第612話 密航者
カイトとの連絡を終えて、桜が馬車の中にあるミーティングエリアに戻ると、そこでは少しの騒動が起きていた。
「どうしたんですか?」
「あ、桜・・・さっきから、あの樽が・・・」
どうやらお風呂から上がったらしいセフィが、食料の入った樽を指差す。それが、動いていたのだ。誰かが動かしているのではなく、自発的に揺れている様子だった。
「あれ・・・何が入ってたっけ?」
「確か・・・果物類じゃ無かったっけ・・・」
基本的に定常的な新鮮な食料の確保が難しい道中ではビタミンなどの栄養価が不足しがちだ。となると、その補給の為に果物は非常に良い。なのでカイトが果物を旅の食料として買う様に指示していたのだが、その箱が、揺れていたのである。
「ルーク先生は?」
「風呂入っちまってる」
桜の問いかけに、ヨシュアが少しの不安さを滲ませながら告げる。ここは結界の内側だ。しかもこれは神王シャムロックが使っていた結界だ。魔物が入り込むとは考えにくい。
それに誰かの悪戯にしては、全員が真剣に怖がっている。であれば、ポルターガイスト現象などの怪奇現象ぐらいしか、考えられなかったのである。
「会長。匂い感じませんか?」
「駄目だ。風呂あがりの石鹸の匂いが強すぎて、何もわからない」
リフィの問いかけに、キリエが少し鼻をひくつかせて答える。お風呂があるという事で全員が入るつもりだったし、一応は学校での活動なので就寝時間が遅くならない様に、既に引率の教師や桜達冒険部の面々を除く大半がお風呂に入っていた。石鹸の匂いが室内にかなり充満していたのである。締め切った室内であるのが、災いした。
こうなっては、どれだけ優れた嗅覚を持っていても逆にそれが仇になって嗅ぎ分けは厳しかった。専門の訓練を積んでいたり、ルゥの様に馬鹿げた能力を持っているなら別だが、キリエにそれを期待するのは酷だろう。
そうして、そんなキリエが、桜と顔を見合わせる。ルークが居ない今、実力的に一番優れた戦士は、この二人、だった。
「・・・桜。一緒に頼めるか?」
「・・・はい。では、私が開けますから、警戒をお願いします。一応、念の為に盾を」
「ああ・・・はい」
冒険部の面子の一人から盾を借りると、桜とキリエが揺れる樽の前に移動する。そうして、桜がゆっくりと、樽の蓋を回し始める。樽は悪路や魔物との戦闘で揺れたりして中身が零れない様に、回して閉じるタイプが主流だった。そうして、樽の蓋が開けられる様になると同時に、蓋が内側から、飛び上がった。
「「きゃあ!」」
まさか内側から勝手に開くとは思っていなかった桜とキリエの可愛らしい悲鳴が響く。それと同時に、それを後ろから見ていた面々も叫び声を上げた。が、そうして桜が恐る恐る顔を上げると、そこに居たのは、カイトの愛竜こと日向、だった。
「・・・あれ?」
『きゅ?』
『わぷ・・・やっと出られましたー・・・』
小首を傾げた日向に続いて、伊勢が樽から顔を出す。どうやら二匹が内側から出ようと必死で暴れていた結果、樽が揺れ動いていたのだろう。
「日向ちゃんに・・・伊勢ちゃん?」
「へ? マスターのペットがどうしてこんな所に・・・?」
桜の声に、物陰に隠れていた面々が顔を出す。いくら冒険者と言えども、所詮そこらは歳相応の少年少女達だ。物理で殴ってどうにでもなる存在の魔物はともかく、やはり幽霊は怖かったらしい。
しかも、冒険部のギルドホームはお化けのメッカと言うべき様相だ。考えられる原因としては余りある状況だった。全員がポルターガイストと本気で信じていたらしい。
「さぁ・・・」
『みんな行っちゃった・・・クズハ達も遊んでくれない・・・』
『いえ、あの・・・日向が密航しようとしてたのを止めたんですけど・・・上からりんごが降ってきて・・・その・・・二人共身動きが取れなくなっちゃって・・・』
不満気に頬をふくらませる日向に対して、伊勢が恥ずかしげに事情を説明する。どうやら荷物を積み込んだ際に上からりんごが降ってきて、それに埋まってしまったのだろう。現状小動物の彼女らにしてみれば、樽を埋め尽くすほどの果物は脅威だ。
本気で抜け出そうとすれば樽そのものを破壊出来るはず、なのだが、食べ物を粗末にした挙句備品を壊すとカイトに怒られると強引な脱出劇はやらなかったらしい。後に聞けば転移術は忘れてた、との事だった。
「大方、紛れ込んだんだろう・・・可哀想に。あんな所で・・・」
キリエが日向の頭を撫でくり回す。声は桜にしか聞こえない様に調整していたので、推測したのだ。が、どうやら力が些か強かったらしく、それに合わせて日向がぐるぐると動いていた。と、そんなキリエだが、よく見ると、眼が少し可怪しかった。なんというか、頬が緩みきっていた。
「うふふふふ・・・」
「あちゃー・・・まーたやっちゃったよ、あの人・・・」
陶酔に近い声を漏らすキリエに、ヨシュアがため息を吐いた。後に聞いた話だが、キリエは可愛い小動物に目がないらしい。竜を小動物として良いかどうかは不明だが、とりあえず日向のあのくりくりとした目やまさに小動物チックな行動はドツボに嵌った、らしい。
『きゅ? きゅ? きゅ?』
「何、あの可愛いの」
「あ、伊勢は触らない方が良いぞ。あいつ、マスター以外になでられるの嫌いだから。後、犬じゃなくて狼らしいから、気を付けろって」
「そうか・・・」
冒険部の一人から出された言葉に、ゆっくりと伸びていた手を、かなりしぶしぶながらもキリエが引っ込める。基本的に誰に撫でられても文句は無い日向に対して、伊勢はカイトこそを至上として、その次にティナ以下クズハら昔からの家族達を置いている。それ以外にはあまり心を許していなかった。
その実犬の様に見えても狼、しかもキリエは伊勢と同じく狼系の獣人なので、似た者としての警戒を抱いているのだろう。
「あー・・・」
「あー・・・それで、どうするんだ、この二匹・・・」
「どうしましょうか・・・とりあえず、カイトくんに聞いてみますか・・・」
兎にも角にも主に聞くのが一番だろう、と桜は通信用の魔道具を取り出して、カイトに連絡を送って対応を伺うことにした。
『はーい。ユリィでーす。桜、どうしたの?』
「あ、カイトくん居ませんか?」
どうやらカイトは取れない状況だったらしく、ユリィが出てくれたらしい。個人用の魔道具でなければ拙い状況だった。そんなユリィだが、桜の問いかけを受けて、カイトにスマホ型魔道具を投げ渡した。
『ほいさ』
『投げるなよ・・・桜か? どうした?』
『おっふろおっふろー。女の子なんだから、綺麗にしないとねー』
すぐに応対してくれたらしいカイトだが、画面の中のカイトは素っ裸、というかお風呂に入っていたらしい。更に少し離れた所から、ユリィの楽しげな声が聞こえてきた。それに、カイトが少しガサゴソと動く気配があった。
『えーっと、タオルタオル・・・』
どうやらこちらの状況がわからないので、隠すべき場所は隠すつもりだったようだ。タオルを探しているらしかったが、それも終わった頃に、応答があった。
『で、どうした?』
「あ、いえ・・・実は日向ちゃんと伊勢ちゃんがこっちに紛れ込んでまして・・・」
『あぁ?』
桜の言葉に、カイトが首を傾げる。それに、桜はカイトにスマホ型魔道具のカメラを向けて、更に通話モードをマイクモードへと変えて、全員に聞こえる様にする。。
「ほら・・・」
『はぁ・・・』
小首を傾げた日向とおすわり状態の伊勢を見て、カイトがため息を吐いた。全てを理解したのだ。
「えっと、どうにもかくれんぼしてたら、上から果物が降ってきて出られなく成っちゃってたらしくて・・・」
『まあ、大方日向が入って伊勢が出そうとしているウチに、ってのが真相だろうけどな・・・まあ、邪魔にはならん。なんなら護衛として使ってやってくれ。必要無いなら、帰るまでほっとけ。ほっといた所で勝手に馬車へ戻ってくるだろ。食べ物は果物でもくれてやってくれ。無ければ取ってくるだろうしな』
聞く必要も無く完璧に事情を見通したカイトだが、今更連れ帰る事も出来ないと判断すると、桜にそのままにするように依頼する。
「あはは。わかりました。じゃあ、こちらでお預かりしておきますね」
『すまん。頼んだ。散歩は必要無い。適当にはしゃいで終わる』
基本的に、今回のキリエ達からの依頼は戦闘がほとんど無い危険性の薄い仕事だ、という事はカイトも理解している。それに、村に着いたら散歩がてら魔導学園の生徒達に頼んで遊ばせるのも手だろう。
彼らは下見と言いつつ、ほぼ何かをするわけでは無いのだ。半ば交流会や思い出作りである事はユリィから聞いて把握していた。と、そうして会話をしているとキリエがふと、疑問を呈した。
「そういえば・・・何故、日向と伊勢、なんだ?」
『は? 何故、と言われても・・・日向と伊勢に何か理由が・・・あったっけ・・・』
キリエからの質問に、カイトは自分の半生の始点を思い出す。伊勢は日向からの流れなのだが、日向は何だったか思い出せなかった。
『えっと・・・日向は・・・日向夏? いや、こっちに日向夏なんて無いよな・・・響きがかっこいから、だったっけ? 伊勢は・・・なんだっけ・・・』
「いや、そういう事では無かったのだが・・・」
伊勢について思い出し始めたカイトだが、そこにキリエが待ったを掛ける。聞きたい事はそうでは無かった。ちなみに、伊勢の名付け親が飼い主であるクズハやアウラでは無くその保護者のカイトなのは、単なる偶然だ。
アウラもクズハも自分達で付けた名前で呼ぼうと苦心していたのだが、小動物好きと懐かれやすい体質が幸いしたのか、伊勢も何故かカイトの呼んだ『伊勢』という名前が気に入ってしまったのである。
「何故、この2体が伊勢と日向なんだ?」
『んぁ? 日向と伊勢は日向と伊勢だから、だろう?』
どうやら二人の間には、認識の齟齬が存在していたらしい。カイトからは日向も伊勢もそのまま日向と伊勢だが、キリエからすればまた別個体だ、と思えたらしい。
2体ともここまで小型化するのはカイトの前だけだし、そもそもこれが公爵家のペットである伊勢と日向だと知っているのはこの場では桜だけだ。女の子化するのも勿論知らない。なので、キリエがわからないでも無理は無い。
「? そうなのか?」
『ああ・・・とと。じゃあ、そろそろのぼせるから、オレ上がるな。そっち、日向と伊勢をよろしく頼む』
「ああ、任せてくれ」
少し興奮気味に、キリエが頷く。この小型日向はどうやらキリエの趣味にドンピシャだったらしい。そうして、日向と伊勢の同行が決定すると、カイトが連絡を切った。
なお、実はカイトの発言は嘘だ。画面外にはユリィが身体を洗っていた。その鼻歌が結構五月蝿く、バレる前に切る事にしたのである。流石に英雄にして魔導学園の学園長が一人の女として男と一緒にお風呂に入っている所を見せられるか、と言う所だった。
「良し。では、とりあえず・・・日向も伊勢も、こっちおいでー・・・じゃ、無かった。会議の続きを始めようか」
「はい」
キリエのミスは緩んだ頬と共にスルーする事にして、桜が再びリビングの椅子に腰掛ける。そもそも定時連絡の為に桜は抜けただけだ。それが終われば、再度会談、だった。
そうして、更にお風呂から上がったルークや順繰りにお風呂に入っていく教員達を交えながら、これからの動きの打ち合わせなどを行っていく。
「良し。じゃあ、我々からは他に何もないな。あるとすれば、帰り道もよろしく頼む、という所だろう」
「そうですね。わかりました」
キリエの言葉に、桜が頷く。村に着いてからは、彼らは何かをする予定は無かった。と言うより、村に着いてまで護衛が必要なら、そもそもこんな部活が認可されるはずがない。治安が安全だからこそ、学生達が主体となった部活が行われるのだ。
そうして、伊勢と日向を新たな旅の仲間? として加えた一同は、この日の会議を終えて、明日に備える事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第613話『ルーラー』
2017年5月8日 追記
・誤字修正
『キリエは日向と同じ狼系の~』→『日向』ではなく『伊勢』でした。修正しました。




