第596話 暴走の余波 ――ニンジャ――
夕陽の試験が終わり、一転翔の番になると、試験エリアは一気に暗闇の中に包まれる。一応星明かり程度はあるが、それでも、ほとんど光源は無かった。
『試験状況は、夜襲。更に正確には、潜入工作、ってやつだ。お前さんの本来の役割でもある・・・そりゃ、わかってるな?』
「はい」
技術者の男の言葉に、翔が頷く。ずっと今まで出番は無かったが、実は翔は本来の役割としては敵陣に突入する前に敵陣の中に入り込んで情報を入手してくる密偵、ないしはスカウトの役割こそが、彼の本来の役割だった。今までは彼の力量や必要性の問題から、その役目は陽の目を見る事は無かったのだ。
とは言え、今は10数ヶ月前とは違い、翔はランクC上位程度の実力は備わっている。更には今後遺跡への調査も行うようになってくるだろうし、他領地へ行けばカイトのように盗賊団と遭遇する事もあり得る。
それを考えるのなら、そろそろ彼本来の役割を想定して装備を用意して、練習し始めなければならない頃、だった。
『渡した魔道具の使い方は理解したか?』
「はい」
翔は左腕に取り付けたフックショットの装着がしっかりと行われている事を確認する。かつてカイトが使っていた物の簡易型だった。
通常戦場で使う必要の無い標的の材質を表示する等の機能を省き、照準と対象の強度等から突き刺せるか否かの情報を表示するだけにした物だ。こちらは消費する魔力の事を考えて、ワイヤーとして魔法銀を使う事にして、いざと言う場合には足止め用の武器としても使えるようにした。
まあ、実体を持つワイヤーを使った所為で射程距離は最大100メートルと大幅に短くなったが、室内もしくは遺跡近辺での使用のみにしぼり、簡単に使える物にしたのであった。
『改めて確認しておく。お前さんに渡した服の機能は、壁貼り付き用グローブと靴、短時間のステルス。頭巾とセットのマスクには通信機が内蔵されていて、声を外に出さない機能が付いているから、外と話す時はマスクを下ろせ。ステルスの持続時間は5分だけだ。最大まで使用すると、1分の冷却が必要になる。ここは忘れるな。ヘッドギアにゃティナの姉御の試作品の暗視装置とサーモグラフィーが搭載されている。切り替えは横のスイッチで行え』
「はい」
翔はヘッドギアを下ろして目を覆うと、早速暗視装置を使う。すると、闇夜の中なのにまるで昼のように視界が明るくなり、はっきりと物が見えるようになった。そして続いて、サーモグラフィーを起動する。が、今度はほとんど変わりはわからなかった。
「・・・あれ? なんも映らない・・・?」
『ああ、悪いな。今回の敵は簡単なゴーレムだ。体温は無いからな。そこの所は、我慢してくれ』
周囲を埋め尽くした青色に翔が首を傾げていると、技術班の男が忘れていた、とばかりに翔に告げる。一応、ティナや一流の技師が作った高性能なゴーレムなら体温を持つ事も少なくはないが、試験エリアで使うのは破壊されても修復が簡単な単純な構造を持つゴーレムだ。体温は持ち合わせていなかった。
「ああ、そういうことですか・・・」
なら、使えないな。翔はそう判断して、サーモグラフィーを切断する。温度が分かれば隠れている敵等も分かりやすかったが、使えないのでは仕方が無い。
『すまんな・・・で、右手の篭手の使い方はわかってるか?』
「はい。指の上のスイッチ毎に機能が違うんでしたよね?」
『ああ、そうだ。人差し指から順にヘッドギアのモニターとリンクした音響ソナー、同じくヘッドギアとリンクしたマーカー、人差し指から麻酔弾を発射、中指から敵をおびき出す為の音響弾の発射。覚えておけ』
翔は右手の篭手のスイッチの感触を確かめる。一応、まかり間違って自分を撃たないように指が伸びていないと使えないように設定されていたが、感触を覚えておくのは重要だろう。
ちなみに、篭手は彼が主武器として使う短剣――今は服の内側の専用の鞘の中に入れている――の邪魔にならないように、手のひら側は滑らないような素材になっていた。そうして、翔は幾度か短剣の持ち具合等を確認しつつ、試験準備の完了を待つ。
『おし・・・こっちは用意出来た。そっち、全部の用意が出来た、と思ったのなら、マーカー弾を今から向かわせる青いゴーレムに撃ち込め。それが、お前の外部協力者のつもりだ。最終的には、最深部から機密情報を持ちだしてそいつの所に帰ってこれば、作戦終了だ』
「はい」
翔の返事とほぼ同時に、青く塗装されたゴーレムが彼の前に現れる。それに、翔は指で銃の形を作って、マーカー弾を射出した。
『良し。マーカーを確認した。潜入ルートは屋上から。まずは屋内の居る協力者を発見しろ。協力者は頭上に青色の点で記してある。機密情報はそいつが居場所を知っている、という設定だ』
技術班の男の言葉に、翔が目の前の建物を見上げる。規模は夕陽の時から少しだけ変わっていた。4階建てで、更に一階毎の高さは高くなり、更に建物全体の広さも広くなっていた。
夕陽の試験が盗賊からの救出訓練をベースにしていたのに対して、翔の試験は敵陣の建物内部の潜入工作をベースにしていた。広さはその差からくるものだった。
内容が何処か軍事訓練じみているのは、仕方が無い。ここでは本来軍用の物を開発しているからだ。それ故、試験エリアに搭載されている試験内容も、どうしても軍事よりだった。
『じゃあ、まずはアンカーを使って屋上へ登れ。もしくは、グローブと靴を使って、でも良い。そこは任せる』
「はい」
技術者の男の指示を聞いて翔はヘッドギアを下ろして、左腕に装着したフックショットを構える。今回は自軍領内の潜入工作を想定しているという事で、常に情報のやり取りを行うらしい。
まあ、同時に装備のモニタリングも必要だし、停止の指示も居るかもしれない。タイミングに応じては使って欲しい装置もある。やり取りが必要だった。
ちなみに、建物が変化したのは階層や横幅等だけでなかった。見た目も少し変化していて、4階部分にはテラスがあった。翔が狙うのは、その更に上の屋根上だ。
「えっと・・・フックショットの照準がこれで・・・確か、青色になっていれば、打ち込めたんだよな・・・黄色・・・引っ掛けられる可能性がある、か・・・」
翔は照準を屋上から少し上に上げる。当たり前だが、常に突き刺せるわけでは無い。突き刺した時にバレる可能性があったからだ。ならば、引っ掛けて上に上がる、というのも十二分に考慮に入れられるだろう。
「・・・いや、無い可能性もあるんだよな・・・じゃあ、えっと・・・モード変更、へばり付きに」
翔は何も取っ掛かりが無い可能性を考慮して、フックショットのフックの部分をカイトが使うひっつくタイプのフックに変更する。ここらは魔道具なので簡単にフックを変更出来たので、翔の持つ簡易型にも搭載されていた。スイッチひとつで簡単に切り替わるので、難しい操作も必要は無い。
「えっと・・・少し上にして・・・」
翔は再び照準で屋上より少し上を狙うと、フックのモード変更とは別のスイッチを押し込んで、フックを射出する。
すると、しゅるしゅるしゅる、という小さな音と共に、フックが上へと飛んで行く。そうして、カラン、というほとんど聞こえない程に小さな音が響いて屋上にフックが落着して、魔道具の力でその場にへばりついた。
「・・・ん、良し。行けそうだな」
翔はぐっ、とワイヤーを引っ張ってきちんと接着されているか確認すると、射出と同じスイッチを押して、今度は引き戻す。すると翔の身体は上へと上昇していく。
そうして翔は自分の足で駆ける事はせずに、ワイヤーの巻取りにあわせるだけにしておく。一応足音は消せる素材らしいが、壁を蹴った振動までは消せない。そこから敵に気付かれたくなかった。
『屋上に到着したな。次は屋内に入ってくれ』
「はい」
翔は屋上に降り立ってフックを回収すると、立ち上がる事なくベルト部分に取り付けた小物入れから愛用の偵察用の魔道具を取り出す。それは曲がり角の先等を確認する時に、顔を出したくない時等に使う物だった。それで覗く先は当然、4階部分のテラスだ。
「敵影・・・1・・・2・・・」
『どうするかはお前さんに任せる』
「・・・はい・・・」
翔の見たテラスは空中庭園に近い構造だった。人の腰程の生け垣があり、見晴らしはそれなりに良さそう、だった。そこを、ゴーレムが2体巡回していた。
「麻酔使ったら、敵にバレるんだよな・・・ゲームなら、寝ても異常なし、で済むってのに・・・現実は上手くいかないもんだよな・・・」
当たり前だが、唐突に眠気が襲ってきて昏睡すれば誰だって違和感を覚える。よしんば事を終えるまで昏睡してくれたとしても、それを誰も疑問に思わない事は無いだろう。
しかも、これは魔術なので、効果時間は最大でもきっかり10分という区切りもあった。非常時としては良いのだろうが、使わない事をメインにした方が良いだろう。
「じゃあ、やるのは・・・マガジ・・・じゃ、なかった。音響弾で、えっと・・・確かここで音の選択で・・・小石を選択。照準は・・・あのテラスの手すりにしておくか」
ゴーレム達は人と同程度の性能にされている、と言われているので、翔は風で小石が飛んできた程度に偽装する事にして、右手を銃の形にして構える。そして、照準をテラスの縁に合わせて、手甲のスイッチを押し込んだ。
すると、翔の右手の中指の所から、音を発するだけの無色透明な小さな魔弾が射出される。それは狙い通りにテラスの縁に衝突すると、からん、という小石がぶつかったような小さな、しかし見逃すには少し大きい音が静かなテラスの中に鳴り響く。
「良し、2体とも動いた・・・今の内に・・・」
翔は音に引き寄せられて確認に向かった2体のゴーレムを横目に、テラスの上に着地する。そうして、翔はゆっくりと、しかし素早く屋内へと続く扉を開ける。
そして、ベルトの部分に取り付けられたスイッチを使ってステルスを起動して、地面に降りて一気に廊下を駆け抜ける。効果時間を考えて、着地後にしたらしい。
道中に巡回のゴーレム達が居るがそれは仕留めずに、脇を通り抜ける事にする。ステルスを起動しているが、安易な行動は厳禁だった。
『内通者は、2階の南西の部屋に待機している。そこで合流しろ。ただし、どこの部屋に居るのかはわからない。ステルスで接近して、頭上の青い点を確認しろ。もしステルスの駆動時間が気になるようなら、ソナーを使って部屋に敵が居ない事を確認した上で、部屋の中で小休止を取れ。鍵開けは出来るな? そこまでは対応してないぞ』
「はい」
テラスへの出入り口とは正反対にある階段を一気に2階まで駆け下りた翔だが、そこで一度小休止に入る事にすると、右手のソナーを使って空き部屋の一つを見付けて、目視でゴーレムが居ない事を確認して、ステルスの電源を切った。
「ふぅ・・・これ、蒸れるな・・・」
ステルスの電源を切ると同時に、翔はマスクを下ろして大きく息を吐いた。声を漏らさないようにしていた為、完全に顔に密着していたのだ。
そのため、構造上の問題で通気性があまり良くはなく、蒸れてしまったのである。一応通気性の確保も図られていたが、長時間となるとどうしても、完璧には無理だ。仕方が無い、と諦めるしかなかった。そうして、3分程、小休止も含めて、休息を取る事にした。
「良し・・・廊下は・・・うん。向こう向いてるな」
翔は再びマスクを上げると、扉を少し開けて屋上の時と同じく愛用の魔道具を使って廊下を覗き込む。どうやら巡回のゴーレムは運良く翔とは別の方向を向いていたので、翔は即座にステルスを起動して、廊下に躍り出る。そしてそれと同時に、一気に通路を駆け抜けて、建物の南西部へと辿り着いた。
「ソナー、オン・・・南西の部屋でゴーレムが居るのは・・・3つか。一つは動いてない・・・」
『動いていないのは、眠っているからだろう。今回は夜の設定だ。眠っている奴も居る』
「なるほど・・・」
技術班の男からの情報に、翔が頷く。3つの内2つは動いていたが、1つはまったく動く様子がなかったのだ。しかも、少し地面よりも高い位置で止まっていた。情報を統合すれば、眠っている、と推測するのが妥当だろう。
「・・・なら、まずそこにするか」
『どういうことだ?』
「いえ、先に駆動時間を満タンまで回復しとこうかな、と・・・音鳴らさなければ、起きないでしょ、多分」
『なるほど。慎重派だな。良い考えだ』
翔の考えを聞いて、技術班の男が頷く。動いているゴーレムの内、あたりの可能性は50%だ。それを考えた結果、なのだろう。そうして、翔はまず動いていないゴーレムの部屋へと入り、ステルスを解除する。
そして更に愛用の魔道具を使って、ゴーレムの頭頂部を確認してみる。どうやら幸運にもこちら側に頭を向けてくれていたらしい。頭に何も無い事を確認出来た。
「次は・・・順番に行くか」
再びステルスの駆動時間を満タンまで回復した翔は、再度同じ手順で廊下に出て、次の部屋に入る。当然だが、ステルスは起動したままだ。
そうして、翔はグローブと靴を使って、天井にへばりついた。動き回っているのが敵であった場合、見つかってしまうからだ。そして、彼は天井に張り付いたまま器用に動いて、ゴーレムの頭頂部を確認する。
「・・・無いか。じゃあ、これも外れ、か」
ここも、外れだった。であれば、最後の一つがあたりだ。流石に単なる性能試験だというのに、トラブル発生で敵に内通者が囚われた、や何処かに移動した、なぞやる必要はないし、つもりもなかった。
というわけで翔はすぐに床に降りると、そそくさと密かにその部屋を後にして次の部屋へと入り、再度天井に張り付く。そこには案の定、頭に青い点のあるゴーレムが居た。
「良し」
翔はステルスを解除すると、ゴーレムから機密情報のある部屋へ入る鍵と機密情報までの道順の描かれた地図を受け取る。これで最下層にあるという機密区画に入れる、事になっていた。
『鍵を受け取ったな? じゃあ、後は地下まで一気に駆け下りろ。扉はゴーレムが開けてくれる事になっているから、今度は外を気にする必要は無いぞ。と言っても、ステルスは忘れるなよ』
「はい」
翔は再びステルスの駆動時間を満タンまで回復すると、ゴーレムに頼んで扉を開けてもらう。今度は巡回のゴーレムはこちらを向いていたが、扉から内通者ゴーレムが顔を出した為、気にせずに巡回を再開する。
「良し。じゃあ、一気に駆け抜けるか」
翔は巡回のゴーレムの横を通り抜けて再び来た道を戻り、階段を駆け下りる。そしてそのまま、一気に1階をスルーして地下階へと下りて、そのまま一気に通路を駆け抜けて、最深部にある鍵の掛かった扉の前に辿り着いた。そうして、翔は周囲に巡回のゴーレムが居ない事を確認すると、扉に鍵を突き刺す。
「良し」
『良し。では、中の資料を回収して、脱出しろ。脱出は何処からでも良い』
「はい」
部屋の中に入った翔は、三度ステルスの電源を切る。そこにはまた、熊のぬいぐるみが置いてあった。
「これ・・・どうしろってんだ・・・?」
『好きにしやがれ。部屋に飾っといてもいいし、適当に誰かにくれてやってもいい。こないだの祭りの射的の景品なんだよ。ムキになって落としちまったのはいいが、娘もこんなのいらん、つったんでな』
「えぇ・・・」
つまりは、要らないから、という事だった。そういわれても翔も要らない。が、とりあえずはこれを持ち帰るのが、翔の目的だ。
ということで翔はぬいぐるみを小袋の中に入れると、再びステルスを起動して来た道を戻って、建物の出入り口から外に出る。そうして更に少し移動して、ステルスを解除して青い塗装がされたゴーレムにぬいぐるみを提示した。
「これで、いいんですか?」
『おう、試験終了だ。問題点が幾つか分かったから、魔道具を外してくれ。取りに行く』
「はい」
技術班の男の言葉を受けた翔は、装備していた魔道具を取り外す。そうして、翔の試験は何の痕跡もほとんど残すこと無く、終了したのだった。
お読み頂き有難う御座いました。
次回予告:第597話『検査結果』




