第614話 閑話 ――事件の続き――
何事も一件終わった様に見えて、実は続いていた、という事は往々にして起き得る。それは、この案件も、実は同じだった。
「らっ!」
「ぐっ!」
獣耳の男が豪腕を繰り出して、その場の男達を殴りつけていく。一応、殺してはいない。依頼人というか今回の仕事に協力してくれていた少女が、彼らには罪を償わせる、と言っていたので、殺さない様に心がけていたのだ。
「これが・・・<<獣皇>>・・・<<夜王>>が唯一認める獣人・・・」
敵はたった一人だ。それにも関わらず、一人の貴族の軍勢が壊滅させられていた。ここは、獣人達を主体としたブランシェット領。基本的には地方の軍でも人間の数倍の身体能力を持つ獣人で構成された軍だ。並の軍よりも身体能力は遥かに高い軍だった。だが、それでも、一人の男の方が圧倒的に強かった。
「一応、言っておいてやる。降伏しろ。てめえらのトップは既に逃げてる。これ以上戦った所で無駄だ。曲がりなりにも、俺は<<獣皇>>。勝てるとは思うなよ?」
敵はまだまだ残っている。万は超えないが、千は居るだろう。だが、<<獣皇>>ラカムは何ら憚ること無く、降伏する事を宣告する。そして事実、彼一人でもここの軍勢を壊滅させる事は余裕だろう。それに、この場の指揮官が沈黙を保つ。
「隊長・・・どうすれば良いんですか?」
「つっ・・・」
どうすればよいか。指揮官はそれは自分が聞きたい、と言わんばかりだった。なにせ敵は大戦期の英雄の一人だ。それも有名ドコロを挙げていけ、と言われれば必ず早い内に出てくる名前の一角だった。
ブランシェット領やそれに親しいの獣人達だと下手をすると、カイトよりも先に名前を上げるかもしれない。それぐらいの英雄だった。勝てる道理が無い。そんな苦慮を見て、ラカムが更に続けて問いかける。
「どうする? これ以上、やるか? 殺さないでくれ、と頼まれてるから殺しちゃいねぇが・・・これ以上となると、手加減はそろそろ抜きにして、獣化してやるぜ?」
「隊長! どうするんですか!」
「これ以上やっても勝てません!」
圧倒的な覇気を纏うラカムの問いかけに、部下達が口々に弱音を吐いて指揮官に指示を求める。それに、指揮官が指示を下した。
「・・・武器を・・・捨てろ。このまま戦っても勝ち目は無い。子爵殿は既に逃げた・・・我々が戦う道理は無い・・・」
自らも武器を捨てて投降の意思を示しつつ、指揮官が部下一同に告げる。敗北は既に見えている。更にはここで戦い続けた所で、後は皇国側からお尋ね者として遇されるだけだ。既に自分達が守るべき領主も逃げているのに、戦う道理が無かった。
部下達の中には、自分達の命令だから戦わされている者も少なくはない。家族が居る者達も居る。そして、敵は大英雄の一人、だ。これ以上戦う事は部下達の士気を見ても、無理だった。
「<<獣皇>>ラカム・ブランシュ殿・・・我々は降伏する。部下の安全を保証してくれ・・・」
「ああ、良いだろう。<<獣皇>>の名と、我が友勇者カイトの名において、貴様らの投降と身の安全を保証しよう」
跪いて降伏を示した指揮官に対して、ラカムが王者としての風格を以ってその安全に保証を示す。降伏を示し恭順を露わにした敵に対して、度量を見せるのもまた、王者として必要な事だった。そして、これが決め手だった。
指揮官の応対とラカムの言葉を受けて、領主の軍勢は全員が武器を捨てていく。元々勝てないのは始めからわかっていた事なのだ。命令だから無理やり戦わされていただけで、彼らは命を懸けてまで戦うつもりは無かった。
「では、一時的に<<獣皇>>の名において、命を与える。貴様らは別途ブランシェット家より指示があるまで、全軍待機。軍の宿舎から出る事はまかりならん」
「御意」
「俺はこのまま逃げた奴を追う。その間は、貴様が引き続き逃げない様に指揮を取れ」
「御意。全員、宿舎に戻り、別命があるまで、待機しろ」
ラカムの命令に、指揮官が指示を下して、全員に宿舎での待機を命令する。本来ならラカムが見張るべきなのだろうが、残念ながら、今の彼にそこまでの人的余裕があるわけではない。なにせ協力してくれた少女が、逃げた領主を追っていたのだ。そちらの援軍も必要だった。
「良し・・・じゃあ、行くか」
ラカムは軍の宿舎に戻り始めた兵士達を横目に、3メートルほどの巨躯を誇る獅子へと姿を変える。そうして、一足飛びに窓を突き破ると、そのまま領主の館を後にして、先に送り出した少女とその手勢を探す事にする。
『・・・こっちか。風に匂いが乗ってるな』
ラカムは<<獣皇>>と言われる様に、身体能力は並の獣人を遥かに上回っていた。それ故、既に10キロ以上離れた少女とその手勢達の匂いはすぐに把握出来た。そうして、ラカムは音を置き去りにして、移動を始める。が、辿り着いた時には、既に捕物は終わっていたらしい。
『終わってたか』
「ああ、ラカム殿。ご助力、感謝する」
巨躯の獅子を見て、一人の銀色のケモノ耳の少女が頭を下げる。年の頃は、十代前半、という所だろう。少女から大人に変わる年頃の少女だった。そうして、終わっていた捕物に、ラカムは再び人の姿を取る。
「全員、無事な様子だな?」
「ええ、貴方のおかげで、なんとか問題なく、領主も捕らえる事に成功しました。感謝致します、<<獣皇>>ラカム殿」
「いや、どうってことはない。我々は元は同族。同じ者を祖とする一族だ。ブランシェットの一族に請われれば、我らブランシュの一族もまた、助力に馳せ参じよう」
銀色のケモノ耳の少女の言葉に、ラカムが一族の長としての言葉を送る。ブランシェットの一族。その銀色の少女となると、彼女はこの当時のキリエなのだろう。そんなキリエが、再度ラカムに頭を下げた。
「かたじけない」
「受け入れよう・・・それで、それがこの場の領主か?」
「ああ、そうだ」
「簀巻か。良いざまだ」
簀巻にされてぐるぐる巻きに捕縛された奇妙なミノムシ状の物体を見て、ラカムが快活な笑みを浮かべる。顔は残念ながら寝転がっていたので見えなかったが、うめき声しか聞こえない所を見ると、それなりにボロボロにはなっているのだろう。
まあ、これは彼が数々の不正や違法行為を行っていたが故の末路なので、自業自得といえば自業自得だ。悪が栄えた試しなし。当然といえば、当然の結末だろう。
「残念ながら、幾許かの者には逃げられたが・・・幸いにして、彼を捕らえる事は成功した。感謝します、ブランシュの長よ」
「構わん。先にも言ったが、俺は一族の者の助力の願いを受けただけだ。それに、これにしても元は俺が追っていた案件の続きだ。気にする必要は無い」
キリエの感謝に、ラカムが気怠げに首を振る。ここらは、後にキリエが語った通りなのだろう。ラカムは特に気にする様子もなく、首を振った。そうして、そんなラカムは、一同に背を向ける直前、更に告げる。
「では、俺はもう戻るが・・・後はブランシェットの者に任せても構わんな?」
「あ、いや・・・できれば貴殿には父上達から褒章を受けて貰いたいのだが・・・」
「いや、要らん。今は少々有名になりたくはないのでな」
「は?」
少し急ぎ気味に背を向けたラカムの言葉に、キリエが首を傾げる。後にキリエが語る様に、彼は元から有名人だ。有名人なのに有名になりたくない、とはどういうことか、と思ったのだ。
「ではな」
「あ、ちょっと・・・」
キリエの制止を聞かず、ラカムは獣化して、何処ともなく去っていく。それに、キリエの護衛の一人がキリエに問い掛けた。
「お嬢様。どうされますか?」
「どうしろ、と言われても・・・うーん・・・父上達に聞くのが一番、か・・・?」
歳相応の幼さを見せて、キリエが首を傾げながら、どうするかを悩む。逃げた者の捜索も進めなければならないし、父親であるアンヘルに伝える必要もあった。この当時のキリエには、まだまだ次の一手を決めかねる所だった。
「・・・そうだな。とりあえず、父上と兄上に連絡を送ってくれ。兄上は確かまだいらっしゃったはずだ」
「かしこまりました」
キリエの言葉に彼女の護衛が頭を下げて、手はずの準備にとりかかる。ちなみに。キリエは恥ずかしかったので語らなかったが、この動きは勝手な物だったのでこの後には父親であるアンヘルからこっぴどく怒られる事になるのだが、それは置いておいて問題は無いだろう。
「にしても・・・拐われた者達は、一体何処へ・・・?」
「お嬢様。そういうことは、これに吐かせるのが、最良かと」
キリエに対して、メイド服姿の妙齢の女性が告げる。彼女はキリエの専属メイドだった。抑えても抑えきれなかったので彼女も一緒について来た、というわけだ。と、そんなメイドの言葉に、キリエもそれもそうだ、と頷いた。
「それもそうか。これ以上やり過ぎると、軍の手柄を奪う事になるな」
「はい。そしてこれ以上は、お嬢様のお仕事ではございません。それに、アベル様は昨今ようやく次期当主としてご指名されました所。兄上様にも、お手柄を」
「別に手柄が欲しくてやったわけじゃないさ」
「存じております」
キリエの苦笑しての応対に、メイドが頭を下げる。この当時のキリエは若いが故に少し猪突ではあったが、手柄を立てよう、という思いでやっているわけではない。義憤の一言で事足りる。
ただ単に父を含めて誰も動かない――と言うか色々な軋轢で安易に動けなかった事を、この時の彼女は幼いが故に知らなかった――ので動いただけ、だった。
「じゃあ、戻るとするか」
「かしこまりました。手配致します」
キリエの言葉に、メイドが頭を下げる。とりあえず、この一件における首謀者である領主は捕らえた。後は彼に洗いざらい話させれば終了、だった。
そうして帰っていったキリエ達に対して、それを見ていた者が居る。それは、数年後にカイトが追う事になるフードに刻まれた刻印の手袋を嵌めた三人ほどの集団、だった。
「ちっ・・・今すぐ撤退の準備を進めさせろ」
男の一人が、捕らえられた領主を見て、忌々しげに吐いて捨てる。周囲には彼の他にも似たような服装の者達がそれなりに居た。が、そんな彼らを、更に見ていた者が居る。それはアベルと彼の率いるブランシェット公爵家所属の特殊部隊だった。
「ほう・・・やはりそうか。貴様らは奴の仲間か」
「つっ!? 誰だ!」
「アベル・ブランシェット・・・次期公爵だ。拐われた者達の残りについて、吐いてもらうぞ」
「何!?」
動いているのはキリエだけ。そう思っていた集団に、驚きが伝播する。そう、実は知られていないだけで、キリエが心配になったアベル――と、更に父のアンヘル――が実は密かに後ろから補佐をしていたのである。そのおかげで、この手袋に刻印をした集団を見付けられたのであった。
更には彼らがキリエ達に注目していたおかげで、アベルは何ら問題もなく、自らが密かに率いてきた主力部隊で敵を包囲する事にも成功していた。表立って動けないだけで、影に隠れて動く事は出来たのだ。
「逃げられると思うな・・・何!?」
完全に包囲して、後は捕らえれば終わり、となっていた状況で、アベルの驚きが響き渡る。いきなり、全員が倒れこんだのだ。
「・・・確認しろ」
「・・・脈無し・・・自殺している様子です」
アベルの率いていたのは、軍の特殊部隊だ。勝てない、と思って情報の漏洩を避ける為に自害したのだろう。
「ちっ・・・何者だ?」
「・・・駄目、ですね。何か特徴となるものは・・・服装が一緒、という所でしょうか・・・」
「後は手袋、か。全員一緒の手袋をはめているな」
「ええ・・・無地の革の手袋が・・・」
無地の皮の手袋。あったはずの刻印は、彼らの死と共に消え去っていた。それ故、誰もがこれが後のカイトの一件に繋がるとは、気付けなかったのである。
「死体は回収しろ。他にも居るかもしれん。あの領主から話を聞き出して、としよう」
「かしこまりました」
アベルの命令に、軍の特殊部隊の男が頷く。そうして、彼らはキリエ達に気付かれる事なく、一応はキリエを迎えに来た事にして、キリエと合流する事にする。
だが、その後、領主からはこの自殺した集団については大した情報を得られる事は無かった。ただ単に、顧客だ、としか彼は知らなかったのである。
こうして、この一件は公には単なる領主の不正事件として処理されて、顧客であった彼らについても、何処かの奴隷商人なのだろう、と処理されることになるのだった。
それから、数年。顧客であった彼らは、ブランシェット領から遠く離れたマクダウェル領にて、それを思い出す事になる。
「あれは・・・キリエ・ブランシェットか」
「これは僥倖・・・あの時儀式を邪魔された事を、司教様も大司祭様も忘れていない・・・」
行方不明となっていた者達は、その後も発見されることは無かった。それは当然だが、彼らが生け贄にささげていたからだ。実はあの当時、彼らが金を払っていた理由は簡単で、表沙汰になりたくなかった上にとある伝手が無かった事で十分に生け贄を手に入れる事が出来ないから、だった。
だが、その卸元であった領主が捕らえられた上に調査名目で締め付けが強くなった結果、満足に動けなくなり、彼らはブランシェット領から撤退せざるを得なくなったのである。
しかもその御蔭で、その時の儀式はご破産になり、今まで数年掛かりで再び準備を整えさせられる羽目になったのだった。つまり、キリエは彼女も知らない内に、彼らから多大な恨みを買っていたのであった。
「大司祭殿にご連絡を入れろ。儀式が近いというのに、この再会は我らが神の思し召しに違いない・・・」
「了解です、司教様」
宿屋へと移動していくキリエ達を見ながら、彼らはフードの下で密かにほくそ笑む。あの時よりも、状況はかなり有利、だった。
まず第一にキリエは今、孤立無援状態に近い。一応護衛は居るし当時よりも遥かにキリエは強くなったが、それでもブランシェット家からの支援は無いし、他家であるマクダウェル家に申し出てすぐに動いてもらえるわけでは無いだろう。
これが運命で無ければなんなのか。彼らには、それが自らの奉じる神がかつて儀式を邪魔したキリエを生け贄に捧げろ、という啓示を与えている様にしか、思えなかった。そうして、密かに彼らの総トップに連絡を送り、返って来た連絡で、彼らが動き出すのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第615話『誘拐』




