナミの言葉に、ソラは微笑んで首を振って、更に天井を指して告げる。一応今が何処かを知らせておいた方が安心出来るだろう、という配慮、だった。
「拐われた人達は、全員とりあえず、医務室に来てる。まだ何人か外に居るけど、船に乗せていいかの検査待ちだって。何されてるかわかんないからな。で、ナナミさんは検査終わったから、ってわけだ」
「あ・・・運んでくれたの?」
「ああ」
「ありがとう・・・あ・・・桜さんは居る?」
ソラに礼を述べて、ナナミは彼女に励まされた事を思い出して、お礼を言っておこう、と思ったらしい。ソラに尋ねると彼は頷いて、少し周囲を見渡す。常に日向が一緒で問題が無い事を確認している桜とキリエも医務室で簡易でも良いから検査を受けてくれ、とカイトに頼まれていたのである。
「桜ちゃん、ちょっと」
「はい」
「あ・・・あの、あそこではありがとうございました」
「いえ、いいですよ。私達の方こそ、実はあの時点で安全だった、と伝えられなくてごめんなさい」
お礼を言ったナナミに対して、桜が申し訳なさそうに頭を下げた。あそこは敵の陣中だ。見張りこそ外にしか居なかったが、バレる可能性は高い。告げられなかったのは致し方がなし、だろう。
「ううん。しょうがない、だろうから・・・」
「そう言ってもらえると・・・」
「うん・・・あ。そういえば、白い服の女の子は見なかった? あの子にも励まして貰ったんだけど・・・」
「え?」
ナナミの言葉に、桜が目を見開く。彼女は一応、すべての拐われた女性達を見ている。だが、白い服の女の子というのは知らない。と言うより、あの場には黒い服しか居ないはずだ。あそこは少し変わっては居るが牢獄で、桜達が着せられていたのは囚人服だ。外の看守達が揃いの黒か紅のローブを身に纏っていた以上、白色は存在していないはずだった。
訝しんだ二人は幻影か何かでは無いか、と思ったのだが、更に突っ込んで聞いてみると、どうにもそうでは無い様だ、と判断する。そうして思ったのは、2つの想定だ。一つは、潜り込んだ冒険者。もう一つは、所謂、幽霊の類だった。
「・・・カイトに言っておく、か」
「その方が良さそう、ですね」
「あ・・・じゃあ、私も行くよ。詳細を知っているのが、私、だから・・・」
拐われていた女の子――もしくはそれを助けに来た者――の中に、まだ二人が知らない者が居るのだ。何か要らぬ疑いを掛けられる前に伝えておいた方が良いだろう、と判断したのである。
というわけで、三人――ナナミは寝ている様に言ったが、譲らなかった――は一度医務室を後にして、飛空艇の甲板で待機しているカイトの所に向かう事にして、事情を説明する。
「白いゴスロリ服の服の女の子?・・・可怪しいな・・・そんなのは見てないが・・・聞いてみるか・・・こちらカイト。白い服の女の子は見なかったか?・・・ああ・・・ああ・・・分かった。残留する奴らは、なるべく念入りに捜索してくれ。もしかしたら、この件を独自に調査してた冒険者かもしれんが、な」
カイトは通信機でまだ残って残務処理しているコフル達に聞いてみたのだが、どうやら教団の信徒達の中にも、白い服の者は居ないらしい。
騒動にまぎれてどこかに逃げ込んだ可能性もある為、カイトは念の為、捜索を命じておく事にした。そうして浮かぶのは、笑みだ。白いゴシックロリータなぞ、月の女神かと思ったのだ。そうして、ナナミの方を向いて、少し照れくさそうに笑って頷く。
「一応、捜索は頼んだ。まだ居るなら、早く家族や仲間の元に連れて行ってあげたいからな」
「お願いします」
「いや、オレじゃ無いから・・・」
「ねえ、カイト・・・あれ・・・」
「は?・・・っ!?」
ナナミに頭を下げられて苦笑したカイトだが、そこで、ユリィに声を掛けられて気付く。遺跡の上に、一つの人影が浮かび上がっていたのだ。
それは当然だが、甲板に出ていた全員――ソラ達だけでなく、念の為に出ていたティナやストラ達公爵家の面々や、翔達冒険部の面々も含めた全員――が、気付いた。そしてそれはナナミも一緒だった。そうして、彼女の目が見開かれる。
「あ・・・あの子です」
「え?」
浮かび上がったのは、確かに白いゴスロリ服の女の子だ。それは半透明である事を除けば、まさにナナミが見たままの少女だった。それに、ソラがある想定を確信して、思わず顔を真っ青にして問い掛けた。
「な、なあ、おい・・・ティナちゃん・・・これってまさか・・・」
「3階奥の間から連れ去られ、地下の祭壇で殺された少女の幽霊か? それは・・・否定しよう。単なる幻影、じゃろうが・・・誰じゃ、これは・・・?」
「そっか、良かった・・・」
ティナからの答えに、ソラもその他同じ考えに至っていた面々がほっと安堵の溜息を漏らした。この状況で考えられる可能性とすれば、それぐらいだった。
だが、専門家から否定してもらえれば、幽霊の正体見たり枯れ尾花、だ。恐怖は無い。とは言え、依然これが誰なのか、という疑問は残った。そうして、ソラが横のカイトを見ると、やはり彼は目に涙を湛えた泣きそうな顔で、少女を見ていた。
「・・・っ!」
伸ばそうとしていた右手に気付いて、カイトは首を振って右手を握りしめる。そんなカイトの行動と、そして肩の上で涙を流すユリィの姿に、ティナが少女の正体に勘付いた。カイト達は隠していたが、彼女がカイトの隠している少女の事に勘付いていないはずが無かった。
「なるほどのう・・・アルルの女がようやく、姿を現したわけか」
「アルルの女・・・? じゃあ、彼女が・・・?」
納得したような、それで居て少しだけ嫉妬を滲ませたティナの言葉に、桜が驚いた様に浮かび上がった半透明の少女の姿を見る。かつて、ユリィから一度だけ、聞いた事のある少女にして、月の女神。それが、浮かび上がった少女の正体、いや、その幻だった。
そうして、ティナがカイトに問いかける。それは二人の十数年の付き合いの中で、彼の傷に触れるから、と今まで只の一度も問い掛けなかった問いかけだった。
「・・・あれが、お主のはじめての恋人じゃな?」
「色々と語弊はあるのだろうが・・・その姿というなら、そうだ・・・おそらく、オレの神器とこの場に蓄積されていた魔力が反応して、そして更に屋上に刻まれた魔法陣が幻影を浮かび上がらせたんだろうな・・・」
カイトは涙を堪えて恋人の変わらぬ姿を見つめながら、ティナの問いかけに推測を合わせて答える。これは復活の予兆でもなんでもない。カイトとユリィにとっては、失った物の痛みを疼かせるだけの幻影だった。そうして、彼らはゆっくりと、過去を語り始める。
「あいつは黒色が嫌いだった。赤色も、だ。白色を好んで着ていた・・・嘘みたいだろ? 教義じゃあ、信徒は黒か赤のローブを纏うこと、とあるのにな・・・オレが白いロングコートを着るのは、それ故だ。信徒の証ってことさ・・・オレは真実を知っているんだぞ、という僅かな優越感に浸った、な」
「黒は暗い闇の色だから嫌い。赤は流れる血の色だから嫌い・・・それがシャルの口癖だった。彼女が、カイトを立ち直らせたの・・・あの最悪の時代に・・・」
二人は遠く、自らの半生よりも更に昔を思い出す様に告げる。彼女は一番最悪の最底辺、と地獄を旅した二人をして言える時代に出会った少女だ。そうして、それをカイトも肯定して、言葉を引き継いだ。それは近くにいる桜や他の家族達にも語るようにだった。
「あの時代・・・オレは本当に死んでも良い、って思って戦っていた・・・いや、死にたい、と思っていた。本当に馬鹿な戦いばっか繰り返した・・・今思えば、よく五体満足だったもんだ。それをひっぱたいてくれたのがあいつ、だった・・・」
「出会ったのは・・・何処、だったっけ・・・何処かの少し大きな街の冒険者ユニオンの支部だったかな。そこで、彼女はひとりぼっちだった。色々とあって、私達はコンビを組んだ。ちょっと強い魔物で、力を追い求めるだけだったカイトは死にたい様に、それに挑もうとしていた・・・だから、私がお願いしたの・・・今思えば、彼女もカイトと同じ匂いを出していたから、だったんだと思う。寂しさを押し隠した、孤独に泣いている雰囲気、かな・・・」
死ぬ事におびえているくせに、死にたがりの傷の舐め合い。二人の事を知るその支部の冒険者達が、カイトとシャルロットを揶揄した言葉だ。そして、それが正解だ。まるで流れる血を舐め合う様に、三人はそれから一緒に旅を始める事になる。
「オレ達はお互いに、死に場所を求めていた・・・ただ一人生き残らされたと勘違いして・・・目の前で大切だった人達を為す術もなく奪われて・・・恨みに生きるしか無くなった・・・あいつはそんな事がありふれた世界に絶望して・・・オレ達は、あの時代。等しく、生きるつもりがなかった」
カイトは薄く苦笑する。あの当時ほど、カイトが死を纏っていた時代は無い。そして、あの少女は月の女神にして、死神だ。その出会いは必然、だったのだろう。
まさに、死に魅入られた。誰よりも死にたがっていたが故に、カイトは知らず、そして少女さえも知らず、死に魅入られたのである。そうして、苦笑したカイトは気付けば辛そうな顔をしていたティナに、問いかける。
「・・・なんでお前がつらそうな顔すんだよ」
「・・・聞くか?」
「お前の責任じゃない・・・あの時代、あの程度の絶望はありふれた事だった。生き延びてただけ、御の字だ。それを受け止めきれなかったガキが、弱かっただけだ」
ティナが辛いのは、その絶望をありふれた物にしたのが、彼女の義弟なればこそだ。そして、そんな義弟の暴挙を止められなかったという自責の念は今でも絶えない。
その犠牲者を改めて直視させられれば、優しい彼女が辛いのは当然だった。カイトはそんなティナをそっと撫でると、そのままゆっくりと歩き始める。向かう先は、飛空艇の縁だ。泣き顔を見られたくない。そんな感情が滲んでいる様でもあった。
「・・・先にそれに気付いたのは、あいつだった。当たり前だよな。当時のオレもユリィも、たかだか十数歳の小僧と小娘。生きてきた時間が違う。経験してきた事が違う・・・それに気付かされたのは、シャルが眠りに就いた後だったよ」
全員に背を向けたカイトは飛空艇の甲板の縁に腰掛ける。とはいえ、彼女は単なる幻影。何か言葉を掛ける意味が無い。そして再度の逢瀬を願うのなら、幻影に語りかけるつもりは無かった。
「・・・お互いに惹かれ合ったと気付いた時には、終わってた・・・当たり前ちゃあ、当たり前なんだけどな。奴の神様としての仕事は、死にゆく魂を刈り取る事。死を望むオレはそう言う意味じゃあ、相性が良すぎた・・・そして、あいつは世界に絶望していた・・・だからこそ、その心の奥底の拭いきれぬ絶望が、世界の滅びを願っていた。その最初の標的は・・・オレだった・・・理由は・・・わからんらしい。愛しているからこそ、一番手元においておきたい、とかなんとか言ってたがな」
愛したからこそ、殺さなければならなくなった。カイトは苦笑する。これが今ならば、平然と無効化して、愛しあった事だろう。それ以前に、殺される様な事にもならなかっただろう。
だが、当時は違う。カイトは今のソラ達よりも幾分強い、という程度しか力を持ち合わせていなかった。比較するなら今のアル程度だろう。だがその程度では、死を司る神様に勝てるはずが無かった。
「皮肉な話だ。オレに惹かれれば惹かれるほど、オレが惹かれれば惹かれるほど、あいつはオレを本能の領域で殺そうとする。それが、死に魅入られた者の結末だ・・・だからあの時から、オレは死ねなくなった。また逢おうと言った・・・なら、もう死ねない。死にたい、と思ってはいけない。会えなくなる、と幼心に思ったからな」
カイトは苦笑しながら、立ち直った理由を語る。愛した者ともう一度、と願うが故に、精神的な戒めが出来て死ねなくなったのだ。それ以降、無茶をする事は――彼の基準からすれば――ほとんどなくなる。
そしてだからこそ、謝らねばならないのだ。それを忘れて最後の最後、復讐の果てまで至ってしてしまったが故に。死を忘れた愚か者だと神へと懺悔しなければならなかった。そうして、一通り語り終えたカイトに、桜が問い掛けた。
「今は、何処に?」
「・・・わかんね。自分の本能がオレを殺そうとしている事に気付いたあいつは、オレ達の前から消えた・・・」
「とりあえずとことん、彼女の向かった方向に進むしか無かったからね・・・あれも、むちゃくちゃだったからね」
ユリィの言葉に、カイトが苦笑する。普通は一直線に旅はしない。危険地帯を避けて通る。だが、カイト達にはそれが出来なかった。なにせそこに居る可能性もあったのだ。そこからは、彼らの旅でも有数の無茶の連続だった。
「まあ、無茶だろ。なにせ何度めかで死にかけたんだからな」
「ここら、おかしな話だよねー。殺そうとしたのに、助けようと向こうからやって来るんだから」
「愛されてたからな」
カイトとユリィが苦い記憶に照れくさそうに楽しげに笑う。そう、いくら本能が殺そうとしても、彼女自身が殺そうとしていたかはまた別だ。だからこそ、愛する者が死にそうになっていたのを見て、現れざるを得なかったのである。
「そっからは、オレにもわからん。ボロボロになったオレとユリィは、傷の手当がされた状態で何処かの神殿で目覚めた。そこでお別れだった。神殿から出た時には、今の神殿都市の近くだった・・・」
その当時のカイトに何処から転移させられたのか、そしてあの神殿が何処だったのか、と把握するだけの力は無い。力を得ても何も手がかりの無くなった今となっては、解き明かすヒントが無い。未だに謎のままだった。
「だから・・・これがある」
カイトは自らの胸に手を当てて、自らの鼓動を聞く。そこに、神器が眠っている。何処に居るのか、そして何処に神殿があるのかわからない者が自らを見つける為の、そして、自らが彼女を見つける為の目印だった。そうして、そんな話をしていると次第に少女の姿は薄れていき、最後には完全に見えなくなった。
「・・・魔力が散ったか・・・要救助者の収容と計器をチェック次第、船を発進させてくれ」
『了解です・・・現在、魔力は高濃度ですが、拡散が確認されています。しばらくすれば、発進しても問題無い状況になるかと』
「わかった」
カイトの命令を受けて、飛空艇が緩やかに発進の用意を整え始める。それに合わせて、カイトも立ち上がった。
「昔話はもう終わり、だ。戻るぞ」
「うむ」
そうして、ついに語られる事のなかった者が語られて、この一件は解決することになるはず、だった。そこにいきなり、アラートが鳴り響いた。
彼らは知らなかった。この失敗は二度目の失敗で、二度目である以上、敵が失敗に備えていないはずがなかったのだ。そして、敵は狂信者であるが故に、常人では普通は考え得ない、そして考え得てもなし得ない事をなしていた。それ故、最後の最後で、状況は覆った。
「なんだ!?」
『わかりません! 地脈に急速な穿孔が発生! 地脈直上10メートルの所に何かが出現します!』
「馬鹿な!? 原因となる祭壇と魔法陣は完全に破壊されておるんじゃぞ! 今更神呼びなぞ出来るはずがあるまい! しかも地脈直上10メートル!? まさかあの悪神が彼奴らの願いを聞き届けたわけでもあるまい! なぜそんな事が起こりうる!」
飛空艇のオペレーターからの言葉に、ティナが大いに驚いて目を見開く。術式は完全に破壊して、更には術者も完全に殺したのだ。おまけにそれら全てはカイトの力、ひいては敵対者である月の女神の神器で破壊している。これでどこぞの神様を降ろそうなぞと出来るはずが無かった。
『これは・・・拡散していた魔力が収束を開始! 同時に周囲から魔物が集まってきます!』
「ちっ! あの悪神の力か! 大きさは!」
「あり得ぬ! あれはそんな信者の願いを聞き届ける様な奴では無いぞ!? なぜこんな事が起こりうる! 地脈の直上10メートルなぞ遠隔で魔法陣が刻めるわけでもあるまい! よしんば人の身で行っても、決して帰れん道じゃぞ!」
「それは後にしろ! 今は現実だけを見ろ! オペレーター! 情報を大急ぎで報告しろ!」
『りょ、了解!』
『結果出ました! 収束率・・・非常に高密度と推測! およそ2メートルで現界すると推定されます!』
理に適わず困惑するティナを叱責したカイトの指示を受けて、オペレーターが即座に報告を始める。そしてそれを受けて、落ち着きを取り戻したティナが指示を開始した。
「人型か! 戦闘態勢を整えよ! おそらく悪神の力を得た何らかの存在じゃ! 桜! お主は一時期的に医務室へと戻れ! なんぞ仕掛けでもされておれば一大事じゃ! ソラ! ナナミと桜を大急ぎで医務室へ戻せ!」
「日向! お前の周囲であれば、おそらく大丈夫だ! シャルの力が効くはずだ!」
「あ、おう!」
『りょうかーい』
ティナとカイトの指示を受けて、ソラと日向が桜とナナミを医務室へと戻し始める。二人は囚えられていたのだ。何もないとは思うが、それでも何らかの万が一があり得る。対処はしておくべきだろう。
「鬼が出るか蛇が出るか・・・」
『収束が終了! 実体化します!』
神様を降ろす為の魔力を全て使った魔物だ。どんな形になるのかも不明だし、少なくとも、とてつもない強敵である事も確実だ。そうして、この一件の本当のラストバトルが開始されるのだった。
お読み頂きありがとうございました。もうちょっとだけ、続きます。
次回予告:第627話『手に負えず』




