第607話 桜・練習中
時は再び、カイトが街を出た数日後まで遡る。当たり前と言えば当たり前だが、残った面子も長期の依頼に出ていないだけで普通に活動を続けていた。
「・・・」
そんな中、桜は緊急時の即応部隊として対応する為、この日は終日執務室に控えて例によって例の如く、カイトから貰った爪型の魔道具を使って魔糸を創り出す訓練を行っていた。
「・・・あ」
ぽきり、と折れた魔糸を見て、桜が小さく声を漏らす。ぽきり、と言う事からも分かる様に、相変わらず魔糸の小型化も柔軟性も上手く行っていない。まあ、たった数日で上手くなる、と言う事は現実的には有り得ない。仕方が無い事だろう。
と、再び集中して魔糸を作り出し始めた桜に対して、その膝の上でまるで猫の様に丸くなっている日向がしっぽを動かす。別に邪魔しよう、と言うのでは無く、寝ぼけて寝返りをうっただけだ。
『ふぁー・・・きゅ?』
「あ・・・」
今度はしっぽの直撃によって、魔糸がぽきりと折れる。そもそも糸なのに折れる、というのは可怪しい表現だろうが、実際に折れるのだから、仕方が無い。と、そんな桜に対して、ずっとカイトの鍛錬を見てきていた日向が告げる。
『・・・どうして折れるの?』
「えーっと・・・まあ、私の腕が悪いから、としか・・・」
ぐさり、と突き刺さる様な一言に、桜がこてん、と肩を落とす。が、この発言もやはり、日向にとってはわからなかったらしい。
『ごしゅじんさまは始めからしなやかだったよ?』
「か、カイトくんと比べられましても・・・」
『???』
きゅ、と可愛らしい鳴き声と共に、桜の目の前に浮かび上がった日向が首を傾げる。くりくりとした眼と言い子供っぽい言動と言い、非常に愛らしい姿だったが、それ故に、無邪気な一言が桜を落ち込ませる。が、何も日向とて無闇矢鱈に桜をへこませる為にそんな事を言っているのでは無かった。
『そもそも、どうして桜は練習中なのに、そんなはっきりと出せてるの?』
「え?」
日向の問いかけに、落ち込んでいた桜が顔を上げる。日向が比較する対象はカイトしか居ない。であれば、今の問いかけはカイトと比較しての事、だったのだ。
『ごしゅじんさまは見えなかったり触れないほど薄かった事はあっても、はっきりと出せてたのもっと後だよ?』
「えっと・・・つまり・・・練習方法間違ってるんですか?」
日向の言いたい事をなんとか自分で噛み砕いた桜が、桜の横でしっぽをぱたぱたとしながらひなたぼっこ中だった伊勢を窺い見る。が、こちらは問われた所で分かるはずの無い事だった。
『あ、私はごしゅじんさまの練習風景見た事が無いので・・・』
『伊勢は皆でこっちに引っ越した後にごしゅじんさまが拾ってきた』
「ああ、そうなんですね」
日向の言葉に、桜が伊勢の答えに納得する。ちなみに、だが。二人共完全に忘れている様子だが、伊勢を拾ってきたのはカイトでは無くクズハだ。雨で震えているのを見て、かわいそうになって拾ってきたのである。まあ、その後身体を拭いて暖かくしてやって、と言うのは全てカイトがやったが。
お姫様だったクズハにそんな事が出来る訳も無かったし、当時のフィーネに至っては汚いので捨ててこい、という始末だ。結果、カイトに泣きついたのである。
と言う訳で、実は本来の飼い主はカイトでは無くクズハだ。が、クズハ達も半ば忘れかかっているので、これで良いのかもしれない。
「えっと・・・それじゃあ、カイトくんはどうやってたんですか?」
『えーっと・・・まず爪に通す魔力を限りなく薄くして、それからゆっくりと強くしてた』
日向が中空を見ながら、カイトがまだ少年だった頃を思い出す。つまり、カイトは桜とは全く逆のアプローチで行っていたのだ。
「でもそれじゃあ糸として使える強度が出せない・・・あ、そっか。だから、どうしてそんなはっきり出せるの、なんですね?」
『うん』
自分で言って、桜も理解した。カイトの方法だと、糸としての強度を持たせる事も糸を出せているのかも、更には糸が糸として成立しているのかもわからない。だが、それを逆手にとって、先にしなやかさから手に入れようとしていたのであった。
「なるほど・・・そっちの方が、糸らしくは、出来るかもしれませんね」
日向からの言葉を受けて、取り敢えず桜はカイトがやっていたとされる練習方法を試す事にする。
「・・・あ・・・行き過ぎた・・・」
桜は少し魔力を注入し過ぎた結果割り箸の様な物になった魔糸を見て、魔力の注入をやめて消失させる。調節に失敗したのだ。
この方法の難点は、やはり出力調整の難しさだ。ここは変わらない。少しでも注入する魔力が高過ぎると、先ほどの桜が創り出した糸としてささくれだった魔糸が出来上がるし、低過ぎると今度は糸が見えない程に薄く、更には強度も全く無い単なる膜の様な『何か』に成り下がる。
高い所から低くするのが良いか、低い所から高めていくのが良いか。どちらが簡単なのかは、その人によりけり、だった。それ故、カイトも自分の練習方法を押し付ける様な事はせず、桜のやり方に任せたのである。もし問われたら教えるか、程度だった。
「うーん・・・でも少し細くはなった・・・のはなったみたい、ですけど・・・」
再度同じ方法を試してみた桜だが、結果から言えば、どうやら桜はカイトと同じやり方の方が適正があったらしい。ゆっくりと出力を上げていった方が、細さについては細く出来ていた。だが、やはりささくれについては消えていない。こちらは収束の問題なので、また別の問題だったからだ。
「うーん・・・こっちの方がやりやすいのは、やりやすい、んですけど・・・ささくれについてはどうすれば良いんでしょう・・・」
『きゅー・・・くー・・・』
『すぴー・・・』
何度か繰り返している間に、日向と伊勢はお昼寝タイムに入ったらしい。今度はアドバイスがもらえる事はなかった。一本の糸をイメージしろ、とカイトからはアドバイスをもらっているが、その一本の糸をイメージして出来るのが、あのささくれなのだ。そこから先が、理解出来なかった。
「・・・と言うか・・・どうしてささくれが出来るんでしょう・・・」
桜はふと、もっともと言えばもっともな疑問にたどり着く。答えとしては桜の技量が足りていないから、と言えばそれまでだが、気になるのはそうでない部分だ。何故その現象が起きるのか、と言う事に対する根本的な疑問だった。
そうして行き詰った桜は、取り敢えずアドバイスを求めて、研究所に行ったティナへとアドバイスをもらう事にしたらしい。通信機を取り出して、ティナに連絡を繋いだ。
「・・・ティナちゃん。そこの所、どう思いますか?」
『ふむ。良い着眼点じゃな。確かに、そう思うのも無理は無い』
ティナは桜の疑問をもっともな事だ、と認めて頷く。魔道具はその人が出来ない事に対して、魔力を注ぎ込むだけである一定の効力を得られる物だ。
であれば、一定の効果を得られるはずの魔道具で結果を作り出しているのに、その結果に差が出来るのだ。疑問と言えば、疑問だった。
『それが、その魔道具の意地の悪い所、と言うべきか、それとも魔糸を創り出す為の練習道具故じゃから、と言うべき所、じゃろう』
「そうなんですか?」
『うむ。その魔道具は確かに魔道具じゃが、カイトも言っておった様に、それは魔糸という物を創り出す練習をする為に使われる魔道具、じゃ。つまり、それで糸が作れてしまっては問題なのよ』
「? どうして、ですか? 糸を作れればそれで良いんですから、魔道具ありきでも別に問題は・・・」
ティナの言葉に、桜が疑問を呈する。当たり前だが、魔道具で代用出来るのなら、そちらの方が良い。そう思ったのだが、桜は一つ見落としていた。それはこの魔道具が何のための魔道具なのか、と言う所だ。
『そもそも、これは練習、と言っておろう。確かに一定の品質の糸を創り出す為の魔道具なら、存在しておる。が、これはそうでは無い。糸を作る練習の為の魔道具、じゃ。糸を魔道具で作り出せては、練習にならんのよ』
ティナの言っている事も道理、だった。これは糸を創り出す事を練習する為の物だ。それなのに道具で魔糸を作り出せてしまっては、練習になるはずがない。その手段を学ぶ為にやっているのだ。そうして、ティナが続ける。
『それ故、この魔道具がやっておるのは、魔力を絞る事を補佐するのと、固定化させる事を手助けする事だけ、じゃ。まあ、本来は必要なのは後者のみ、じゃのう。更に古くを辿ればエルフ等こう言った魔糸で魔布を作る種族の子供が練習する為の物じゃ。それ故、前者は副次的な物じゃのう』
「はぁ・・・」
ティナの説明に、桜は分かった様な分からない様な生返事で返す。そんな桜を見て、ティナが苦笑気味に更に続けた。
『つまり、これで作った糸は戦闘には使えん。所詮はおもちゃ、という所じゃ。太すぎるし、脆すぎる。戦闘に耐え得るだけの魔糸を創り出す魔道具を作る事も出来るが・・・普及出来るレベルの物を、となると流入する魔力が大き過ぎて、魔道具そのものが破損してしまって使い物にはならんのよ。では逆に耐え得るだけの素材を使うと、今度はそれを使える者なら大半がそんな魔道具無しでも魔糸を作れる様になる。意味が無い、訳じゃな』
「つまり、実用的な物は作れない、と?」
『そう言う事じゃな』
桜の問いかけを、ティナが認める。とどのつまり、その一言で良かった。まあ、研究者故に解説が長くなった、と言う事だろう。
『まあ、話を戻そうかのう・・・つまり、これは練習用。まともな糸を作れては困るのよ。きちんと自分で出来ておるかわからん、からのう。で、よ。ささくれが出来る理由は、簡単じゃ。お主のイメージが悪く、きちんと一直線の糸を創り出せておらん訳じゃ。途中で思考が分裂してしまっておる、と言う訳じゃ』
「ああ、それで、ささくれが出来てしまうんですね」
説明されて、桜も理解した。カイトは5本の指から、無数の魔糸を創り出していた。それに、解錠の折りには指の一つから出した一本の糸を使って、南京錠の解錠を実演していた。
それはつまり、南京錠の中で何本かに分裂していたに他ならないだろう。桜がささくれと思っていた物は、その分裂した糸の種の様な物だったのであった。本来は一本の糸を創り出す上ではこれを出ない様にするのだが、まだ練習中であるが故に上手くいっていない、と言う事だった。
『そう言う事じゃな・・・そう言えば、学園に釣り糸があったはずじゃな。あれをもらってきて、それを投影してみるのが、一番良いかもしれん』
「そう・・・なんですか?」
『うむ。釣り糸の材質は確かナイロンだったはずじゃ。あれなら、ささくれはあるまい? それを創り出すイメージで行い、まずは糸を一つに束ねる事を考えよ』
ティナは学園の在庫を思い出しながら、桜にアドバイスを送る。学園には釣りを行う部活や同好会の様な物は無かったのだが、釣り道具が収蔵されていた。
どうにも大昔に何かの理由で収蔵されていた物が、そのままだったらしい。転移後になって改めて何があるのかを調査した結果、箱に入れられたままの物が発見されていた。
「じゃあ、学園に行って、取って来た方が良いですね」
『うむ・・・ああ、いや。余が少ししたら少し用事で学園に帰るから、その時に持って来よう。カイトの代理で明日の会議に出る必要があるからのう』
「あ、じゃあ、お願いします」
桜はティナに持ってきてもらう事にして、再び練習に入ろうとして、ティナが思わず吹き出した。
『む? 桜・・・お主・・・その格好は何じゃ?』
「はい?」
『いや、どうなっておるか試しに見るか、と執務室に待機させておる使い魔から視界を間借りしたんじゃが・・・お主はどこのおばあちゃん、じゃ』
「・・・はぁ・・・?」
ティナの言葉に、桜が首を傾げる。今の彼女が何をやっているかというと、正座して膝の上に日向を乗っけて、横の伊勢にもたれ掛かられているだけ、だ。何かおかしな所はなかった。
『膝に猫乗せてひなたぼっこしとる婆様か』
「・・・あ」
言われて、桜も自分がそうだ、と気付いて、少しだけ頬を赤らめる。これで膝に乗せているのが竜で無く猫であれば、ほぼ完璧に縁側でのんびりとひなたぼっこしているおばあちゃんだろう。おまけに桜が着ているのが着物――状の防具の一種――である事も影響していた。
ティナはそれに気付いて思わず吹き出したのだ。ちなみに、実は他にも凛がこれに気付いていて密かに笑っていたりする。
『まあ、大人しくしておるのなら、良いじゃろう。日向なぞ置いて行かれた、と不満気じゃったからな』
「あはは」
ティナの言葉に、桜は日向と伊勢を起こさない様に小さく笑う。実は日向は密かにカイトの旅に付いて行くつもりだったのに、昼寝をしている間にカイトが出発してしまっていて、置いて行かれた、と不満気だったのである。
「竜もこれぐらい小さいと、可愛いですね」
『カイトがネコっかわいがりしとったのう・・・』
「基本的にカイトくん、小動物好きですよね」
『うむ』
桜の言葉に、ティナも同意する。そうして、二人は暫くの間雑談をして、この日一日は何事も無くのんびりとした日が過ぎるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第608話『練習続行中』




